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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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最後の火花 84

2015年06月24日 | 最後の火花
最後の火花 84

 息子とふたりきりで暮らしてきた生活を直ぐに忘れてしまった。新しい営みは実際の分量としてお米を買う量も食費も増えた。どこで聞きつけたのか分からないが、夫からのわずかばかりの送金もぴたっと止んだ。そういうところには抜かりのないひとだった。これで、息子を育てる面倒や厄介から解放されたとでも思っているのだろう。余分が省けたとでも。服の糸くずを払いのけるようにさっと。

「現金なひと」とわたしは言い捨てる。

 山形もそれほど緻密ではないが、もろもろの費用を管理下に置きたがるひとだった。節約を強いられる環境に長い間いたのだから仕方がない。急に気前よくなどなれない。それにそもそもその元手自体が互いになかった。

 愛とか情とかが、お金のやり繰りにある地点からとって変わる。夢見る高校生ではない。放課後に手をつないでときめく関係でもない。共同事業者みたいなものだ。しかし、生活に逼迫するほど余裕がないわけでもなく、大きすぎる贅沢さえしなければ毎月ぎりぎりだがなんとかなった。

 息子の等身大の能力など、母ひとりで把握できるものでもない。客観性が欠け落ちる。本当の父でも期待して過剰に力を加えたり、その面で押しつぶすまで手を留めないかもしれない。義理の父でもなく、血縁のない同居者ならばこそ正当な評価を見極められる可能性が生じた。

「ダメだよ、オレなんて。失敗例しかもっていないんだから」そう言いながらも言葉とは裏腹に彼は良い教育者であった。また同じ意味で素敵な遊び友だちになった。

 もし仮にわたしが急な大病で亡くなってしまった場合、英雄は山形といっしょに暮らしていけるのだろうか。男の子にとって最優先される性質はいったいどういうものだろう。愛想のよさでもない。気転の利くこと。要領がよいこと。寛容さ。融通があることなど。これが最高の性格だろうか。

 片や、不寛容。頑固。生真面目すぎる。だが、性質は親から受け継ぐのだ。わたしとあのひとの混合体に自分の経験を加味したものが英雄になるはずだった。高望みはできない。普通に聖人君子でもなく、悪魔でも餓鬼でもない。普通という絶対にない立場だからこそ普通という中間に絶対になりたいものでもあった。わたしたちは普通という場所に、もう英雄を置くことはできそうになかった。いびつ、とまでいかなくてもいくらかは歪んでいる。ある催しものの会場にあった身体を写して太ったり痩せたり見える鏡のことを思い出した。別の鏡は、身長が高くなったり縮んだりもした。正確な価値など、これと同じく自身で発見するのもまたむずかしい。

 常に子どものことばかり考えているわけでもない。自分の長い将来のこともある。一度、結婚に失敗した。そう稀なことでもないが、しばしばあることでもない。このような小さな町では異端者だ。山形も異端者だ。しかし、ふたりとも冷酷な対応はそれほどひどくされてこなかった。陰では分からないが、みんな、陰でのことなど心配し過ぎたら病気になる。すべてのひとが陰口の餌食になり、全員が陰でだけ、当人が居ないところだけで賞賛されるのだ。これが、人間の日々の生活の全部だった。

 わたしは自分の時間ももてるようになった。恩恵が何事にもある。男ふたりで運動をしたり、釣りに行ったり、買い物にも足繁く向かう。わたしは家で繕いものをしたり、ただ何も気にせずにラジオを聴いた。世の中には美しいメロディーを生み出す能力を有したひとがいて、それを喉で再現できるひとがいた。自分の可能性というものをどこで取りこぼしたのか、いまからでも探しに行きたかった。だが、そういう想像という自由は束の間だからありがたく、たくさんあったら持て余すだけだろう。

 晩御飯の仕度をしなければならない。ご飯をとぎ、水を調節する。男ふたりは腹を空かせているだろう。それが仕事なのだ。英雄にはもっともっと大きくなってもらわなければならない。健康が最大のプレゼントだ。わたしの頭のてっぺんには白髪が数本みつかる。若さと引き換えにひとはなにを貰えるのだろう。賢さ。地位。貯金。わたしはまだ何ももっていない。ひとりの男の子と。二番目の男性だけだった。

 庭に、軒下という方がより具体的だが七輪を準備して火を起こした。サンマを焼く。どこにいたのか分からないが猫が数匹寄ってくる。小さな猫がいる。生まれてからどれほど経っているのだろう。敵ばかりの世の中なのだろうか。ほかの誰かが余り物をくれるのだろうか。わたしは肥料にするための余分の小さな魚を遠くに放った。親子らしい猫は口にくわえて走って逃げた。

「サンマか」と英雄の声がする。

「今度は上手に骨が取れるかな?」と、山形が訊く。彼はそう言うと団扇をつかんで煙のまえで屈んだ。猫にも食事がある。人間もあたたかなものを口にする。愛おしき団欒。未来の栄光も過去の失敗も沈んだままの団欒。眠りこんだまま、浮かんでこないでかまわないからこの一夜を楽しいものにしてほしいと消えゆく煙の前で願っていた。ほんの数秒だったが目が沁みて、涙が滲みそうだった。


最後の火花 83

2015年06月24日 | 最後の火花
最後の火花 83

 こそこそと逢瀬を繰り返すのを許容するほど、この町は広くもなく寛容でもなかった。正々堂々ということが武器にもなり、自己防衛ともなった。ふたりの関係は知れ渡ってしまった。後悔は一切ない。なによりうれしいのは息子の英雄がなついてくれたことだ。オレはここで再出発をする。一度の過ちで将来のすべてを棒にふることもない。

 命を絶つことも考えていたが、ふたりがオレの希望になってくれた。希望とか望みの猶予や緩和を考えなければ一日だって生きられないことを、オレはこの場所で知った。弦もときには弛まなければいけない。女性のあたたかな身体がオレの体の芯の冷たい部分をほぐして癒してくれる。何気ない会話が、失われた人生を取り戻してくれる。ラウンドの一回でノックアウトされたボクサーのようなものだった。しかし、再試合は許されるのだ。オレは丁寧に最終ラウンドまで持ち応えるだろう。勝者にならなくてもよい。ドローぐらいで充分だ。それも高望みかもしれない。ギリギリ敗者になってもかまわない。僅差であれば。

 朝飯から家族がいるよろこび。オレは仕事にでかける。薄暗い煤けた部屋に帰らなくてもいいのだ。安物の焼酎で身体もあたまも痺れさせなくてもいい。麻痺や鈍麻は、もうオレにはいらない。目敏いとか鋭敏さも必要ではない。中庸という快楽。オレはやっと飼い主が見つかった犬のように安心して夜を迎えて目をつぶる。

 誰が女性をつくったのだろう。曲線で描かれた立体の美。オレは耽溺する。オレの手の平はなめらかさの何たるかを知る。接触できるものこそが実体なのだ。神も哲学と真理もなく、いま目の前にあるものが自分に有利に働いた。

 平時と変わらないつもりでいたが、オレは職場でいくらかだが陽気になったとうわさされる。給料が入れば小さなプレゼントを見つけるようになった。無駄遣いだと叱られるが、あいつはうれしそうだった。英雄もここの小さな玩具屋でお気に入りのものを見つける。オレの酒の量は減っていく。この快感を決して忘れたくなかったのだろう。

 自分の危険な要素はすべて消えてしまったようだ。過去の失敗がいまにつながっている。あの密室で過ごした年月こそ、いまの幸せをつくっている。自分の幸福を胸を張り、偉そうに威張って宣言することもないが、オレは日中、職場の騒音にまぎれながら、そのことを小さな声で呟いてみる。祈りにも似た気持ちで。

 毎日の積み重ねがこの複雑な関係の安定感を増すことになった。層や堆肥となって栄養を吸い取る。お互い同士が滋養の役割を果たす。オレはただこのことを待ち侘びて、手に入った瞬間から信奉しようとしていた。

 オレは子どもと遊ぶ能力があることをはじめて発見する。直ぐ同じ目線に立てるからだろう。自分が扱ってほしいというむかしの思いを再燃させた。キャッチボールをして、釣りに興じた。魚をさばき、河原で焼いた。そのひとつひとつがオレの思い出になり、同時に英雄の思い出にもなる。思い出というのは素晴らしいものだ。インデックスをつけて、その都度、取り出せるようになる。脳が損傷しない限り、自分の命とともに生き延びる。しかし、オレはひとりのその思い出のすべてを奪ってしまったのだ。英雄には、その代わりにならないかもしれないが、たくさんの記憶をもたらしてあげたい。

 蚊取り線香をつけて、縁側で月を見る。世界はある面では公平だった。永続性というのは満ちて欠ける行程だった。人間の永続性というのは、子どもが大人になり、大人が老人になることだった。その一日一日を手を抜かず、怠惰にならず、ときに休んで、病気を治療して暮らしていくのだ。オレは犯罪に選ばれてしまった。いまは反対に幸福を選んだ。大人になるのがすこし遅すぎたようだ。だが、いまからでも間に合う。英雄は寝込んでしまい、オレは布団に運んだ後、雨戸を閉めた。

 熱っぽい唇を感じる。目を開けても室内は真っ暗だ。濃密な闇。音と匂いと皮膚の感触。オレは仕事で疲れていたが、別の種類の疲労感を欲していた。それは疲労に達成と高揚が混ざり合ったものだ。夜中の攻防がまだ負担にならない。オレらは若かった。若さとは未来に保険をかけないことなのだろう。

