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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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流求と覚醒の街角(10)電池

2013年06月09日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(10)電池

「今日は間に合ったよ。時間通り」と奈美は嬉しそうに告げた。

 ぼくは、自分の時計を見る。それから、どこかに客観的な証拠となるべき時計を探す。だが、どこにもなかった。「いや、遅れてるよ。別に怒っているわけじゃないけど、事実は事実」女性と話しているときに、だが、事実などどうでもよいのかもしれない。

「遅れてないよ。ほら、これ、見て」奈美は腕時計をはめている側の手首を差し出す。「ちょっと、約束より早いぐらい」
 ぼくはその時計の文字盤をのぞく、確かに2,3分早かった。ぼくはもう一度、自分の時計を見る。時間は彼女のものより20分ほど進んでいる。どちらが正しいのだろう。

 ぼくらは数字でも世界を把握するのだ。もちろん、顔色や声がともなう口調などにも大きな影響を受ける。それがすべての場合もある。誰かが激高する。そのすべては印象である。怒りに対して数字の間違いを指摘することなど論外だ。ただ火に油を注ぐだけ。先生(もしくは先輩)その数字、この資料とずれていますよ。なに! 怒っているのは正当で、ぼくもミスについて済まなくは思っていますけど・・・。

 ぼくらは歩き出している。奈美は立ち止まる。「ほんとだ、さっきから全然すすんでない。時計、とまってる」
「電池かな?」
「買ってから、変えたことない」

 役に立たなくなったものを身に着けているのは不安なものである。破れたことに気づいた靴下が靴のなかに隠れている。夜、職場の飲み会があり、座敷にあがる結果になる。きっと。正確さを求められている時計は、偽の情報を教えるものとして成り下がる。だが、気付かなければ、それはさっきまでは事実であったのだ。ぼくは、ある日、奈美という女性を好きになりかけていることに気付く。最初の女性との思い出や亡骸をタンスやクローゼットにしまうことが求められているのであり、もうそれは先延ばしにもできなかった。それに、意図しなくても勝手に登場する出番は減っていくものなのだ。去年のお気に入りのシャツとして。象徴的に。
「そこに電気屋さんがあるから、時計売り場もあるんじゃない」
「ちょっと、行ってくる。どこかで暇をつぶしてくれててもいいよ」

 彼女はビルのなかに消える。ぼくはそこで立ち止まっていた。空は急に雨でも降り出しそうなぐらいの曇り空になっていた。急変という言葉を思い出している。徐々に変化するものもあれば、一瞬で変更を余儀なくされる場合もある。立場。地位。あたらしい政党。

 職場で挨拶をする男性。新しく課長としてこの部署で働くことになりました。ぼくらは以前のシステムで仕事をすすめることになれている。数字にうるさいひとがおり、感情論でもっていこうとするひともいる。今度のひとは、いったい、どういうタイプなのだろう。

 ぼくの前に奈美があらわれる。好きであるということは、もう疑いのない事実であった。これで、自分を受け入れてくれないとすれば、世界は自分にとってた易い場所ではないのだと思おうとした。しかし、ぼくに対してちょっと採点が甘かった。だから、ぼくはにこやかに過ごせている。

 そう考えていると、雨がぽつりぽつりと落ちて来た。ぼくはビルの一階部分にある屋根のある場所のベンチにすわった。ぼくは時計の電池をいつ変えたかを思い出そうと記憶の糸を手繰り寄せようとするも、それは不可能だった。覚えていても仕様がないことも多々ある。以前、かさぶたができたのはいつだったのか。ティッシュ・ペーパーを通算、何回購入したかなど。数字の無力さを痛感する。いや、数字ではないか。数字を媒体にした記憶の山。

「ごめん、待たせたね」
 奈美はビルから出て来る。そして、腕時計をこちらに向ける。
「きちんと動いている」
「これが、正確な時間」彼女はぼくの時計を強引に横に並べようとした。その不自然なかたちのためぼくの腕は痛んだ。「そうだ、強盗でもするなら、ここで、ふたつはぴったりと同じ時間にしないといけない。そういう映画あるよね」

「あるね。せーの、とか言って踏み込む」
「それで、大金を手に入れたら、どうする?」
「考えたこともないけど、リゾート地でのんびりするかもね。もう強盗でもなく、宝くじに当たったら、みたいな話になるけど」
「それがほんとうにしたいこと?」
「そうかしれないし、違うかもしれない。恵まれない土地で学校を作ったり、図書館を建てたりするのもいいかも。奈美は?」
「自分のためだけにコンサートをしてもらうとか」
「独り占め」
「でも、並ぶのも好き」

 ぼくらはある店の入り口で並びだした。順番は段々と迫ってくる。列の長さは短くなる。数十分待ったとしてもぼくはひとりではなかった。時間がぴったりの腕時計もしている。ぼくはなかに入っている電池の形状を思い浮かべようとしたが、自分は見たこともないことを知る。ただ、複数の刻みがついた小さなネジが回っている映像があるだけだ。自分もそういう類いのものなのだろう。正確にすすめる部品の一部。そこから抜け出てハワイかどこかのビーチに寝そべる自分を想像する。しかし、ぼくらの順番がきて、どのメニューにするのかと頭のなかの思考を奪われ、別のものが入り込む余地はなかった。奈美の好きなもの。ぼくはそれを知る。結果として蓄える。多分、いつまでも忘れなくなっていくもののうちのひとつなのだろう。これも。

流求と覚醒の街角(9)メガネ

2013年06月08日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(9)メガネ

「メガネを新調したので今度、取りに行くよ。それから、そこだと大体・・・」ぼくは奈美におおよその約束の時間を告げる。
「メガネなくても大丈夫なの、見えるの? 手でも引いていってあげようか?」
「古いのもまだあるよ」彼女の発した言葉からすると、その提案は本気のようでもあった。「新しいものを買い足すだけだから」
「気に入らなくなった?」
「近いね」
「わたし、したことない」
「じゃあ、親に感謝しなきゃ」

 かといって、彼女はメガネがなくても、たくさんのもので身を飾っていた。華美というわけでもないが印象的なアクセサリーをすることが多かった。耳にあり、髪にある。首にあり、指にもあった。ぼくは飾るということより実用的な意味でしているようだった。事実として、遠いものが見えない。

 遠いものが見えるようになっている自分は奈美を探す。だが、周囲にはいないようだった。メガネ屋さんに寄ったぼくは古いものをもらったケースにしまい、できたての新しいものをかけている。メガネを受け取るときに最終的な調整をしてもらった。耳の上に触れる部分が直される。それでも、いまは最初のものに共通のしっくりとしないものがあった。

 ぼくは奈美と会って、いくつかのことを調整する。最初の女性はこういう場合はこうだった、という残像のようなものが身体のどこかに残っていた。それは段々と薄まり、いまはほとんど消えかけている。それは時系列的にいえば正当なことだったが、今後、どのように思い出として展開されるのかは分からない。

