バイクライフ・バイクツーリングの魅力を北海道から。
聖地巡礼-バイクライディングin北海道-
年末の徒然に(1)
今年も、そろそろ終わりです。
今年を振り返るには、仕事を抱えてまだ時間が足りなく、
私専用のパソコンもまだ、帰ってきてはいません。
今年もいろんなことがあり、二度と戻らない一年が、また過ぎ、新しい年が、すぐそこまで近づいてきています。
4年前、自分の内部で、いろんな面で行き詰まりや、悩みを抱えていた私は、なんとか突破口を見つけようと、バイクのブログを始めることを思い立ったのでした。
それは、私の悩みや行き詰まりとは、まったく関係のないことであり、ブログを始めたところで、その状況が改善するなどとは、まったく考えられないことでもありました。
しかし、割と思い詰めてしまい、打ち込みすぎるきらいのある私は、内部で煮詰まらないように、何か放出するもの、発散するものをしなければならない状態だったのです。
私は22の時、バイクに乗り始めました。
もともと秋田の田舎育ちで自転車が好きだった私は、バイクに格別思い入れや興味があったわけではありません。ただ、大学に通うために住んだ都会に(いや、本当は都会にではなく、自分自身に対してでしたが)なじめなさを感じていた私は、手っ取り早く私を田舎の風景と空気の中に運んでくれるバイクに手を出したのでした。
初めてのバイクは中古のDT50。
そこから、今日まで、バイクに乗らない自分など考えられないような状態が続いています。
バイクは、私を、誰でもない私自身に戻してくれます。
バイクを走らせ、路上にいるときには、私は学生でもなく、職業人でもなく、家庭人でもなく、私自身になれる。
もちろん、結婚してからはバイクに乗っても家族のことを忘れたことはありません。
しかし、バイクの上では、誰もがむき身のライダーになります。
私も、まずは誰でもない、私自身に、戻れるのです。
誰でもない私、どこにも所属しない私。
22歳、就職にも大学院への進学にも失敗した私は、文字通り何でもない自分でした。
失恋もし、自分自身に何もない、何をしても実感がわかない、そんな感じがしていました。
それでも親に仕送りをねだり、自分のバイトと合わせて暮らしていたのですから、そんなものは甘えたガキの贅沢な戯れ事だといわれてしまうでしょう。それはまさにその通りでした。
でも、私にとっては、その状況は苦しかった。自分を信じることができず、自分を愛することができず、だから、誰も愛せない状態でした。
そんな中で、バイクを走らせている時だけが、自分を信じることができる時間だったのでした。
へたくそでも、危なっかしくても、このバイクを操作しているのは自分。
そして、今、この操作に集中すれば、難なく生還できるが、間違うと、命を失う。
バイクで走る限り、後ろを向いて後悔することはできない。
今を、必死で生きない限り、バイクは進めないのです。
私はバイクで走り回りながら、自分を探していたのかもしれません。
やがて2年かけて就職することができ、引っ越しをして北海道に渡り、またその2年後に大学のあった街へ働きに戻り、
そこで結婚し、子供が生まれ、10年後、もう一度北海道に家族3人渡って現在に至ります。
その間、私はずっと、バイクとともにありました。
転倒して死に掛けたこともあり、子育てで1年に1千キロも乗れない時期もありましたが、26年間、私はバイクに乗り続けています。
私はいい伴侶に恵まれたと思います。
彼女は、私のバイクとともに在る存在を、受け入れてくれました。
結婚してからも、どうしようもなくなると、私はバイクで旅に出ました。それはたいてい、宿を決めずに走り出す1泊2日の走り詰めの旅でしたが、妻はそれが私にどうしても必要なものだということを理解してくれたようでした。
バイクに乗ったからと言って、何かが解決するわけではない。
バイクで走っても、どこまで走っても、何からも逃げられない。
しかし、まさにそのことを教えてくれたのは、私の場合、バイクでした。
このへんてこりんな、過剰なバイクへの思い入れは、とても人と共有できるものではない。
