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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(64)

2011年02月03日 | 存在理由
(64)

 みどりとの交際を通じて、確実にぼくの体内に残ったものは、サッカーを見ることだった。もちろん、それだけではなく、多数の影響を受けるのは当然であるが、いまでも見続けているので、最前列に置いても問題はないだろう。

 アメリカで行われるワールド・カップの予選は引き続き行われていた。Jリーグの熱狂とともに、そちらの応援も加熱していた。応援されるだけの魅力がそのチームにはあった。

 アジアには2つの出場する枠が用意されていた。Jリーグの一部に入っていないチームから選ばれたフォワードの活躍もあり、その後、北朝鮮と宿敵の韓国にも勝ち、予選のトップに立った。誰もが期待をもたないでいることは不可能だったろう。とにかく、あと一勝までもちこんだのである。目の前には、自力で念願のワールド・カップへの出場だ。

 季節は秋である。

 みどりとはたまに連絡を取り合っている。自分から電話をかけたりすることはまれだが、共通の友人もいるので、互いが同席することもあった。憎み合って交際を終えたわけでもないので、顔を合わすことも不快だとは思わないが、話しあえることや許せるこころの範囲を自分で設け、それを飛び越えてしまうことは必要以上に避けた。彼女がどう思っているかは分からなかったが。

 ある友人とお酒を飲んでいるときに、仕事を終えたみどりがいつものように大きめの取材バックを抱え、そこに入って来た。そのことを知らされていない自分は驚いた。彼女は、ぼくがいることを知っているらしくいつものように微笑んだ。その友人はぼくとみどりが大きな喧嘩でもして別れて、それで修復も可能か判断しかねている様子で、ぼくらを会わせたがっていたらしかった。しかし、ぼくの一方的な気持ちの変化であることに気付くと、ぼくをなじった。それでも、みどりは同調せず、お互い大人なのだし、これからも別れをたくさん経験すると思うけど、これはそのはじめなのだとも言った。それを聞いて、ぼくは返す言葉もなかった。

 友人は酔い潰れ、ぼくとみどりは彼をタクシーに詰め込み、目的地を運転手に告げ、閉まるドアを見送った。それから、久しぶりに秋の涼しげな夜を二人で歩いた。
「みんなに心配させてしまっているね」と彼女は小声で言った。
「そうだね、いろいろごめん」
「別にあやまることないよ。きちんと誠意をもって対応してもらって不満もないよ」

 だが、そう言われれば言われるほど自分のこころは痛んだ。地下鉄の駅に着き、彼女は反対側のホームに向かおうとしている。その時に、今度サッカーの取材でドーハに行くことになった、と言った。彼女の待ち望んでいたことの一つが叶いそうなことに、当然のごとくぼくも喜んだ。なんの心配もなく、もう出場は確かだよね、とぼくは宣誓した。彼女も60%ぐらいはそのことに同意したが、あとの残りは油断ということへの不注意さを自分の生活にように心配もした。

 駅のホームの反対側に彼女の姿があらわれ、人込みにまぎれてそのまま消えた。その瞬間、なぜか自分は喪失感に包まれた。このときに、きちんと自分は別れてしまったんだな、と実感したのだろう。

 ぼくも次にくる電車を待った。直きに轟音とともにあらわれ、多くの客を吐き出し、あらたに自分をのせて出発した。車内でもサッカーの話題をしているサラリーマンたちがいた。ちょっとした人に与える希望の効能のようなものを自分は感じた。となりの車両に空いている席があったので、ぼくは移動し座席に座った。みどりが働いている出版社のサッカーの雑誌を読んでいる若者がとなりにいた。見るともなく見るが、きっとみどりが関わった記事も載っていることだろう。うとうとしかけたが最寄り駅に到着し、階段をのぼり、ひんやりとした外気に触れ、ここちよさを実感し、少しだけのどの渇きを覚えたので缶コーヒーを買い、それを飲みながら歩いた。

 家につき、服を脱いだ。電話をおおく要求する由紀ちゃんに合わせ、遅い時間だが彼女の家にかけた。寛いでいる時間のせいか、いつもより低めの声だった。会社を出てからのことを話したが、みどりのことには当然のように触れなかった、友人が見事に酔い潰れたことだけを告げ、あとは彼女の話に聞き入った。それをしながらも、頭の片隅には、あと一勝でワールド・カップに行けるのだ、ということがこだまのように響いていた。

償いの書(23)

2011年02月03日 | 償いの書
償いの書(23)

 この前の仕事が終わり、報告を兼ね本社に帰ることになった。ぼくは駅で切符を買い、特急の電車を待った。その前に、資料が入ったカバンを足元に置き、空腹を満たすための弁当を買った。

 平日の電車は空席が多かったが、なかには自分と同じようにスーツ姿の男性もいた。そこには各自の個性というものはなく、その他大勢という印象を自分に与えた。しかし、彼らひとりひとりにも仕事上の成功や失敗があるはずだった。