 仕事では手当を増やしてくれるという提案がなされた。すべては筒抜けなのだ。オレは頭のなかで計算する。いくらにもならないが、当然、ないよりあった方が良いものだ。

 夕飯は七輪で焼いたサンマが並んだ。三匹が皿に並んでいる。英雄は青っぽい大根を擦っている。まだまだ頼りない力だが、大人になると誤った力の行使をしてしまう場合もあるのだ。このオレのように。オレは身体を拭き、食卓に向かう。幼少時にあの施設で唱えたことばをいま頃になって思い出している。二十年も前のことだろうか。ひとりでこころのなかを手探る。「天におります……」だが、オレは地面にいる。どん底も味わった。それでも、やめることも放棄することもなかった。ダウンしたが立ち上がった。戦う気力ものこっている。レフェリーのジャッジに公平さがあり、贔屓も、手加減もなければなんとかなりそうだった。オレは、「いただきます」と言って、同じ言葉の復唱を静かに聞いた。


最後の火花 82

2015年06月22日 | 最後の火花
最後の火花 82

 母という役割だけでは物足りなくなってくる。まだ、二十代の若い女性なのだ。かといって子どもがひとりいて、他のライバルたちを蹴落とすほどの自信もない。究極の願望と自分に見合ったという妥協の一致点。

 かれこれ夫が出ていってしまってから、四、五年は経っているのだろう。完全なる失踪ではない。居場所も知っている。だが、そこが夫の決めた新しい家なのだ。完全に。

 小さな町なので、ほとんどのひとの顔と情報は知れ渡っている。夫に逃げられた女。健気にひとりで息子を育てている女性。その息子は賢いが夢見心地のような表情をしばしば浮かべる。わたしの大まかなタイプはこのようにして分類される。そのなかに見かけたことのない男性が登場する。

 英雄がめったにないことだが率先してそのひとに話しかけていた。
「誰なの?」
「空き地で野球を見ているひと」
「教えてくれるの?」

 英雄は否定の素振りで首を左右に振る。「うまいのか、どうかも分からないから」だが、わたしの質問によってその可能性があることも考えに入ったのだろう。わたしは野球を教えられない。これからも青年に向かう男の子のしたいこと、さまざまな欲求についての手持ちの札は少なかった。

 わたしは往来で会うと会釈するぐらいの関係になった。野性的な表情だが、目の奥は優しく、かつ淋しげな眼をしていた。そのアンバランスさが魅力を減らすことなく、かえって増しているようだった。同時にひとのうわさを耳にする。公平になるほど判断に正確さを求めることもない。しかし、出てくるものは良いことがひとつもなかった。どこかでひとを不幸にした元凶であり、数年間はあの場所にも入っていたということだ。それでも、わたしの父が厳しく教えた方法でものごとや対象を見るしかない。父は無知とそれに準じた色眼鏡ということを嫌悪した。潔癖なまでに自分の判断を崇高な地位にまで高めた。それは傍から見れば傲慢にも映った。でも、止めないことは何があってもやめないのだ。わたしも接した情報で結論に導くことにしようと誓った。しかし、接することなど皆無に等しいのだが。

 わたしは少ない生活費を補うため、短時間だが働いている。近くの会社の事務というよりもろもろの雑務を請け負っていた。どこかに支払があれば銀行に行ってお金を卸して別の会社へと支払に行った。その工場のひとつで山形という男性は働いていた。わたしはまじめに働いている姿を目にする。丁度、休憩になって工場を騒音まみれにしている機械はスイッチを切られ、束の間の静寂がおとずれた。わたしは通帳が入っているバッグをひざに置き、出された麦茶を飲んでいた。工員たちも思い思いの場所に腰かけ、配られる麦茶をひとりは名残惜しそうに、別のひとりは一気に飲み干したりしている。

 わたしの目は山形という男性の汗まみれの身体を見る。筋肉には艶のようなものがあって、光沢もあった。前の夫は肉体を動かすことを好まなかった。わたしのこころは荒々しいものを望んでいるようだった。

 わたしは用を済ませて会社に戻る。ノートにその日のお金の動きを書き込む。あとは新聞の集金人にお金を払い、事務室を掃除して自宅に帰った。

 英雄はひとりで遊んでいる。父親は顔を見にわざわざ戻るという簡単なことすら念頭にないようだった。昆虫や鮭の生存や営みと何ら変わりのない父性の欠如を呪う。彼を引き連れ河原に行く。網で魚をすくう。わたしもサンダルを脱いで冷たい水に足を入れた。目の前に魚影はあるのになかなか網には入らなかった。わたしという存在と似ていると思う。ここに確かにいるのに、どの網もわたしの頭上を覆わなかった。

 家に男性がいないと英雄の語彙や振る舞い方に影響が今後、出てしまうかもしれない。わたしは自分の淋しさについての言い訳ばかりを考えているようだ。必要としているのは英雄ではなく、紛れもなく自分のこころであった。こころという一部に限ったことではなく、身体全身でもある。ふたりは収穫もなく疲れて道をとぼとぼと歩く。すると仕事を終えた山形さんが遠くから大股で歩いてきた。

「きょうは、野球ではなく釣りか。釣れたのか?」
 わたしの目を見ることもなく英雄にだけ向かって質問した。
「全然。今度いっしょにやって教えてよ」
「分かったけど、いいですか?」と、はじめてそこにいるのに気付いたかのようにわたしの方に視線を向けた。
「ええ、どうぞ、教えてあげてください。わたしだと、さっぱり」

 彼は返事をせずに頬をくずして笑顔を浮かべた。悪いことをし尽くしたひとにも見えない。ただ子どもの面倒見も良い素敵な男性に思えた。わたしは周囲の目を意識する。狭い世界なのだ。独身の男性と捨てられた女性との交渉をおもしろおかしく話すかもしれない。それでも、英雄にはお手本となるべき、見本として間違った歩みをとどめる力を有した男性が必要だった。わたしは永続の話をしているのではない。つまようじのようなわずかな時間だけ生き延びることしか考慮にいれない物体の話をしているのだった。


最後の火花 81

2015年06月20日 | 最後の火花
最後の火花 81

 ようやく犯罪を償った。大事な時間を無駄にしてしまった。

 知人の空いている家に身を寄せた。その知人が仕事を紹介してくれる。無一文からの再出発だ。一か月に必要になるお金を彼に借りる。オレには刻印がついた。レッテルがある。蹄鉄が打ちつけられている。

 自分には幸福がもう二度と、来ないだろう。ひとを殺しておいて、自分のその願いなどむなしいものだ。オレは毎日、肉体を酷使して働き、理性を失わない程度に安い焼酎で酔った。眠れない夜は職場の控室に捨てるように置かれている本を持ち帰って読んだ。数ページもすると、オレの目は自然と閉じられてしまう。

 夢をみる。自分という存在が希望にあふれていた時代に戻っている。夢中で野球のボールを追い駆けている。蒸し暑い教室から逃れることを考えている夏休み前の一日。崖から海に飛び込んだ勇気。スイカを無我夢中で食べた夕方。にわか雨に打たれたまま過ごしたあの日。

 朝になる。また仕事に出かける。自分という存在が恐れられているような雰囲気はない。そもそも、ひとりで昼食を食べ、ひとりで残業をして、ひとりで家に帰るだけなのだから、他人の視線を感じる暇もない。

 たまに土曜の午前だけで仕事が終わる日に、親子の姿を見かける。決まって母と男の子だけだった。オレはうわさを耳にする。夫は出ていってしまい、隣町で暮らしているそうだ。男の子は自分の幼少時を思い出させる容貌だった。母の愛をそれほど受けていないところは似ていないのだが。

 自分はひとを幸福にすることができるのだろうか。幸福にする価値があるのだろうか。幸福に寄与する使命をまだ奪われていないのだろうか。だが、自分の存在を消すことだけを願うべきはずだった。自分は犯罪をした人間だ。ひとの将来を奪ってしまった人間だった。

 オレは少年たちの野球を見ている。財布は借金を返して空の日曜だった。それでも、無料で太陽を浴びて、無料でさわやかな風を感じていた。誰かあたたかな存在と会話をしたいとも思う。刑務所をでて、自分は長い会話をしたことがない。自分の口は、数語をかたるためにできている。

 どこで間違ってしまったのだろう。かっとなりやすい性分なのは子どものころから指摘されていた。大人になるにつれ改善されたはずだった。だが、あの日だけは抑えられなかった。たった数分でオレは自分の人生を失った。もちろん、相手の人生も無と化した。罵倒を浴び、たくさんの涙を見せつけられた。前以って知っていたら、自分はどうやっても回避しただろう。それが失敗者の常套の宣言だった。

 ボールがこちらに転がってきた。無視できないほどに近付いてくる。オレはボールを拾う。むかしのころの懐かしい手触りだった。白と呼べないほどに黒ずんでしまったボール。オレは小さな胸に向かって丁寧に投げ返す。その小さな存在はあの男の子だった。彼は帽子を脱ぎ、挨拶をした。しっかりしている。

 オレはそのまま家に向かう。給料日までに数日ある。部屋には焼酎がまだのこっているはずだ。オレは窓を開け、暑苦しい部屋でポータブル・ラジオのニュースを聴き、焼酎をコップに注いで乾いたイカの足をかじった。

 ニュースはどこかの国の嵐を告げ、誰かの式典に触れ、傷害事件をひとつ増やした。自分がすべてに無関係でいられた少年時代にもどり、野球でも無心にしたかった。成功に憧れることもなく、失望を味わうこともなかったあの頃の幸福。幸福というものを意識した時点で、自分の不幸も日の目に暴かれるのだろう。

 いつの間にか寝ていた。ラジオだけが小声で自分を主張していた。古い歌謡曲が流れている。現代のものより録音状態は悪かったが、補って余りある熱気があった。オレはボリュームを上げる。音が大きくなるとなぜか空腹を感じた。

