「考えることをやめられない頭」(21)
自分が働いているところに、同じような年齢の男性が、もう少し山よりの系列のホテルからこちらに移ってきた。業務はいくぶん楽になったが、自分の存在の意味がいくらか軽くなった。もう、違うステップに移行するべきではないのか? いつも、自分の思考を悩ましてきた問題。もう一回り大きくなれるならば、今の境遇を後にするべきだという観念。それに突き上げられて、頭がそのことで占領してくると、留まっていられなくなる。絶対的な、不安定志向。
新しい人は、段々と仕事に慣れてくる。そう難しいことが含まれる仕事でもないので当然だが。やはり、次の月の半ばあたりでここを去ろう、と決意する。そうして、人事を担当している人に相談する。多少、引き止められたが、東京から来ている人は、東京に戻るべきだというニュアンスの言葉を感じる。
でも、学生時代にも寮などで生活したこともなかったので、それはそれで楽しい共同生活を送れた。自分を管理しすぎる人間もいないので、自由な時間は、ある程度自分で決めないとなにも進まないという当然の事実も明らかになる。
振り返ったように、年齢のいくらか離れた男性や女性ともなかなか上手くやっていけた。友達も、こちらから心を開くなら、意外と簡単に作れるものかもしれない、という結論も得る。意中の女性への接し方は未解決かもしれないが。
そろそろ荷物もまとめようと、フロントの人からダンボールを貰ってきて、必要なものを詰め込む。そうすれば自分より先に、この箱は自宅に到達する。何枚か買った絵葉書。一枚は、事情を知らせるために、うらに簡単な状況を書いて家に送っていた。その残りが、まだ数枚残っていた。それを見つめる。本当に景色も空気も良いところだったな。
最後の日も、いつものように働き、風呂に入って爽快な気持ちになる。温泉の大きな鏡に自分の全身を映してみると、来た当事よりいくらか筋肉もつき、身体も締まっていた。この体型を維持したいな、と考えた。
自分の部屋に戻り、残っていたビールを飲み干し、いつものように布団にはいる。文庫も数冊買い、読み終えると重くなるので、うらのホテルのゴミ捨て場に捨てた。あの知識も、あたまの片隅に居場所を見つけてくれれば安心だが、そう思い通りにも行かないだろう。
最後のあさ、あまり親しげに別れのあいさつをしたことがないので、躊躇していると仲の良かった友人が、
「あいさつもなしで、帰る気じゃないだろうな」と言い、ぼくをひっぱった。
そこで、いつものように裏から、ホテルの厨房を抜け、皆の前で最後のあいさつをした。また、機会があれば来たい、というようなことも語った気がするが、それは実現するのだろうか。
ホテルの玄関を通り、駅に行くバスを待つ。人生のほとんどは待つことに費やされる。自分の期待の実現は、いつごろ叶うのだろう。そもそも、一体、自分は何になりたかったのだろう? だが、この時は、自分は深い気持ちと格闘する気分でもなく、表面にあらわれやすい軽やかなセンチメンタルとたわむれていた。
バスに乗る。来た日のことを思い出す。雨が降っていた。バスの運転手は、新たな地に来たぼくを祝福した。まさに祝福という言葉は、このような機会につかうのだろう。それに効き目があったものか、自分はさまざまな出会いや感情を手に入れる。いつもの湖畔をとおり、目の前には冬が、せっかちな老人のように、融通のきかない態度で待ち構えていた。
駅につく。乗換駅までの切符を買う。銀行の支店がなかったので、かなりの金額の札が封筒にはいったまま、カバンに無造作に詰め込まれていた。ここで得た最後の収穫。それを、置いたまま急いでトイレに行った。ドラマでは、ここで盗まれたりした方が展開としては面白いが、当然のようにそんな事件はなく、そこに置いてあった。
電車が来る。それに乗る。地方の人ではなくなる。カバンから文庫を取り出し、新たな自分がつかめたようで嬉しかったが、家にかえれば、また元のような少々自堕落な自分の戻りそうで恐かったのも、揺るぎのない事実だ。
何が待っているのだろう。両親と、どんな顔をして会おう。風景は過ぎ去る。自分のこころも風にはあたっていないものの、なぶられているような気持ちを全身に受ける。
