バイクライフ・バイクツーリングの魅力を北海道から。
聖地巡礼-バイクライディングin北海道-
かっこいいライダーに。

恥ずかしながら、「かっこいいライダーになりたい。」
この気持ちは昔から、今も、ずっとあります。
これはどうしたものか。
ものごころついたときから、中学生の時も、高校生の時も、大人になってからも、おじさんになってからも、だらしなく腹回りにのみ肉がつき始めても、変わらなくあるんですね。
かっこいいと思われたい。あわよくば「かっこいい!」と言われたい。これが異性ならばさらによい。
やれやれ。
若い頃は自分のヒーローに自分を重ねて、必死で真似したり、近づこうとしていたのかも。
漫画の中の憧れのライダーたち。
ワイルドセブンの飛葉。
あいつとララバイの死神ライダー赤木洸一。(研二じゃないところが…。)
バリ伝のヒデヨシ。(グンじゃないところが…。)
実在の憧れのライダー。
偉大な世界チャンプ、エディーローソン。
公道キング、ジョイ・ダンロップ。
ライダースクラブ、根本健。
同じく、永山育生。
身近な存在、尊敬する友人。
バイクの厳しさと素晴しさを体現していた、Y先輩。(先輩の教え1、3)
バイクで自由とやさしさを手にしていた、同級のM。(先輩の教え2)
みんなかっこよかった。
かっこよさは一人一人みんな違う。
でもみんなかっこよかった。
キラキラと輝いていた。
それは私がまだ若く、憧れにキラキラした瞳で眺めていたからかもしれません。

バイクに乗り続けて24年。
理想の自分、追いかけていたヒーローたちはさらに遠く、
最近は贅肉のついた腹ととともにライダーズスピリットまでたるたるになってきた感がしないでもありません。
昔、「どうしたら先輩みたいなライダーになれるんですか?」と訊いた私に、Y先輩は、
「ぼくみたいになっちゃだめだ。君は君になるんだろう。」
と答えました。
たぶんあの時先輩は、二つの意味でそう言っていた。
「君には君の道があり、それは他の誰も歩めない道だ」ということ。
「僕の抱いている悲しさや苦しさを、君に味わわせたくはない」ということ。
そのときの僕には、その意味は二つとも分からなかった。
僕は先輩の言葉を先輩の言った意味で受け取ることはできなかった。
その先輩もまだ20代の半ばでした。
今、私は40代も後半、
根本健は還暦を迎えて来年もまたデイトナでクラシックバイクのレースに出場する。
デイトナのバンクの上段を駆け抜ける。
永山育生は、あんなにスリムだったのにメタボ腹。
でも、ネコパブリッシングからバイクの雑誌を何種も出して、バイクジャーナルを続けている。
根本氏も永山氏も自らの放っていた「カリスマ性」を意図的に剥ぎ落とし、削ぎ落として来た様に思える。
Y先輩は大学教授になっている。今、バイクに乗っているだろうか。
Mは四国で、自然保護の仕事をしている。環境がビジネスになるずっと前から、日本がバブルに浮かれていたときから、今まで変わらず、自然保護の仕事を地元で続けている。
たぶん、Y先輩も、Mも、かっこいいかどうかなんてあんまり拘らないんだろう。
もっと大事なことに、苦労しながら、楽しみながら取り組んでいる。
そのチャレンジの仕方が、きっと若い頃僕の感じた、彼らのかっこよさだったのだろう。
なんとなく、私にはそう思えるのです。
私が出会ってきたかっこいいライダーは、
自分の人生の何かに、一生懸命に打ち込んでいた。
押しつぶされそうになりながら、何かと闘っていた。
その姿勢が、自然とバイクに乗るときにも表れていて、
それが私を心酔させたのではなかったでしょうか。
いいバイクに乗っても、カッコウをばっちり決めても、運転技術を高めても、
それだけでは本当にはかっこよくなれない。
私の動機はあくまで不純。
「かっこいいライダーになりたい。」
かっこよさを求める時点ですでに偽者なのはそうなのだけど、かっこよさを求めて本当のかっこよさを探していったら、いつかかっこいいかどうかなんてなんとも思わなくなるような高みに、たどり着けるかもしれない。
まずは格好から入るか。
そんなところを、まだくるくるしているのでした。

道は遥かに、憧れへといざない、
空は高く、広く。
この気持ちは昔から、今も、ずっとあります。
これはどうしたものか。
ものごころついたときから、中学生の時も、高校生の時も、大人になってからも、おじさんになってからも、だらしなく腹回りにのみ肉がつき始めても、変わらなくあるんですね。
かっこいいと思われたい。あわよくば「かっこいい!」と言われたい。これが異性ならばさらによい。
やれやれ。
若い頃は自分のヒーローに自分を重ねて、必死で真似したり、近づこうとしていたのかも。
漫画の中の憧れのライダーたち。
ワイルドセブンの飛葉。
あいつとララバイの死神ライダー赤木洸一。(研二じゃないところが…。)
バリ伝のヒデヨシ。(グンじゃないところが…。)
実在の憧れのライダー。
偉大な世界チャンプ、エディーローソン。
公道キング、ジョイ・ダンロップ。
ライダースクラブ、根本健。
同じく、永山育生。
身近な存在、尊敬する友人。
バイクの厳しさと素晴しさを体現していた、Y先輩。(先輩の教え1、3)
バイクで自由とやさしさを手にしていた、同級のM。(先輩の教え2)
みんなかっこよかった。
かっこよさは一人一人みんな違う。
でもみんなかっこよかった。
キラキラと輝いていた。
それは私がまだ若く、憧れにキラキラした瞳で眺めていたからかもしれません。