 たまった汚れた衣服を洗う。もう外は暗くなったが軒下に干す。月がいつもより輝いていた。円というものは映像的に美しいと実感する。一本の線。三角形。四角。円。自分は家族というものに憧れているのかもしれない。円いちゃぶ台。筒状の湯飲み。お椀。二本で対となる箸などの有形のものも含めて。

 朝、すっかり乾いた作業着を着こんで職場に向かう。騒音と逃れることのない熱。また一日がはじまる。給料日まで数日だ。来月、再来月とこの焦燥はつづくのだろう。冬になればもっとましになるのかもしれない。なぜ、自分はこの町に居付くことを望んだのだろう。いくらか金がたまれば、もっと遠い土地に移ることにするのだろか? オレという存在を詮索される。羨望は決して生まず、がっかりという感覚、裏切られたという悲しみだけをのこす。誰が悪いわけでもなく、ただ、自分の過去の衝動だけに非があった。誤った解答を消しゴムできれいにして、あらたに問題を読み直して、深く理解してから解答を書き記したかった。もしくは、その問題そのものを破って放り投げたかった。そう思いながらも汗をぬぐい、ミスをしないように気を配りながら昼食時の休憩まで頑張ることにした。


最後の火花 80

2015年06月18日 | 最後の火花
最後の火花 80

 とうとう生まれた。元気そうな男の子だった。夫もよろこぶだろう。これで、この間違いだったかもしれない結婚が暗礁に乗り上げることを避けられるかもしれない。名前はわたしの一存でかまわないとのことだ。わたしは英雄という名を候補にあげている。わたしのヒーローとなるべきもの。命名とは別に、ただ健やかに育ってほしい。

 同じ一年に無数の子どもが生まれる。そのなかに掛け替えのない友人をつくることも可能だし、ライバルを見つけて切磋琢磨することもできる。わたしは無心に応援するだろう。わたしの子どもなのだから。

 早く会話ができるようになればいい。たくさんの質問をなげかけられる。いつか、わたしが答えを有していない問題も生じるだろう。わたしは追い抜かれることをいとわない。むしろ歓迎する。だが、ずっと先の話だ。

 夫はいつも帰りが遅かった。町はずれの住まいなのだから仕方がない。帰ってきても英雄をちらっと見るだけで終わってしまう。そういう無愛想さが、愛情の欠如と感じられることがわたしには不満だった。

 英雄はおとなしい子だった。あまり泣きもしない。寝かせたまま家事をして戻ってきても、同じ姿で寝ていた。わたしは抱っこをしてたくさん話しかける。ことばになる前のうめきの音をきいて安心する。愛情に包まれて生活してほしいと本心で願っている。自分は、自分の若いときの夢や欲求をすべて忘れてしまった。航空会社の乗員の一員として働きたかったのだろうか? それとも、デパートの店員として優秀なセールスを毎月、上げたかったのだろうか? だが、いまは家庭の主婦としてささいなやり繰りに励んでいた。

 子どもを生んだわたしにもう興味がないようなふりをする。でも、たまにそういうこともある。わたしはふたり目について考える。ひとりで充分な気もする。弟や妹の面倒をみる英雄を見てみたいとも思う。自分の身体という宿はどれほどのものを生み出すのだろう。その与えられた機会を計算する時間も準備もわたしにはなかった。

 毎日が同じ繰り返しでも飽きなかった。わたしは英雄を布でていねいにくるんでいっしょに買い物にいく。わたしは無言ではない。目に付く世界のすべての美しいものの名前を伝える。花があり、川があり、鮒がいて、橋の欄干で釣りをするおじさんがいた。酒屋で子どもの愛らしさをほめられ、八百屋でも同じ評判を勝ち取る。どちらかといえば、わたしに似ているそうだ。嬉しいことだが、わたしの欠点は受け継いでほしくない。時代も性別も変わるのだから、もっと立派な男性になるだろう。わたしは尊敬される職を得た英雄を予想する。だが、わたしの理解にこそ限界があった。哲学者がなにをするひとかも分からず、銀行員という狭い一室にいるひとの一日も知らなかった。単純に最愛の女性をけん命に愛してくれればいいのかもしれない。だが、男性には職業というものがとても大切な要素にもなるのだ。夫はその訓練に時間を注いでくれるだろうか。

 ある日、英雄は床にすわっている。木のおもちゃを握っていた。腕力が強いのか、その棒で床を叩いていた。わたしは試しにラジオをかけてみる。音楽家にもなれるのだ。わたしは学生時代に歌をほめられたことを思い出している。ラジオの曲といっしょに歌ってみる。英雄は驚いたような顔をした。耳に入った音は、どう分析されるのか。英雄は自分の口をパクパクと動かした。

 わたしは日記をつけることにする。その決断は遅かったのかもしれない。記入することは、きょうどんなことをして、どんな感情の揺れを表に出したかだ。水というものにびっくりしながらも、その清浄さを感じたこと。庭にあらわれたカエルをつかまえようとしたこと。はじめて口にしたことば。すっぱさや苦さの表情。小さな歯。髪の毛が切るまでに伸びたこと。

 ずっとお腹のなかにいて外部の物事に対して免疫のない身体。具合が悪い日もある。わたしは最悪のことを考えてしまう。だが、数日後には以前より元気な状態になっている。ひとつ、悪を受容して許容する。潔癖では負けてしまう。適度な悪があったとしても、この世界で生きていかないといけない。

 いつの間にか英雄は二本の足のみで立っている。わたしはびっくりした。むかし、農場でみた馬の出産の光景を思い浮かべた。あのときの少女だったわたしも感動したが、いまは比べられないほど身中に衝撃が走った。

 それにしても感動も束の間で、油断し過ぎてしまった。それから数日後、英雄は突然倒れ、おでこをテーブルにぶつけてしまう。泣きじゃくり、小さなコブがひとつできた。わたしは泣く姿の子に不注意を謝り、夜こっそりとノートに記した。いずれ、わたしの目の届く範囲にいられなくなってしまう。せめても、この時代だけはわたしのすべてをかけて守りたかった。

 夫は不機嫌のまま起きて、不機嫌のまま眠った。お酒臭い息が寝ている身体から発せられる。わたしは成功ということが分からなくなる。英雄は生まれなければいけなかった。このわたしの身体を通して、そして、この横で眠る夫の一部を借りて生まれなければならなかった。夜は暗く、朝までのわずかな安堵の時間をわたしは眠ろうと焦っていた。


最後の火花 79

2015年06月17日 | 最後の火花
最後の火花 79

 わたしは大事なことばを待っている。ことば以外にも実際に、この空間で彼の存在を待っている。

 駅のそばで紅茶を飲んで、本を読んでいる。きっかけができた場所。ひざには高慢と偏見が置かれている。わたしはぼんやりして遠いむかしの最初の恋のことを考えていた。すると彼が入ってくる。わたしの時間の感覚は変になり、誰を待っていたのか分からなくなっていた。

「こころ、ここにあらず、という顔をしてたよ」

 彼はひとの表情を読み取ることに長けている。わたしのよろこびも、怒りも悲しみにも敏感だ。わたしはその面では鈍感だ。ひとが怒っていることに気付かない場合もあった。

 彼はコーヒーを飲む。ミシェル・ルグランの音楽が流れている。今日という完璧な一日。

 ふたりで夜の町を歩く。さわやかな風が吹いている。むかしのテレビのコマーシャルを思い出していた。老夫婦が楽しそうに町を飛び跳ねるように歩いている。わたしもああなりたいと英雄に言ってみた。

「そうなるのには随分と時間がかかるよ」
「いや?」
「いやじゃないけど」
「いやじゃないけど?」
「もっと現在を楽しみたい」彼はこちらを向く。「奪われたものも多かったので」
「うん」わたしは納得する。

 ひとはいつ、このひとと決めるのだろう。自分と相手の両方がそう思う必要がある。シーソーのバランスは丁度でふたりとも宙に浮く。相手がいなくなれば落下してお尻に衝撃がくる。それが失恋でもあり、離別でもあった。そうならないように願っている。

 もうウソもつきたくないし、過剰に自分を高めて良く見せるようなこともしたくない。努力を怠るということではなく、等身大の自分にぴったりの衣服を見つけるようなものだ。良さも悪さも、高貴さも醜さも考慮しない自分という存在。そのままを愛されているという満足感。わたしはそうなるのだ。

 高いビルの上階にあるレストランに行く。となりでは誕生日のパーティーなのか、とてもにぎやかだ。キャンドルの炎を吹き消すという行為を客観的に見ると、とても不思議なことに思えた。疑うこともせずに幼児のころから何度もしてきたのに。

「楽しかった思い出ある?」わたしは小さく見えないようにとなりのテーブルを指差した。

「子どものころは、どうだったろう。途中からは、もうないよ」私はすぐに彼の過ごしてきた環境を忘れた。「光子は?」
「たくさんあったな」しかし、どれかひとつを選んで取り出すことはできなかった。総じての誕生日というイベントから。「はじめて学校のお友だちをたくさん呼んだときかな、それでも」

「どんなものを用意するの?」
「加藤さんというお手伝いさんがいて、いっぱい料理をつくってくれた。お手製のケーキも」
「そのひとから習ったの?」彼は段々とわたしの料理に洗脳されてきている。
「別のひと。中学のときの友人のお母さん。そうか、まだあのお店やってるのかな。今度いってみる?」
「うん、行ってみよう」

 約束というのは未来だから成立する。わたしは過去に交わして果たせなかった約束について思い出そうとした。結果はなにひとつ出てこない。わたしは忘れっぽいのだ。それでも、数々の記憶は生きている間に少しずつストックされていく。料理のレシピも増えていく。わたしは今後、どれほどの品々を食べてもらえるか考えてみる。冷やし中華も作って、温かいスープのバリエーションも披露しなければいけない。