そう思ってきたのですが、このブログを書いてみて、こうしたすべてに対してではないにしても、
私の感覚に共鳴してくださる方がいて、
あるいは批判的であるにしても、読んでくださる方がいて、
私は、半ば驚き、半ばうれしい気持ちで、ブログを書き続けてきたのでした。
私の行き詰まりや、仕事上の悩みは、4年前と変わらず、むしろ、徐々に追い詰められつつあるようにも感じるのですが、
そうした日常の中で、私が22歳の時から、好きで、魂の一部をささげてきたバイクの世界について、
日々、なんということもなく書き綴ってきたこのブログが、やはり私をどこかで支えていたのだと、今回改めて思い至ったのでした。
もちろん、私は妻や家族を始め、多くの方に支えられてこうして生きていられるわけで、ブログはその中のほんの一つ、些細な部類に属するのだと思うのですが、その些細な分野だとしても、私にとっては、私の主観にとってみれば、とても大切な部屋の一つだったのです。
今年は特に仕事が忙しく、パソコンが壊れる前からブログを書く時間がなかなか取れず、ツーリングにもなかな出られない状態が続きました。
一時は、睡眠時間と家族との時間をしっかり確保するためにブログを閉じようか、ということも考えたりもしたのですが、やはり、続けていくことにしました。
それは読んでくださる方のためというのではなく、私自身にとって、このブログを書くという行為そのものが、いつのまにか、大事なものになっていたからでした。
私はまだまだ、バイクで走りたい。
バイクで走ることでしか得られない、あの濃密な時間、あの自分自身に帰る間隔を、まだまだ味わいたい。
そして、そのことを、どんな形にせよ、何か表したい、表現したい。
そんな思いを、私はまだまだ抱いているようです。
今日は写真も、下書きもなしでの、打ちっぱなし文章でした。
まとまりがついていないと思いますが、年末の徒然、ご勘弁いただければと思います。
今年を振り返るには、仕事を抱えてまだ時間が足りなく、
私専用のパソコンもまだ、帰ってきてはいません。
今年もいろんなことがあり、二度と戻らない一年が、また過ぎ、新しい年が、すぐそこまで近づいてきています。
4年前、自分の内部で、いろんな面で行き詰まりや、悩みを抱えていた私は、なんとか突破口を見つけようと、バイクのブログを始めることを思い立ったのでした。
それは、私の悩みや行き詰まりとは、まったく関係のないことであり、ブログを始めたところで、その状況が改善するなどとは、まったく考えられないことでもありました。
しかし、割と思い詰めてしまい、打ち込みすぎるきらいのある私は、内部で煮詰まらないように、何か放出するもの、発散するものをしなければならない状態だったのです。
私は22の時、バイクに乗り始めました。
もともと秋田の田舎育ちで自転車が好きだった私は、バイクに格別思い入れや興味があったわけではありません。ただ、大学に通うために住んだ都会に(いや、本当は都会にではなく、自分自身に対してでしたが)なじめなさを感じていた私は、手っ取り早く私を田舎の風景と空気の中に運んでくれるバイクに手を出したのでした。
初めてのバイクは中古のDT50。
そこから、今日まで、バイクに乗らない自分など考えられないような状態が続いています。
バイクは、私を、誰でもない私自身に戻してくれます。
バイクを走らせ、路上にいるときには、私は学生でもなく、職業人でもなく、家庭人でもなく、私自身になれる。
もちろん、結婚してからはバイクに乗っても家族のことを忘れたことはありません。
しかし、バイクの上では、誰もがむき身のライダーになります。
私も、まずは誰でもない、私自身に、戻れるのです。
誰でもない私、どこにも所属しない私。
22歳、就職にも大学院への進学にも失敗した私は、文字通り何でもない自分でした。
失恋もし、自分自身に何もない、何をしても実感がわかない、そんな感じがしていました。
それでも親に仕送りをねだり、自分のバイトと合わせて暮らしていたのですから、そんなものは甘えたガキの贅沢な戯れ事だといわれてしまうでしょう。それはまさにその通りでした。
でも、私にとっては、その状況は苦しかった。自分を信じることができず、自分を愛することができず、だから、誰も愛せない状態でした。