バイクに乗り続けて24年。
理想の自分、追いかけていたヒーローたちはさらに遠く、
最近は贅肉のついた腹ととともにライダーズスピリットまでたるたるになってきた感がしないでもありません。
昔、「どうしたら先輩みたいなライダーになれるんですか?」と訊いた私に、Y先輩は、
「ぼくみたいになっちゃだめだ。君は君になるんだろう。」
と答えました。
たぶんあの時先輩は、二つの意味でそう言っていた。
「君には君の道があり、それは他の誰も歩めない道だ」ということ。
「僕の抱いている悲しさや苦しさを、君に味わわせたくはない」ということ。
そのときの僕には、その意味は二つとも分からなかった。
僕は先輩の言葉を先輩の言った意味で受け取ることはできなかった。
その先輩もまだ20代の半ばでした。
今、私は40代も後半、
根本健は還暦を迎えて来年もまたデイトナでクラシックバイクのレースに出場する。
デイトナのバンクの上段を駆け抜ける。
永山育生は、あんなにスリムだったのにメタボ腹。
でも、ネコパブリッシングからバイクの雑誌を何種も出して、バイクジャーナルを続けている。
根本氏も永山氏も自らの放っていた「カリスマ性」を意図的に剥ぎ落とし、削ぎ落として来た様に思える。
Y先輩は大学教授になっている。今、バイクに乗っているだろうか。
Mは四国で、自然保護の仕事をしている。環境がビジネスになるずっと前から、日本がバブルに浮かれていたときから、今まで変わらず、自然保護の仕事を地元で続けている。
たぶん、Y先輩も、Mも、かっこいいかどうかなんてあんまり拘らないんだろう。
もっと大事なことに、苦労しながら、楽しみながら取り組んでいる。
そのチャレンジの仕方が、きっと若い頃僕の感じた、彼らのかっこよさだったのだろう。
なんとなく、私にはそう思えるのです。
私が出会ってきたかっこいいライダーは、
自分の人生の何かに、一生懸命に打ち込んでいた。
押しつぶされそうになりながら、何かと闘っていた。
その姿勢が、自然とバイクに乗るときにも表れていて、
それが私を心酔させたのではなかったでしょうか。
いいバイクに乗っても、カッコウをばっちり決めても、運転技術を高めても、
それだけでは本当にはかっこよくなれない。
私の動機はあくまで不純。
「かっこいいライダーになりたい。」
かっこよさを求める時点ですでに偽者なのはそうなのだけど、かっこよさを求めて本当のかっこよさを探していったら、いつかかっこいいかどうかなんてなんとも思わなくなるような高みに、たどり着けるかもしれない。
まずは格好から入るか。
そんなところを、まだくるくるしているのでした。

道は遥かに、憧れへといざない、
空は高く、広く。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )

