hiroべの気まま部屋

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仏教思想:中国編(続き)

2016-09-26 11:35:07 | 仏教思想

(散歩にて)


 昨日に続き、仏教思想の中国編(天台・華厳・中国禅・中国浄土)の残り、中国禅と中国浄土です。

 なにぶんにもよく分かっていない者が適当に書いていますので、余計理解不能かと思います。どうぞ、無理せず
パスすることをお勧めします。

 昨日は、天台・華厳の概要をお話ししましたが、この二つの宗派と、中国禅・中国浄土の二つの宗派とは大きな点で
違いがあります。
 前者は、理論的な宗派、哲学的なアプローチで、その意味では難解な思想と言えます。一方後者は、理論よりも実践に
重きを置いた宗派となっています。
 天台でも実践は重要視されていますが、緻密な理論展開に特徴があります。それと、天台の実践法(坐禅や念仏)は
結果として、中国禅の坐禅、中国浄土の念仏として展開されて行くこととなります。

 それでは、中国禅・中国浄土について個別にみていきたいと思います。

 その3「中国禅」。禅はインド古来の瞑想法であるヨガと基本的には同じものです。理論より実践のための宗派と言えます。
したがって、他の三派のように思想的に基本となる経典というものを持っていません。極論すれば思想がないとも言えます。
 中国仏教全般にいえることですが、インドからもたらされた仏教がそのまま中国に定着した訳ではありません。中国古来の思想
である儒教や道教(老荘思想)などの影響を受けて、中国的仏教として変容したと言われています。
 特に大乗仏教の「空」の思想は、中国では道教の「無」の思想と同じものと理解され、受容されていったわけです。
その中でも、中国禅は思想的にはもっとも道教的、極論すれば、道教と同じものと言われています。

 実践主体とはいえ、宗派である以上は布教活動は必要なわけで、そのための思想背景を持つ必要があった訳で、その思想は「華厳思想」を
を背景にしていると言われています。華厳では実践法は重要視されなかった反面、中国禅では、華厳思想を背景に、坐禅の実践が
強調されていったわけです。
 華厳では「現に人はそのまま仏なのだ」というわけです。それは中国禅の思想「人の心は清浄だ、清いものだ、あるがままの今
でいいのだ」に繋がっていきます。
 中国禅は、大きく北宗禅と南宗禅にその思想体系が分かれますが、前者が人の心は本来清いものだ、だから表面の汚れを取るために
坐禅の修行をと主張しますが、南宗禅では、人の心は本来清いものだから今のあるがままでいいのだと主張します。ともかく、ただただ
坐禅をすればいいのだと、頭で考えるより自然体、これが中国禅の基本となっています。
 この思想は日本の曹洞宗の開祖道元禅師の「只管打坐(しかんたざ、悟りを求めたり想念をはたらかすことなく,ただひたすら坐禅
をすること)」に繋がっていきます。

 仏教の勉強をしていて感じることがあるのですが、それはやはり仏教は実践が基本なのだということです。お釈迦さまも苦行の末に
仏教という思想を創造しています。実践が先にあり、その結果思想が、その理論がと発展してきている気がします。したがって、他の
宗教と違って、理屈では理解できない、観念的な部分をある意味無理やり理論化した部分もあって、一般の人にはなおさら難しいのか
とも思います。
 その点では、禅宗というのはその代表なのかとも思います。西田哲学で有名な、西田幾多郎も禅を実践して、その哲学体系を創造した
ということですから、真の仏教を知るためにはその必要があるのかもしれません。

 と、中国禅だけで、かなり長くなったので、中国浄土は明日以降ということにしたいと思います。



 
 


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2 コメント

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中国 禅 (屋根裏人のワイコマです)
2016-09-26 18:45:59
理解できるはずもなく、hiroべさま文章を
二度三度繰り返しますと・・そこにおぼろげ
ながら薄っすらと・・なら説明せよ・・と言われると
話せませんが・・曹洞宗の禅苦行について
その源が・・ここにあったと・・判ってきます
いずれにしても 宗教家は苦行の結果として
多くの人に話しが出来るのですね。
また続きを・・お待ちしてま~す
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ワイコマさん (hiroベ)
2016-09-26 23:15:14
お釈迦様は苦行の結果、仏教の真理を見出だしますが、
実は苦行を否定しているのです。
つまり、苦行を続けた結果苦行は意味がないことに
気がつくのです。

お釈迦様は、極端を排除します。苦行も快楽も両極端を
排除して、「中道」が良いとおっしゃっているのです。
これは「空」の思想の「執着しない」に通じる真理です。
この執着しないが、禅の「あるがまま」につながっていると
思います。
禅の坐禅の修行も苦行が目的ではないということ、
ただただ坐禅を続けなさい、そうすれば見えてくる物がある
ということを教えているんだろうと、今は理解しています。

今だ勉強中で、よく理解できていないのですが、この後
日本編の勉強に入ります。日本編には道元さんもあります。
もっと、勉強して、より理解が深まったら、またご紹介し
たいと思います。
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