1
友だちから聞いた話だが、そのひとは、あるひとりの女のひとを忘れられなかったらしい。だが、年月をかけて、目一杯に努力をして、やっと忘れられると、今までひとりの女のひとを愛し続けられると思っていた情熱が、どこかに行ってしまい、それ以来、どのひとを好きになっても、すべて永久じゃないという思いにとらわれてしまって、結局、忘れないという段階で踏みとどまってひとりの女のひとを好きなままでいた方が、無駄な比較に過ぎないが幸福だったのではないか、と言った。
無邪気な私は、その話を深く理解できずにいた。自分のこと以外は、すべて仮定でもあることだし。
長く飛行機に乗り、私は留学先に着いた。私は十九歳だった。少し虚無的を愛して、かつ疎んじる年頃だが、留学しようとするくらいだから、心の奥には情熱の種火もあったはずだ。確かにアメリカが好きだった。私の極論だが、映画産業はアメリカがすべて引き受ければいいと思う。これから作る新しい車の生産を日本だけが受け持てば、さまざまなところから苦情とうめきが殺到するだろうが。
ウォークマンで人気があった頃のブルース・スプリングスティーンを聞き、住所のメモを再度、確認してタクシーに乗った。
2
ひとつ年上の男性と一緒に借りて住むところとなるアパートに着いた。はじめて渡すチップがぎこちなかった。しかし、タクシーの運転手はそんなことも気にせずに走り去った。辺りは緑の多い快適そうな場所だ。
私はジーンズの後ろのポケットに入っている飛行機内のお供だった夏目漱石の小説を急に恥じた。過去の場所に密接に関連していたせいか。その気持ちのまま、なぜだか分からないが、その後の日本語への恋しさも思い付かないほど無頓着にゴミ箱に捨ててしまった。ジョン・F・ケネディなんかより、常に自分にとって偉大なはずなのに。
まだレーガンだった。対はゴルバチョフだった。階段をのぼり、壁のベルを押すと、そのひとつ上の山田さんが顔を見せた。戸のすき間からベーコンの焼けるにおいが早くも外に出ようとしている。私より三週間近く先に来ていた山田さんは、スーパーの買いものにも慣れたらしい。慣れるといっても、やることといったら世界共通だろうが。
私は外を少し散歩した。聞こえてくる声のなかに日本語はまったくなかった。目についた店でコーラを試すように買ってみた。その時、耳馴染んだ日本語とちょっと異なるトーンで、「こんにちは」と耳にする。
そこにいるのは頭の白くなったおじいさんで、彼が声をかけたようだ。私が戸惑っていると、「あなたは日本人でしょう?」との質問を加えた。
「そう、イエス」と簡単に返した。「ハロー、こんにちは」
「私も日本に居たことがある。ファー・イースト」
「そうですか」戸惑いが消えないままコーラのふたを開けて、がぶりと飲んだ。
3
店員はふたりの日本語でのやり取りに興味がないとみえて、静かに座って新聞を読みはじめた。私は外に出た。すると、おじいさんも紙袋を抱えた姿で外に表れた。
自然と目の前にあるベンチに腰を下ろすと、おじいさんも目で同意を求める合図をして横にすわった。無知な若さゆえ高齢者の暮らしに遠慮や容赦がない自分の判断は、時間を持て余す暇な人物として映った。半面、同じ材料で、ぼくは語学の上達に役立つ人間か利己的に計ろうとした。
しかしながら、到着後の最初の日でもあったので、当然のこととして距離感の分からない私は、はじめあまり好意をもたなかった。慣れない生活で、こまごまとした無駄な時間や、それに付随する金を失ったりするのが何より恐かった。目の前にいる国籍の異なる人間を、疑っていいものか、信頼するべきか、その地でのバランス感覚を見つけていない私の気持ちは揺れた。それから、こちらの短い煩悶を見破るかのように不意におじいさんは沈黙を破った。なぜ、ただの会話に過ぎないものを、ここまで大ごとにしようとしていたのだろう。
