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 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『特集:アジアの曙 全十三話 一挙上映』 0点

2012-07-21 23:52:16 | goo映画レビュー

特集:アジアの曙 全十三話 一挙上映

-年/-

ネタバレ

テレビドラマを劇場で観賞する意義について

総合☆☆☆☆☆ 0

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 本作が何を描いているのかと言えば『1911』(ジャッキー・チェン監督 2011年)が辛亥革命なのであるが、その後に起こった中国第二革命が描かれており、革命軍に参加した唯一の日本人である中山峯太郎を主人公としている。但し本作は1964年12月から1965年にかけてTBSで放送された連続テレビドラマであり、中国寄りの登場人物には中国を「中国」と呼ばせ、日本寄りの人物には中国を「シナ」と呼ばせている『アジアの曙』の主な登場人物は全員日本人によって演じられている。
 1911年、松井須磨子が『マグダ』の公演を禁止されたという記事が読売新聞に掲載された頃、主人公の中山峯太郎は明治天皇に、小国だったギリシアが大国のペルシャを凌駕したというような話を講じる機会を与えられるほど優秀で、陸軍幼年学校を首席で卒業したのであるが、かつて明治維新を牽引していったものの今では薩摩藩と長州藩の‘老害’として権力闘争に明け暮れている政府要人たちに対して石川啄木同様にうんざりしてしまい、士官学校で清国留学生と固い友情を結んだあたりから、エリート街道から逸れてしまい、やがて退学させられる。第一話の冒頭で描かれる軍事演習のシーンは妙に長く、真剣な演習に見えないのは、あくまでも制作費の問題だと思うのだが、製作当時の学生運動に関わっていた学生たちの‘軍事演習ごっこ’のように見えなくもない。
 第四話において、南京から糊口まで揚子江から船で向かう途中で、金鶏波にある敵の城塞を襲撃して攻略した際に、勝ったにもかかわらず何故か泣いている令鈴に向かって中山が理由を尋ねた時に、地面にうつ伏している多くの死体から城の上に風でなびく旗までカメラがパンするのであるが、その肝心の旗が後ろから正面に向かってなびいているために、旗の柄が映っておらず、コントラストが上手く描かれていない。糊口の要塞に無事に辿りつき、そこの将軍による歓迎会の席で、乾杯する前に女中によって酒がコップに注がれるのであるが、その女中の酒の注ぎ方が御座なりで、とても酒を注いだようには見えない。
 第七話の演出も酷い。方声涛が、林虎将軍が中山たちの革命軍に南昌で合流するという情報をもたらすのであるが、林虎将軍が来る気配はないまま、戦闘中に方声涛は逃走してしまい、革命軍は敗北してしまうのであるが、何故か中山は方声涛を見つけても、裏切り者として捕らえようとせず、方声涛の恋人の美瑛に方声涛の後を付けさせる。方声涛は幸せになりたかったから逃走したのだと美瑛に言い訳するのであるが、それならば美瑛を置き去りにした理由が分からない。さらに分からないのは、方声涛が恋人を陳元竜将軍に紹介しようと美瑛を呼んだ時に中山も美瑛の背後から一緒に司令室ついてくるのであるが、陳元竜は中山のことを全く気にする素振りをせず、この隙をついて中山は拳銃で近距離から陳元竜を撃つのであるが、何故か陳元竜は左腕を負傷しただけで済み、その後、中山は奇跡的に外に逃げることが出来て、方声涛と美瑛は銃殺されるところを目撃するというおかしなシーンが続く。そのためかどうかは定かではないが、佐々木守と一緒に脚本を務めていた田村孟は第八話から石堂淑朗に代わっている。
 第九話の演出はさらに酷くなる。中山は郁栄に従う少人数の軍隊と共に、陳元竜将軍に夜襲をかけるのであるが、敵陣の拠点の入り口で警備をしている2人の兵士の一人を中山が襲っているにも関わらず、その後方にいる兵士は何故か気がつかず、やがてもう一人の兵士も中山に将軍の居場所を白状させられた後に、殺されてしまう。しかし中山が教えられた場所に行ってみると将軍の姿は見えず、嘘を教えられたことが分かり、中山は5~6人の敵兵に捕らえられるのであるが、次のカットでは何故か中山は外に逃れているという不自然さである。そのためかどうかは定かではないが、第十話から石堂淑朗から再び田村孟に代わっている(その後、第十二話が石堂淑朗に、第十三話が田村孟に担われているのであるが、結局その違いはよく分からない)。