 これもまた新しいメガネをしたときに感じる照射力というものがあった。世の中のひかりをぼくの目は取り込みたがっているようだった。しかし、もっとも見たいと思っているのはいったいどれで、また誰であるのだろう。答えは決まっていた。

 最初にメガネをしたときには違和感があった。それは友人たちの抵抗の方が大きかったのかもしれない。だが、ある日、その姿になれる。徐々にこの姿しかしらないひとたちが増えていく。メガネをかけて生れ落ちてきたように。ぼくは女性と歩く。その姿を友人たちに見つかる。ぼくの好きな女性のタイプとその結果を彼らは見比べ判断する。その女性といつもいっしょにいることが普通だと友人たちは決める。しかし、彼女はいなくなる。ぼくを慰める必要が生じ、次の女性を紹介する算段をする。忘れるためには、新しいものが必要なのだ。もうメガネを手放せなくなってしまった近眼者たちのように。

 何人かと会い、いっしょにお酒を飲んだりもした。だが、最初の熱烈な気持ちを越えるものなどでてこなかった。さらに正直にいえば出てきてほしくもなかったのだろう。連絡先を知っても、電話をするわけでもなく、何度かかかってきても話は盛り上がらなかった。能動的ではない男性に関わっている時間など若い女性にはなかった。彼女らのうわさを後日聞けば、もう後釜がいた。友人たちはぼくが女性にした、あるいはしなかった扱いに不満で、不本意に終わった出会いをなげいた。そして、ぼくのことを多少は疎んじた。だが、あきらめるわけでもなく、候補のリストと計画はたまにはぼくのもとに運ばれた。だが、その後の経緯は過去の焼き直しに過ぎない。コピーされるぼくの人生。楽しみを得られない自分の偏った気持ち。

「待った?」奈美が訪れる。ぼくが見たかった女性だ。
「それほどには」
「なんか、新鮮だね、それ。でも前のも捨てがたいよ」

 その数語だけでも、重要な意味が隠されているような気がした。ぼくは最初の女性から奈美と出会うまでの時間を待ったのかもしれず、やはり、それはそれほどの長い期間でもなかった。振り返ると。何事も冷却期間が必要だ。投手も毎日は投げられない。付け加えれば、なんとなく前の女性への憧憬も捨て切れないものだった。それはぼくの一部でもあり、鉢植えをしても、その根はぼく自身ともなってしまっているのだろう。

「前のもあるよ、まだ。かけ直そうか」ぼくらは歩き出している。そこにあることを証明するためにぼくはバッグのなかにある固いものを叩いた。
「でも、それにも馴染んでいくよ。最初は知らなかったのに、こうして付き合っているんだから」彼女は首を揺らしてこちらを見る。その顔はぼくの正面に合った。耳にある飾りも揺れる。それも奈美の一部であるのだろうか。それとも、ぼくは意識しなければ、どんな形か模様であるか、今日の終わりには覚えていないのであろうか。その小さなものはなくなり、あるときに不図でてきたりする。ベッドの下や、置き忘れた場所を思い出したりして。

 ぼくにも置き忘れた何かがあるような気がした。だが、このいまは気にもしていない。奈美がいて、その顔を良く見るためにメガネもかけている。

 世界は淡く、優しく、それに輝いていた。友人たちは奈美のことを気に入っている。ぼくにはこういう女性が会うのだと再認識している。それはもちろん悪いことではなかった。意固地なぼくの無意識は、そのためにわざと昔の女性を忘れないように働きかけるのかもしれない。無意識を自分の力で左右するわけにもいかず、勝手に任せるしかなかった。奈美にぼくのことをもっと好きになってもらえるよう働きかけられないのと同じだ。努力はしている。だが、縛ることはできない。

「耳のところがしっくりきてないみたいで、ちょっと痒いな」
「どこ?」奈美の指がぼくの耳の後ろをさする。通り過ぎる際にある女の子が、「いちゃいちゃしている」と言った。その父親らしきひとが口を大きな手でふさいですまなそうに会釈した。だが、それは一瞬のことで、もう過去の後方の世界だった。
「いちゃいちゃしてるって」と奈美も似せた口調でそう言った。

流求と覚醒の街角(8)ホスピタル

2013年06月03日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(8)ホスピタル

 病気になって、行動の自由が奪われ、身体を医者に見せ、待合室で薬と治療費の清算に延々と時間も失っていく。その代わりに安堵と回復を手に入れる。頑丈にできた自分は数えるほどの記憶しかない。だから、入院もなければ見舞われたという子どもにとっての一大イベントもなかった。いまは、なくて良かったと思っている。

「その病院がね、近くにあるんで、途中で花でも買って見舞いに行くね」奈美は電話でそう言った。お世話になった先輩がどうやら入院しているらしい。ぼくは、もちろん同意する。
「その間、待っていればいい?」
「大きな敷地に芝生もあるから、そこで待っててもらえれば。そう長い時間がかかるわけもないから」

「どういうひとなの?」
「仕事での協力会社のひと。いろいろと教えてもらったから。最近、急に仕事に穴を開けるようになって。責任感が強いひとなのに」
「そうなんだ。女性?」
「そう。若くて、わたしよりかは上だけど、きれいなひと。あの年代で大きな病気になるなんて誰も思わないでしょうね。裏切られた感じがするんじゃない、わたしだったら」
「なにから?」

「さまざまな計画とかもあるでしょう。結婚したばかりみたいだし。大げさに言えば、人生から裏切られたような感じかな。実際に病状とか本人とかを見ていないからあんまり正確なことは言えないけど」

 そして、休日になった。ぼくらは昼を食べ、その病院のある方へ向かった。都心でありながら、緑も多い閑静な場所だった。世界には病気も痛みもなく、ただ美しいもので満ちていると錯覚させてくれそうな所だった。そこをだらだらとぼくらは歩いている。ぼくは、そのひとと関係がない。接したことのない病人に感情移入をすることは難しかった。病気になる前も、病後も知らない。だが、奈美が世話になって少なからず傷ついているのだから、影響はもちろんある。しかし、具体性がないのだ。すると、この道もどこかのおとぎ話のなかの住人にでもなって、いつしか幻想の道として足を踏み入れる度に、不意に神秘性にくるまれていくような、あるべき現実味も減っていった。

 奈美は途中で花を買った。元気そうな女性が的確に本数と色を選んで花束にする。手際は見事だった。そのあどけない顔と熟練した手さばきの釣り合いが取れていなかった。医者というのもこのように見事な腕前をもっていてほしいと感じていた。だが、医者が彼女の病気を治すのか、それとも、薬の投与で変化するものなのかも分からなかった。どちらか一方で解決する問題でもなく、また、どちらも彼女の病気を完全に治療したり、根絶することも不可能なのかもしれない。ぼくは見たこともない女性についてあれこれと想像を膨らませた。

