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流求と覚醒の街角(39)印刷

2013年08月17日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(39)印刷

「この前、買ったプリンターだけどつないでも、うんともすんとも言わない」奈美はあきれたような口振りで電話の向こうで話している。
「電源、きちんと入ってる?」
「バカにしてるでしょう? もう。あ、いや、入ってた。もう」
「週末、見に行くよ。ドクターの回診。急ぎでもないんでしょう?」
「ちょっと、急いでるけど」

「仕事で使う?」
「ううん。趣味。友だちに写真をプリントアウトしてあげたいなって」
「うん、そうか、分かった。行けそうな日、また連絡するよ」
 ぼくは予定を調整して、奈美の家に駆け付ける。用意するものもない。大工道具もドライバー一式もいらない。ただ線をつなぎ、コンセントを入れる。順を追っていけば、正解にたどりつけるのだ。ぼくはキッチンに奈美を追いやり、あぐらをかく。説明書をぱらぱらとめくる。簡易な文章。いくらかつっけんどんな文章。ぼくが考えている日本語とはいささか違っている。何がないのだろう? 潤いか。優しさか。

「できそう?」
「できないひともいないよ」
「いるよ。わたし、そういうの得意なんだけどね」奈美は負けず嫌いの一面が顔をのぞかせる。ぼくはパソコンを立ち上げ、ソフトをインストールして、コードをつなぎ、コンセントを突っ込む。電源を入れると、モーター音がする。用意は整ったようだ。
「何か、紙ある? どうでもいいのでいいよ」

 奈美は引き出しからコピー用紙を出した。
「はい」彼女は紙の束を差し出す。「自分の文字がきれいに印刷されたのをはじめて見た時、あれ、感動だったな。でもね、あれも、ノートの写しっことかも、あれは楽しかったな。字って、性格出る?」
「字より、ノートの使い方なんじゃない。隙間というか、並列というか」
「好きな整理整頓だね」

 モーターはさらに大きな音に変わり、下からゆっくりと紙を吐き出した。試し用のものが印刷される。見事、成功。
「それで、写真だっけ? いつの写真?」
「この前のキャンプ。いっしょに行けなかった」
「あるの?」
「あるよ。そのためのプリント用紙も買ってきてある。意外と高いんだね」奈美はカメラと角張った用紙の箱を手渡した。
「もっと安いのもあるんじゃない」ぼくは値札を確認しながらそう言った。

「でも、プレゼントするっていったから、きちんとしたのじゃないと」ぼくはカメラからカードを取り出し、パソコンに画像を取り込んだ。一日の連なりが連続した写真で分かる。朝、まだ眠たそうな顔のひともいる。昼。バーベキューが準備される。奈美も包丁を握っている。それは、誰が撮ったのだろう? 肉が焼かれる。食後に遊びだした子どもがいる。空になったビールが所狭しと並んでいる。片付けにすすむ。場面は夜になって手持ちの花火をしている。画像は急に粗くなる。ピントも合っていない。目が赤い。夜の写真の典型のように。
「選ばないとね、どれとどれをって」
「何枚ぐらいあるの?」

「72枚」
「一回、全部印刷しちゃおうか」
「無謀だね」
「なんで、紙で見たい」
「小さい紙、どこから入れるんだろう?」ぼくはひとりごとを言う。ぼくは、また説明書をめくる。優しくない。接点を求めてもいないようだ。「ここか。パカ」と自分で開閉の音を出した。「時間、かかりそうだね」
「じゃあ、その間に何か飲む?」

「飲むよ。疲れた」向こうの部屋でずっと重たいモーター音がする。写真というのは枚数の限度があり、カメラ屋にフィルムをもちこんで現像をしてもらうのが普通のことだった。余った写真を、どうでもよいものを写して枚数の残りを調節した。ネガができ、それはどこかに仕舞われた。きちんと整理をしないといつか無くしてしまうものたちだった。気に入った帽子をかぶった自分が写真にのこって、それを見ればあの感情をよみがえらせてくれる。だが、ぼくはコピーもできず、やはり、借りたノートを手で写し替える作業もなつかしく感じていた。

 しばらくして機械の音はしなくなった。全部、役目を終えたらしい。ぼくは写真を束ね、電源を切った。その機械は熱を帯びていた。引換証をもって、カメラ屋さんに受け取りにいったことを、ぼくは思い出している。にきびもない顔。自分の気持ちを異性に知ってもらいたいとも、知ってもらえるとも思っていなかった自分。その女性との間でドキドキしたものが発生することも知らず、その高揚を越えたところに何があるかもしらなかった若き少年。ただ、それに愛着をもちたかっただけなのだろう。
「楽しそうだね、全員」ぼくがそう言うと、奈美は紙芝居でも披露するようにその一枚一枚にたいして注釈や説明を加えた。それから、奈美は紙を取り出し、それぞれの写真を余分にどれほどプリントするのか人数に応じて数字を書き加えていた。

 ぼくはパソコン内にある別のフォルダにある写真を意図もしないで、他愛のない気持ちで見てしまった。奈美は別の男性と寄り添っている。ぼくは彼の名前も知らない。しかし、そこに溢れるほどの愛情の萌芽があることは理解できる。奈美が自分の作業に夢中になっている間、一瞬だけだったが、ぼくは彼女の過去に嫉妬をするのだ。これは犯罪なのだ、と勝手に思う。他人の秘密をのぞくことは、ただ、自分を傷つけることになるのだろう。ぼくはふと古い映画のシーンを思い出している。そこにもカメラがあった。死刑台のエレベーター。完全犯罪を信じた男女は、暗室で浮かび上がるお互いの秘密の関係を暴かれてしまう。それは紛れもない証拠になった。愛情の証拠は両者の気持ちのなかだけに存在するのではなく、カメラにさえ紛れ込んでフィルムに刻印を押すのだ。ぼくは、フォルダを閉じ、パソコンをシャットダウンさせる。暗くなった画面を見つめても、ぼくの網膜にはきちんと鮮明に、まだまだ残像という言葉では軽いぐらいに重くのしかかり、ゆっくりと余韻をもたせていた。


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