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拒絶の歴史(91)

2010年07月24日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(91)

 大学での勉強を午前中に終え、昼ごはんを食べるのを兼ね、ファースト・フードの店に入った。食べ終えるとそこを机にしてノートやらを開き、勉強を始める。その日は、なにごともすらすらと頭に入り、自分の未来に光を与えられたような錯覚を抱いていた。

 飲み物がなくなればお代わりをして、またノートに鉛筆で文字を書き込んだ。そのとき、ふと聞き覚えのある声をきいた。

「やっぱり、そうですね。勉強ですか」それは、ゆり江という女性だった。彼女は妹の友だちでもあり、まだ彼女が高校生のときに数回会った思い出があった。
「ああ、君か。こんにちは」
「前に座って、ちょっとお勉強の邪魔をしていいですか?」ぼくは、どうぞという感じで椅子を指差した。彼女は座ってからストローの紙を剥ぎ、上のプラスチックのふたに差し入れた。

「元気にしてた?」彼女は、会わない間に大人びた表情を身につけ、自信のある様子もうかがえた。
「とても」
「大学に通ってるんだよね?」
「ええ、短大ですけど。そういえば・・・」と言いにくそうな表情を見せて、「裕紀さんから、手紙を貰いました」
「そう? 彼女はいま、なにをしているの?」
「気になります?」
「それは、もちろん」
「知っているかもしれないですけど、シアトルで勉強をしているみたいです。それが終わったら日本に戻るみたいです」それは、ぼくにとっては新しい情報ではなかったが、このゆり江という子が放つ一本の線を通して、ぼくらはどこかでつながったのだ、と思っていた。「また、会ってみたいですか?」

「それは、どうだろう? ぼくはあんまりヒューマンじゃない行動をしたから」
「わたしも、近藤さんと知り合いになった、と手紙に書きました」
「それで?」
「彼は、いまでも優しい人かしらという返事がありました」
「この、ぼくが、優しいひとだって?」彼女は笑った。
「わたしも、そう思って、とても頑固なひとのように思えます、と書きましたよ」その言葉の方がずっとぼくにはしっくりきて、どこかでその言葉の持つ意味に安心した。「そうですよね?」

「そうだろうね」ぼくは笑った。「ひとを良く観察できていると思うよ」
「わたし、待ち合わせをしているんです。もう直ぐ来ると思うので席変わりますね。知らない振りをしてもらってもいいですか? 彼、ちょっと嫉妬深いところがあるから」
「そう、男性?」彼女は以前には見せたことのない感じの満面の笑みで頷いた。

 彼女は窓側の席に移り、そこから階下の通り過ぎる人々を眺めていた。そして、小さな鏡を取り出し、自分の表情の点検をするように覗き込んでいた。そうすると、ジーンズがよく似合っている若者が階段を登って入ってくるのがぼくの席からも確認できた。ぼくは少しだけ淋しいような感じをもった。彼女はぼくがいたことなど最初から忘れてしまったように、彼をみつめ歓談していた。そのことを淋しくも思ったし、裕紀のその後のことを、もっと聞きたいという気持ちが奪われたことをそれ以上に淋しい気持ちにさせたのかもしれなかった。

 ぼくの未来への光を与えられたような頭脳は一瞬にして消え、さまざまな過去のいくつかの映像を探しては、どこかの部分とつなげた。品質の悪いビデオテープのように、それはどこかで止まり、どこかでざらついた。だが、その映像の質が悪ければ悪いほど、自分は宝物のような気持ちを持ってしまっていた。

 ゆり江とその男性は、その後20分ほどしゃべっていたが、テーブルのごみを片付け、席を離れ下に下りようとした。彼は先に降り、その後ろについていくゆり江は一瞬振り返り、ぼくの方を見た。彼女の頬は笑顔のため、可愛く膨らみ、その表情を長いこと見られる男性をうらやましく感じた。ぼくも分からない程度に会釈をして、彼女の後姿を見送った。

 それから、またぼくもバックにノートを詰め込み、バイト先に向かった。商店街は年末に向けての書き入れ時らしく、不思議な活気があった。ぼくは、浮かれたような音楽がスピーカーから流れるのを聞くともなく聞き、そこを歩いている。ある女性をむかしに知って、それを失い、また情報だけを手に入れた。ゆり江という子が数ヶ月や1年で変化したように、その女性もどのような変化を遂げたのであろうか、とても気になった。しかし、多分、もう2度と会うこともないのだろう、とそれを宿命のようにも感じていた。感じていたというよりか、実際に自分の罪を引き受け、決めていたのだろうとも思う。したくもないことを無理やり引き受けてしまい、従っているひとのように、自分のつまらなさを思い、ゆり江という子が与えてくれた情報と、自分の頭のなかで作り上げたイメージに動揺もしていた。