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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-18

2014年03月01日 | 11年目の縦軸
16歳-18

 彼女のこころをよぎったであろう感情の揺れを、ぼくはどれほど把握していたのだろうか。そもそも、十六才の少年に求めること自体が酷なのだろうか。いまのぼくならばひとつひとつを子細に点検して、優しさのひとつや、愛情の言葉のひとつぐらいを加えることは、そう困難でもない。だが、彼女が好きになったのは当然いまのぼくではなく、未熟ですらあった当時のぼくの方なのだ。では、未熟という定義はなんであり、また反対の完成という基準はいったいどういうものであろう。未熟であるぼくは好かれ、そこから成長を果たした自分が逆に有していないものも多くある。謎は深まるばかりである、という客観的なナレーターのような声が、肩のうえで叩かれるつづみの乾いた音のようにぼくの胸に滑稽さを帯びて響いてきていた。

 ぼくはなぜこれほどまでに後ろめたいのであろうか。後ろめたさなど感じる必要があるのだろうか。

 もし仮に、彼女の愛情がぼくのそれと同じだけの比重を占めているならば、彼女はもっとぼくにそのこころのうちを打ち明けるべきなのだった。ぼくは面倒がることもなく、うっとうしくも思わない。しかし、彼女も未熟であるというスタンスをぼくはいとも簡単に忘れる。大人になった彼女はぼくの感情の機微を知り、ときには優しく、ときには適度に放っておいてくれる。ならば、ぼくが求めているのは母や姉という位置にいるひとのことなのか。ぼくらは同じように傷つき、同じように泣きながら成長する機会をもっと与えられるべきであった。そうすれば、同時に未熟さから抜け出ることができたであろう。

 ぼくらは成長する。学生から大人になる。単純な事実として、ぼくは彼女の放つ青さが気に入っており、そこに成熟さなども一点も入れることはできない。ぼくらは昆虫をとることに夢中になった時期もあるが、翌年にはその興味がいっさい失せていることも知る。計画も熟達もない。その場限りの関心の連続が少年期の思い出に化けた。もしかしたら、彼女の存在もその程度のものだったのだろうか。いや、ぼくはあえて表面の突起物を平らにして引っかけずに切り抜けようとしている。緩み切った網の目ですくうように。そうならば、ぼくはしなくなった遊びと同じく簡単に放り捨てて終わらせ、代わりにこんなにやり切れない後悔もしなければ、後ろめたさも感じなくて済むのだ。

 ぼくらはあの時期に同級生として会い、互いを認め、恋にすすむことになっていたのだ。ぼくは大人にも満たなく、自分自身の能力も、やりたいことも、望んでいることも不鮮明だった。そんなときに彼女がいて、ぼくが望むことは彼女といることだけであり、その要求を拒否されずにすんだ。いずれ、この短期的な住処から抜け出してしまうことも予想できたのだろう。ぼくは野望という大それたものもないが、それでも大人にはならなければいけない。そのルートに別の荷物を持ちこむことはできなかった。いくら愛が限りない高みに連れて行ってくれるとしても、簡単なことではない。そのぼくの選択は、結局は高みから突き落とされることで自分に還ってきた。痛みだけが友になるのだ。だが、それもまだ先の話だ。そんなに遠くはないが、未来の範疇の出来事なのだ。

 彼女のうれしいという気持ちはぼくが作ったのかもしれない。同じく淋しいや理解できないという感情もぼくが起源であるかもしれない。それももうすべて藪の中なのだ。こうなってしまっては。

 少し過去に戻る。

 もしぼくの告白が彼女に達しなかったならば、彼女はぼくという存在を日に日に薄めさせていく。学生時代のあまり話もしなかった同級生として。不特定多数のアルバムにおさまった同年代として。ぼくはずっとその気持ちを胸のなかに納めておくこともできた。しかし、ダムはためこんだ水を勢いとして放出してしまった。好きになった気持ちが明らかになるのは恥ずかしいと思っていたのに、ぼくは彼女といっしょにいることだけで不思議な優越感を抱いている。そのバランスを考えれば恥など皆無に等しかった。一瞬の恥をおそれて未来を失う可能性のほうが余程あわれだった。だが、その恥も報われたから消滅したに過ぎず、拒否されていたら恥も自分の身体以上に巨大化しただろう。

 ぼくはもっと大人になり、仕事でも取引ということを覚える。いきなり契約などには結びつかないのだ。相手が断らないラインというのを見極め、その間に折衷案を出し、喜びにも似た妥協をする。それを重ねることが自分の成績に上乗せられる。ぼくはその仕組みの一切を経験していなかった当時の自分をなつかしく感じる。いや、ぼくは彼女の友だちを介して、なんとなく意中を把握するために伺いをたてていたのだろうか。全身全霊でぶつかるほどぼくは当初からいさぎよくもなかったのだ。それももう責めることはできない。ぼくは彼女といることで、これほどまでに幸福になっていたのだ。幸福の分析など無意味なことだ。今年の勝利を来年につなげるだけ。だが、敗者のみに勝利への執念が芽生える。ぼくらは簡単に勝者の冠を奪われてしまう。あるいは気付かずに脱ぎ去ってしまう。言い訳や無意味な口実をたくさん並べて。