ダークナイト ライジング
2012年/アメリカ
物語が生み出す善悪について
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
クリストファー・ノーラン監督による『バットマン』シリーズの前作、『ダークナイト』(2008年)のテーマはヒーローの匿名性であるということは既に、『ダークナイト』のレビューで書いた通りであり、本作においてもバットマンの‘アノニマス’に関して言及されている。当然、シリーズ完結篇となる本作において、その匿名性に関する‘結論’を期待して観たのであるが、圧倒的な映像の迫力とは裏腹に‘匿名性’というテーマに限るならば、複雑な心境である。
ブルース・ウェインが指紋採取により、‘匿名性’を保てなくなり、やがて再びバットマンとして戦う羽目になってしまうというストーリーの流れは悪くない。自身が保有していた核によってゴッサムシティに危機がもたらされるという矛盾も分かるのであるが、ベインが率いる‘悪の軍団’とバットマンを支える警察組織という二項対立は、いわゆるプロレタリアとブルジョアジーの対立であり、どちらが善でどちらが悪であるのかは微妙である。しかしそのことに対して、マスクをしているためでもあるだろうがバットマンにあまり迷いが見られないことが気になる。善と悪が明確にできないためにブルース・ウェインは8年間も姿を消していたからである。
その‘言い訳’としてブルース・ウェインが選択した態度は、「誰でもバットマンになれる」という‘アノニマス’であり、スクールバスの窓越しから子供たちに自分の勇姿を示すことで、滅私なニューヒーローの出現を期待するのであるが、これでは善悪の問題は解決したことにはならない。
ここで思い出される作品は『グスコーブドリの伝記』(杉井ギサブロー監督 2012年)である。主人公のブドリは物語を持たない‘ヒーロー’として描かれていたのであるが、換言するならば、物語を持つ以上はどうしても善と悪が対立する構図が生じてしまうということなのかもしれない。
本作のラストシーンが印象的である。ジェームズ・ゴードンはバットマンのサーチライトの前でバットマンの出現を待っている間に、アルフレッド・ペニーワースは現実か幻かは定かではないが、ヒーローを‘引退’してくつろいでいるブルース・ウェインをイタリアのカフェで見つけ、ジョン・ブレイクはブルース・ウェインの衣鉢を継ぐ。ここではヒーローの匿名性は、誰でもヒーローになれるし、いつでもヒーローを辞められるという選択の問題であり、それは個人の強い意志に委ねられ、強い意志は善意によって成り立つ(あるいは善意の意志の方が悪意の意志より強い)ことが前提とされているのであるが、これでは楽観的すぎるように思わなくもない。だから私はヒーローの匿名性に関しては間もなく公開される『アベンジャーズ』(ジョス・ウェドン監督 2012年)に期待する。
山口知事選で立会人「妨害行為」、点検打ち切る(読売新聞) - goo ニュース
山口県知事選の宇部市俵田翁記念体育館で行われた同市の開票作業で、飯田哲也候補
陣営が選任した男性が、午後9時半から、「計数器が信用できない」などとして、有効票を
1枚ずつ点検し始め、更に、男性が大声を出して投票用紙を机にたたきつけるなどしたため
投票数の確定時刻は予定より約1時間10分遅い30日午前1時40分までずれ込んだので
あるが、結果は、当選した山本繁太郎の252461票に対して、飯田哲也は185654票と
圧倒的な差があり、何を目的とした細かな点検なのかよく分からないのだが、この遅れで、
市職員45人の残業代が予定より計約30万円増えたという辺りが真の目的なのかも