 前菜の小さなチーズの切れ端を食べる。においも味もダメなひともいる。
「豆腐ようって、食べたことある?」

「あるよ。一丁ぐらい」彼はまじめな顔をして冗談を言う。わたしは吹き出しそうになる。
「好き?」
「とくべつにでもないけど、キライでもない」

 普通の料理の日もあって、誕生日を祝うための日もあった。珍味を口にする機会もあって、どうしようもなくアイスを食べたくなるときもある。定番が流行となってしまい、陳腐なものになってしまう場合もあった。

 テーブルには白身魚のグリルが運ばれる。白いワインも注がれる。お酒をまったく飲めないひとだったら、どうなっていただろうかと考える。十代のときに付き合った恋人たちは、それ以降、お酒を飲んだのだろうか。彼らとの約束ものこっていない。

 ヒレの肉がテーブルに載った。誰がこういう順序を発明したのだろう。好きなものから食べるという単純さにあこがれる。すると子どもたちはデザートからはじめる不作法をくりかえすかもしれない。わたしはさっき選んでしまったデザートが交換できるか悩んでいた。

 わたしたちもこういう段階を追いたいと思った。家を決めたり、赤ちゃんの洋服を買ったり、車を買い替えたり、子どもの入学式や卒業式に立ち会ったりして。最後にまたふたりになる。たくさん喧嘩をして、たくさん仲直りする。いっぱい笑って、ちょっと泣く。ふたりで思い出の土地へ旅する。未来だけが約束に値する土地なのだ。その未来が前方に開ける。誰も奪えないさわやかな予感。わたしだけに示されるであろう大切なことばが待っている。


最後の火花 78

2015年06月17日 | 最後の火花
最後の火花 78

 はじめて告白されてしまった。重大なことだ。

 もともと知っていた相手だが、彼の頭のなかにわたしがいただなんて。わたしは返事をためらう。だから、一回目はそれっきりになってしまった。次の機会が到来するのか悶々とする。わたしは決してキライではない。絶対に、了承するはずなのだ。了承ということばは十代の半ばが使うことばではないのかもしれない。単純な返事ではオッケーだ。オーキー・ドーキーだ。

 一週間ぐらいまた経って、同じ提案を投げかけられる。返答は決まっている。契約成立。売買交渉。

 友人以外で、なおかつ、いままではそれほど親しくもなかった、それも異性と時間の約束をして、身なりにも気をかけて会うことになる。会いたいという気持ちと恥ずかしい気分が両輪となってわたしは転がっている。会う度ごとに自然と打ち解けていく。彼は優しかった。彼は楽しかった。彼はそこそこ美しかった。わたしは自分がきれいになっている錯覚に飛び込む。

 満足というのはまだまだ低い地点にあった。いっしょに手をつないで歩くだけとか。高級車を乗り回す年齢でもない。何万円もするワインのコルクを抜くわけでもない。テレビの大人の女性たちはそういう意見を述べていた。なんだか不幸なひとびとのように思える。しかし、それぞれの山登りの道中の一環なのだろう。五合目ではこんなこと。八合目ではあんなこと。頂上に立ってこそ感激できること。

 わたしたちはベンチに座り、お話をしている。最初の地点より愛情は深まっている。情というのは女性に過分にあるのだろうか。身の回りのものに愛着を感じる量。そんなことを考えていると足元に猫が寄ってきた。なぜ唐突に気を許したのか分からないながらも、わたしの足にすり寄ってくる。普段ならとてもうれしいのに、この時ばかりは恥ずかしかった。だが、彼もその猫のあたまをゆっくりと撫でてくれた。その行為に満足したのか、小高い丘のほうにのんびりと猫は歩いて行った。振り向くこともせずに何事もなかったかのように悠然と。

「恩も感じないみたいだね」と彼はいった。ふたりともそのことで笑う。親密さというのはこういう些細な体験を通して増していくものなのだろう。

 彼はわたしを送ってくれる。無言でも愛情は感じられる。しかし、いったいわたしのどの部分に魅かれているのだろう。可愛い子は山ほどいた。わたしは、それまで彼とほとんど話したこともなかった。皆無に近い。わたしもすこしばかり怖かった。なにをされたという理由もないのだが、風貌とたたずまいが怖かった。

 すべては杞憂に過ぎない。あのまま知り合いにならなかったら、わたしは彼の優しさに触れないままで終わってしまった。家の前に着く。わたしは家に入り、彼はそこから自分の家まで歩く。

 本を読もうとするが、なかなか手に付かない。わたしの体温は風邪を引いたわけでもないのにちょっとだけ上がる。わたしは女性という側にいる。男性に愛を寄せられて徐々に大人の女性になる。早まってはいけない。わたしは急に明日のお弁当の献立を考えることにする。レンコンには穴がある。そこにひき肉を詰め込む。ピーマンも同じようにしよう。わたしはあれこれ考えながらお風呂にはいる。

 わたしは所有して、かつ所有されている。家族や友人も知らない一面を見せることになる。わたしの長所を再確認して、さらに短所を指摘される。短所を治そうと思いながらも、今後の人生のお供として道連れにする。好きになるというのはそこまでの容認と覚悟が必須なのだろうか。

 ようやく本を開く。ローレン・バコールという大昔の女優の自伝。ひとは、特に女優という職業はイメージが最優先され、その虚像によって画面に登場する。本音など、実際の夫や周囲のマネージャーぐらいのほんのわずかしか知らないのだろう。本当のことがどうであろうと、そこには名声や金銭も発生しない。だが、この自伝には本音だけが溢れている。きれいな顔立ちと、文才が両方とも備わっている。うらやましかった。

 朝、寝坊をしてしまい大慌てでお弁当をつくる。時間も有限。一日も有限。彼との時間も有限だった。去年に出かけた南の島のことを思い出す。ハンモックに揺られて一日中、のんびりしていた。時間は間延びして、誰も結論を迫ってこない。判断をすることはなく、ただ与えられたものだけで充分に満足していた。

 家を出る。わたしのことを常に考えてくれる恋人ができた。会わなくても、こころのどこかにいる。どこかという中途半端なものではなく、中心にいるのだ。

 学校の休み時間、友だちが痴漢に遭ったという報告をした。汚らわしい。その一方で、わたしの彼はわたしの身体についてどういう願望や欲求をもっているのか心配になる。わたしを抱きしめようと想像しているのだろうか。彼らは、そういう雑誌を笑いながら交換している。トレードがあり、競りがあった。

 わたしもいつか胸やお尻を触られるかもしれない。頬にひげを感じるぐらい大人の顔なのだろうか。お昼時間になってお弁当箱を開く。彼はいったい何を食べているのだろうか。屋上で一服なんかしていないだろう。きょうも会えるだろうか。わたしは家庭教師もいなくなり、友人のおばさんに料理を習うこともさぼってしまっている。ただ、ある若者に会いたかった。自分が昨日の猫のようにシンプルに寄り添っていければいいと考えていた。


最後の火花 77

2015年06月15日 | 最後の火花
最後の火花 77

「わたしの顔、好き?」と英雄に訊いてみる。誉めことばやうれしがらせるひとことが足りない。わたしはビタミンや鉄分の欠乏のようにことばを欲した。
「好きだよ」
「どこが?」
「どこだろう」
「早く答えてよ。即答。くちびる? まゆ? 目?」
「目の色」

「あら」彼は見ていないようで見ていた。だが、その観察も報告がなければ無意味だった。美人というのを究極の無個性と定義すると、わたしはその範疇から消える。個性があり過ぎた。だが、個性の集積かといえばそうでもない。ずっと意識にのこらない顔でもある。流行によって化粧方法も変化する。おばさんたちは一定の髪形で、一定の色合いを行使した化粧しかしない。うそも方便である。

 わたしは父が趣味にしているギターのバンドの演奏会に彼を誘った。きちんとしたオフィシャルな紹介とか対面ではないが、正式ではなくても両者は知ることができる。彼は断らなかった。どれぐらいの覚悟が必要かも分からない。男性なんか仕事でたくさんのひとと名刺交換をするものなのだ。それぐらいの重要さしかないのだろう。だが、それだと困る。わたしの父なのだ。好かれる理由があり、気に入られる熱意がなければいけない。

 軽い食事をしてその会場に向かった。半地下にあるその場は熱気が充満している。カウンターで飲み物を注文して真ん中に空いている座席を確保した。前列も埋まり、後方もひとが固まっている。シャイとミーハーの集団。しかし、ミーハーになれるほど対象は若くもなく、容貌もいささかくたびれていた。七十年代のお化粧をするロック・スターに比べればだが。

 演奏されるのは、ほとんどがむかしの曲のコピーだ。わたしも父のレコードで何度も聴いた楽曲たち。父のギター・ソロがあり、女性のキーボードも華やかでリズミカルでとても美しかった。最後には誰のか分からないオリジナル曲があって、そのためだけにすらっとした長身の女性歌手が出てきた。着物姿で演歌をうたったら似合いそうだった。妖艶でみずみずしくてすこし小悪魔的で。

「きれいなひとだね?」拍手をしながらわたしは言う。
「ああいうタイプは振り回されて終わりになりそう」と率直な感想をもらした。彼にもそういう経験があるのだろうか。

 演奏が終わり、父も客席の方に降りてきた。
「どうだった?」
「いつもより溌剌としていた」
「それが趣味の効用だよ」

 それから彼は父に自己紹介をする。父は威嚇も軽々しい受容もなく普通の態度で接してくれた。わたしは何人か父にあってもらった恋人がいた。人当りのいいタイプ。無口な男性。彼もどちらかといえば無口な方だった。それでも、愛想笑いを適度にうかべて、この初回の邂逅はうまくいったように思う。
「緊張した?」