そんな中で、バイクを走らせている時だけが、自分を信じることができる時間だったのでした。
へたくそでも、危なっかしくても、このバイクを操作しているのは自分。
そして、今、この操作に集中すれば、難なく生還できるが、間違うと、命を失う。
バイクで走る限り、後ろを向いて後悔することはできない。
今を、必死で生きない限り、バイクは進めないのです。
私はバイクで走り回りながら、自分を探していたのかもしれません。
やがて2年かけて就職することができ、引っ越しをして北海道に渡り、またその2年後に大学のあった街へ働きに戻り、
そこで結婚し、子供が生まれ、10年後、もう一度北海道に家族3人渡って現在に至ります。
その間、私はずっと、バイクとともにありました。
転倒して死に掛けたこともあり、子育てで1年に1千キロも乗れない時期もありましたが、26年間、私はバイクに乗り続けています。
私はいい伴侶に恵まれたと思います。
彼女は、私のバイクとともに在る存在を、受け入れてくれました。
結婚してからも、どうしようもなくなると、私はバイクで旅に出ました。それはたいてい、宿を決めずに走り出す1泊2日の走り詰めの旅でしたが、妻はそれが私にどうしても必要なものだということを理解してくれたようでした。
バイクに乗ったからと言って、何かが解決するわけではない。
バイクで走っても、どこまで走っても、何からも逃げられない。
しかし、まさにそのことを教えてくれたのは、私の場合、バイクでした。
このへんてこりんな、過剰なバイクへの思い入れは、とても人と共有できるものではない。
そう思ってきたのですが、このブログを書いてみて、こうしたすべてに対してではないにしても、
私の感覚に共鳴してくださる方がいて、
あるいは批判的であるにしても、読んでくださる方がいて、
私は、半ば驚き、半ばうれしい気持ちで、ブログを書き続けてきたのでした。
私の行き詰まりや、仕事上の悩みは、4年前と変わらず、むしろ、徐々に追い詰められつつあるようにも感じるのですが、
そうした日常の中で、私が22歳の時から、好きで、魂の一部をささげてきたバイクの世界について、
日々、なんということもなく書き綴ってきたこのブログが、やはり私をどこかで支えていたのだと、今回改めて思い至ったのでした。
もちろん、私は妻や家族を始め、多くの方に支えられてこうして生きていられるわけで、ブログはその中のほんの一つ、些細な部類に属するのだと思うのですが、その些細な分野だとしても、私にとっては、私の主観にとってみれば、とても大切な部屋の一つだったのです。
今年は特に仕事が忙しく、パソコンが壊れる前からブログを書く時間がなかなか取れず、ツーリングにもなかな出られない状態が続きました。
一時は、睡眠時間と家族との時間をしっかり確保するためにブログを閉じようか、ということも考えたりもしたのですが、やはり、続けていくことにしました。
それは読んでくださる方のためというのではなく、私自身にとって、このブログを書くという行為そのものが、いつのまにか、大事なものになっていたからでした。
私はまだまだ、バイクで走りたい。
バイクで走ることでしか得られない、あの濃密な時間、あの自分自身に帰る間隔を、まだまだ味わいたい。
そして、そのことを、どんな形にせよ、何か表したい、表現したい。
そんな思いを、私はまだまだ抱いているようです。
今日は写真も、下書きもなしでの、打ちっぱなし文章でした。
まとまりがついていないと思いますが、年末の徒然、ご勘弁いただければと思います。
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« 近況 | よいお年をお... » |
お世話になってます。
冬の山陰は底冷えが厳しくて寒いことは寒いですが
天気が良ければバイクに乗れないこともありません。
だけどこの数週間は雨が多く(夜間には雪)ちょっと乗ってみようと言うわけにもいかず、かといってバイクを冬眠させるのもいやだなぁ、なんて中途半端で蛇の生殺し状態の日々が続いております。