 第十二話の演出もますます酷くなる。高熱で病に臥している中山は、中国に精通している日本人として中国攻略に利用しようと日本軍が捕らえるのであるが、その際に抵抗した中山は日本兵に右腕を撃たれ、護送される途中で、給水のために停車していた時に逃げだそうとした中山は左手を撃たれ、さらに馬で追いかけてきた仲間の中国人に救助される際に、背後から左足を撃たれたりする。利用しようとする目的で拉致しているわりにはかなりのダメージを負わせてしまっているのであるが、中山は左手に包帯を巻いているだけで、意外と平気そうである。
 最終話の第十三話で、中山は妻の康子に革命成功の可能性に言及する。中山に依るならば、革命成功の可能性は2つ存在する。一つは農民一人一人が兵士として振舞うこと。もう一つは日本を仮想敵国と見做して、中国人が一致団結することなのであるが、それならば中山の言う革命は現在の中国で成功したことになる。
 ラストシーンにおいて、結婚したばかりの、中山の同志である阿香と明哲は整列している日本軍兵士たちの頭上から抗日のビラを撒いて、銃殺されるのであるが、中山は第2の阿香や明哲が現れると呑気なことを言って687分のテレビドラマは呆気なく終わってしまう。
 革命軍の敵役となる袁世凱側の内実が全く描かれていない理由も予算の問題であろうし、当時のテレビの画質や画面の大きさを考慮するならば、顔のアップの多用は致し方なく、作品後半あたりから見られるワンシーンワンカットや、狂気から回復した幸子のオーヴァーラップによる回想シーンや、とりわけ最後の中山と康子のシーンにおける意図的にカメラを傾けて映すテクニックなどは『カルメン純情す』(木下恵介監督 1952年)を模したものであり、それなりの演出上の工夫は感じられるのであるが、特に戦闘シーンの演出は酷く、どのように見ても当時の学生運動に対する皮肉というよりもただ演出が下手であるようにしか思えない。大島作品が娯楽映画にならない理由の一つがここにある気がする。
 この作品に価値があるのだとするならば、反日の物語を‘無防備’の日本のお茶の間に流したということであり、それならば本作は映画館やDVDで観るよりも(『大島渚と日本』四方田犬彦著 筑摩書房 P.297)、TBSテレビで再放送されるべきなのであるが、それは絶対にないのだろうね。
 劇中で歌われる「関高音頭」に関しては詳しくないが、本作の基調の一端は間違いなく、郁栄を演じた芳村真理のエキゾチックな顔立ちの美しさと力強い声のトーンによるものである。


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中学校の武道必修化

2012-07-21 00:03:47 | Weblog

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 それにしても川で溺れさせたり、“1分間戦うゲーム”だとか、2階の教室の窓を乗り越え、

雨よけ部分から1階のコンクリート製通路に飛び降りさせたとか、校舎3階の廊下の窓枠に

両手をかけて後ろ向きに座り、上半身を反らせて落ちる“手本”を示して、同じ姿勢を取るよう

強要していたとか、このようなことをさせて何が面白いのかと首をかしげるようなものばかり

である。要するにいじめ相手がどれほど痛いのか実感できていないから過激になっていく

のであろうから、私はやられたらやりかえさなければいじめはなくならないように思う。つまり

いじめられたことと同じことをやりかえすことでいじめは喧嘩になるのだから、事実上、

いじめはなくなるはずである。そのための中学校の武道必修化だと思うのだけれど。


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