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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 v

2014年08月30日 | 悪童の書
v

 幼稚園のメルヘンチックな名称であろう何とか組の扉のカギを閉め、ひとり閉じこもっている。それが自分本来の頑固さの最初のあらわれとして最愛の弟を見るようになつかしんでいる。許せない理不尽が起こったのであろうが、もう原因すら思い出せない。面子がつぶれたような気もするが、そんな幼児の面子など、大して重くない。いま、ここにこうして自由な生活を送っているので、最終的にあの一室でのみ寝起きを強いられる今後の生活を、奥底から望んでいるわけでもなかった。ただの見過ごすことのできない、一時しのぎでまかないきれない理不尽さがあっただけだ。

 成長して中学の球技大会をしている。メインの試合が校庭で行われている。サッカーのゴールが校庭のグラウンドの南北の両端を占めている。その西側の隅で別のミニサッカーの試合が行われており、ぼくはいまはそこにいる。

 ぼくらはいつもの仲良しメンバーである。共同体で遊び、共同体で叱られる。別の機会のガラスの弁償も四等分で支払った。消費税がなかったころで、一人頭、二千四百円相当。

 相手には別のクラスの小柄な、もっといちばん小さいと評してもいい生徒がいる。スポーツなど得意でもなく、興味もなく今後も生きるであろうというタイプだ。

 もしかしてぼくらの地域の「はずれ」としてふさわしい卓球ぐらいが興味の上限かもしれない。

 白黒のボールがラインを越えそうになる。

「いま、線、越えたよ!」

 彼は冷静にそう言った。ぼくはアドレナリンを出すことを楽しんでいる。スポーツはアドレナリンと冷静な判断のせめぎ合いであり、ぼくらの土地はアドレナリンの放出を歓迎する方の地域だった。

「越えてないよ!」

 アドレナリンと恫喝でこの場を収めようとしてつめよる。結果はぼくらの利益になった。彼は、つまらなそうな顔をしている。さらにいっそうスポーツにたずさわることを拒否するだろう。

 この現在まで、不満げな表情をかくせない少年の顔をおぼえているぐらいだから、ぼくに非があり、彼が正しいのだ。だが、スポーツでアドレナリンを出さないことなど、何が楽しいのだろうか。どこかで違った自分になる。それが、やましいドラッグなら間違いだが、自分の脳と体内をかけめぐる血流という全身でつくりだした物質なら、責められはしないだろう。

 理不尽を許さないという頑固な自分がつくられるのだ。かといって、その自分も加担していた。どちらにせよ、ルールに従うことに素直になれない自分になった。客観的にいることが正しいルールの立場なのに、主観的なルールを生み出す。

 結局、この試合に勝ったかどうかも覚えていない。不満な顔の少年とアドレナリンの発散のすがすがしさを知る少年の対照として終わる。ワールドカップでハンドを認めないのも、この放出の成せる業なのだ。

 扉のなかに戻る。ぼくの頑なさは説得されようとしている。男の子はちょっとぐらいの傷で泣かないの、という甘いことばが誘い水になり、泣く子もいる。ぼくは、そこに母の顔もあったように記憶している。家からそんなに離れていないが、サンダルでちょっと、という距離でもない。兵糧攻めまではいかないが、少しは抵抗したのだろう。

 幼稚園の女の先生はいまでいう斜視だった。名前も忘れてしまいそうになり、優しかったよなという事実も過去のものになりながらも、この容姿の末席だけはなぜだか覚えている。だからでもないが、ぼくはこの視線の持ち主に好意的な印象を以後ももっている。すると、関連した証拠をつなぎ合わせれば、ぼくに対して優しいひとだったのだろう。

 そういう面々を敵に回している。排斥される覚悟もある。ぼくにいったい何が起こったのだろう? 原因は謎のままだ。

 別の日。小さなカラフルなプラスチック製のスコップを穴を開けた砂場に橋渡しにして落とし穴をつくる。うっすらと砂を表面にだけかける。翌日、楽しみにしていた結果を見に行くと、猫いっぴき落ちていない事実に驚愕する。穴はきちんと埋め立てられ、スコップもいつものところに置いてある。どこかにスパイがいるのだ。誰かが、ぼくらを売ったのだ。懲りずに落とし穴をつくるが、翌朝も同じことだった。先生たちは残業代をきちんと請求したのだろうか。砂場だから、ブラウン企業とでも、自分の勤務先を呼んでいたのだろうか。

 最初の日も最後の日も覚えていない。いつの間にか小学生になって、中学にも通いだしている。もう扉の内側に閉じこもることもしない。その代わりに肩を小突き、自分を正当化させる。穴を掘る面倒を省き、腿の外側の痛いところをひざで蹴る。

 ぼくらは授業で剣道をしている。防具をつけ、通常とは違うルールで不格好な手の拳で面と胴を叩くというボクシングをつくりあげる。竹刀を握る道具は、グローブとしても役に立つ。爽快な汗が出る。この汗だけは理不尽ではない。小さな彼はやはり不本意だったのだろうか。だが、そこにいたかも思い出せない。いまも白線のそばに陣取り、出入りを確認しているのかもしれない。正しさを立証するために。