「戦争でね」頭の片すみにある記憶を引っ張り出そうと頑張っているらしい。「日本はひどい目にあった。わたしも加わっていた」
「ぼくらの世代は何も知らないんです」字義通り、私は何も知らなかった。美しいノスタルジーを感じるときさえあった。「悪く思わないでください」
「うむ」紙袋からリンゴを取り出し、彼はかじりはじめた。「アトミック・ボム」
私はその言葉の意味が分からなかった。日本の米の品種かなと考え、原爆にたどり着くのに時間がかかった。
「ああ、原子爆弾。ウエポン?」
おじいさんは質問には答えずに、自分の内面にもぐり込んでしまったらしい。
4
「いつか誰かに話して、もう忘れたい。何遍、そう思ったか。しかし、私には機会がなかった。ある数ヶ月の思い出に私の人生は縛られた。この気持ちをもって、あの世には行きたくない」
私は残酷、残虐な場面を頭に浮かべた。転がった死体。氷のように固まった身体。つづきを聞くのが恐かった。私は何より新しいもの全部が恐いのだという錯覚も生まれる。すべての未知が。
「君は恋をした?」
おじいさんは急に優しい口調で問いかけた。私の顔は赤らんだ。したと胸を張って言えそうだが、実際には、その時点ではまだ知らなかったかもしれない。
「ノー」
「私はまだ二十一歳だった。国に帰れば婚約者もいた。日本から手紙を数通出し、その返事も何度か頂いた。もう戦争は終わっていたが、任務が残っていたので、まだ日本に滞在しているところだ。早く帰って彼女に会いたかった。そばにいてほしかった。それだけが、私の望みだったはずだ」
私にもその気持ちは分かった。分かる権利があるような気もした。
「あと四ヶ月で帰れるはずだったんだ」ことばとは裏腹に切実さや執拗さはなかった。「その時、あるひとりの日本の女性に会ってしまった。彼女が私の人生を変えた。恨んでこう言っているのではない。私の頭のなかに微かにあったヴィジョンがすべて消えた。例えば、帰ってから美しいくつろいだ家庭を築き、子どもが二、三人いて・・・」
5
私はたいして感情移入もせずに、似たような情景があるテンプテーションズのある曲の一節を頭のなかだけで口ずさむかのように転がした。
「私はまだ子どもだったんだろうな。君は、いくつ?」
「十九。ナインティーン」
「そう、子どもだね」
私はこの事実を存分に含んだ言葉にがっくり来た。少しでも大人であろうとしているところに、この曖昧さのない言葉はないだろう。
「子どもっぽさは、抜けてないかもね」ひとりごとのように言い、かろうじて抵抗する。それは簡単に無視される。
「すべて、その女性から教えてもらったと言っても良いだろう。知性。ヒューマン。優しさ。私の知らないものをすべて持っていた。彼女と会う前には、私は人間の精神性についてなんて考えたこともなかった。人間は、まず、肉体のものだと決めていた。しかし、人間の精神の方が、余っ程、言うことをきく。そうなるまでに時間はかかったが」
いまの私は、この葛藤する言葉の二十パーセントぐらいは分かるが、その当時、どれほど、理解したことか。そして、おじいさんは骨董品じみた腕時計をチラと見た。なんだかんだ話し込んでしまったなと思い、自分の時計(カラフル過ぎる)を同じように確認すると、あっという間に五十分ぐらい経っていた。
「つまらない話をしてごめん。だが、これも何かの運命だと思って」そう言い終わると、重い腰をあげた。「じゃあ、これで。ソーリー」
私は首を少し傾けて会釈した。ふさわしい言葉が思いつかないこともあった。運命。縁。そういうものから逃れ、そうしたものを手に入れることを夢想する。
夕日のなかをアメリカの少年が自転車で通り過ぎた。赤いTシャツ。青いスニーカー。この地での私の最初の購入品でもあったコーラは、手のなかでぬるくなっていた。