「そこで、待ってて」奈美は中庭を指差す。言われた通り、緑あふれる庭園とでも形容できそうな場所だった。ぼくは侵入者のような気持ちでベンチにすわり、くつろいでいった証拠として、背にもたれかかって大きなのびをした。すると、何分後かにひとりの男性があらわれた。いまにも妻が死んでしまうような表情をしていた。何かが、大切なものが奪われることに無力な人間の標本のような顔だった。その前提は、はっきりとした確定になるのも間近なことを知っている顔。彼も斜め向かいのベンチにすわった。

 ぼくは見るともなく様子をうかがった。青いシャツを着ている。ぼくは奈美と先輩をふたりきりにするため病室を離れた夫であると、彼のことを決め付ける。年代からしてもそう遠くないだろう。すると、その先輩の症状は重く、夫は妻を騙すことに長けていないことも暴かれる。あの表情では、自分の病気がかなり悪いものであると無言で妻に宣言しているようなものだった。

 彼の横には、別の女性が立った。妻の母でもあるのだろうか。ふたりとも力を合わせて、妻の、また娘の病気に立ち向かう意思はあるようだった。それにしても、あまりにも無抵抗なものとして、厳然たる力に阻まれ、挑みを放棄するような印象もあった。正直さが裏目に出るシーンだ。それから、数分後に彼らは病室がある方に向かい、入口に消えた。病院の外観もモダンだった。そこは令嬢が待っている城のようでもあった。そこから、奈美はでてくる。病気のお姫様は、色白できれいであるのだろう。それに比べて反対に奈美の快活さは際立っていた。飛び跳ねるうさぎと、足が罠に引っかかって自由が利かないうさぎのような対比があった。

「どうだった?」
「うん」彼女は考えを整理するように下を向いた。「元気そうに笑っていたけど、痩せて、あまり良くないみたい」
「ひとりでいたの?」
「ご主人さんもいたけど、自分がいたら話しづらいこともあるだろうからと、外に出てくれてふたりだけにしてくれた」
「青いシャツのひと?」

「そう。知ってるの?」
「まさか。さっき、ここで悲嘆にくれた様子で時間を潰していたから、青いシャツのひとが」
「ラグビーだかをして、首とか腕が人一倍太いひとだよ」
「そう言われると、そう見える」だが、ぼくらの距離は生身のものと意識するには遠かった。「でも、小さくも見えたな。運動してたひとの機敏な動きは残っていたけど」
「じゃあ、きっと、旦那さんだ。優しくって、お似合いのふたりだった。元気になったら、ふたりに紹介してあげるから」

「そうだね。快気祝いでもしよう」ぼくは、祈りたいような気分だった。病人の症状は結果として分からなかったが、あの男性の振る舞いのひとつひとつがすべてを物語っていた。世界は明日、終わるのだ、と告げられたような顔色。なす術もなく受け入れるしかない。貴重なものを手に入れ、奪われていくひとたち。空気はなぜかひんやりと一瞬にして変わってしまったようだった。歩いていると、先ほどの花屋のまえをもう一度通った。店員は別の種類の花束の作成に取り掛かっていた。彼女には何種類ぐらいのレパートリーがあるのだろう。奈美はぼくに幸福を呼び込む方法をいくつ有しているのだろう。あのさっきの男性が笑顔を取り戻すには、どれほどの日数が犠牲として必要なのだろうか。あれほど、ぼくは奈美を愛しているのだろうか。彼女も同じようにぼくのことを認識しているのか。回復した彼らと会う日。その待ち合わせにも、やはり、奈美はちょっと遅れて来るのだろうか。ぼくがベンチにすわっていた時間ぐらいの短い間なのだが。

流求と覚醒の街角(7)ヘアサロン

2013年06月02日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(7)ヘアサロン

 神でもない自分は髪の毛の本数など知らない。さらに、それは日々、刻々と長さを変える。そのうちの何本かは寿命がきて抜け落ちる。その移り変わりを余儀なくされる髪について、女性はドライヤーをかけ、束ねて、ときにはまとめて完成させる。もちろん、毎日理想どおりに行くわけでもない。しかし、しないわけにもいかない。

 60億ぐらいの人間がいるらしい。日本の片隅にいる自分が正確に人口を測ることもない。誰かの統計を真に受けて信じているだけだ。それにも増減がある。ただ、確立のことをずっと考えているのだ。ヘアースタイルの理想どおりにいく確立。人間同士が出会う確立。ぼくは、北京語や広東語を話すこともできない。1億人ほどがつかっているであろう日本語を日常的に用いている。突然、指をぶつけたときに痛みを発する言葉も日本語だ。意思疎通には日本語をつかいたい。行動範囲も限られているので相手は目の前にあらわれたことのあるひとに限る。ネットで恋愛のやり取りをする時代でもなかった。そして、奈美がいる。確立の問題なのだ。

 歯医者や美容院が無数にある。確立の話を考えているのだ。ずっと。評判があり巡り合わせがある。奈美にもある。ぼくらはデートをしていた。その途中で予約をしていた美容院に彼女は行くと言った。

「あそこの予約が今日しか取れなくて。人気店だから。適当に時間を潰していて。そういうの得意でしょう?」
「うん」ぼくらは別れ、ぼくだけが坂道をのぼる。大きなスニーカーの専門店があった。そこに入って各コーナーを隅々まで見る。気に入った新作があり、売れ残りなのか安くなった品物もある。ぼくの、予定には隙間があり、そこを奪い合う関係はそれほどなかった。それでも、いささか不愉快でもある。だが、スニーカーを見ていたらそんな気持ちは消えてしまっていた。不思議なほどに。

 日差しのある階段でポケットから文庫本を取り出す。ローマの坂でアイスでも食べたい陽気だった。ローマで生まれる確立。奈美に出会った確立。ぼくは没頭する。遠くで電車の音がする。空の上ではヘリコプターの音もする。のどかな休日。パイロットや操縦士になる確率。それは、最初にそういう望みや願いが生じないと結果として確立にも乗らないことを知る。恋をしたいという若い男性にある日、生じる気持ちがあった。胸の奥には、ぼんやりと理想像のようなものもある。誰が、植え付けたのだろう。遺伝子の何回もの組み合わせによって、好みにも方向付けがされていったのだろうか。道先案内人のように。そして、ある日、願いが叶う。その願いが喜びだけを伴って来るだけでもないことを知る。どこかに、切なさや痛みもある。その悲観的な感情を払拭するように告白する。相手がイエスという確立。同意を得られない場合。ぼくは一度、うまくいった。それから、別れてしまった。一度、失敗した人間が抱くであろう恐怖心があった。その怖さを乗り越えてしまえるほどの愛情の芽が再燃される。ぼくらは無意識に比較する。しないひともいるのだろう。洋服の趣味や生活スタイルを全部、取り替えてしまうことに後悔も未練もまったく感じないひとも客観的に見ていた。その当人が自分の変化にいちばん関心がないように思えるときも多々あった。ぼくは、そうはならずに比較した。良いことなのか、悪いことなのか判定のまな板にも載せず。