「そうでもないよ。もっと敵対視されていたら違っていたかもしれないけど」
「物分りもいいし、わたしの常に味方だから」

 彼にはそういう生涯に渡っての味方などいない。わたしがそのひとりになってあげられる。

 父も打ち上げがあるらしく、その後、いっしょに帰る約束をしたので、二時間近く時間ができた。わたしたちは落ち着いた雰囲気のお店に入った。無数にお店があってそのひとつに入る。世界にも無数に男性と女性がいて、その組み合わせも天文学的な数字になる。計算とか公式を編み出してみたくなるが自分の頭脳の限界を知っている。そのようなことをわたしは相手に投げかける。わたしはうっかりと彼のコーヒーをこぼした過去があった。その失敗が知り合うきっかけになったのだから、意味があったのだろう。盆に返らない水。こぼれたミルク。

 野菜を食べて、肉を食べて、魚を口にする。お酒を飲んで、トイレに行く。鏡を見て、手を洗う。手を乾かして、席に戻る。待っていてくれるという安心感があって、永続性という希望と心配があった。わたしは関係性を長持ちさせる能力がないひとのように、恋人たちを取り換えてきてしまった。もうそうしたくないし、する必要もなく感じている。自分の家族をつくるという挑戦もある。ずっと父と母と暮らすわけにはいかない。大きくみれば、極論だとしてもあの家は田舎の祖母の家といっしょで仮の暮らしなのだ。どこかに、当初は馴染まないにせよ帰るべき家をつくるのだ。そこには英雄がいるべきなのだろう。彼も家族をもつことになる。あっけなく奪われてしまったものを回復するのだ。その挑みこそが貴いのだろう。

 彼がお会計をしてお店を出る。父との待ち合わせの場所に連れ立って向かう。バージン・ロードの反対だ。父の好きなジャズの曲を思い出す。六月の花婿は誓いのことばを上ずってどもってしまう。

 父は手を振る。顔がいくらか赤い。英雄は軽く会釈して駅に向かう。背中が小さくなる。わたしたちはタクシーに乗る。ギターやアンプをトランクに詰めてもらう。父はうとうとしてわたしの肩にもたれかかった。わたしはバッグのなかの読みかけの本が気になっている。車内は暗いし、ここで読んだら酔ってしまうだろう。わたしはお風呂に入って寝そべって本を開いた。ヴィヨンの妻という題名だ。案外、結婚の真実というのも、誓いのあとはこんなものかもしれない。


最後の火花 76

2015年06月13日 | 最後の火花
最後の火花 76

 進学する高校も決まって、柴田さんともお別れして、中学を卒業することになる。だが、間もなく柴田さんは妹を教えるために戻ったが、自分の試験とか就職とかで再度、別れてしまった。緊密という関係ではなくなってしまっても、なりたい女性像の一部をこれからも担ってくれるだろう。

 友人たちは意中の相手の制服のボタンを確保していた。わたしは興味がなかった。身体から離れた物質はそのひとではない。しかし、この弁明も苦し紛れな気がする。わたしが好きだったひとのボタンはひとつものこっていなかった。

 あの後、前を留めないまま胸を開いて帰ったのだろうか。わたしはどうでもよいことを心配している。ほとんどのひととは会わなくなる。三年間も同じ場所に決まった時間に閉じ込められていた間柄なのに。不思議なものだ。

 わたしの部屋にはこれから通うことになる高校の制服がハンガーにかかっていた。ほぼ三年間をこの一着で過ごすのだ。不潔ではないだろうか。しばらくの間、予習も復習もなく、ゆっくりと本が読める。父はとなりの部屋でテンプテーションズのイッツ・グロウィングという曲をかけていた。ほのぼのとした音だ。マイ・ガールもかかる。誰かを温めるというのは素敵なことだ。自分もそういう平和をもたらすひとになりたかった。だが、最近、直ぐにイライラするようになってしまっている。注意が必要だ。

 わたしはマラマッドという作家の短編集を開く。テンプテーションズと同じように気楽な気分になり、同時に別の世界に簡単に運んでくれる。あるひとは馴染みのない土地で執拗に声をかけられる。善意をふりまきたいという願望が人間にはあると思う。たまにないひともいる。この十五年ほどでも知ってしまったのだから、大人になればそれこそ無数にいるだろう。わたしはそうなりたくなかった。お婆さんに席をゆずり、子どもにもにっこりと微笑んであげる。

 だが、執拗さが迷惑を運んでくる。段々と素っ気ないという過ちに入り込んでしまう。結論はこわい。大切なものがなくなってしまう。友人たちもボタンをずっと保管するのだろうか。ある日、それは大切であることを止めてしまうのだろうか。分からない。

「春なんだから、ちょっと表に出よう。本ばっかり、読んでいないで」

 父に誘われるまま電車に乗って、美術館に入った。風景画がたくさん飾られている。もし、将来、すごく好きなひとができたら、この風景をそのひとにも見せてあげたいと思うのだろうか。共有するという態度は美しい。でも、甘いものも食べたくなっている。

 父はコーヒーを飲んでいる。仕事から解放されてのんびりとした顔をしている。わたしの前にはパフェがある。長いスプーンですくうように食べているが、急に自分が子どもっぽく思えた。大人の女性はこういう場合、なにを頼むのだろうか。観察のため目立たぬようにキョロキョロする。コーヒーを飲み、静かにタバコを吸っている女性がいた。雑誌を読んでいるモデルのような細身の女性もいる。手帳になにかを書き込んでいるひともいた。大人しく文庫本を読んでいるメガネのひともいた。いったい、何を読んでいるのだろう。

「あんまりキョロキョロしていると恥ずかしいよ」と父はたしなめた。
「してないよ」わたしはスパイのように、探偵のようにばれないと判断していた。
「してるよ、おちびちゃん」

 父はわたしをからかう。会社で頼りにする女性たちもいるのだろうか。秘書という計画と実行力にあふれた人々もいるだろう。わたしはそういうタイプになれないかもしれない。好奇心をまき散らして、ひとにも迷惑をかけるだろう。

 父はデパートに入って、わたしの服を買ってくれた。父の理想とする娘とわたしの有るがままの存在の中間地点のような服だった。それは皮肉にすぎる意見だ。意外と気に入ってしまった。父はバッグをぶら提げて大股に歩く。わたしは知人に会わないことだけを願っている。

 家に帰ると妹が自分の部屋で友だちと遊んでいた。にぎやかな声がする。わたしはトレイにジュースを載せて戸を開ける。みんなの視線が集まる。

「お姉さん、とってもきれいなんですね」
 明朗そうな友だちの不意のひとことに面食らって、わたしははにかむ。
「みっちゃん、顔、赤いよ」と妹は余計なひとことを付け加える。
「やだな、からかって」わたしはすごすごと退散する。鏡に向かって笑顔をつくる。わたしという城塞は簡単に蹴破られる。水攻めも、兵糧攻めも必要ない。あっけなくお手上げだ。降参。無条件降伏。

 またいつものように本に帰る。お見合いの名人のようなひとがいる。赤い糸というのも結局は、あみだくじのようなものだろう。引かないことには、選ばないことには何もはじまらない。スタートを切る。

 妹の友だちたちは帰ったようだ。夕飯の食卓でさっきのやり取りを暴かれる。父も笑う。母は化粧を覚える時期の算段をする。お手伝いさんも、わたしの顔が美に傾いていることに同意した。妹は宿命のライバルのように自分の存在感をアピールした。


最後の火花 75

2015年06月12日 | 最後の火花
最後の火花 75

 願いが叶った量と叶わなかった量とを比べて考えてみる。だが、正確な答えなどない。いまのあるべき自分を基準にして正解を述べれば、すべてはいまのわたしになるべく訪れた事柄であり、手に入らなかったものはそもそも手に入らないようにできていたのだ。わたしは執着が足りないのかもしれない。どうしても欲しかったものなど何もないような気もした。

 彼の家の狭いキッチンで料理をしている。専用の器具というものには不足して、あるものだけで代用しなければならない。だが、大体のことは何とかなるのだ。わたしは野菜を茹でてドレッシングをかけ魚を煮た。スパークリング・ワインを開けて、これまた狭いテーブルに並べた。彼の収入も家賃も知らないが、もうすこし広めの部屋には住めるはずだ。これも親許から離れない自分の勝手な言い分だ。

 わたしはおしゃべりが尽きない。彼は黙って食べている。食卓とか団欒ということに恵まれなかった所為かもしれない。しかし、すこしずつ改善されてきた。これも、わたしからの観点での改善だが、世間のお行儀的には改悪かもしれない。

「いちばん好きな本は?」わたしが必ずしてしまう質問。
「ゴーリキーの母」
「プロパガンダの母」
「まあ、そういう見方もあるよ。光子は?」
「わたしは、いつも、いま読んでいる本にしている」

「なんだか、ずるくない」
「ずるくないよ、こころを込めて読んでいるんだから。いまが好きなんだから」
「じゃあ、いまは?」
「巴里に死す、を読んでいる。日本の小説」
「どんな内容?」
「ご飯を食べ終わってから、ゆっくりと話す」

 しばらくして外を散歩している。コーヒーを買って川沿いのベンチに腰かけている。
「ここをセーヌ河だと思って」
「行ったことあるの?」

「うん、家族で」わたしたちは年に一度は海外旅行に行った。暑いところ、寒いところ。青空のきれいなところ、雪がたくさん積もっているところ。辛い料理。甘い味。わたしはいくつかの料理を味覚を頼りに再現できるようになった。「そうだ、本の内容だけど、ある女性が結婚して、むかしの恋人に軽い嫉妬を覚えたり、夫に合わせようと健気に努力したり、最後には悲しいことに病気に見舞われ、命を落としてしまう」

