私の中のあなた
2009年/アメリカ
原作との違いの是非
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
もちろん原作を映画化する際には、原作と映画は別物として鑑賞することが正しい身振りではあることは十分に分かっているつもりではあるが、やはり本作をつまらなくしている理由の一つとして原作のラストを変更してしまったことは揺るぎない事実だと思う。
白血病の姉ケイトのドナーとして、遺伝子操作で生まれてきたアナ・フェッツジェラルドは11歳の時に腎移植を拒み、両親を相手に訴訟を起こすのであるが、やがてそれはケイトがアナにやらせたことが分かる。映画ではそのままケイトが死を迎えるのであるが、原作ではアナが自動車事故に遭い亡くなってしまい、臓器移植が実行され、その内、腎臓がケイトに移植されることになり、それから6年後、体調が回復したケイトはダンスのインストラクターとして活躍することになる。
どのように考えても原作の方がドラマチックであり、敢えてドラマを排するニック・カサヴェテス監督の意図がよく分からない。
しかし、そもそも演出そのものも緩く、例えば、最初の裁判後に、デ・サルヴォ判事に呼ばれたサラ・フィッツジェラルドとアナの担当弁護士であるキャンベル・アレクサンダーがしばらく話し合った後に、アナが部屋に呼ばれるのであるが、その間に部屋の壁にかかっている時計はずっと3時34分を指したままであり、シリアスなドラマにおいてはこれくらいの細かい演出の配慮は必要だと思うのはたぶん私だけなのであろう。
実名わかる映像、フジテレビが謝罪 大津・中2自殺(朝日新聞) - goo ニュース
中1女子いじめ自殺訴訟、両親の請求を棄却(読売新聞) - goo ニュース
どうやらフジテレビは確信犯として名前が透けて見えるようにしたわけではないようだが、
飛び降り自殺した生徒の父親が被害届を出すため大津署に3回にわたり相談したものの、
被害届が受理されなかったり、埼玉県北本市の市立北本中1年の女子生徒の自殺に関し、
東京地裁の舘内比佐志裁判長が「原因がいじめであると認定することはできない」として、
国や市の責任は認めなかったことなど、いじめられた者たちに対して司法があまりにも
冷たい態度をとるのであるならば、この怒りの矛先がどこに向かうのか想像するならば
必然的に、例えばの話だけれども、「木村束麿呂」とか「山田晃也」とか「小網武里」という
名前を備えている人たちに向かっていってしまうことは避けられないのではないだろうか