 最初の女性と奈美は違かった。もっと、大らかであり、良い意味で不真面目だった。考えの塀の高さが一、二段低かった。それでも、他人のおせっかいや要求の波は、彼女の懐まで侵入してこないことをぼくは知る。高くても低くてもこころの持ちようではいっしょなのだということにも気付かされた。だが、ぼくには防波堤が築かれていた。

 ページをめくる。そろそろ、固い地面ではお尻が痛くなる時間だ。腕時計を見る。自分の予想した時間と時計の針が一致する確立。夜中に目が覚めて、およその時間を想像する。熟睡したと思っていたはずなのに、2、30分しか経っていないこともたまにだがあった。いまは、本の読むスピードの経験により大体の時間は当たっていた。

「そろそろだな」と、ひとりごとを言う。横できちんとアイスを売る店をみつけて食べているふたりがいた。彼らが出会う確立もぼくと奈美との間と等しいのだろうか。自分だけが恵まれていると、ぼくは思いがちだった。

 立ち上がって、尻の見えない埃をはらい、美容院のほうまで歩き出した。タイミングよく美容院の戸が開き、目の前にいるぼくと再会する確立はどれほどのものだろう。20分ほど歩き、店の前まで着いてしまった。ぼくはガラス張りの中を見る。大勢の女性たちが胸の前に布をかけられた姿でいた。みんなが理想どおりの髪型になれるのだろうか。明日も、あさってもそれを維持する。

 奈美が後ろ向きででてきた。店員さんと何やら話している。店員さんのほうが先にぼくに気付いた。素敵な笑顔をする。奈美の前に出会う確立。

「彼氏が待っていますよ」その店員さんが言う。カラフルな服を着ている。
「あ、ほんとだ」振り返った奈美が驚いたように言う。

 ぼくらは、スニーカーが売っている店とは反対の方角に歩く。だから、今度の坂は下り道だった。
「なんで、彼氏と分かったんだろう?」
「待っていてくれてると言ったから」奈美は自分の髪を手で触った。「どう?」と訊く。

 完全なる答えを言う確立。彼女の不愉快さを導く頻度。ぼくらは太いもので結ばれているのだと思うことと、危うくさせる問題もあるのだというバランス。そのバランスをうまく保つスニーカーがある。いつか買おう。

流求と覚醒の街角(6)ネイル

2013年06月01日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(6)ネイル

「爪が剥げた」と、奈美は電話で言った。ぼくは学生の頃の柔道部に所属していた友人の爪が、対戦した拍子で柔道着か固い畳のどちらかに引っかかり、その結果として皮膚から剥がれ、宙ぶらりんにぶらさがっている様子を思い出していた。もちろん、彼女が言っているのは、格闘の際の話ではなかった。ただ、表面の色が当初のものから変化してしまっただけなのだ。でも、気持ちとしてはどちらも同じようなものなのだろう。気に入らないという点では。

「それで?」
「今度の待ち合わせの前に寄るから、予約はきちんと入れているけど、遅れたらごめんね」

 色が褪せる。そこに塗られていたものが時間の進行により劣化する。世の中のすべてのものは、そのような結末を迎えるような気がした。また、迎えるべきだった。ここで、ペンキ屋さんの出番なのか。

 どちらが悪いと指摘できるものではないが、ぼくが20代の前半をいっしょに過ごした女性との関係も色褪せていった。適度に色がおちているジーンズも美しいものだ。新品ではない清々しさ。自己紹介のいらない相手。だが、その馴染んだものもいつか破れ、穴が開く。あの状態をずっと保つということがいかに難しいことなのか教えてくれる。

 ぼくは色褪せた看板の前で奈美を待っていた。パリの街並みを描いた画家がいた。ポスターが壁一面に貼られ、その風景だけでアートになり得ることを教えてくれる。ぼくは服についていた糸くずを爪でこそいで剥がした。すべてのひとの爪は深爪であり、すべての女性の髪は総じて長過ぎるような気がしていた。輪郭や美しさの基準。それはたった一点にあるものなのか、複数の美点を組み合わせることによって、より一層美しいものに化けるのか、ぼくは答えがないことをひとりで問答している。

 前から犬が歩いてくる。カチカチと爪が地面にあたる音がした。犬は爪はきれいな色に塗っていないであろうが、服は着ていた。ぼくの一張羅と比べてもおしゃれさが表面に出ていた。犬もそのことを知っているように自身ありげに歩いていた。ぼくは、こころのなかで頭を撫でる。だが、もう揺れる尻尾しか見えないところにいた。

 約束の時間は過ぎた。今日は彼女の責任ではない。爪を塗られている間に店員といったいどういう会話がなされているのだろう。試しに。
「これからの予定は?」
「彼が待ってくれています」壁の時計を見る奈美。このままだと予定に遅れることを知る。しかし、自分のもつ美の基準を全うすることが優先される。
「楽しそうですね。ところで、どういうタイプですか、彼は?」
「そうね・・・」奈美は思案する。ぼくは彼女の頭のなかで立体化される。それを表現するのは言葉だけであるのだ。身振りをすることは封じられている。爪は固定されたままなのだ。ぼくはここにいながら、彼女が話す言葉のなかにいる。色褪せることなく。

 ぼくは退化するもの、変色するものを思い浮かべる。錆びというものがあった。あの銀色の鋭利なものも赤いものがにじみ出てくる。それは時間が経過して、手に触れられていない証拠のような現実感だった。山ほどの中古車が価値もなく積み重なっている空き地を思い出す。はじめての失恋を通過した自分も、どこかであれと似ていた。たくさんの思い出が行き場もないまま、もちろん整理されないまま並んでいた。そのような出来事を保管する場所がぼくに新たに作られていくとも思っていなかった。しかし、意図しないにせよできてしまった。まだ、こころにあることはあるが、やはり錆を生じさせながら、遠くの地のようなイメージも与えられている。でも、ふとしたときにそこに強引に引き戻される。ぼくは奈美との思い出も日々、作っていった。鮮明なままであってほしいと願っていた。そう比較できるのも2度目なのだから、自分で冷静に分析できるのだろう。不思議なものだ。

「ごめん、待った」やっと訪れた奈美は手を振る。まだ爪が乾いていないとでいうように。
「それほどでも、ないよ」
「この看板、なつかしいね」奈美はぼくの背にあるものに気付いて言った。「わたしの町にもあった」

 レトロというほどには時間が経過した代物ではないが、確かにある時代を切り取っているものの象徴として活かされている役目もあった。
「なに、考えていたの?」
「こういう看板やポスターがある町を描いたひとのこと」それに、以前の女性。さらに、その女性を越えるほど好きになるひとなどあらわれるとも思っていなかったこと。「見せて、爪」奈美は両手を差し出す。「ただ、塗られているの? ふたりとも押し黙って」
「そんなことないよ。いろいろと女性ふたりだから話すよ。好きなこと。趣味。甘いもの」