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若い頃は、速さにあこがれたり、高価なオートバイにあこがれたりもしました。
今は、見てくれも大事だと思いますが、私自身のアチテュードみたいなものも大事だと思っています。
うまく言葉にできませんが。
かっこよさの基準みたいなものは、私の場合、年とともに変わっているような気もしますが、
ライダーである自分に嘘をつきたくない、それは変わらないことかもしれません。
オートバイとともに...奥深くもあり、楽しくもあり...です。
それまではバイクが好き、乗っていて気持ち良い・楽しいという気持ちで普通に乗ってました。
それが変わったのが'03 Z1000との出会いからです。
もちろんこのバイクが好きで購入したのですが、乗っていると周りから(物珍しさから)見られている感が強く、初めは凄いプレッシャーでした。
そこから自分は「かっこよく乗ろう!」と考えるようになりました。
それはどういう風に?一言で言えば「優しいライダー」になること。
周りに対してはもちろんですが、バイクや自分の体に対しても優しい!って感じです。
ただ単に優しいと言っても、その優しさの中にも厳しさの有るライダーになりたいと思ってます。
GPZと誠実に向き合い、乗りこなそうとするんじゃなくて一緒に楽しもうという感覚がとてもいいなあと思います。
私も「かっこよく」乗りたいと思ってました。
でも、樹生さんの記事を読んでから「かっこよく」の意味が大きく変わったように思います。
かっこよさにはバイクに向かう姿勢、気持ちのあり方も大きく作用する。
その気持ちがあってこそ、いろんな外見や乗りこなしも意味を持ち、輝いてくる。
私もそんなふうに思います。
「奥深くもあり、楽しくもあり」、まさにそうですね。
私は今シーズン忙しく、疲れていてあまり乗れなかった気がしています。
来年は連休もありますし、ライダーとしても少し自分を磨き直したいと思っています。
私も、もともと自分のかっこよさ度をアップさせるためにバイクに乗り出しました^^。
風や雨に晒され、町で乗っていても全身を視線に晒されるバイク乗りは、それだけで屋内、室内にいる時より背筋が伸びて、それでカッコイイ指数が上昇するのかもしれません。
見られることを意識する…ということは、やまださんもおっしゃっていたと思いますが、周囲にきちんと配慮するということであり、周囲と自分の安全や距離をしっかり把握する、ということにも通じていくと思います。
《名車、スズキ・バンディットの布教者=「暗黒教祖」》(^^)の異名をとる、やまださん、実はすでに相当カッコイイライダーだと、拝察いたします。
Z1000はエッジが効いてカッコイイバイクですよね。若々しい、新しいカワサキバイクのデザインの先端を行くものだと思います。
そのZ1000のライダーとして「優しいライダー」をかっこよく乗ることの基準に上げるところに、義太夫さんのライダーススピリッツが垣間見える気がします。
Z1000、その性能は特に振りかざさなくても非常に高く、しかしそれをマッチョな外見にしていないところが真の「男カワサキ」たるところでしょうか。「俺は強いんだぞ!」と叫びまわるのでなく、その強さはいざというときのために隠しておいて、普段は優しい運転に徹する…。これはかなりかっこいいかも。
ありがとうございます。
私はいろいろ書いてますが、その実体は速くもなく、上手くもないんですよね。
しかし、ホタさんにそういっていただくと、素直にとてもうれしく思います。
バイクって、何かバイクでないと味わえないものがあるんですよね。そしてそれは、私の場合、私にはとても必要なものなんです。
そのことを、また、ちょびちょびと書いていこうと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。
私も、導かれた一人なのだと思います。
たくさんの時間を師(根本健さん)と過ごしたわけではありませんが、
その細い身体からは、エネルギーがあふれていましたね。
そして、誰よりもバイクが好きです。
50ccのスクーターも好きなんですよ。
都内のライダーミーティングに原付のスクーターで登場したことがありますものね。
カリスマ性ですか、
それは回りでかき立てるものではないでしょうか?
師は、いつでも師で、ふだんどおりで飾らないです。
そして、茶目っ気たっぷりの冗談を云い、
そして、誰よりも深いバンク角で走ったするんだよね。
「カリスマ性は回りでかきたてるもの」
そのとおりだと思います。
人を支配し崇拝されたい人はこのカリスマを渇望し、身に纏おうとしますが、私の考える「プロフェッショナル」たちは、自分のカリスマ性に無頓着な人が多いように思います。
それは、分野が違ってもそうなんですよね。
人からどう思われたいかよりも、自分がどうありたいかの方を大事にできるかが、けっこうな分かれ目のように思います。
私はと言えば、まだまだ人目を気にするやつなのでした(^^;)
樹生さんの記事を見ていると「ライダー」というジャンルが世の中には存在するみたいです。
ライダーって単にバイクに乗っている人、それだけじゃないんだと感じます。
そしてライダーの世界は深く広大なで、そこに踏み入った者は自分の小ささとそこに生きる喜びを見出すような、そんな気がします。
樹生さんはそこを歩いているようで、自分のライダーとしての世界を確立しているような気がします。
確かに、私は「ライダー」という人の在り方のジャンル(?)を考えています。それは、私がバイクに乗り始めた27年前にはもうあって、先輩から学んだもの。
その生き方に私は憧れました。
現在流行っている(というほどはやってはいないのですが)バイク乗りのあり方は、どれも私が学んできたライダーのあり方とは違いました。
私は、バイクに乗る動機なんて人それぞれ違っていいし、気持ちも千差万別だと思います。
でも、私の憧れた「ライダー気質」、これは、なんだか伝承すべき文化のようなものではないかと(そう言い切ってしまうとまた違うのですが)思っているのです。
私はこの気質を持つことがとても大事なことのように思え、同時に今ではとても少ない人にしか伝承されていないような気もしていました。
しかし、こうしてブログを立ち上げ、書いてみたり、実際にいろんな方にお会いしてみると、少数ながら「ライダー」は存在しているんだ、とうれしくなりました。
かねしんさんが解釈してくださった「ライダーの世界」、
「ライダーの世界は深く広大なで、そこに踏み入った者は自分の小ささとそこに生きる喜びを見出すような、そんな気がします。」
それは、まさにその通りで、そこまで理解してくださったことに、喜びと感謝を感じます。
どうでもいいものだけれども、大切にしたいもの、
それがライダーというあり方です。
このばかばかしい「ライダー」というジャンル、私が22歳の時に気づき、今49ですが、この生き方は若さとは関係ないと思います。できれば、死ぬまで、ライダーでいたいと、遥かに憧れている私です。
かねしんさん、ありがとうございます。