「悲しいトーンだね」
「子どももいて、お母さんがのこしたノートを読む」
「どういう感想をもつの?」
「簡単にいえばジェネレーション・ギャップ。わたしも自分のお母さんの過去の日記を読んだら、旧式な考え方だなと思うかもしれない」

「日記でも、のこっていれば充分だよ」彼はベンチを立ち、水の上に浮かぶ鴨を見た。

 彼のお母さんも亡くなっている。病気ではないことも教えてもらった。いればいたでお節介で、迷惑な存在だと思った時期もあったが、いまはすこしでも長生きしてほしいと思っている。母も父も後半生を楽しんでほしい。さらに旅行をして、悠々自適に暮らしてもらいたかった。

「読みたくなった?」
「うん。読み終わったら、置いておいて」と彼は背中越しに言う。

 わたしの口はコーヒーのにおいがする。彼のも同じにおいがする。わたしは近付ける。その瞬間、鴨が飛び立った。川面に目を向けると、水紋がひろがっていた。痕跡。だが、しばらくすると止んでいる。世界が物事を記録するというのは不可能なのだ。瞬時になだらかな状態にもどる。わたしたちの行為も記録から外れる。個々の記憶の時間も限界があり、最後には塵と化す。だから、日記を書いて、たまには映像をのこす。わたしはエッフェル塔の前に並ぶ姉妹のことを思い起こす。あれはむかしのわたしと妹。お手伝いの加藤さんに、あの塔の小さなレプリカを買ってきたはずだが、いまになって考えれば、もっと有用なものがあったのになと思う。しかし、子どもは子どもっぽい行動を取るから宝でもあるのだ。わたしは英雄となら、どこに行きたいかいくつかの候補を頭のなかで並べた。

「どこにでも行けるとしたら、どこに行きたい?」
「海外といえば、ハワイという気がする。行ったことある?」
「三度か四度」
「すごいな。どこにでも行ってるんだな」
「そこそこ、お金があったんだと思う」

 わたしは、なぜだかお金があることが恥ずかしかった。カナダの滝。ロッキー山脈。ベルリンの壁。赤の広場。しかし、それらの写真のアルバムは確かに倉庫に眠っているのだ。

「お金、ためていろいろなところに行こうよ、これから。むかしの恋人とはこんなところに行ったんだよといつか自慢できるように」
「本気?」
「仮説、仮説。嫉妬に苦しむのが女性の性分だから」
「反対だと思うよ」

 わたしは焦る。自分の無計画な歩み方で、たくさんの男性を知ってしまっている。彼は継続しているものがあると疑っている。悲観ということでもなく、かすかなあきらめのような表情もする。わたしは英雄と会ってから、すっぱりと辞めたのだ。だが、ある種の中毒患者のようにまた手を出すと誤解されている。こうなったのもわたしの行動が原因だった。それで得られた量と失った量を計測機にかける。そんな機械はもともと壊れているか、信憑性のない数字をはじき出すに過ぎない。わたしは否定する。こころを入れ替えて生きるのだ、という無言の宣言をこころの法廷で声高らかに叫んでいた。


最後の火花 74

2015年06月10日 | 最後の火花
最後の火花 74

 成績は順調に上がっていった。段々と進学とか志望校とかが念頭に置かれる。ここは競争社会なのである。訴訟と戦争とファイトの国のアメリカより劣るとしても、和が正しいと教えられるにせよ、教室も学校も無言の戦場だった。

 わたしは本に逃げ込む。「ジョニーは戦場へ行った」を探す。ひとりの夢ある青年が、ある意味で人間性を失う。また別の面では人間のままである。わたしはポテト・チップスをつまみながら読んでいる。最近、にきびも気になりだした。途中で鏡をのぞく。早く大人になりたかった。しかし大人になっても、最愛の男性や、ましてや自分の子どもが戦争という無意味なものに奪われたくもなかった。そして、誰も殺してほしくなかった。加害者と被害者の殺戮の歴史が、地球の成り立ちそのものだとしても。

 学校で父兄を交えた面談がある。見たこともないお母さんたちを目にする。瞬時に評価しようとするが、直ぐに思いから逃れ出してしまう。人間というのは同世代にしか目が向かないようにできているのだろうか。

 そのなかで、もっとも高級で派手な服を着ているのは、わたしの母だった。恥ずかしいと思いながらも、もう何度もその姿を見ているので、気にもならなくなってしまっている。鈍感というのは何より美しいのだ。

 わたしのことが大人のふたりの間で話し合われている。傍観者の気分を味わう。成績が上がったことは誉められ、ふと、授業中にぼんやりとする癖は、引きつづき注意される。先生は集中力ということを大切な要因だと力説した。彼にいわれなくても自分でも理解している。しかし、まったく空想しない人間など正しいのだろうか。値打ちがあるのだろうか、と表面はにこやかにしながらもこころのなかで考えていた。母も先生の意見に同意する。子どもには本を読んでもらう子になってほしいと願っていたが、その願いは叶い過ぎたと後悔しているとのこと。そう言いながらも本代は父にしかねだらない。

 成績の上昇の謎は、家庭教師がいるという事実を告げると先生は納得してくれた。理解を示したにせよ、不満ものこした顔になった。万能の教師などいない。また、教師という公務員もタイム・カードを押して帰れば、ひとりの人間だった。

 ぼんやりとして聞きそびれそうになったが、自分の頭脳をあらわす数字と、それに見合う学校の情報を提供される。いまの成績と力量の現状と、背伸びしたらたどり着くところと、万が一という場合の三校が母の手元の紙に書かれた。家に帰って父に相談され、わたしはもう一度、面談があるのだろう。面倒くさい世の中だ。わたしはスカウトに乗らないはずだったのに。

 ふたりで挨拶をして、部屋を後にする。夕焼けがきれいだった。

 わたしはその後、友だちの家に寄り、包丁をつかった。切れ味鋭く、キュウリやキャベツやトマトが薄く細切れになった。

「光子ちゃん、うちに就職すればいいのよ」と、おばさんは勝手に無謀なことを言う。この場で実地に学んだ能力は、大人になったときに家庭をもった時点でもきっと生かされるのだ。しかし、わたしは未来を見越して行っているのではない。この作業がただ純粋に楽しいのだ。なぜ、母はこの喜びを知らなかったのだろう。

 翌日には柴田さんが来る。わたしの料理を食べてもらう。

「上手なのね。わたしより断然、上手だよ」

 ほめられると嬉しいものだ。その証拠にお皿の上のものはきれいに平らげられた。わたしは三つの学校の名前を教える。彼女は評判やうわさを語った。さすがに生に近い情報だった。最後に、背伸びをしないと入れない学校を柴田さんは勧めた。

「いまから頑張れば、間に合うからね」

 わたしは覚える。誰かが誰かのためにつくった問題を解く。漢字をくりかえし書く。歴史の流れを把握しようと努力する。武田信玄の度胸を学び、徳川家康の慎重さを理解する。かえるの成長した絵を眺め、漁業の収穫高を暗記した。ソ連の農業のことも知る。わたしはぼんやりとする時間をもちたかった。

 柴田さんを送った後に、父とゆっくりと歩いている。ある学校の名前がわたしの目指す目標として掲げられてしまった。父は入学金と授業料を調べるのかもしれない。だが、そう痛手にもならないだろう。明日はゴルフだから早く眠るつもりだと言った。

「ここに、入ってみようっか? まだ、食べられるだろう」と言って黒い暖簾の寿司屋の戸を父は開けた。

 わたしは周りのおじさんたちの好奇な視線を浴びる。学校でも、部活動でも会わないひとびと。父はグラスにビールを注いだ。わたしは熱いお茶をすする。

 板前さんは手際よくお寿司を差し出した。わたしたちは一貫ずつ食べた。わさびが少し鼻に痛い。またお茶をすする。きれいな女将さんがいる。こういう役割に自分はぴったりと当てはまるだろうかと考えてみるが、わたしのシャイな一面が周りの常連さんをぎくしゃくさせてしまう不安がのこった。

 赤貝を食べる。とても新鮮だが、きれいに包丁で細工されている。わたしにもできるだろうか。そう思いながらもお腹はいっぱいになった。戦場よりずっと良いところがたくさんある。例えば、ゴルフ場とかもそういう類いのところだろう。ここもまさしくそうだった。

「内緒だぞ」と父は店の外でにこやかにささやいた。



最後の火花 73

2015年06月09日 | 最後の火花
最後の火花 73

 わたしは彼の家でテレビを見ていた。伝説にまでなったひとびとの最後のことばや墓碑銘が伝えられる。

「自分だったら、どうする。どうしたい?」

 彼はすこし考える様子をした。「みんな、後悔した。ぼくも後悔した」
「どうして?」
「唯一の真実だと思うから」

 わたしは黙る。どんな後悔があるか予想したから。そして、凡その答えが分かっているから。
「光子は?」
「飲んで、食べて、寝た」
「俗物だな」

「まったくもって俗物」女性など形而下で示されるものが幸福の源泉なのだ。彼はときたま難しそうな顔をしている。形而上、神様、未知なるもの。わたしも考えたことがあったと思う。しかし、この秋からの洋服とか、流行りのレストランの情報という方に気持ちは動いた。