バイク乗りたいなぁ・・・・
僕は約15年ぶりくらいでリターンしたのですが、またバイクに乗り始めて本当に良かったなと心から思うのです。
そして、ご縁があって樹生さんのブログに巡り会ったおかげで僕のバイクライフはより豊かなものになったと思ってます。
樹生さんのライテク記事を発見してからお邪魔するようになりましたが、それだけではなくライダー気質の記事や旅の記事、そしてそれらの記事への皆さんのコメント。
僕のなんてことない日常に彩とスパイスを、僕のバイクと共に樹生さんや皆さんが与えてくださいました。
僕は、気まぐれでこちらにお邪魔して時にこうして無責任にウダウダ書き連ねさせて貰ってますがいつもご丁寧にお相手していただいて感謝しております。
樹生さんの「(記事の)生みの苦しみ」なぞ恐らく一向に理解せずノーテンキなものですが
ああ、また、長くなってしまった。
バイク、乗りたいですねぇ。
来年も頑張ってください。
私は現在通勤用に原2(125ccのスクーター)を手に入れて週4ぐらいで
乗っています。関東は単車でも何とか冬でも乗れますが如何せん寒さ
がこたえる時期ですのでスクーターが精々です。
単車ではないですがバイクに乗れているので意外と毎日楽しいです。
軽く扱いやすい(とはいえ140kg強)ので振り回して遊んでます。
周りは『寒くない?』とか言いますが、高校生は原チャリで通って
来ていますので負けてはいられません。
また来年も楽しい、そして北海道に尚更憧れるような
記事を楽しみに
しています。
パソコン修理早く上がるといいですね。
私は最近はi-pad主体になっています。慣れてくると
簡単な作業はこれで十分です。
樹生まれさんとバイク、後を付いて走るとよくわかります。
バイクで走り考えて走る人の後ろ姿や佇まいがあります。
巡る思いはそれぞれですが、その人となりを感じさせて
いくので不思議です。
私は五年のブランクを経てここのサイトに背中をそっと
押されるように復帰しました。
肉体的な限界を感じての降車から、
再度身体と気持ちを整えるまでにシーズンインには
戸惑いと多少の時間を要しました。
他方、10代から乗っているので車歴だけは長いですが
想いという部分ではどうでしょう。
きっと一瞬の湧き上がる歓びが原点で、その点が線状に
繋がって今までも続いてきたように思います。
雪が縦横に降りしきる外をみながら
その線がまた春に繋がっていくような気がします。
フィジカルな能力は衰えても、走れるんだと
今年、樹生まれさんはじめ町内会メンバーのみんなに
教えてもらいました。
来年も笑顔で走る人でいたいとおもっています。
ソロさんは15年ぶりのリターンだったのですね。
山陰は、広島に住んでいた頃、大山や出雲大社などによく走りに行きました。おろちループが完成する前のあの峠も何回か走りましたし、江の川を河口まで川に沿って走って行ったこともあります。
大切な思い出です。
私のブログがソロさんのバイクライフに少しでもプラスになったのなら、それはとてもとてもうれしいことです。
ブログにおいてもいわゆる荒らしのようなことがなく、ソロさん始めみなさんがとても誠実なコメントをくださるので、本当に感謝しています。
バイク、乗りたいですね。
大晦日と元日は吹雪になりそうな北海道です。
共感いただいて、うれしいです。
一人ひとり、背負っているものは違っても、みんな何かに押しつぶされそうになりながらも、頑張っているのでしょうか。
ありがとうございます。来年も、マイペースで、やっていきたいと思います。
関東平野のからっ風。通勤はさぞかし寒いことと思います。
バイクは走り出す前と到着してから車より時間と手間がかかりますよね。
それでもその寒風をついて走るのは、また他には代えがたいいい感覚があるのではないかと思います。
いいですね、バイク通勤。
どうぞ、お気をつけて。
スクーターも、リッターバイクも、バイクであることには変わりはなく(もちろん一台ごとに世界は違いますが)、むき身の体が人力を超える速度で失踪する感じは、やはりバイクだけの感覚かと思います。
北海道は春までバイクはお預けですが、来春には、またGPZと旅をしたいと思います。
