goo blog サービス終了のお知らせ 

爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

流求と覚醒の街角(51)階段

2013年09月21日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(51)階段

「これ、何段ぐらいあると思う?」奈美は神社の階段を見上げながら質問をした。
「さあ、百とか百五十とかじゃない」
「一段ずつ、名曲を言い合わない?」

「ジャンルは?」
「なんでもあり。じゃないと、そんなに浮かばないでしょう。どうぞ」
「いいの? 有利だよ」
「いいよ」
「いとしのエリー」
「安全パイ。無難。冒険心のなさ」
「なんだよ、解説と批判つきかよ」

「それが会話だから。次、わたし」ぼくらの歩みは全然すすまなかった。同じところに立ちつづけた結果、後から来るひとの迷惑になった。だが、ぞくぞくと登るような時期でもなかったので自然と絶えた。「サティスファクション。あ、ルールではストーンズで一曲。だから、サザンも終わり」
「ビートルズで一曲」
「うん、それはセンスだからね。チョイスには」

 ぼくは上を見る。上空という表現が似つかわしかった。厳格にルールを守るとしたら、いつまでも最後まで登れそうにもなかった。だから、お互いの合意があれば、三段登れるというルールも急遽、つくった。だが、まだまだ遠かった。

 数十分後にぼくらは上にたどり着く。奈美の最後の曲として、イムジン河と言った。ぼくは鮮明にその唄を思い出せなかった。
「両親はヒッピーの真似事をしていたのだよ」と奈美はひとごとのように言った。
「あのお父さんも?」
「娘の恋人には厳格になる父」

「なんだか、フェアじゃないもんだね」
「そういうところよ。それで、古いレコードを聴かされた娘が育ったと」
「そうなんだ。知らなかった」
「知ろうとしないからじゃない?」
「かもね」
「努力してほしいもんだわ」ふざけたように大げさに奈美は言った。

 ぼくの太ももは血液を運んでいることを無言で主張していた。口のなかも乾いた。休むために池のほとりにあるベンチに座った。
「あのお父さんがね。写真とかあるの?」
「あるよ、実家にまた行きたい?」ぼくは即答を避ける。「困ると、黙っちゃって」
「娘を愛しつづけたひとたちのなかにいると、窮屈な面も当然あるよ。外野だから」
「なかに入り込めばいいのよ。努力してほしいものだわ」奈美は池に泳ぐ鯉を熱心に見ていた。「気を使いすぎるのよ。遠慮しないでもいいのに」
「そうだろうけどね」

 ぼくはあの男性のどこに、それほどの抵抗があるのだろう。ぼくの深い部分では奈美を真剣に思いつづけていないということが暴かれることを恐れているのか。比較になれば、ぼくは奈美をいつか前の女性以上に愛する状態になることを予測し、少なくても期待していた。いや、いつもは勝っているのだ。だが、ぼくのこころには不変である部屋がすでにあった。誰も汚さず、誰も乱さない部屋が。ぼくは、奈美の父の前にいるとその部屋の存在を見透かされているような気持ちになった。多分、奈美の父も妻と知り合う前には同じことがあったのかもしれない。何となくだがその予感は当たっている気がした。妥協とまでは呼べないにしても、正確にあらわれないぐらいのまやかしがあった。

「ママは、奈美は愛されているのね、と言ってくれる」奈美はベンチを立ち上がりながらそう呟いた。さらに池の縁に近付き、大きな石を固いもので叩いた。その音を聞きつけると、数匹の鯉が口を開けて近寄ってきた。「ごめんね、餌になるもの、ないんだ」
「女性の勘」
「男性の鈍感さ」

 ぼくらは階段とは反対側の方まで歩いた。ゆるやかな坂道になっており、もう有名曲を口にする必要は生じなかった。
「お母さんは、なんで、そう思うんだろう?」
「こういうことしてくれた、とか、こういうこと言ってくれた、とか教えるから。お父さん、それでも、昔風のひとだからね」
「いまに比べればね」ぼくより若い子は、当然、ぼくよりもっとスマートになる可能性も確立も多かった。「でも、なんで、お父さんは思わないんだろう?」
「思わないわけじゃないのよ。ただ、一瞬のことではなく、長く継続することを女性以上に、短絡的にならずに考えているんじゃない」

「未来のこと?」そう質問したぼくは過去に捉われ、不自由さを感じ、縛られていた人間だった。だが、一気にのぼった階段も、こうしてゆるゆると一段ずつ降りられるのだ。ぼくは、前の女性との日々を捨てようと願いつつも、過去の有名曲のようにわざと一つずつ思い出していた。それらのことごとくは、ぼくらふたりの発明であり、大きくいえば作曲だった。壮大なる交響曲にならなくても、未完だから美しくなり得ることも当然にあった。小さな室内曲。小品。だが、ぼくは奈美ともっと大きくなりつつあるものを望んでいた。ぼくは奈美の両親のくだけた姿の写真を想像した。それらが間違いなく過去に属する部類のものだとしても、ぼくにとっては未来の一部になるものとして加わる必要があるようだった。ぼくらは、いつの間にかもとの高さにもどっていた。血液が流れれば空腹になった。いったい、何回ぐらいの空腹をぼくらは満たすのだろう。もっと、切ないぐらいに求めるものはどれほどの数量であるのだろう、と無駄にも思えることをぼくは考えはじめていた。