Untrue Love(12)
父の仕事の帰りに、ぼくらは外で会った。父はある洋食屋を指定した。通りから店内をのぞくと父の横顔が見えた。普段、なかなか見られない顔だ。仕事をしているときの様子は知らない。家でくつろいでいるときは、当然のこともっと和んだ表情だった。窓のなかの父はよそよそしくもあり、また対世間のときに着ける仮面のようなものかもしれない。
「ごめん、待たせて」父は無言で向かいの座席を指した。ぼくはそこに座る。すると水を持ってきたウェイターがそのまま注文を待った。
「オレは、ハンバーグとライス。それにビールをジョッキで。お前は?」
「じゃあ、グラタンとオレンジ・ジュースを」店員は、厳かに頷き、そこから去った。
「今日もバイトか?」
「そう、これでなかなか人手不足らしいので」
「そうか。まあ、頑張るんだな。ほら、これ」父はカバンから封筒を出した。この前、お願いした野球のチケットが入っていた。ぼくは、その中味を点検する。まだ、それは行くかどうか確約されていなかった。でも、多分、無駄にならないだろうという予感があった。物事を悲観的に考えられないぐらいにぼくは若かった。
「ありがとう。感謝します」
「こういうときだけだな。お前がそう言うのは」
「こころでは、思ってるよ」父は少しだけ笑った。父がそういう表情をすると誰もが降伏するような気持ちになるかもしれない。無抵抗の征服者。武器のいらない交渉術。しかし、その笑みこそが、ささやかな武器なのだ。ぼくも、同じように受け継ぎ、身につけているのかもしれない。
「誰と行くんだ? 少しは話せよ」
「まだ、2、3回しか会っていないからよく分からない。もう少し親しくなったら話せると思うよ」
「お母さんもあれで、心配するからな。男の子は、どこかで女の子を泣かせてしまう。お前のことも小学生のときにいっしょに謝りに行っただろう?」母とぼくはある少女の家まで謝りに行った。ぼくはその少女がなにについて悲しんでいるのか最後まで分からなかった。母には分かるらしく道中、ずっと説教された。小言は耳に痛く、二度とこのような立場になるまいと誓った。その女の子は翌日からぼくに親しみを覚えたらしく声をかけてきたが、ぼくのこころは関わることを躊躇した。まるで可愛がっていた犬に噛まれでもしたようによそよそしい関係は最後までつづいた。
「よく覚えてるね、そんなこと」ぼくの前にはグラタンが出された。直ぐに食べられないほど、それは熱を発していた。表面のチーズは焦げ、中味を防御している。いや、ぼくを火傷させるよう素知らぬフリをしているのか。
再度、お礼を言い、父と別れたぼくはバイト先まで地下鉄に乗った。
バイトが終わると、いつみさんの店に寄った。その日は、忙しいらしく飲み物を持ってきてもらった後はなにも話せないでいた。彼女の目のすみにもぼくは入っていないようだった。それでぼくは母と謝りに行った夕暮れのことについてまた思い出していた。あの心細さと、理解できない生物がいるのだという気持ち。理解できないなら殴りあうという簡単な解決が男同士にはあった。実力が劣っていれば、降参するし、また陰で努力をすればいい。その範疇にいない生物をおそれた。恐れてはいない、不可解だった。その不可解さにいまは逆にどうしてだか魅かれていた。
「ごめんね、無視したみたいになってしまって」店も空くと、いつみさんがぼくのそばに寄った。
「いいえ、全然。ぼくが勝手に来たんだし・・・」彼女は自分のために炭酸入りの飲み物をつくった。
「この前は、ありがとう。でも、タクシー、遠回りしたような気がしている」
「でも、あの道だったら、真っ直ぐでしょう?」
「それが、わたしが近道だと言って口を挟んだら、なんだか余計時間がかかった」
「それならば、運転手さんにはあんまり責任がないみたいだけど」
「そうだね」いつみさんは腑に落ちない顔をしている。「なに、この封筒?」ぼくは忘れないようにテーブルに出していた。
「知り合いから野球のチケットを貰った。この前、観たいって言ってたから」店は、お会計をすませた男女が一組のこっているだけだった。その最後のレジ打ちをいつみさんの弟のキヨシさんがして、ぼくのとなりに座った。もう調理はおしまい。一日も終わりという雰囲気だった。
「野球か、いいな。これ3枚あるって訳じゃないよな」彼は残念そうに言う。
「行きたかったですか?」
「でも、順平くんはいつみを誘っている。いつみは最近デートもしていない。それにデーゲームで仕事に支障もない。完璧じゃないか」
「わたしの意見もきいてよ」彼女はそれを手に取り、羽根でも生えているようにひらひらさせた。「あ、ありがとうございます。また、来てくださいね」店のドアが開くのに気付き首を下げ、最後のお客を見送った。そして、こちらの話しにまた加わった。「行くよ。可愛い服着て、可愛い化粧をする。大学生に負けないように」
「そんなに、気張らないで。そうだ、オレも野球をしてたんだ。日曜日にはユニフォームを着て、自転車にバットを乗っけて」ぼくは彼の身体の小さいサイズを想像しようとしたが、それはかなり困難だった。腕は丸太のようであり、胸板はぼくが見たなかでいちばん厚みがあった。それに比べるといつみさんの腕は細く、身体も華奢に感じた。だが、それを立証するためにぼくは野球のスタジアムで再度、確認する必要がありそうだった。再来週。予定が、バイト以外の予定があるのは良いことだった。