 好きなもののうちにぼくも入っている。多分。彼女は自分の周囲が変わったことで楽しさを抑えきれないでいた。このほんの小さな10本の指の先の面積なのに。ぼくは自分のベルトを意味もなく触った。空腹のためでした行為なのだが、触れた革にはひびが入っていることを知る。色褪せるものだけではなく、たくさんの劣化の過程があった。そうして見ると外にはさまざまな証拠があった。商店の名前が入っている日差し避けにもほころびがあった。橋の欄干の名前も文字の陰影の角が薄くなっていた。それでも、やはりこの日は美しいものだった。その原因のもっとも上にあるものは、となりにいる奈美だった。彼女の爪がある手をぼくは握る。もう片方の彼女の手は、太陽を避けるように目の前でかざしていた。

流求と覚醒の街角(5)携帯ショップ

2012年11月21日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(5)携帯ショップ

 ぼくは、電話を発信する。

 ダイヤルを回す。一定の桁の番号を押す。そういう作業すら必要がない。ただ、記録されている番号を呼び出して確認して押すだけ。しかし、簡易なことでも通じないと意味がない。

 奈美は出なかった。珍しいことだ。しかし、夜になって彼女から電話がかかってきた。
「携帯電話を落っことしたら、それ以来、画面がへんになっちゃった」
「何かの接触かね?」
「詳しい理由は分からないけど、もうそろそろ代えるタイミングだったのかもね。今度、付き合って」

 それで彼女は順番待ちの紙をもち、ふんわりとしたソファに座っている。ぼくは外に出て、大きな窓からその後ろ姿を見ている。機種が変わったら、それを使って直ぐにぼくに連絡をするということだった。

 ぼくは自分の電話を取り出す。アドレス帳をぼんやりと眺めた。いくつかの名前はそのなかでしか思い出すことはなく、いくつかのものはそれを失ったら永久に連絡が途絶えてしまう恐れがあった。敢えて連絡を取ることを放棄するために消去した何人かのものは、もう番号も思い出せなかった。当然のことだ。数字の羅列を永久に記憶しておくことなどぼくの限度ばかりある頭脳では不可能だった。しかし、遠くもない過去にはその番号からかかるのを毎日のように楽しみにしていた時期もあったのだ。それこそ、首を長くして。

 ぼくは電話が使われた、効果的に用いられたものを考えている。

 ヒッチコックはダイヤルMが殺しにつながる映像を作り上げる。いつか、どこかのプリンスと結婚することになるひとの姿。映像のなかにその魅力ある前哨戦の姿は固定される。電話という技術が開発され、それはある場所と場所をつなぐものだった。その場所の片方か両方が移動を伴うことが可能になるのは、もっと後だ。そこに居ないと、連絡が取れない。

 同じ女優は「裏窓」という映画にもいる。足の骨折で自由が利かないひとが主人公。固定された電話にはもってこいの状況だ。そこで鳴る電話を待つ。あるいはかける。

 固定されていればこそ、アリバイというものにもなり得るのだ、とぼくは考える。「いま、ここにいる」という宣言は携帯電話では不確かなことだろう。もっと時代が変われば、そこにもある種の居場所を突き止める性能が埋め込まれるのかもしれない。音楽というものも、近い過去までは外に持ち出すことをしなかった。歩きながら耳にヘッドホンを当て、音楽をかける。その行為を考えながら、ぼくは家にある古いジャズのレコードのジャケットを考えていた。トロンボーン奏者の顔写真がダイヤル式の電話の中心にある。ダイアルJ.J.5。見事なデザイン。彼の音楽も外に持ち出される。

 あのジャケットが携帯ショップの壁に飾られることなど決してない。それでは、過去の遺物なのだろうか? そうとも言えないだろう。あの映画の名作たちが生き残るのと同じ理由で。

 ぼくは電話を見る。まだ電話はかかってこない。アドレスが、新しいものに移しかえられる。その作業の途中かもしれない。ぼくは彼女の持ち物のなかで増幅されていく存在なのだ。まだスペースがあれば、まったく新しい別の誰かのものも、ぼくの別の情報も加わる。擦り切れていくレコードという表現や、用をなさないレコード針というものもぼくは想像した。そこからの増幅はない。ただ廃れていく運命があった。それにも潔さや美しさがあった。

 しかし、彼女のこころがわりで瞬時に消える番号でもあるのだ。数回の指の操作でぼくの情報は抹消される。電話帳が放つ重さや、太い幅を処分するにはそれなりの労力がいった。その簡単な方法で番号は消せても、その番号の持ち主から与えられたいくつもの思い出はあっさりとなくなることはない。容易でもない。

 それからしばらくして、電話がかかってきた。その電話が最初に通じた相手。
「聞こえる?」いつもの奈美の声がした。「どこにいるの? 終わったよ」
「近くだよ。そっちに向かって歩くから、ちょっとだけ店の前で待ってて」ぼくは歩きながら電話を耳にあてている。通信というものが世界の裏側までたどることもできるならば、この数メートル先のほんの少しの距離すらも縮めるという事実を知る。そして、話しながらぼくは背中を向けている彼女の後ろ姿を見つけて、切った。

「思ったより、長くかかったみたい。待った?」
「ううん。どういうのにしたの?」
「これ」奈美の手の平には電話機がある。それは、もう機械にも見えなかった。ただの子どもたちが遊ぶおもちゃの電話とそれほど違わなかった。

「何代目なの?」
「さあ、三つか四つめじゃない」それは以前の男性との歴史のようでもあった。そこに新しいものが加わる。同じようにぼくが仲間に入る。ある日、うっかりと落としてしまう。角に傷がつき、どこかが欠ける。別のものと取り替える。以前のものの使い勝手の良さや便利さを一定の期間だけ覚えている。だが、それも直きに忘れる。昔の物体は無骨なものと思え、より洗練されたものに思いを馳せる。あるひとはもう使わないものも引き出しの奥にでもしまう。ある時期の記憶を呼び覚ますことへの憧れの意味も含めて。


流求と覚醒の街角(4)試着室

2012年08月25日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(4)試着室
 
 ぼくは、試着室で洋服を試している奈美を待っている。

 彼女は試着室のなかに数着の洋服を持ち込んだ。いくつかのカラーがぼくの目の前を素通りする。ぼくはそれを合図にそこから離れ、噴水のある広場に向かった。その付近では子どもたちがソフト・クリームを食べている。白もあれば、ピンクのソフト・クリームもあった。ぼくはその味を思い出す。ぼくは横で紙コップに注がれたビールを飲んでいた。

 ぼくらは前日、奈美の部屋で映画を見ていた。映画の登場人物は当然のこと洋服を着ている。それは流行の最先端を行くべき使命を与えられたような映画だった。それゆえに会話は浮ついたもので、地に足が着いたものには感じられなかった。しかし、色の使い方は見事であった。ぼくは同じような色彩の洪水をこの場所でも感じている。ぼくは奈美が寝てしまった後にひとりで白黒の映画をみた。主人公は肺病にかかっているひとのような咳をして、暗い眼をしていた。