友だちから聞いた話だが、そのひとは、あるひとりの女のひとを忘れられなかったらしい。だが、年月をかけて、目一杯に努力をして、やっと忘れられると、今までひとりの女のひとを愛し続けられると思っていた情熱が、どこかに行ってしまい、それ以来、どのひとを好きになっても、すべて永久じゃないという思いにとらわれてしまって、結局、忘れないという段階で踏みとどまってひとりの女のひとを好きなままでいた方が、無駄な比較に過ぎないが幸福だったのではないか、と言った。
無邪気な私は、その話を深く理解できずにいた。自分のこと以外は、すべて仮定でもあることだし。
長く飛行機に乗り、私は留学先に着いた。私は十九歳だった。少し虚無的を愛して、かつ疎んじる年頃だが、留学しようとするくらいだから、心の奥には情熱の種火もあったはずだ。確かにアメリカが好きだった。私の極論だが、映画産業はアメリカがすべて引き受ければいいと思う。これから作る新しい車の生産を日本だけが受け持てば、さまざまなところから苦情とうめきが殺到するだろうが。
ウォークマンで人気があった頃のブルース・スプリングスティーンを聞き、住所のメモを再度、確認してタクシーに乗った。
2
ひとつ年上の男性と一緒に借りて住むところとなるアパートに着いた。はじめて渡すチップがぎこちなかった。しかし、タクシーの運転手はそんなことも気にせずに走り去った。辺りは緑の多い快適そうな場所だ。
私はジーンズの後ろのポケットに入っている飛行機内のお供だった夏目漱石の小説を急に恥じた。過去の場所に密接に関連していたせいか。その気持ちのまま、なぜだか分からないが、その後の日本語への恋しさも思い付かないほど無頓着にゴミ箱に捨ててしまった。ジョン・F・ケネディなんかより、常に自分にとって偉大なはずなのに。
まだレーガンだった。対はゴルバチョフだった。階段をのぼり、壁のベルを押すと、そのひとつ上の山田さんが顔を見せた。戸のすき間からベーコンの焼けるにおいが早くも外に出ようとしている。私より三週間近く先に来ていた山田さんは、スーパーの買いものにも慣れたらしい。慣れるといっても、やることといったら世界共通だろうが。
私は外を少し散歩した。聞こえてくる声のなかに日本語はまったくなかった。目についた店でコーラを試すように買ってみた。その時、耳馴染んだ日本語とちょっと異なるトーンで、「こんにちは」と耳にする。
そこにいるのは頭の白くなったおじいさんで、彼が声をかけたようだ。私が戸惑っていると、「あなたは日本人でしょう?」との質問を加えた。
「そう、イエス」と簡単に返した。「ハロー、こんにちは」
「私も日本に居たことがある。ファー・イースト」
「そうですか」戸惑いが消えないままコーラのふたを開けて、がぶりと飲んだ。
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店員はふたりの日本語でのやり取りに興味がないとみえて、静かに座って新聞を読みはじめた。私は外に出た。すると、おじいさんも紙袋を抱えた姿で外に表れた。
自然と目の前にあるベンチに腰を下ろすと、おじいさんも目で同意を求める合図をして横にすわった。無知な若さゆえ高齢者の暮らしに遠慮や容赦がない自分の判断は、時間を持て余す暇な人物として映った。半面、同じ材料で、ぼくは語学の上達に役立つ人間か利己的に計ろうとした。
しかしながら、到着後の最初の日でもあったので、当然のこととして距離感の分からない私は、はじめあまり好意をもたなかった。慣れない生活で、こまごまとした無駄な時間や、それに付随する金を失ったりするのが何より恐かった。目の前にいる国籍の異なる人間を、疑っていいものか、信頼するべきか、その地でのバランス感覚を見つけていない私の気持ちは揺れた。それから、こちらの短い煩悶を見破るかのように不意におじいさんは沈黙を破った。なぜ、ただの会話に過ぎないものを、ここまで大ごとにしようとしていたのだろう。