 頭のなかでこれからの成り行きを組み立て、その間に弁当を食べた。目をつぶると、あまりの心地よさに眠ってしまったようで、ふたたび目を覚ますと、いつの間にか見知らぬ人々が座席に増えていた。

 駅でタクシーを拾い、先ず本社に向かった。コーヒーで一服する間もなく、直ぐに会議室に入った。ぼくは計画をまたあらためて語り、進捗を話し、その結果を報告した。そして、何人かの拍手とともにその任務を終えた。それからは、別の報告を傍観者のように聞いていた。するべき役目を負えた自分は、ほかの業務に集中するほど、まだ鍛えられてはいなかった。

 昼食は社長に呼ばれ、いっしょに遅い時間だったがご飯を食べた。会議には支店長もいたが、別の用事もあったようで、そこにはいなかった。

「せっかく戻ってきたんだから、ご褒美として数日、休めるように手配したから、夜も、付き合えよ」と社長は、口をもごもごさせながら言った。なにごともあわてて用件を片付けようとするところは昔と変わっていなかったが、ひとに対して、性急さを求めなくなったのは、少し変わった部分だった。

 それでも、夕方まで自分はすることもなく、若い社員に同行して外回りに付き合った。そこはぼくが過ごした場所であり、見慣れた景色だった。しかし、一年ほどの東京暮らしで、いささかよそよそしい場所にもなった。

 夕方、会社に戻って、社長が業務を終えるのを待っていた。以前ほど、彼のワンマンぶりは発揮されておらず、こういうのはおかしいが、きちんと会社として機能していた。去年はもっと彼は思いつきで動き、急な方向転換にも会社はすぐに海路をかえた。小さな操舵で、転覆もせずに進んでいたが、いまはもっと土台がしっかりとしてしまったようだった。ぼくは、それを嬉しいと思う反面、いくらかは淋しい感じもした。手作りになれたひとの仕事ではなく、もう機械の作業を見守るかのような社長の存在を意識したからだった。しかし、企業というものは遊びではない以上そうなる運命なのだろう。

 そこに、ぼくに電話がかかってきた。
 それは、聞き慣れた声だった。
「こっちに帰ってきてるんだ? 聞いたよ。連絡しないで、帰っちゃう積もりだった?」
「だって、もう」
「もう関係ないひと、とか言いたい」と、雪代はすこし笑っているかのような声で言った。
「そこまで、言うつもりはないけど」
「少しぐらいは話せない?」
「島本さんは?」
「彼はわたしの代わりに買い付けに行ってる。その間に遊ぶことを楽しみにしてしまったようで」
「明日、休みをもらった。じゃあ、少しだけ」ぼくは、裕紀のほかには、もう女性を意識しないようにするはずだった。だが、以前の知り合いに押されれば、無下に断るわけにもいかなかった。

 違った気分になり、社長を待った。彼は行き付けの店を増やし、その新しい一軒に連れて行ってもらった。

「うちの有望株。オレが東京に送りつけちゃったんだけど」と、店のひとに彼はぼくのことをそう紹介した。
 ぼくは、小さく会釈し居心地の良さそうな店内を見回した。そして、その後もお酒を飲みながらも明日のことを心配していた。支店長は、もう東京に戻っているはずだった。ぼくは、ホテルを取らずに実家に戻った。家には、もう妹もいなく、新たに小さな犬が増えていた。ぼくは、はじめて見るその姿に驚くとともに直ぐにじゃれついてきた様子を見て、愛らしさを感じる。母親は、やはり誰かと関係性をもつことを楽しみにしている存在なのだ。それを忘れてしまったかのようなふたりの子どもがいた。特に自分は、そうだった。

 翌日になり、ぼくは雪代と待ち合わせた場所に行った。そこにはベビーカーを横に置いている思いがけない姿で彼女は座っていた。ぼくが来たことも知らずに、その中を覗き込んでいて、周囲に注意を向けていない様子だった。
「来てくれたんだ」ぼくが、声をかけると振り向いて彼女は言った。
「やっぱり、女の子なんだね」
「知ってた?」
「誰だったかな、社長だったかな、前に、教えてくれた。名前は?」
「無個性な広美。自分で個性を見つけて欲しいから」
「似てるけど、骨格はまるで彼に似たかのように、しっかりしている」

「あの人は、典型的な遊び人になってしまった。仕事を手伝ってもらって助かっているけど、外国に仕入れに行ってる間、一体、どう過ごしていることやら。ひろし君も結婚するの?」
「それは、多分」
「あの子と?」
「そう、あいつと」
「抱っこする?」それは質問ではなく、強制だったようで、小さな存在をぼくの腕の中にこじ入れるかのように手渡した。その主張をしない小さな姿から幼児特有の匂いがした。ぼくは、それに戸惑い直ぐに彼女に戻してしまった。
「この子は、いまのことを覚えている気がする」と預言者のように彼女は言った。だが、それを確かめるには充分な時間の経過が必要だった。