 ぼくもいつの間にかそのまま寝てしまい、朝になるとシャワーを浴びて、昨日と同じ格好の洋服に袖を通した。奈美は洗濯をしていた。それから、クローゼットを開け、きょう着るべき服を選んでいた。普段は職場への通勤に見合う落ち着いた色とデザインの服を着ていたが、休日は異なっていた。12色の色鉛筆と、24色の色鉛筆ぐらいの差があった。きょうは後者だ。

 彼女は手早く料理を作る。赤いパプリカ。緑のアボカド。黄色いコーヒーのカップ。青い皿。ぼくは白黒の世界を忘れる。部屋を出ると、となりの新婚夫妻がぼくらに会釈した。ぼくも見慣れない彼らに同じような態度で接した。ぼくらは似た年代でありながら、責任感というところでは雲泥の差があるようだった。階段を降り、駅に向かって歩く。軽い登り坂は満腹の腹を適度に揺する。たくさん寝たはずなのに、ぼくはあくびをする。

 駅で電車を待つ。
「普段は、学生がたくさん乗っているんだよ。満員。さっきのとなりの旦那さんもその学校の先生」
「え、挨拶したひと?」
「そう。お勉強ができそうな顔をしてたでしょう?」

 ぼくはその短い邂逅であった数秒では瞬時の判断ができなかった。ただ、失礼にあたらないぐらいに見ただけだった。それに、奈美の評判もあった。見知らぬ男が日曜の朝に部屋からでてきたということが、減点にならないといいのだが。

 ぼくらは到着した電車に乗り込む。閑散としている車内。そこから数駅で大きな駅につながる。その間の駅では乗客は増えることもなく、急激に減ることもなかった。ただ、一定の人数を満たすことが厳守されているようだった。先ほどの夫婦のうわさ話をききながらターミナル駅に着いた。そこで、どっとひとが降り、そのまま折り返して行き先が変わる役目を果たす電車を待っていた大勢のお客さんが折り返す電車に乗った。

 ぼくらは小物を見たり、靴屋に入ったりした。太陽は居場所をはっきりさせないようにそっと自然な暖かさを加え、吹き抜ける風も自分の仕事をたまに思い出すぐらいののどかな日だった。

 それも奈美がデパートに入ると、風向きは変わる。穏やかさは大気の不安定に移り、足元をくすぐる海の波もホースで水を撒かれるような形をとる。
「これ、可愛くない?」
「同じようなの着ていなかったっけ? この前」
「あれは、ここが・・・」彼女はその説明を丹念にする。ぼくはその違いがまるっきり分からない。それで、洋服が何着か奈美の腕のなかで抱かれる。店員は忍び足をしていたように背後に近付いた。

「お似合いになると思いますよ。どうぞ、よろしかったら」店員は、試着室を指差す。ぼくには数分間の待機時間ができる。それで、ビールを飲みながら噴水を見ていた。別の子がソフト・クリームを買ってもらい不器用に舐めていた。落っことしてしまうようなヒヤヒヤさせる気持ちをぼくは何度か経験し、案の定、その通りになった。落とした本人は泣き、その母は怒る。だが、あまりにも泣き止まないので今度はなだめる。ぼくは自分のビールの紙コップが空になったので席をたつ。席といっても噴水の縁にある模造の大理石のような固い石段だったのだが。

 ぼくは奈美が消えた試着室のある店に向かった。彼女がレジでお金をはらっているタイミングであった。それから振り返り、嬉しそうな顔でいくつかの角張った袋をぶら提げて歩いてきた。

「買うつもりはなかったんだけど、見ているうちについつい。迷って、買おうか思案して、やっと買いに来て、来週には、もうなかったというのは嫌だからね」
 彼女の一連のこころの動きは分かる。ぼくも迷わずにビールを飲んでいた。およそ費やした時間は20分弱。また、そこを通りかかる。噴水は同じように水を上方に向けていた。さっきのソフト・クリームを落とした子はいなかった。奈美は、そのことをまったく知らない。

「わたしも、アイス食べたくなった。買ってくる。いる?」
「いらない。落としちゃダメだよ」
「落とすわけないじゃない、子どもじゃないんだから。あ、これ、ちょっと持ってて」買ったばかりの洋服が入っている袋をぼくは手渡された。ぼくは奈美が選ぶ味を予測する。多分、あれ。中の店員は背中を向け、手を回しているらしい様子が分かる。奈美はいくらか背伸びをして、待ちどうしそうにそれを眺めていた。

流求と覚醒の街角(3)駅

2012年08月20日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(3)駅

 ぼくは駅にいる。

 毎日、大勢のひとびとを目的地に連れて行くべき起点となり、帰るべき家への経由地となる駅。ぼくは会社の仲間が京都駅と品川駅が似ていると言ったことを思い出している。駅という目的柄、同じような形状や構造が求められるのではないかと、単純に、ぼくはその発言の趣旨を捉えていた。ぼくは待ち合わせのために、そこにいる。不特定多数のひとがそこを通り、ぼくはそのうちのひとりと約束がある。そのこと自体を奇跡と認識する。奇跡を起こすために、もう数十分だけ先延ばしにするだけの余裕が必要となる。

 駅にいる。ぼくは過去に大好きになった女性がいた。そのひと以上にぼくは誰かを愛せないと決めていた。オルセーという名前の美術館にいっしょにいる。そこは、もともとは駅舎だったらしい。電車は大勢のひとびとを運ぶ。用途のために車両は延びる必要があり、その耐用に間に合わない施設がある。オルセーも同じような運命に遭う。結果として美術館として再利用され、再利用のほうにぼくらはより親しみを感じる。

 その女性が、「男と女」というフランス映画を教えてくれた。駅にいる女性。レースをする男性が車で戸惑いながらもそこに駆けつける。ダバ・ダバ・ダ。ぼくは、ひとり誰にも聞こえないようにメロディーを口ずさむ。お互いが傷を抱えながらも新たな生活と喜びを模索する映画だった。初恋など結局はひとつの通過駅に過ぎないのだとあらかじめ示されたのだ。ぼくとその最初の女性にとっても。

 ソフィア・ローレンは列車で、いなくなった夫を求めてさすらう。ひまわり畑。ヘンリー・マンシーニの美しすぎる音楽。彼女は映画をよく観た。ぼくは、彼女の部屋で古い映画のコレクションをいっしょに楽しむ。

 「さよなら子供たち」という映画もそこにある。列車はどこからかひとを運び、どこかへひとを連れ去ってしまう。行く先がもう戻れない場所だってあったのだ、過去には。ある人種には。

 電車が何台か停まり、その度にひとびとを改札口から吐き出す。また一段落すると、同じように一群のひとびとを送り出す。家が待っており、家族がいる。ひとり暮らしのひとは、自分のしたかった趣味のために、我が家へ戻る。その通過点としての駅。

