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拒絶の歴史(9)

2009年09月27日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(9)

 3年生が部活動から姿を消し、我々1年生と2年生だけで練習をしている。直ぐさきの目標がなくなってしまった現在、力の入れ具合は足りないものだった。疲れた身体で家に戻ったあとも、試験のために勉強をした。勉強に疲れたあとに本を読むことがあったが、そのままベッドの上で寝てしまうこともあった。気付くと朝になっており、また眠い身体を揺り起こし学校に通った。

 その間にも週の何回かは、練習が終わったあとに裕紀という子とあった。ぼくらは、いつの間にか正式に付き合っている関係になっていた。彼女は、この前のぼくの試合の様子をほめてくれた。ぼくがいつも彼女に見せていた雰囲気とは違い、いくらか野蛮であり躍動感のある姿が目新しかったようだった。彼女の周りには、いままでそうしたタイプがいなかったからなのだろう。そして、彼女のようなタイプもぼくの周りにはいなかった。

 だが、ぼくらはお互いの似通っているところを探し出し、差異の部分は気付かないようにした。それは、まともに女性と交際したことがない自分としては順当な段取りであった。夜のつかの間の時間を見つけては電話で話し合った。そのような時間を持つことが、スポーツ一辺倒であった自分の生活をカラフルなものに変えてくれたりもした。

 試験も終わった12月のことだろう。裕紀が幼い頃に習っていたピアノの先生が小さなホールでコンサートをすることになった。ぼくはそれを聴きにいくことに誘われ同意した。その横には県立の美術館があり、彼女の学校の先生が熱を入れていた画家の個展が偶然に行われており、そこもついでに行くことになった。

 彼女は幼い頃からそういう生活を送ってきたらしい。母親に連れられ、先生の家でピアノの練習をしたり、絵画を見ることが趣味の父のお供に、あらゆる美術館をまわった。それが、どういうことなのか自分はあまり理解できなかった。家の周りにある野原を駆け回ることが幼い自分の仕事だった。文化的だとも思えないが、ほかに方法もなかった。ただ、何にも悩みを感じずぐっすりと眠ることだけは充分に与えられた。

 それで、ぼくはきれいな買ったばかりのシャツを着て、待ち合わせの場所に向かった。彼女の長い髪は陽射しを浴びて黒く輝き、適度な風で揺れている。制服とはまったく違った印象で、すこし大人びた雰囲気をただよわせていた。ぼくは、いくらか自分が自分自身でいないような感じがして、しっくりとした気持ちにはほど遠かった。それで、自分を落ち着かせるためにゆっくりと歩き、彼女に近づいていった。

 ぼくらは互いの勉強の出来栄えをはなし、ラグビーの練習にあまり身が入っていないことを正直に告げた。後輩ができればなにかが変わるんだろうけどね、とあまりにも理想論てきなことを言った。そして、年末の空いた時間にまた上田先輩の家の仕事を手伝うことを語った。社会の勉強のためでもあり、なによりも小遣いが増えることが重要だった。

「偉いんだね」と彼女が感心したように言ったことを覚えている。ぼくらは、いつのまにか手をつないで美術館の入り口に着いていた。そこに二人ではいって、小さな声で彼女が話す作品の詳細を覚えていった。大して、なにもしていないつもりだったが、それは自分を身体の疲れとはまた違った疲労を要求した。これだったら、校庭を2、3周走り回っている方が余程楽だとも思っていた。

 ぼくらは、そこから出てベンチに座った。ベンチの周りには掃ききれない量の落ち葉が色をつけ、たまっていた。そこで、最近のことをまた話し出す。ぼくの幼馴染の智美はウエイトレスのバイトをはじめていた。そのことを裕紀の口からきいた。それは、彼女にとても合っているように思えた。ぼんやりと将来自分たちがなるであろう形をぼくらは求め出している。裕紀はバイトなどする必要もなかったし、父親がそれには反対のようでもあった。それを否定する気がないほど、互いが互いに対して寛容な家族のようであった。

 時間が来て、時刻は夕方を少しまわっていた。美術館の横に隣接されている小さなホールに入り、彼女は当然のように知り合いが少なからずいて、それらの人と話していた。自分は、そのことをなぜか予想していなかった。しかし、考えれば普通のことだった。ピアノを教える側は、何人かを担当するものなのだろう。ぼくは、いささか場違いな人間であるような気持ちがしたが、彼女はこちらを見て微笑みながら、「ごめんね。いろいろ知り合いと会うのも久し振りだから」と言った。

 ひとりのおばさんは、裕紀と長い間会っていなかったのだろう。どういう関係かは知らないが、彼女の成長した姿にいたく感動していた。もし、知ることができるならば、彼女の幼い姿を自分も見る機会がもてたら良かったのにとふと思った。

 ぼくは座り心地の良い椅子にすわり、音楽に耳を傾けた。このようなきれいな天上てきな音楽が世界にあることを知った。これも、大人になっていく過程で必要なことだと理解した。また、自分の住む世界との違いもまたあるがままに感じた。そのような気持ちで帰り道を歩いている。ぼくらは自分が立っている現在というものを愛していたのだろう。その日にはじめてぼくはキスをする。彼女で良かったな、というのが率直なうれしい感想でもあった。


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