kaoriさんにそう言っていただくと、とてもうれしいです。
私は降りる期間が殆どありませんでしたが、一度限界を感じて降りてから再び走り出すには、かなりの勇気と思い切りが必要だったのではないかと思います。
「笑顔で走る」…町内会系の神髄ですよね。
バイクはライダーを幸せにするために生まれてきたのだと思います。
私はバイクの上で、つらくても、いつでも幸せでした。
また、来年もそういう幸せを感じていたいと思います。
さわやかな風の吹く、晴れた北海道の大地を、どこまでも走りたい。
そんな気持ちが、また夏の雲のように、心の中にわいてきます。
千葉では、冬でも関係なくバイクで走り回れます。風がなければ、むしろ暑い季節よりも快適にツーリングも出来ます。でもオフのある北の大地もいいですね、むしろオフシーズンが、バイクとの係わり合い考えさせる濃密時間なのかもしれませんね。
新しい年が、良い年でありますように・・・
今年はいろんな事を体験させていただいた年になりました。
ひでGは子育てが終わってから「バイク」の世界に入りました。
「中型の免許を取りたい。」と言った時は、まぁーいいでしょう、と思ったのですが、
免許を取って一年が過ぎようとした頃に、「大型の免許を取りたいんだけど。」と言われた時は、ちょっと待って!という言葉が出てしまいました。
樹生さんのブログを拝見し、その時の事を懐かしく思い出しました。
今は私も楽しませてもらっています。
お久しぶりです。
今年は樹生さん無くしては語れないシーズンでした。
復帰にご同行いただき本当にありがとうございました。
あの時見た海のきらめきは今でも鮮烈に思い出します。
いま、家内の実家でこのコメントを書き込んでいます。
羽田で借りたレンタカーで首都高速を走っていると
渋滞の中、きれいにライトアップされた
東京タワーが見えました。
いまや東京スカイツリーにその座を変わられようと
している東京タワーですが、昭和の象徴ともいえる
このタワーをちらちら眺めていると
”まだまだ行きますよ”って聞こえてきたような
気がします。
当時からの生き残りとして
これからも乗り続けましょう!
樹生さんが走り続ける限り、僕も走り続けます。
そうそう、GSX-R展示中です。
ヨンガンと並んでいるさまは何とも感無量な眺めです。
晴れた青空の日にでも是非、見に来て下さいね。
良いお年をお迎えください。
またもや長文失礼いたしました。
泣けました。
自分は×1になってしまいました大バカ者でありますが、同じ色の同じマシンにに乗る者として、誇りを持ちたいと思います。
房総の冬は、日差しがあたたかいでしょうか。
千葉は一度も走ったことがありませんが、いつかはゆっくりと走りたい場所です。
早春の菜の花を眺めながら、ゆっくりクルーズする様を夢見たりしています。
ぶるーあいさん、どうぞ良い年をお迎えください。
中型免許を取って一年もたつと、大型とりたくなるんですよね。
私の場合は免許とるだけだからと言ってたのに、免許取るとすぐにGPZのカタログをもらって、「青がいい?赤がいい?」と嫁さんに聞いていました。
ひでGさんとプルプルさんのバイクライフ、とても素敵ですね。
子育てが終わったら、夫婦で人生を楽しむ。
そんなふうになりたいと思います。
今年はありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
冬の東京タワーの光。きれいに、赤く、見えているのでしょうか。
一年が、もう終わるのですね。
今年は私にとっても、変化があった年でした。
樹生という人間がネットから出ていろんな人と会い、一緒に走るようになり、一人で走る…という選択肢以外が広がったというのは、大きかったように思います。
Mさんの復帰、シュワンツのガッツポーズ、覚えています。ご一緒できて、うれしかったです。
来年も、バイクで走る幸せを求めて、走りたいと思います。
Mさん、よいお年をお迎えください。
GPZ1100、ルミナスピーコックブルー。
1995年型1年で消えた色ですよね。
光があたると緑っぽく、陰に入ると濃い青に見えるこの色。