 ぼくは志賀直哉という小説家が残したものの中で、駅で主人公に女性を蹴らせるという場面があったことを思い出している。それを、あんまりだと思いながらもリアルに感じていた過去のことを、不思議といまよみがえらせていた。電車に乗ろうとしながら、それを拒否する主人公。なぜ、それをいま思い出す必要があったのだろう。ぼくはただ来ない女性を待っているだけなのに。

 駅の時計はどこよりも正確だ。それは何人ものひとの動きに関係する。会社に遅れればあるひとの効率が奪われ、待ち合わせに遅れれば信用にも関わる。しかし、奈美はまだ来ない。

 ぼくは「天国と地獄」という黒澤映画まで思い出している。走り行く列車の窓の隙間からその用途のために加工された薄いカバンを誘拐犯に渡す身代金をつめこみ投げ落とす。列車は走りつつ、その行方を追わない。緊迫した白黒の場面。ひとを運ぶためのものが、そのカバンがある地点から動かないということのために使われる。次に移動するのは拾ったものが足でそのカバンを安全なところに運び去るためだ。

 ぼくは待っている。何度かひとの群れを眺めた。
「ごめん、待った?」奈美があらわれる。それを待ち望んでいたのだということを忘れている。ぼくは自分の過去に知った風景や記憶をさぐることを目的としはじめていた。
「ちょっとだけね」
「今日、給料日だったんで、お金をおろすため銀行に寄ったら、長蛇の列ができていた。でも、長蛇の列ってなに?」
「順番待ちの列かな」ぼくはひとの列が曲りくねっていることを思い浮かべる。
「ごめん、なにかおごるね」

 ぼくらは駅の中を去る。だいたいだが必ず階段があり、そこをエスカレーターで降りる。飲食店がある。携帯ショップがある。洋服屋や花屋もあった。ぼくらはひとつの飲食店に入るのだろう。昼からもう6時間ほど経っている。ぼくは腕時計を見ると、それは7時28分を告げていた。

「駅について考えていたんだ」ぼくはエスカレーターを降りた地点で、横に並びなおした奈美に言った。
「時刻表とか切符の値段とか? ダイヤ改正?」
「堅苦しい響きだな。違うよ。駅を舞台にした映画とか本の話題として。何かある?」
「お母さんに連れて行ってもらった、大好きな俳優さんのモンゴメリー・クリフトの駅で別れる話。多分、母もそういう経験があるのかもしれないのね。随分と感情移入してたもん。となりで大人しく観ていた子どもの自分が気付くぐらいだから」
「ローマのテルミニ駅。終着駅。ヴィットリオ・デ・シーカ監督。なんだ、ひまわりもか」
「え、あれも、そうなの?」
「そうすると駅が好きなのかな」

 ぼくらは終着駅にたどりつく。象徴的に。でも、それはもちろん始発駅であることを同時に意味する。ひとつの恋が終わった。ぼくは、それを終着だと決め付けていた。どこにも動けない自分がいる。だが、あらたに列車は動き出す。それが連れて行く場所は分からないながらも、乗り込んでしまった以上、道中を楽しみ、窓外の景色を堪能しようとしていた。奈美はぼくの腕にからみつく。
「ここの、お店どう?」と彼女が訊く。ひまわりのような笑顔。象徴的に。

流求と覚醒の街角(2)カフェ

2012年08月04日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角

(2)カフェ
 
 ぼくは、コーヒーを飲んでいる。

 日曜の2時。2時の待ち合わせ。その丁度午後の2時にウェイターはコーヒーを運んでくる。

 ぼくは思案をする。ユリシーズを書くジェームス・ジョイスのように。構想を練る創作者。結局、読み終えたことはないが。ある本を読み、それを忘れ、また読み直す。また忘れる。忘れるということが、いかに大切なことか。

 ぼくは奈美のことを忘れる。この20分でまた彼女の顔を作り直す。捜査のきっかけとしての表情。

 サルトルとボーヴォワールがカフェで談笑している。いや、議論をしている。そういう意味と位置づけとしてのカフェ。どちらの本も読破したことはない。書くという孤独な作業と、激論という相手が必要とされる行為。その区別を彼らは、どこで区分けしていたのだろう。カフェでも書く。ぼくは、ノートの切れ端に奈美の顔を描く。うまくない。

 ベートーベンは毎朝、コーヒーを飲み、自分の仕事である作曲に専念する。奈美はコーヒーを飲みながら、彼の曲を聴いていた。トントンと指先と爪でリズムをとる。首が自然に揺れる。ハミングする。彼女の中でどのような変化の一連の流れがあるのかは分からない。ただ何らしかの影響が与えられる。ぼくもそれを見て影響を受ける。この女性のこころをつかんでいるものは自分以外のものなのだ。多分だが、はっきりと。

 彼女のこころが占めているもの。それは自分ではない。

 となりの席に女性が座る。携帯電話の画面を見つめている。その女性のこころを占有しているもの。刺激を受けているもの。それは一体なんなのだろう?

 ぼくは本を開く。しおりを抜く。つづきがある。あの私たちの愛はいつから冷え込んできてしまったのかしら? ぼくはページを戻す。出会いがある。2度と経験しない愛だと思う。だが、燃え上がる状態はつづかず、主人公たちは疑問を感じる。ぼくはページを戻す。つづきがある。

 奈美はぼくが本気になった二人目の女性だった。あの気持ちを自分がもう一度味わうことなどないと否定したい気持ちと、それでも台風に呑まれるように自分の感情をコントロールできないもどかしさを同時に発見する。ぼくはコーヒーをもう一度、スプーンでかきまわす。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカで大人になったヌードルスは昨夜の恥を忘れるかのように執拗にカップのスプーンを回し続ける。

 黒い飲み物を口に入れる。店内の壁の時計が指しているのは2時12分。

 奈美はすると最寄りの地下鉄の駅に近付く電車に乗っているのかもしれない。となりの女性は雑誌を自分のカバンから取り出した。奈美も同じものを不定期だが買っていた。ぼくは置き去りのその雑誌をたまに開いて眺めた。だから、となりの女性がもっている興味がおぼろげながら分かるような気がした。大衆というものの興味を反映した内容が、色鮮やかなものとして売られている。それを持っている奈美の茶色く塗られた爪。

 ぼくは本に戻る。その作者はどこでそれを書いたのだろう。ウィーンにいると考える。カフェにいる。11月の木枯らしが吹く季節。夏に終わった恋。忙しさのうちにいて失恋の痛みなどないと疑うこともなかった気持ち。だが、作者はそこにひとりで座っていると、自分がいかに大きな過ちを犯してしまっていたかに気付く。冷え切ってしまうことなどなかった本物の奥底の感情。それをつかみきれなかった自分自身の失敗。相手の気持ち。それさえ分かれば、自分はどんなものでも犠牲にすると誓えるのに。