「戦争でね」頭の片すみにある記憶を引っ張り出そうと頑張っているらしい。「日本はひどい目にあった。わたしも加わっていた」
「ぼくらの世代は何も知らないんです」字義通り、私は何も知らなかった。美しいノスタルジーを感じるときさえあった。「悪く思わないでください」
「うむ」紙袋からリンゴを取り出し、彼はかじりはじめた。「アトミック・ボム」
私はその言葉の意味が分からなかった。日本の米の品種かなと考え、原爆にたどり着くのに時間がかかった。
「ああ、原子爆弾。ウエポン?」
おじいさんは質問には答えずに、自分の内面にもぐり込んでしまったらしい。
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「いつか誰かに話して、もう忘れたい。何遍、そう思ったか。しかし、私には機会がなかった。ある数ヶ月の思い出に私の人生は縛られた。この気持ちをもって、あの世には行きたくない」
私は残酷、残虐な場面を頭に浮かべた。転がった死体。氷のように固まった身体。つづきを聞くのが恐かった。私は何より新しいもの全部が恐いのだという錯覚も生まれる。すべての未知が。
「君は恋をした?」
おじいさんは急に優しい口調で問いかけた。私の顔は赤らんだ。したと胸を張って言えそうだが、実際には、その時点ではまだ知らなかったかもしれない。
「ノー」
「私はまだ二十一歳だった。国に帰れば婚約者もいた。日本から手紙を数通出し、その返事も何度か頂いた。もう戦争は終わっていたが、任務が残っていたので、まだ日本に滞在しているところだ。早く帰って彼女に会いたかった。そばにいてほしかった。それだけが、私の望みだったはずだ」
私にもその気持ちは分かった。分かる権利があるような気もした。
「あと四ヶ月で帰れるはずだったんだ」ことばとは裏腹に切実さや執拗さはなかった。「その時、あるひとりの日本の女性に会ってしまった。彼女が私の人生を変えた。恨んでこう言っているのではない。私の頭のなかに微かにあったヴィジョンがすべて消えた。例えば、帰ってから美しいくつろいだ家庭を築き、子どもが二、三人いて・・・」
5
私はたいして感情移入もせずに、似たような情景があるテンプテーションズのある曲の一節を頭のなかだけで口ずさむかのように転がした。
「私はまだ子どもだったんだろうな。君は、いくつ?」
「十九。ナインティーン」
「そう、子どもだね」
私はこの事実を存分に含んだ言葉にがっくり来た。少しでも大人であろうとしているところに、この曖昧さのない言葉はないだろう。
「子どもっぽさは、抜けてないかもね」ひとりごとのように言い、かろうじて抵抗する。それは簡単に無視される。
「すべて、その女性から教えてもらったと言っても良いだろう。知性。ヒューマン。優しさ。私の知らないものをすべて持っていた。彼女と会う前には、私は人間の精神性についてなんて考えたこともなかった。人間は、まず、肉体のものだと決めていた。しかし、人間の精神の方が、余っ程、言うことをきく。そうなるまでに時間はかかったが」
いまの私は、この葛藤する言葉の二十パーセントぐらいは分かるが、その当時、どれほど、理解したことか。そして、おじいさんは骨董品じみた腕時計をチラと見た。なんだかんだ話し込んでしまったなと思い、自分の時計(カラフル過ぎる)を同じように確認すると、あっという間に五十分ぐらい経っていた。
「つまらない話をしてごめん。だが、これも何かの運命だと思って」そう言い終わると、重い腰をあげた。「じゃあ、これで。ソーリー」
私は首を少し傾けて会釈した。ふさわしい言葉が思いつかないこともあった。運命。縁。そういうものから逃れ、そうしたものを手に入れることを夢想する。
夕日のなかをアメリカの少年が自転車で通り過ぎた。赤いTシャツ。青いスニーカー。この地での私の最初の購入品でもあったコーラは、手のなかでぬるくなっていた。