 彼は買い物帰りのデパートのバッグをいくつももってくれる。いやそうな顔もせずに。しかし、店の前には決していてくれない。ああでもない、こうでもないに耐えられないのだ。普通のことだと思うが、ちょっとだけ淋しくなる。でも、期待はこれぐらいで増やさずに、もし、確実にそうしたいなら気の合う友人と来ればいいのだ。その反対に彼には友人が多くなかった。振り返るべき過去を多くもたず、それこそ、そこは後悔すべき国の住人たちで溢れているのだろう。わたしの最大の後悔は、どこの時点だったのだろうか。就職の面接でとんちんかんなことを言ったこと。大きなあくびを見られたこと。くしゃみの迫力があり過ぎたこと。わたしはどう転んでも形而下の人間だった。

 家に着き、彼は目覚まし時計に電池を入れていた。「フール・プルーフ」という独り言をいいながら。

「なに、それ?」
「安全とかを考えて製品は失敗を予定して設計されている」
「例えば?」
「この電池も逆さまには入らないとか、倒れたらスイッチが切れるストーブとか」
「なんだ、そういうことか」

「大切なことだけどね」彼はそう誇らしげに言う。もし、後悔に先立って、そういう弁のようなものがあったらどうだろう。しかし、わたしが好きになる、あるいは出会うことになる彼はいまの状態のままでもあってほしい。身勝手な言い分だけど。しかし、身体というのは高機能だ。簡単に逆さまにも前後にもなれる。形而下の告白。

 わたしは家に帰って本を探す。過去がよみがえり、そのことに拘泥して、複雑な感情を浴びてしまう主人公。題名は、「夜半楽」だった。過去などそっと静かに眠らせておけばいいのだ。石をめくり、下から虫が這い出てくる。その光景をわたしは思い浮かべていた。よみがえらせた過去は、もう静かには葬れない。退治のような行為が必要になる。袋につめてまた闇に戻す。地下に埋める。しかし、彼にはこのことを勧められない。わたしは確信に触れることを恐れている。

 しっぺ返しを食う。過去はそう甘く迎えてくれない。両手をひろげて歓迎もしてくれない。すると、過去への導火線に火を近付けることは避けなければいけなかった。

 わたしは仕事をする。未来に向けて働いている。成功はこれからやってくる。そう理想を燃やしても、過去の失敗が暴かれ、後始末をしている。これがなかなか疲れる作業だった。有効なる一日を台無しにする。夜には英雄と会う。彼の家に寄る。

 わたしはおしゃべりになった。疲労感を口からことばに変換して放出しなければならない。彼は鷹揚に相槌をしながら話を聞いてくれる。

「失敗なんかにこだわることないよ」彼はそう言ったが、むずかしいことは自分が一番知っているはずだった。

 わたしは服を着込んで終電に間に合うように部屋を出た。彼も駅まで見送りにきてくれた。わたしは手を振る。彼も片手をズボンのポケットから出して手を振った。

 さよならが出来るということは幸せなのだ。もう一度、再会が許されているならば。これっきりにならなければ。最後で思い出として封印という事態にならなければ。わたしは確信している。数日後にはまた会える。

 電車のなかで本を広げて両ひざの上に載せる。ひとつだけ座席は空いていた。わたしは直ぐに夢中になって前後である未来も過去のことも放り投げてしまう。次第に車内は混んできて、夜中の熱気が加わった。

 もうちょっとで読み終わりそうだったが駅に着いてしまう。家までの道順に悩むこともない。そうなると悩みというのは分からないことに限るという前提があった。あの問題が分からないという遠いむかしの焦りもわたしに影響を与えることはない。ちょっと先の未来についてだけ困惑する。しかし、ほんとうのところは悩んでいない。いや、それもウソだ。両親に会わせるということも考慮に入れなければいけない。反対してこその父であり、同情を体現するための母だった。だが、うちでは反対の役割を負う可能性もある。子どもは今更、気に入られることなどに努めなくてもいい。だが、急に会う大人は善後策が必要なのだ。彼の育った環境はある面では特殊だった。特別なものなど映画とかテレビの画面を通してでないと抵抗せずに受け入れることも難しかった。


最後の火花 72

2015年06月08日 | 最後の火花
最後の火花 72

 好きになった同級生はお似合いの子と別れてしまったが、それぞれが直ぐに別のひとと交際をはじめた。箸にも棒にもかからない、という辞書の文字をわたしはじっと見つめる。

「ドラフト制みたいね」と家庭教師の柴田さんはいつものように野球のことで例えた。「人気がある子は複数球団が名乗りを上げる」

「ない子は?」
「名スカウトに頼るしかない。光子ちゃんの良さを発掘するスカウトだっているのよ」と言って肩を優しく叩いた。「いまの若さに追いつかないだけで、大人になったらとっても美人になる顔だよ」
「そんなのあるの?」
「あるのよ。ピークは後でやって来た方がいいでしょ。さ、勉強」

 柴田さんは才色兼備であった。男性ならば文武両道。相手のこころは紆余曲折。わたしは漢字の問題を取り上げていた。アルファベットの文字に比べると、ほぼ無数にあるように思える。憶えるのが大変だ。だが、英語の単語もそれほど覚えられない。組み合わせは無数で、脳には限りがあった。時間も限りがあって、柴田さんはその一部を割いて、わたしに教えてくれていた。

 勉強が終わって無駄話の時間になる。

「良い匂いが下からしている」と言って柴田さんは鼻を動かす素振りをする。その様子がとても可愛い。餌を見つけたリスのようだ。「そうそう大人になるって、随分とふるいにかけられる過程なんだよ。選抜の連続。でも、忘れちゃいけないのが捨てる神もいて、拾う神もいるってこと」柴田さんは基本的に楽観的なひとなのだ。そういうタイプの常としてよく笑う。

 わたしはひとりになって本を開く。ずっと選ばれないことと戦うひとびと。「日陰者ジュード」ガッツということが自分には分からないのかもしれないが、どうしても応援したくなる。ひとは目標が芽生えたり、自分がすることを内なるなにかに設定されてしまう場合がある。もうどうやっても逃れられなくなる。だが、低みへと低みへと戻るように足を引っ張られる。けん命に逃げ出そうと努力するが、ぬかるみで足を踏ん張ってしまえば、さらに足をからみ取られるのだ。そういう内容の本だった。

 もうライバルもいない。自分が設定した位置にたどりつくことだけが願いとなる。

 わたしも基本的に楽観さを手に入れようと空想してみる。弁護士になれるのは数百人もいるのだろう。望んだ学校に通えるのもひとりではない。何人もの同級生ができるのだから、数百人は受かる。しかし、落ちるひともいる。ふるいにかけられるのだ。特別な場合をのぞいて恋人もひとりだった。長女もひとり。同時に、日本には長女が無数にいる。わたしの頭は混乱する。考え自体が手に負えなくなったのでランプを消して寝ることにする。

 関心をもたないようにしても翌日、ふたりが話している姿を見て気になった。動揺もしている。だが、前の女性は気にもしていないようだった。過去のふたりは直ぐに友人になってしまったようだった。別れたら契約が物別れになったケースと同様に、素っ気なさが求められないのだろうか。素人でありつづけるわたしは空想に頼るしかない。気の合う友人と、その案件を頼まれてもいないのに俎上に持ち出して勝手に煩悶をしていた。

 ハッピー・エンドが生じない物語をせっせと読んでいる。幸福になれないことを知っていながら、なぜ、わたしはこの本を読んでいるのだろう。苦みが分かってこその大人でもある。つまりは、そのことを実生活より前に本によって試しているのか。コーヒーをたしなみ、らっきょうを食べて、お魚の内臓を食べる。山菜を食べて、塩辛をつまむ。だが、甘味こそが最大の勢力ではないのだろうか。ケーキ。チョコレート。シュークリーム。

 甘いことば。やさしい眼差し。自分にも向けてくれる誰かができるかもしれない。わたしは鏡に自分の顔を写す。柴田さんみたいに鼻を動かしてみる。だが、とても不可能だった。唇のはしが歪み、意地悪そうな顔になる。今度は耳を動かしてみる。隠れた特技だった。もう自慢してひとに見せることなどしない。そうした特技があったことをも自分自身で忘れていた。

 また夕方になって柴田さんに教わっている。勉強も終わって夕飯を食べる。

「もし仮に、好きなひとと別れて、再会するときにどういう気持ちになるの?」
「いまから心配するのは、早過ぎない?」
「一般論として」
「それこそ、千差万別だよ。憎み合うこともあるし、興味を失うことだってあるし、友人として新たな段階に入るひともいるし、元に戻ろうという力に負けるひとだっている」
「柴田さんは?」

「そんなに経験は多くないけど、過ぎたことは過ぎたことという簡単な法則。水たまりは太陽が照れば、干上がっちゃうからね」

 柴田さんはそう言ってからひとりで嬉しそうに笑った。もともとが楽天的な性格なのだ。心配とか、じくじくとか湿度の多そうなことが体内にないのだ。わたしはそう簡単にいかなそうな気がする。子ども時代になくした手袋のことをいつまでも悔やんでいた。恋人は手袋以上に大切だろう。手袋以上に温かく、親身なものなのだろう。ほんとうは何も知らないのだが。苦みと同じように。


最後の火花 71

2015年06月02日 | 最後の火花
最後の火花 71

 彼の家にいる。今日で二回目だ。室内で動ける範囲が限定されていて、勝手に冷蔵庫のなかのもので料理をつくったり、コーヒーを入れたりもできない。まだまだお客さんだ。自分はこういった過程をどうやり繰りしていたのか急に分からなくなった。

「どうぞ」目の前にコーヒーが運ばれる。コーヒーは匂いが八割方を占める。味はあとの二割。どちらも合格点だった。

「おいしいね」
「ありがとう」
 彼は寡黙なひとだった。その状態が多少の緊張を生む。本を読むひとにしてはそれほど本がない。
「家にあまり本を置かないの、気に入ったものでも?」
「なるべくなら身軽でいたい」その言葉通り、家財道具も多くなかった。
「理由があって?」