 ぼくは、コーヒーを飲み干す。となりの女性は雑誌を椅子に置き、奥に消えた。テーブルの上に置かれた携帯電話。それが突然に振動を起こし、コーヒーカップに触れた。皿とスプーンがぶつかり奇妙な音を発する。ぼくは奈美の表情のひとつを知り、動揺する。ぼくはそれほどまでにあいつを自分の奥にまで入れてしまっていたのだ。

「待った? ごめんね」
「そんなには」時計は2時21分。
「今日、それで何をする? そうか、あれだったよね」
「なにか、飲めば?」
「そうだよね、買ってくるよ。もう一杯、飲める?」
「うん」

 奈美ととなりに座っていた女性がすれ違う。同じ雑誌を読むふたり。ひとりはぼくに反響を起こし、ひとりは他人のままで終わる女性。その奈美の背中が注文している姿として鏡に映った。

 ぼくはカフェで哲学を論議する時代にも住んでいない。そもそも、必要としていないのかもしれない。ユリシーズをどうしても読み終えられなかった。ウィーンも知らない。しかし、この時代に生きていなければ彼女に会うこともなかったのだ。違う文明のなかで、違う時代にいるひとびと。同じコーヒーを飲むことを体験として共有しただけだ。奈美の両手には片方ずつコーヒーの受け皿がのっている。用心深そうに彼女は歩いている。彼女の頭を占めているのは、液体をこぼさないということで、一心にその作業に集中しているだけかもしれない。そこに、ぼくはどれほどのウェートを占めているのだろうか?

「熱いから、気をつけて」彼女はひとつをぼくに差し出す。いつの間にか、となりの女性は消えていた。名前も知らない。顔ももう思い出せない。サルトルという名前以上にぼくに影響を与えてくれなかった事柄。奈美は微笑む。嵐は終わり、次の嵐が待っている。そこに呑みこまれるぼくがいる。

流求と覚醒の街角 (1)橋

2012年07月21日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角

(1) 橋

 橋の上からはじめる。

 サイモン&ガーファンクルは橋についての唄をつくって歌っていた。曲はラジオから流れ、そのいくつかのフレーズをぼくはその橋の上で口ずさんでいる。その憶えているフレーズが少ないため、ぼくの考えは別のものに移動することとなる。ヴィヴィアン・リーという女優が演じた踊り子はウォータールーブリッジで出会ったひとのことで、恋と間違った選択を手にして、後悔する。後悔の結果は、映画的に美しくもあり無残でもあった。生きるため。何事も生きることが先決なのだ。

 子どものころに読んだ頓智の一休さんは、橋を渡るなという無理難題を突きつけられ、結果として堂々と真ん中を歩いた。橋と端っこの考察。

 ぼくは、なぜこんなことを、この橋の上で思い浮かべているのかというと、いつも約束の時間に遅れる彼女を待っているからなのだ。彼女は、大体待ち合わせの時刻から20分以上遅れ、決して30分以上過ぎてしまうことはなかった。だったら、それを見越して待ち合わせの時間を設定すれば解決するではないかという賢い提案が生じそうだが、なんとなくぼくはこの時間を活用して、あのときの彼女はこうだったということを思い出し、野球選手が素振りでもするように身体を暖め、活力を生み出そうとしているのだ。人間には空想の時間が絶対に必要なのだ。仕事が終わり、その現実味を帯び過ぎた気分を転換させるのもこの時間のもつ役目だった。

 ぼくらが出会って間もない頃、ぼくと彼女は鎌倉にいる。八幡宮の太鼓橋を背にぼくは彼女の写真を撮る。別の時には、大きな川にかかる橋の上で花火を見た。花火を見たというより、大きな爆発音を聞いたというほうが意味合いとしては近いのかもしれない。下には屋形船が川面にあり、そのなかの優雅で風流なひとびとも想像していた。

 ぼくらは鎌倉をあとにして、江ノ島に行った。あれは橋と呼べるのだろうか? 長い道路を歩き、空中を縦横無尽に飛び回るカモメだかを見て、島に渡った。あれは、カモメとは違う種類の鳥だったのだろうか。

 ソニー・ロリンズというサックス・プレーヤーは橋の上で楽器を練習している。自分の成し遂げたことですら疑問に思い、新たな表現方法を模索している。賢い人間には悩みと戸惑いが不可欠なのだ。ぼくは、そこを通りかかっている自分を想像する。ある芸術が生まれる現場に立ち会えるという喜びがあるのだろう。そこは大学ではない。講堂でもない。ただの橋の上。そこに彼がいるならば、音楽が生み出される。そのサックスの音がカモメの悲鳴に似た音に化ける。

 ローマ時代には既に水が貴重な資源であり、橋を使ってまでも、それをわざわざ運んだ。トレビの泉につながるというイメージ。またサンフランシスコの赤い橋の上からひとが飛び降りる。そのなかにヴィヴィアン・リーが演じた不幸な女性を持ってくる。ぼくは、暇なのだ。

 彼女は江ノ島であの西海岸の橋と同じような色の真紅のコートを着ていた。ぼくは転勤していた土地から戻り、ひさびさにここに来た。友人の結婚式の二次会で彼女を見てから、たしか3度目か4度目のデートだった。その二次会のときはもちろん約束の時間に遅れがちだという情報などまったく知らない。話していて直ぐに気が合うことが分かっただけだ。それで充分だったのだ。橋の上には車が通り、クラクションを鳴らした。その音もサックスの曲がりくねった管から出てきたように聞こえた。ぼくは今日、家に帰ったらソニー・ロリンズの音楽を聴こうと決めた。何がいいだろう? ドン・チェリーと共演しているものがあったはずだ。その前に女性があらわれる予定になっている。

 ぼくは腕時計を見る。6時23分。そろそろ彼女は来るだろう。そこに高いヒールの彼女が出現。身体の一部のようにその靴は彼女に馴染んでいた。ぼくならもちろんそのように器用に歩けない。試す機会にも恵まれないが。

「ごめん、待った?」
「少しね」
「今日、なにする? なにしたい?」

 ぼくは、まだルイ・アームストロングもビリー・ホリディもいるニューヨークに行きたい。根源的な望みだ。それは頭の中では白黒の世界だった。その色が抑えられた場所であるナイト・クラブや音楽が夜な夜な演奏されている小屋みたいなところでそれぞれの音を堪能したい。それに、そこから離れてひとりサックスの練習を繰り返すソニー・ロリンズも見てみたい。だが、もちろん、そんなことは言わない。

「橋の上って、風が気持ちいいね。ねえ、そう思わない?」
「パリかなんかで、セーヌ川が流れていて、あまりパッとしないサックス奏者が古いメロディーを吹いているとしたら、もっとロマンチックだと思わない?」
「じゃあ、今度、連れて行って。その理想の国へ」

 橋の上からはじまる。彼女はぼくの腕に自分の腕をからませる。これが彼女の癖だった。橋の上からはじまる。今夜の思い出も橋の上でスタートし、ぼくの彼女に対する気持ちも橋の上で20数分振り返ったことによって、より鮮明になり、飛び出す絵本のように浮き上がりだすのだ。