自分が働いているところに、同じような年齢の男性が、もう少し山よりの系列のホテルからこちらに移ってきた。業務はいくぶん楽になったが、自分の存在の意味がいくらか軽くなった。もう、違うステップに移行するべきではないのか? いつも、自分の思考を悩ましてきた問題。もう一回り大きくなれるならば、今の境遇を後にするべきだという観念。それに突き上げられて、頭がそのことで占領してくると、留まっていられなくなる。絶対的な、不安定志向。
新しい人は、段々と仕事に慣れてくる。そう難しいことが含まれる仕事でもないので当然だが。やはり、次の月の半ばあたりでここを去ろう、と決意する。そうして、人事を担当している人に相談する。多少、引き止められたが、東京から来ている人は、東京に戻るべきだというニュアンスの言葉を感じる。
でも、学生時代にも寮などで生活したこともなかったので、それはそれで楽しい共同生活を送れた。自分を管理しすぎる人間もいないので、自由な時間は、ある程度自分で決めないとなにも進まないという当然の事実も明らかになる。
振り返ったように、年齢のいくらか離れた男性や女性ともなかなか上手くやっていけた。友達も、こちらから心を開くなら、意外と簡単に作れるものかもしれない、という結論も得る。意中の女性への接し方は未解決かもしれないが。
そろそろ荷物もまとめようと、フロントの人からダンボールを貰ってきて、必要なものを詰め込む。そうすれば自分より先に、この箱は自宅に到達する。何枚か買った絵葉書。一枚は、事情を知らせるために、うらに簡単な状況を書いて家に送っていた。その残りが、まだ数枚残っていた。それを見つめる。本当に景色も空気も良いところだったな。
最後の日も、いつものように働き、風呂に入って爽快な気持ちになる。温泉の大きな鏡に自分の全身を映してみると、来た当事よりいくらか筋肉もつき、身体も締まっていた。この体型を維持したいな、と考えた。
自分の部屋に戻り、残っていたビールを飲み干し、いつものように布団にはいる。文庫も数冊買い、読み終えると重くなるので、うらのホテルのゴミ捨て場に捨てた。あの知識も、あたまの片隅に居場所を見つけてくれれば安心だが、そう思い通りにも行かないだろう。
最後のあさ、あまり親しげに別れのあいさつをしたことがないので、躊躇していると仲の良かった友人が、
「あいさつもなしで、帰る気じゃないだろうな」と言い、ぼくをひっぱった。
そこで、いつものように裏から、ホテルの厨房を抜け、皆の前で最後のあいさつをした。また、機会があれば来たい、というようなことも語った気がするが、それは実現するのだろうか。
ホテルの玄関を通り、駅に行くバスを待つ。人生のほとんどは待つことに費やされる。自分の期待の実現は、いつごろ叶うのだろう。そもそも、一体、自分は何になりたかったのだろう? だが、この時は、自分は深い気持ちと格闘する気分でもなく、表面にあらわれやすい軽やかなセンチメンタルとたわむれていた。
バスに乗る。来た日のことを思い出す。雨が降っていた。バスの運転手は、新たな地に来たぼくを祝福した。まさに祝福という言葉は、このような機会につかうのだろう。それに効き目があったものか、自分はさまざまな出会いや感情を手に入れる。いつもの湖畔をとおり、目の前には冬が、せっかちな老人のように、融通のきかない態度で待ち構えていた。
駅につく。乗換駅までの切符を買う。銀行の支店がなかったので、かなりの金額の札が封筒にはいったまま、カバンに無造作に詰め込まれていた。ここで得た最後の収穫。それを、置いたまま急いでトイレに行った。ドラマでは、ここで盗まれたりした方が展開としては面白いが、当然のようにそんな事件はなく、そこに置いてあった。
電車が来る。それに乗る。地方の人ではなくなる。カバンから文庫を取り出し、新たな自分がつかめたようで嬉しかったが、家にかえれば、また元のような少々自堕落な自分の戻りそうで恐かったのも、揺るぎのない事実だ。
何が待っているのだろう。両親と、どんな顔をして会おう。風景は過ぎ去る。自分のこころも風にはあたっていないものの、なぶられているような気持ちを全身に受ける。