「ただ、なんとなく」わたしはその後につづくことばを期待するが、なにも出てこなかった。
「お父さん、いっぱいレコードとか貯めているから、男性ってコレクションが好きなのかと思っていた」
「うらやましいな」またピリオド。わたしはぼんやりと窓のそとを見る。なにか得意料理をつくってあげたいとも思う。
「食べ物、何が好き? 大体のものつくれるよ」
「そうなんだ、どうして?」

 わたしは説明する。母はおそらく一回も包丁を握っていないかもしれないこと。お手伝いさんがいつもいたこと。自分はそうなることを恐れ、学校時代の友だちのお母さんの小さな料理屋で習ったことなどを。

「偉いんだね」
「そうでもないけど、できる?」わたしはできないことを前提に訊いている。無骨で寡黙な男性の正確なる証明のように。
「それなりにできるよ、当番があったから」
「当番?」

 彼は言い難そうだが口を開く。絶縁状になっても構わないように。「親がいなかったから、施設にいた。そこが当番制なのでじゃがいもを剥いたり、ニンジンを切ったり、シチューやカレーの味付けをしたり」

 わたしは目を丸くする。急に自分がロマノフ王朝のお姫様のように感じる。
「好きになった?」
「仕事だから」
「じゃあ、思い出の味をわたしが作ってあげようか?」わたしはお茶らけ気味に言う。だが、返事は直ぐにでてこない。
「やっぱり、いいよ。どこか、外で食べよう。お腹、空いた?」

 わたしはただ頷く。葬れない過去があるひとたちがいることを知った。

 手をつないで外を歩く。身分の差という本の情報のストックを頭のなかにひろげる。黒人の青年が白人の女性とセロニアス・モンクのライブに行くという話があった。結局、その後別れてしまったはずだ。題名を思い出せない。父はそのピアニストが好きだった。だが、それをレコード・プレーヤーに載せるたびに母と妹は不愉快な顔をした。わたしは聴き入る。そうだ、「ハーレムに生まれて」だ。名作。家に帰って、再読しなければ。

 小さなレストランに入る。彼はハンバーグを頼み、わたしはシチューにこだわった。絶対にわたしのものを食べさせなければいけない。上手なのだ。うならせないといけない。しかし、意気込みもむなしく、このお店のビーフ・シチューは絶品だった。感動する。

「とても、おいしいよ」わたしはスプーンに肉片を載せて彼の口元に寄せた。彼は恥ずかしそうにしながらも食べる。
「ほんとうだ」
「これより、いくぶん劣るかもしれないけど、わたしのも上手だよ」
「じゃあ、今度、作ってもらうよ。食べさせてもらうよ」

 彼の部屋に戻る。打ち解ける過程。なれなれしさと親しさの中間。わたしは帰りに買ったケーキのためのスプーンを探そうとあたりをつけて引き出しを開けた。すると、なかに写真があった。古い写真だった。セピア色というきれいな表現ではなく、黄ばんでいると表現した方が正しいのかもしれない。わたしは、びっくりする。写っている女性はわたしにとても似ているのだ。

「これ、誰?」
「あ、お母さん。母親だよ」
「いまは?」
「いない」
「どうしたの?」
「いろいろあった。光子さんに似ているだろ」

「知ってた?」
「知ってた?」
「似ていること?」
「もちろん、あの本の店から」
「じゃあ、こっそりと見てた?」
「こっそりでもないよ。直ぐにコーヒーがひっくり返ったから」

 わたしは運命という甘美なことを考えている。でも、いったんそのことについては忘れ、となりの引き出しからスプーンとフォークを出した。わたしたちは甘くなった唇を寄せる。わたしの頭は冷静だった。わたしは彼の母と似ているのかもしれない。それは彼にとってどういうことなのだろう。わたしにとっては間違った、躊躇すべき事柄なのだろうか。だが、歯車がまわってしまったわたしは簡単に無視する。狭い部屋の狭いベッドの上で身悶えする。

 ふたりで天井を見上げている。木の節の模様が不思議な形状をしていた。どこかの旅館で妹と騒いだ記憶がよみがえってきた。彼はその頃、どこにいたのだろう。

「彼女って、いつからいないの?」
「数年前だよ、多分。もう思い出せない」
「じゃあ、きょうで打ち切りだ」
「え?」

「明日からはわたしが彼女と宣言してもいいから」
「誰に?」
「誰にでも」
「気が早くない?」
「そんな気なかった? 迷惑になる?」
「ならないよ」彼は電気をつけてTシャツを着た。これはわたしからの視点。一方的な視点。


最後の火花 70

2015年06月01日 | 最後の火花
最後の火花 70

 柴田さんの教えてくれた方法論で成績があがる。彼女もよろこび、わたしも嬉しく、両親は満足して、先生は怪訝な顔をした。突然の好成績は別の方法論の疑いがある。次回も同じ結果、それ以上の成績が求められる。

「首位打者は辛いものなのよ」と、柴田さんはわたしをなぐさめた。彼女の例えは、なぜか野球を用いた。

 善意のすんなりとしたエネルギーもあるが、悔しいという感情も埋設された管を通ってエネルギーに化ける。だが、どこかで正しいことではないと思っている。

 試験も終わり、自由に本が読める。恋という大きな衝突物がある。自分の周囲にいる、同年齢かもしくは近い年齢の異性。特別な趣向がなければ、対象はそういうものだった。つまりは学校とか運動部とかの範囲でしかありえない。子どもから大人への移行に連れて、孤独という厄介な大げさな問題も立ちはだかる。ひとりでいるときの不安。ひとと感じ方や考え方が異なっていることへの心配。一致したいという願望。ひとの幸福。すでに交際しているひとへのやっかみ。わたしは自分が醜くなりつつあることを恐れている。内面的な意味合いで。

「長距離走者の孤独」という本を開く。運動というものは主題ではなく、ここでは反抗とか対立という毅然たる孤独の受容のことが書かれているようだ。受け入れるか、排除するかでその後の人生が変わる。

 テストの成績が良かったことでわたしの株が家族内であがる。同時に、柴田さんの仕事ぶりの信頼感もきちんと評価される。ひとに教えるということは簡単なように思えた。柴田さんが簡単にしている所為で。だが、ほんとうはそうではないのだろう。ひとの価値が格段にあがることは相対的に、誰かの値打ちが下がる可能性もあるのだった。これも嫉妬のひとつの出口だった。

 孤独を求めた代償は大きいものだった。わたしは居間で映画を父と見た。「大人は判ってくれない」という白黒の映画だった。彼も孤独らしい。孤独の解消はなぜだか衝突を生む。これが反抗期というものだろうか。わたしも母の言動と理不尽な注文にイライラさせられるときがある。

 それでいながら成績が上がったことで喜んでもらえたことを嬉しく感じている。子ども時代は自分の態度を分析しなかった。動物と同じような衝動のみで生きられていた。大人になるにつれ、意味や言い訳や理屈やごまかしが必要になってくるようだ。とにかく、ひとことでいえば面倒くさくなった。

 汗を流している同級生の姿を目で追っている。とにかく目立つ存在だ。華がある。親切かどうかも分からない。あんまり話したこともないのだ。彼が誰かを好きなことは周知で、うわさにもなっている。自分ではないということが悔しいというか切ないものだった。切ないというのは動悸の乱れのことだった。医学的に解説すれば。だが、わたしの身体は理科室の標本ではない。生きたあたたかな存在だった。

 自分ではどうしようもないこともある。勉強は柴田さんによって、どうにかなった。いまは、どうにかなることを頑張ろう。そう力んで誓わなくても週に数度は、柴田さんが家にやって来た。わたしは教わり、いっしょにご飯をため、柴田さんの恋の話をきいた。

 わたしから見れば、すべて打算の産物のようにも思える。弁護士になった自分にふさわしいのは、それ以上の尊敬されるべき職業のひとのようだった。医者とか、社長とかの。子どものわたしの理解は漠然としている。でも愛すべき柴田さんは理想とは別にだらしない性格の彼氏がいた。付き合ったり、別れたりして数年間が経つ。だが、彼女の勉強や仕事が忙しくなれば、別のかたちで前進するのだろう。せざるを得ないのであろう。

 わたしは勉強のコツをつかんでしまった。あとはやる気と眠気との戦いであった。絶対的な記憶量の問題もある。本を読む時間も必要だ。それより、あのひとがわたしを認める日が来てほしいようにも思う。

 父は、最寄り駅まで柴田さんを送った。なぜか妹もついて行っている。なにかをねだる作戦があるのかもしれない。妹も柴田さんを家庭教師にもてればいいが、もうその頃は、どこかの弁護士事務所で働いているのだろう。だらしのない男性はずっとその位置を守り抜くのだろうか。ある日、そこから抜け出る日が来る。いままでの時間を感謝する。父と妹は帰ってきた。妹はアイスを食べている。そのくせにお腹が丈夫じゃない。明日が心配だ。

 わたしはラジオをかけて勉強する。習慣にすることが大事だと言った。顔を洗うように、机に向かう。孤独のことも考える。父の笑い声が聞こえる。母のイライラした口調も階下から聞こえる。妹がトイレのドアを開ける音がする。わたしの集中力は破れた障子ぐらいのものだ。秘密にしたいことも筒抜けだ。

 明日は球技大会がある。彼は活躍するのだろう。そのゴールはあの子のために決めるのかもしれない。祝うべき理由がある。わたしはゴール・キーパーになって止めたいと願う。両手を伸ばして、すべてのシュートを払い除ける。いや、強く胸にボールを抱きかかえるのだ。妹が戸を開ける。青白い顔をして、薬がないのか問うた。