goo blog サービス終了のお知らせ 

爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

償いの書(21)

2011年01月29日 | 償いの書
償いの書(21)

 ぼくは、まだ10代だったときに、いままでのことはすべて継続すると思っていた。誰でも、そう思うだろう。そのときにまだ同じ年頃だった裕紀といくつかの約束をしていたらしい。ぼくは、そのようなことはすべて忘れてしまっている。彼女は、そのうちのいくつかを覚えていて、こんなことを言ったね? とぼくに訊いたが、そのどれをも覚えていないぼくのことに対してすこしがっかりしたような表情をした。

 ぼくは意図して、そのようなことを忘れるように計ったのだろうか? それとも、自分の記憶というものはこれほどまでに不甲斐ないものかなどと思い、自分自身でもやりきれない思いがした。

 3月には大きな遊園地にふたりで行った。それは、ぼくらがまだ地元にいたころ、今後行こうと約束していた場所だったらしい。くどいようだが、ぼくはそのことを忘れている。でも、深く記憶をたどれば、その日が蘇ってきそうなおぼろげな雰囲気はあった。彼女の17歳ぐらいのこと。彼女は意地なのか、誰と交際してもその場所にはいかなかったらしい。もう二度とぼくに会えないかもしれないのに、そこは彼女にとって、ぼくと行くべき場所になったのだと決めていたらしい。ぼくらは、もし仮に東京タワーのふもとで会わなかったら、彼女にとってそこは永久に未知の場所になりえたのだ。

 そのことで期待以上に彼女は喜んでいた。27歳になった裕紀は、10年間待った望みを叶えていたのだ。ぼくにとって、そのような場所はあるのだろうかと考えている。それは、大体雪代と過ごしたときに経験してしまっているかもしれない。思い出の引き出しのストックには、まだ未整理のままそのような状態で雪代との思い出が氾濫していた。

 ぼくらは乗り物にのり、たくさん笑い合い、彼女の新たな表情を手に入れ、ぼくの性格の一部を彼女は知ることになったのかもしれない。楽しい一日はあっという間に過ぎてしまい、夜の闇がぼくらを覆うようになる。ぼくらはひとの目を意識せずに抱き合い、ぼくの背中からこんな声が聞こえてきたような気がした。

「さんざん、彼女に苦労をかけたことだし、今の瞬間を永久なものにお前はしたくないのか? また、この女性を失うことになってもかまわないのか?」
「なんか、あった?」ぼくが背中のほうを振り向くと心配そうに彼女は言った。
「いや、なんか知っているひとのような声がしたもので」
「いた?」
「いや、いない」それは、いるはずもなかった。皆が歓声をあげ、ひかりのほうを見ていた。その言葉は、ぼくの未来から訪れて来たのかもしれないし、過去の17歳のぼくが告げに来たのかもしれない。いいや、山下か上田先輩か、もしくは智美たちのミックスした声と願望だったのかもしれなかった。

 閉園が告げられ、ぼくらはとぼとぼと歩く。彼女のこころには、どのようなものがあり、また眠っているのか。そして、何を望んでいるのか知りたくてたまらなかった。暗いなかで彼女の表情が分からないように、それ以上に、彼女のこころは永久に分からないような気がした。
「さっき、わたしも何か聞こえたような気がした」
「いつ?」
「ひろし君が強く抱いてくれていたとき」
「どんなことが聞こえた」
「教えない」
「うそだろう」
「うそ。彼を手放すことになってもいいのか、とか、彼は誰かのほうに向いてしまわないのか? とかを」
「もう手放さないよ」
「ほんとうに?」ぼくは、見えもしないのに「うん」というように頷いた。

 電車に乗っても、ぼくらの会話はいつもどおりに、はかどらなかった。それは、退屈であるとかつまらない状態だったとかではまったくなく、どちらも、どこからか聞こえて来てしまった声のありかをたどるかのように思いつめていたからかもしれない。ぼくは、そうだったし、彼女もその後、そう告白した。

 裕紀の家のそばの駅で降り、彼女を送ることにした。そこは、ある意味、ぼくの見慣れたいるべき場所になりつつあった。そこには雪代の思い出が混入する心配はなかった。

 家の前で躊躇していると、「どうしたの? 休んでいけば」という優しげなイントネーションを含んだ声で彼女がいった。
 そこに入り、裕紀のいつもの匂いを確認し、ぼくはソファに座った。1杯ずつ冷えた白ワインを飲み、ぼくらは遊園地にいたときの続きのように強く抱き合った。彼女は心細げにぼくに抱かれ、身をすべてゆだねてしまったような状態になった。

「ひろし君もなんか聞こえたんでしょう? さっき。とても、不自然だったもの」
「うん。自分自身からなのか、それとも、山下や上田さんが常に裕紀の味方をしているのを知っているよね? 彼らがぼくらを後押しするように表れて、裕紀を失わないようにとアドバイスに来たような感じがした」
「そうなんだ」

