MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『苦役列車』 80点

2012-07-20 23:54:30 | goo映画レビュー

苦役列車

2012年/日本

ネタバレ

友達という‘気取り’について

総合★★★★☆ 80

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 前作『マイ・バック・ページ』(2011年)においては死というテーマを持て余していたように見えた山下敦弘監督の新作は、グダグダの主人公を扱わせたら右に出るものはいないだけあっていつものように本領を発揮しているように見える。
 主人公の北町貫多は幾多のコンプレックスを抱えており、決して自ら他人に声をかけることはない。だから貫多は他人と関わる必要がない港湾の荷役作業を仕事に選び、たまたま友人になった日下部正二は正二の方から声をかけてきたのであり、桜井康子と知り合えたのも正二を介してであり、その後の様々なトラブルも相手から仕掛けられたものである。
 正二と彼のガールフレンドの鵜沢美奈子と共に貫多が飲みに行った時に、酔いも手伝って貫多が2人に放つ暴言の中に「女の前だからって高尚ぶるんじゃねえよ。ぼくの云う映画とてめえらの云う映画は、映画が違うとでも言いてえのか」というものがあるが、もちろん違うのであり、貫多が云う映画は娯楽作品であろうが、2人が云う映画はアートシアター系のものであろう。貫多は江戸っ子であるために、九州から出てきた正二たちのような‘田舎者’の気持ちは分からないようだが、‘田舎者’たちは気取りながら大人になるのであり、例えば、女性の手に口を付けたいのであるならば、気取りながらキスをするべきであり、貫多のように欲望の赴くまま康子の手を舐めてはいけないのであり、‘気取る’ことが出来ないのであるならば素人は諦めて風俗嬢に専念するしかない。
 それでも一度だけ貫多は正二や康子と本音で付き合える僥倖に恵まれる。3人で服を脱いで冷たい海ではしゃぎ合うシーンである。しかし正二とも康子とも別れてしまい、スナックでチャンネルの奪い合いからやくざに身包み剥がされた後に、海岸にたどり着くと、貫多を追い越して正二と康子が海に入っていく。驚いた貫多が2人に付いて海に入ろうとするが、貫多は2人が服を着ていることに気がついていない。2人とも最早、貫多のように‘裸’になるつもりはなく、貫多は罠にはまって落とし穴に落ちてしまい、ついには住んでいるアパートのゴミ集積場まで‘堕ちて’しまう。
 堕ちるところまで堕ちた貫多はまさに裸一貫から孤独に書くことで生きる意味を模索し始めるのである。
 それにしても平成のトップアイドルグループのセンターを務める前田敦子が、どうしても1980年代の文学好きの女子大生にしか見えないところが、演出の冴えなのか本人の資質なのか分からないが興味深いが、正二を‘友情’のメタファーとしたのに対して、映画オリジナルのキャラクターである康子を‘愛情’のメタファーとして設定し、成功していることは誰が見ても明らかである。
 『新潮』8月号の原作者と映画監督の対談もまた非常に興味深かったのであるが、結局、原作者は、自分が書いた読み物をたいして理解していないくせに、ああだこうだと知ったかぶりながら楽しそうに話し合い映画を制作していく芋臭い‘サブカル野郎’たちが大嫌いなのだから話が合うわけがないのである。


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8人目の可能性

2012-07-20 00:05:39 | Weblog

橋下市長、不倫報道で「まず妻と子に謝る」(読売新聞) - goo ニュース

 はっきり言ってしまうならば、前日の記者会見ではまだ橋下徹大阪市長は、事の重大さは

分かっていただろうが、若気の至りという程度に考えていた節があって、文春の記事に関して

「事実の部分もあり、事実でない部分もある」などとまるで同じように過去の異性関係を文春

で暴露され、AKB48からHKT48へ都落ちした指原莉乃程度のぺナルティーを想定して

「僕は市役所に寝泊りしなければならない」などと冗談交じりに説明していたのであるが、

談笑しながらの“反省”はかなり評判が悪かったようで、今回は笑顔はなかったが、誠意を

込めて粘り強く謝れば、隠し子などが出てこない限りは、赦してもらえるのではないだろうか。

 


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