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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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かわはぎ

2015年06月02日 | Weblog
かわはぎ

クラシック音楽を聴いた。作曲者の名前も思い出せない。自分が高等な人間になった気がする。そのメッキは限りなく薄く、剥がれやすいことは当人がいちばんよく知っている。

夕方の入口。

酒場に向かう。例えば、ひとりで入ったときの店員の接する態度を偏差値50と仮定する。失礼でもなく、王子様でもない。ここが普通。突っけんどんでもなければ、うやうやしさもない。

ふたりで入る。あれ? 対応悪くないという場合もある。偏差値が下がる。ところで、この日にいっしょに行った女性といると、なかなか丁寧な対応をされる。特別な何かがあるわけでもないが、特別、何かが足りないとも思えない。

自分といっしょにいるぐらいだから金銭目当てでもない。ただ、いっしょにお酒を飲んで旨いつまみでも喰いたいだけ。

ある店は夕方なのに、もう満員。こうなるリスクをあまり考えてもいない。王子と王女でもないので歩いて別の店を探すことにする。

味覚も似ている。好物も似ている。

間もなく、能登料理という看板があった。それほどの繁盛店とも思えないが、ここにしようと決める。

飲み物を頼み、料理を考える。

男性の主らしきひとは、テーブルの横で愛想よくお勧めを声で並べる。

現地から空輸しているとのこと。かわはぎがあるともいった。味が想像つかない。ではということで頼んでみた。

大きな円い皿に切り身が盛られる。淡泊そうな色合い。

真ん中に肝が入った小皿もある。淡泊そうな切り身をこれにつけて食せとのご指示。

やってみる。

一気に濃厚な味になる。試しに切り身だけだと、やはり淡泊。

結果、はずれではなかった。さっきの店に断られて良かった。

他の刺身も注文する。しかし、あの濃厚な味を知ってしまうと、すべてが物足りなくなる。すべて、いったん肝にバウンドさせる。すべて、おいしい。チキン・ナゲットのソースともいえる。上品な例えではなくなる。

いろいろな店で日本酒を飲む。チョコの日に黒ビールをプレゼントしてくれた。

そして、そのうちに会わなくなる。

やり残したこともあるような気もするし、やり直したいともまったく思っていない。

花火の夜に青い浴衣をきていた。その後、飲みに行く。可愛い店員は自分が働いていることを呪うような口調で、「わたしも花火を見に行きたいな」と言った。

自分は恵まれていたのかもしれない。その割に、別の華やかな人生を、手に入らないアナザー・ライフを求めていた。肝の濃厚さにも似た。


最後の火花 71

2015年06月02日 | 最後の火花
最後の火花 71

 彼の家にいる。今日で二回目だ。室内で動ける範囲が限定されていて、勝手に冷蔵庫のなかのもので料理をつくったり、コーヒーを入れたりもできない。まだまだお客さんだ。自分はこういった過程をどうやり繰りしていたのか急に分からなくなった。

「どうぞ」目の前にコーヒーが運ばれる。コーヒーは匂いが八割方を占める。味はあとの二割。どちらも合格点だった。

「おいしいね」
「ありがとう」
 彼は寡黙なひとだった。その状態が多少の緊張を生む。本を読むひとにしてはそれほど本がない。
「家にあまり本を置かないの、気に入ったものでも?」
「なるべくなら身軽でいたい」その言葉通り、家財道具も多くなかった。
「理由があって?」

「ただ、なんとなく」わたしはその後につづくことばを期待するが、なにも出てこなかった。
「お父さん、いっぱいレコードとか貯めているから、男性ってコレクションが好きなのかと思っていた」
「うらやましいな」またピリオド。わたしはぼんやりと窓のそとを見る。なにか得意料理をつくってあげたいとも思う。
「食べ物、何が好き? 大体のものつくれるよ」
「そうなんだ、どうして?」

 わたしは説明する。母はおそらく一回も包丁を握っていないかもしれないこと。お手伝いさんがいつもいたこと。自分はそうなることを恐れ、学校時代の友だちのお母さんの小さな料理屋で習ったことなどを。

