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問題の在処(8)

2008年09月29日 | 問題の在処
問題の在処(8)

 仕事を終えて、家に着く。いつもの日常の繰り返しだ。妻が玄関に出てきて、「今日はどうだった?」と尋ねた。あとでゆっくり話すよ、と言って奥に歩いて行った。クローゼットに向かって、ネクタイをはずしていると、妻がいつになく厳しい口調で、息子に「明日は、ちゃんとあやまれる?」と訊いていた。なんどか、無言の抵抗がありながらも、その防御は強固なものでは決してないので、いつかは泣きべそが混じった声音で、うんと小さく言っていた。

 息子も寝入ったところで、先ほどの詰問のことをきいてみると、ある女の子にいじわるしたことが見つかってしまい、幸太は何も悪いことをしていない気だったのだが、女性的な観点から見ると、許しがたいことがあるのだろう。

 自分にも罪という意識があった。和代というきちんとした交際相手がいたのに、自分は無頓着に別のこころが伴わない契約をしていた。それを悪いことだとは思っていたのだろうが、ものごとを白黒と決めかねない態度で肉体の交渉をしていた。いずれ、ばれてしまうのも時間の問題だろうとは思っていたが、その時になってしまわなければ自分は辞めないだろうとも、自分自身にあきらめていた。それで都合が良いのかもしれないが、そんなには責められずに、うまくやり過ごせるのではないかとも考えていた。

 それで、なんの拍子かは分からないが、いま考えるとB君の彼女は、しきりに店に寄っていたので、ぼくと店長の奥さんの不自然な関係を見抜いてしまい、告げ口をしたのだろうとも考えられる。違っているかもしれない。

 そういうことを、B君の彼女にそれとなくきかれたこともある。ぼく自身は、B君の女性関係に辟易していたので、お前も自分のことをもっと心配した方が良いだろうに、と思って適当に対応していた。その、いつにない投げやりな態度が、女性同盟の反発をくらったのかもしれない。

 和代は、その問題をうまく切り抜けることは出来なかった。学校を休み、誰とも連絡を取らなくなってしまった。ぼくは和代の親に呼び出され、長い時間、説教された。苦痛に感じた太股の痛さをいまでも思い出すことがあるが、多分、和代の認めている痛さというのは数千倍もあったのだろう。

 ぼくは、それでもある関係をやめなかった。仕方のないことだったかもしれないし、ただ意地になっていただけなのかもしれない。

 和代の父親は、すすんでかしらないが、ある企業のいい立場にいた人間なので、転勤も多かったが、その時にアメリカに移動になった。和代もそれについて行った。それ以来、和代の存在は頭の中にありながらも、肉体という形では見ることがなくなった。誰かを徹底的に傷つけた、という嫌な後悔まみれの印象だけが自分に残っている。

 自分が生き抜くには、多少の悪影響を与えてしまうことはあるだろうが、恐らく、あれはやりすぎだったのだろう、と今では考えるが、そのあと、自分は一切手を汚さなかったなど、ありえないことだとも思う。

 幸太の寝顔をみる。泣きながら母親に謝っていた。ぼくの悪い一面を信じていない祐子が横にきて、「ぐっすり寝たみたいね?」と言った。

 あの時に、しばらく経って、A君は長文の手紙を和代に送っていたことを知る。返事は、もらえたのだろうか? ぼくのことを恨むのは間違っていないかもしれないが、良いところのある奴だから、いつか時間が経過したら、許してやれよ、という内容だったらしい。そんな表面的な言葉は、いつもむなしかった。


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