父の仕事の帰りに、ぼくらは外で会った。父はある洋食屋を指定した。通りから店内をのぞくと父の横顔が見えた。普段、なかなか見られない顔だ。仕事をしているときの様子は知らない。家でくつろいでいるときは、当然のこともっと和んだ表情だった。窓のなかの父はよそよそしくもあり、また対世間のときに着ける仮面のようなものかもしれない。
「ごめん、待たせて」父は無言で向かいの座席を指した。ぼくはそこに座る。すると水を持ってきたウェイターがそのまま注文を待った。
「オレは、ハンバーグとライス。それにビールをジョッキで。お前は?」
「じゃあ、グラタンとオレンジ・ジュースを」店員は、厳かに頷き、そこから去った。
「今日もバイトか?」
「そう、これでなかなか人手不足らしいので」
「そうか。まあ、頑張るんだな。ほら、これ」父はカバンから封筒を出した。この前、お願いした野球のチケットが入っていた。ぼくは、その中味を点検する。まだ、それは行くかどうか確約されていなかった。でも、多分、無駄にならないだろうという予感があった。物事を悲観的に考えられないぐらいにぼくは若かった。
「ありがとう。感謝します」
「こういうときだけだな。お前がそう言うのは」
「こころでは、思ってるよ」父は少しだけ笑った。父がそういう表情をすると誰もが降伏するような気持ちになるかもしれない。無抵抗の征服者。武器のいらない交渉術。しかし、その笑みこそが、ささやかな武器なのだ。ぼくも、同じように受け継ぎ、身につけているのかもしれない。
「誰と行くんだ? 少しは話せよ」
「まだ、2、3回しか会っていないからよく分からない。もう少し親しくなったら話せると思うよ」
「お母さんもあれで、心配するからな。男の子は、どこかで女の子を泣かせてしまう。お前のことも小学生のときにいっしょに謝りに行っただろう?」母とぼくはある少女の家まで謝りに行った。ぼくはその少女がなにについて悲しんでいるのか最後まで分からなかった。母には分かるらしく道中、ずっと説教された。小言は耳に痛く、二度とこのような立場になるまいと誓った。その女の子は翌日からぼくに親しみを覚えたらしく声をかけてきたが、ぼくのこころは関わることを躊躇した。まるで可愛がっていた犬に噛まれでもしたようによそよそしい関係は最後までつづいた。
「よく覚えてるね、そんなこと」ぼくの前にはグラタンが出された。直ぐに食べられないほど、それは熱を発していた。表面のチーズは焦げ、中味を防御している。いや、ぼくを火傷させるよう素知らぬフリをしているのか。
再度、お礼を言い、父と別れたぼくはバイト先まで地下鉄に乗った。
バイトが終わると、いつみさんの店に寄った。その日は、忙しいらしく飲み物を持ってきてもらった後はなにも話せないでいた。彼女の目のすみにもぼくは入っていないようだった。それでぼくは母と謝りに行った夕暮れのことについてまた思い出していた。あの心細さと、理解できない生物がいるのだという気持ち。理解できないなら殴りあうという簡単な解決が男同士にはあった。実力が劣っていれば、降参するし、また陰で努力をすればいい。その範疇にいない生物をおそれた。恐れてはいない、不可解だった。その不可解さにいまは逆にどうしてだか魅かれていた。
「ごめんね、無視したみたいになってしまって」店も空くと、いつみさんがぼくのそばに寄った。
「いいえ、全然。ぼくが勝手に来たんだし・・・」彼女は自分のために炭酸入りの飲み物をつくった。
「この前は、ありがとう。でも、タクシー、遠回りしたような気がしている」
「でも、あの道だったら、真っ直ぐでしょう?」
「それが、わたしが近道だと言って口を挟んだら、なんだか余計時間がかかった」
「それならば、運転手さんにはあんまり責任がないみたいだけど」
「そうだね」いつみさんは腑に落ちない顔をしている。「なに、この封筒?」ぼくは忘れないようにテーブルに出していた。
「知り合いから野球のチケットを貰った。この前、観たいって言ってたから」店は、お会計をすませた男女が一組のこっているだけだった。その最後のレジ打ちをいつみさんの弟のキヨシさんがして、ぼくのとなりに座った。もう調理はおしまい。一日も終わりという雰囲気だった。
「野球か、いいな。これ3枚あるって訳じゃないよな」彼は残念そうに言う。
「行きたかったですか?」
「でも、順平くんはいつみを誘っている。いつみは最近デートもしていない。それにデーゲームで仕事に支障もない。完璧じゃないか」
「わたしの意見もきいてよ」彼女はそれを手に取り、羽根でも生えているようにひらひらさせた。「あ、ありがとうございます。また、来てくださいね」店のドアが開くのに気付き首を下げ、最後のお客を見送った。そして、こちらの話しにまた加わった。「行くよ。可愛い服着て、可愛い化粧をする。大学生に負けないように」
「そんなに、気張らないで。そうだ、オレも野球をしてたんだ。日曜日にはユニフォームを着て、自転車にバットを乗っけて」ぼくは彼の身体の小さいサイズを想像しようとしたが、それはかなり困難だった。腕は丸太のようであり、胸板はぼくが見たなかでいちばん厚みがあった。それに比べるといつみさんの腕は細く、身体も華奢に感じた。だが、それを立証するためにぼくは野球のスタジアムで再度、確認する必要がありそうだった。再来週。予定が、バイト以外の予定があるのは良いことだった。