私は実車を見ないで注文したので、最初はこの色に少し驚きました。
もう少しはっきりしたソリッドな青を想像していた私は、ちょっと違ったかなあ…と思っていました。
16年乗り、ぼろぼろになってしまった外見ですが、汚れてきたこの色と、やっとなじんできたようにも思えます。
頑固なくせに自分を貫く力もない、でも自分の色を捨てられずにいる、そんな自分に、この色が合っているように思えてきたのです。
11万キロを迎えんとして、いつまで走れるかわからないわがGPZですが、もう少し、そばにおいて、一緒に走ろうと思います。
私には使い切れるはずもない、GPZのパワー、車体性能。それでも古さは注意を要求します。
半ばもてあまし、半ば気遣いながら、もう一つの自分自身と、付き合っていきたいと思います。
スリーアップさん、ありがとうございます。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
今年1年、またブログ楽しく読ませていただきました
以前にも書きましたが、今回の記事内容、共感できる
ところが多々ありました。
本当は自分もバイクに乗り続けたかったのですが
断念してしまい現在に至ります。
自分の乗り始めは16歳スクーターからモトクロスKX80に乗り人よりうまく・早く走りたいと思うところから始まりました
しかしありきたりながら、上には上の人たちが大勢いて打ちのめされました、また大勢の中で走行している
時にも自分のほうが上手い・早いなんてばかな気持ちで走り続けていました
次第にむなしさを感じはじめ 『何だろう楽しくない』 その後、友人の一人が一人旅をしていることを聞き
そんなの楽しいのかなと思い自分もやって見ました、その時感じました
そうか本当の走りってこれか!、自由気ままに場所・距離も決めず行った先々の気になる場所を巡り
自分の気になる物や情報を得ること、それに必要なのがバイクでその行き先まで
運んでくれる力(バイク)がいいんだなと
今でもバイクに乗ることあきらめてはいませんが、いつになることやら・・とほほです
他に趣味がないわけでもなく、それなりに行動してますが
やはりバイクには乗りたいですね
復活までは樹生さんのブログでリハビリのつもりで読ませていただきます。
本年もあまりコメントできず内容も乱文ですいませんでした
来年も読ませていただくつもりなので新しい記事無理せずがんばってください
PCの復活とともに樹生さん・ご家族・ブログの読者の方々がよい新年を
迎えられますように祈っています。
来年も宜しくお願いします。
いのぶーさんのコメントに何回元気付けられたかわかりません。
バイクに復帰するには、健康の面でもお金の面でも、その他の面でも大きな代償も払わねばなりませんよね。
私が今乗っていられるのは、「降りなかったから」かもしれません。今、このタイミングでまったく降りている状態からもう一度走り出せるか、といわれたら、私にはわかりません。
私は多分、いろいろと恵まれているのです。
人にも出会いにも、境遇にも。
だから、それを大切にして、感謝して、生きていかねばならないと思います。
バイクはたかが趣味ですが、その幸せを、できればこれからも、つたないながらも書き綴っていければと思っています。
いのぶーさん、今年もありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
痛い思いもして中断も何度かありましたが、これからも走る続けていきたいと思っています。バイクで走る思いは人それぞれ違うと思いますが、私は走り続けることができて幸いです。意味も無く何でそんなに走るの?って聞かれることも有りますが上手く答えられません・・・
あまりコメントを書くことは有りませんが時々読ませてもらっています。
明日からは新しい年になります。
良い年をお迎えください。
今も、私の中に鮮烈に残っています。
走り続けるその姿、私も、そうして走り続けて行きたいと思います。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
どうぞ、よいお年を、お迎えください。