MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ワン・デイ 23年のラブストーリー』 100点

2012-07-05 21:07:02 | goo映画レビュー

ワン・デイ 23年のラブストーリー

2011年/アメリカ

ネタバレ

形式主義を超えて

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 作品冒頭で、自転車に乗っている主人公のエマ・モーリーの後を付いてくるバイクに乗った男の存在からエマのその後の危うさを醸し出す演出が効いているが、とりあえずその2006年7月15日のシーンは宙吊りにされたまま、時はエマ・モーリーとデクスター・メイヒューが大学の卒業式で出会った1988年7月15日まで遡る。
 その後は、ウェイトレスで生計をたて、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を愛読書としながらも、結果的に若者向けのファンタジー小説の作家として認められるようになったエマと、テレビ番組の人気司会者として一気に売れたデクスターの、毎年7月15日の2人の様子が完全な形式主義で描かれる。最初は男女の友情は成立するのかというような物語かと多少ナメて観ていたのであるが、ラストで再び1988年7月15日の卒業式後の2人を観た時に、これは1988年から2011年までの2人が辿った軌跡よりも、初めて出会ってしまった時のときめきがメインであることが分かる。
 エマとデクスターが彼の部屋で一晩過ごした後に丘に登った時、エマはデクスターに対して結婚も子供も望まないと宣言する。エマにとってはデクスターと出会えたことだけが尊く、それ以外に望むものなどなかったのである。それはデクスターも同様で、丘を降りる‘昔の’エマとデクスターと入れ替わりに‘今の’デクスターが愛娘ジャスミンを連れて丘に登ってくる理由はデクスターにとっては2人とも同じくらいに大切な存在だからであろう。
 しかし交際しているうちにエマもデクスターも相手に多くのものを求めてしまう。やがて結婚してしまい、子供も欲しくなってしまうのであるが、これは勿論悪いことではなく、ごく自然な心の移ろいである。本作で描かれていることは、関係を進展させるためには誰もが忘れてしまわなければならない出会った頃の心のときめきの‘衰退’である。既に突然の別れを知ってしまっている私たちは、エマが名残惜しそうに何度もデクスターの方を振り向いて、これからの2人の夢と期待に満ちた「さようなら」を口にする時、どうしても涙腺が緩んでしまうのであり、徹底した形式主義を貫いていたはずの本作は気がついたら1988年の7月16日を描いており、そんな‘無名’の日の出来事に感動している自分たち自身に驚かされるのである。


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栗原類とデヴィッド・ボウイ

2012-07-05 00:31:58 | Weblog

検索ワード急上昇の栗原類がネガティブパワー炸裂、「もっといい人がいるはずなのに…」(ハリウッドチャンネル) - goo ニュース

 私も日本テレビの「芸能★BANG+」で栗原類の存在を知ったのであるが、7月3日深夜の

放送は興味深いものだった。話の流れで何故か栗原類がカラオケを歌うはめになってしまい

栗原が選んだ曲はDavid Bowieの「Ashes to Ashes」だったのである。1980年に

リリースされたこの曲を知っている共演者は当然のことながら一人もいなくてギターが上手い

後藤輝基さえ知らなかったようなのであるが、17歳でこの曲を選択するということと、意外と

上手く歌っていたことに感激してしまった。正確に言うならば上手く歌っていたという意味は

歌詞の内容を理解したうえで声色を変えて歌っていたという事であるが、今後も期待したい。


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