 ぼくらは神秘的な話をしているのではなかった。ただ、決断や選択にあやまりがないように、しかし、それは選択でもなかったのかもしれない。もう、それは決定事項でもあったのだろう。どちらも、言葉としては出さなかったが、すでに結婚というかたちがしっかりとした形でぼくらに表れ、意識をもっているように強くぼくらに要求しだしたきっかけだった。

存在理由(60)

2011年01月29日 | 存在理由
(60)

 また4月になった。会社から何人かがいなくなり、それより少ない数の人間が充填され、新しい顔ぶれの人がデスクに向かっている。ぼくも、いくらかする仕事に変更があり、おとなの読むべき本ということで、2ページほどの書評を受け持つことになった。そのために、本屋に繁々と通い、読む時間も勤務中に作ってもらうことが出来た。

 時間的にゆとりができて、新しい本の場合は、出版社の人と話したり、その作品の生みの親とも会うことができた。だが、主に読むのは、もう生存をしていない人たちで、その人たちの歴史を振り返ることも多々あった。

 カメラマンを連れては、その作家の眠っている墓地に行ったり、生家が残っているときには、そこに日帰り取材にも行った。こうした仕事が楽しくないわけはなく、歴史と地理への興味も満たされていく。

 何もないところから画期的なものを作り出す人もいるが、彼らは表面的な華やかさがない分だろうか、当然得るべき尊敬を受けていないような気もする。その反面、その頃の若者は、(もちろん自分も含む)何の努力もしないで聴衆の視線を手に入れることばかり考えているようだった。そのことは、現在も続いているのだろう。

 現在の評価だけが正当なものだとしたら、誰も歴史など愛さないかもしれない。しかし、振り返ったり、将来を予測して行動したりする能力が人間には備わっているので、そのことには無頓着でいようとも、自分は思ったはずだ。

 そのような仕事にうつった良い方向での変化を、みどりは素直に喜んでくれた。彼女のいつもの笑顔が、ぼくの人生にもたらした喜びを忘れることはできないだろう。ぼくの隠れている才能というのがもしあるならば、それを最初にみつけ評価してくれるのは、いつも彼女だった。そんな存在をふつうの人は持っていないかもしれないということを知るのは、もっと先のことだった。
 逆に、彼女の存在の良さも自分は同じように感じていたかは、少しだけだが疑問だった。だが、やれるべきことは、したかもしれないし、褒め言葉が彼女に見合うだけ言えてきたかと問われれば、否定するしかなかった。

 そんな彼女は、Jリーグ開幕に向けての仕事で大忙しだった。まだ、その頃の自分もサッカーというスポーツが日本でも市民権を得るということに懐疑的だったかもしれない。しかし、チームは作られ、外国人選手も補強され、準備だけは整ったように思えた。

 世の中でタイミングだけがすべてであるならば、その時をやり過ごせば、サッカーのプロ化というものの実現は不可能だったかもしれない。多分、さまざまなことが到来するタイミングを待ち侘び、誰かが石をひっくり返して探し当ててくれることを待っているのだろう。自分も、もっと大きな人間になるためには、見られていないところでの頑張りを、ある日誰かが陽の目のあたる場所に引っ張り出してくれるのを、一心に待つことになるのだろう。それは、決して来ないかもしれないが。

 ゴールデンウイークになり、ニューヨークから飛行機が来る。その中に由紀ちゃんは乗っているはずだ。居ない間も何度か連絡を取り、ぼくのいる会社の女性のための雑誌の編集に加わることになっていた。彼女には社内に偉くなってしまった兄がいる。その人は、家族だからと言って、評価を変えるようなことはしないはずだ。自分にも厳しく、他人にも平等に厳しい人だった。なので、即戦力にならなければならない、という彼女もプレッシャーを感じていることだろう。

 日本に戻って、家に着いたという連絡をもらった。新しく独り暮らしのマンションは兄によって用意されていた。その部屋からの電話で大体の場所は分かり、電話の終わりに今度、遊びに来てと誘われた。その前に、会社内で会う方が先のはずだ。自分は、人から見られて恥ずかしくない仕事ができているのだろうかと自分に問うた。

 みどりの家のそばの土手で、ビールを片手にグラウンドを眺めている。5月の陽気と怠惰な気持ちが見事に釣り合っているような日だった。大きなグラウンドで野球のユニフォームに包まれてボールを追いかけている少年たちがいる。その横ではサッカーボールの動きに群がる少年たちもいた。人を騙すことなどもなく、自分のこころを偽ったり、騙したり虚栄もなかったあの頃の自分が蘇ってくる。

 彼らもスポーツをして、喜びを感じ、限界に脅え、淘汰され大人になっていくのだろう。そのときには、もっと世の中はましな形体になっているのだろうか、と頭の中で考えたが眼だけは彼らの姿を追っていた。