「偉いんだね」
「そうでもないけど、できる?」わたしはできないことを前提に訊いている。無骨で寡黙な男性の正確なる証明のように。
「それなりにできるよ、当番があったから」
「当番?」

 彼は言い難そうだが口を開く。絶縁状になっても構わないように。「親がいなかったから、施設にいた。そこが当番制なのでじゃがいもを剥いたり、ニンジンを切ったり、シチューやカレーの味付けをしたり」

 わたしは目を丸くする。急に自分がロマノフ王朝のお姫様のように感じる。
「好きになった?」
「仕事だから」
「じゃあ、思い出の味をわたしが作ってあげようか?」わたしはお茶らけ気味に言う。だが、返事は直ぐにでてこない。
「やっぱり、いいよ。どこか、外で食べよう。お腹、空いた?」

 わたしはただ頷く。葬れない過去があるひとたちがいることを知った。

 手をつないで外を歩く。身分の差という本の情報のストックを頭のなかにひろげる。黒人の青年が白人の女性とセロニアス・モンクのライブに行くという話があった。結局、その後別れてしまったはずだ。題名を思い出せない。父はそのピアニストが好きだった。だが、それをレコード・プレーヤーに載せるたびに母と妹は不愉快な顔をした。わたしは聴き入る。そうだ、「ハーレムに生まれて」だ。名作。家に帰って、再読しなければ。

 小さなレストランに入る。彼はハンバーグを頼み、わたしはシチューにこだわった。絶対にわたしのものを食べさせなければいけない。上手なのだ。うならせないといけない。しかし、意気込みもむなしく、このお店のビーフ・シチューは絶品だった。感動する。

「とても、おいしいよ」わたしはスプーンに肉片を載せて彼の口元に寄せた。彼は恥ずかしそうにしながらも食べる。
「ほんとうだ」
「これより、いくぶん劣るかもしれないけど、わたしのも上手だよ」
「じゃあ、今度、作ってもらうよ。食べさせてもらうよ」

 彼の部屋に戻る。打ち解ける過程。なれなれしさと親しさの中間。わたしは帰りに買ったケーキのためのスプーンを探そうとあたりをつけて引き出しを開けた。すると、なかに写真があった。古い写真だった。セピア色というきれいな表現ではなく、黄ばんでいると表現した方が正しいのかもしれない。わたしは、びっくりする。写っている女性はわたしにとても似ているのだ。

「これ、誰?」
「あ、お母さん。母親だよ」
「いまは?」
「いない」
「どうしたの?」
「いろいろあった。光子さんに似ているだろ」

「知ってた?」
「知ってた?」
「似ていること?」
「もちろん、あの本の店から」
「じゃあ、こっそりと見てた?」
「こっそりでもないよ。直ぐにコーヒーがひっくり返ったから」

 わたしは運命という甘美なことを考えている。でも、いったんそのことについては忘れ、となりの引き出しからスプーンとフォークを出した。わたしたちは甘くなった唇を寄せる。わたしの頭は冷静だった。わたしは彼の母と似ているのかもしれない。それは彼にとってどういうことなのだろう。わたしにとっては間違った、躊躇すべき事柄なのだろうか。だが、歯車がまわってしまったわたしは簡単に無視する。狭い部屋の狭いベッドの上で身悶えする。

 ふたりで天井を見上げている。木の節の模様が不思議な形状をしていた。どこかの旅館で妹と騒いだ記憶がよみがえってきた。彼はその頃、どこにいたのだろう。

「彼女って、いつからいないの?」
「数年前だよ、多分。もう思い出せない」
「じゃあ、きょうで打ち切りだ」
「え?」

「明日からはわたしが彼女と宣言してもいいから」
「誰に?」
「誰にでも」
「気が早くない?」
「そんな気なかった? 迷惑になる?」
「ならないよ」彼は電気をつけてTシャツを着た。これはわたしからの視点。一方的な視点。