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仏教思想:中国華厳思想概要(その14・最終回)

2021-06-01 09:05:49 | 仏教思想
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 中国華厳思想概要の14回目です。そして今日が最終回です。
 前回は「無尽縁起の根拠」の理論的根拠を説明したところで終わりとしましたが、今日は、事実的根拠を説明し、さらに実践的要求について取り上げ締めとしたいと思います。


4.2.2. 無尽縁起の事実的根拠と実践的要求(六相円融)
①無尽縁起の事実的根拠
 論理的根拠はものの見方であって、あまりにも抽象的であり、現実的には把握できないようなところがあります。「もの」そのものに即して無尽縁起をみようとするのが、この項のねらいであるわけです。法蔵は十玄に何が縁起するかの10種のものをあげています。(下表26参照)
 
 ここにおいても、以上の10種は客観的世界の存在する「もの」を表わしているものは少なく、ほとんどが宗教的実践主体とのかかわりによって生まれる概念です。
 これまでの無尽縁起の論理的根拠はきわめて抽象的哲学的な論理のようにみえるが、実はここで述べられた宗教的実践の抽象化であったとことに気づくことになります。

②無尽縁起の実践的要求-六相円融
 十玄門は、智儼-法蔵により体系化されたものであり、華厳思想の至境を表わすものであるとともに、この思想の背景には深い宗教的体験がひそんでいます。
 それは、この無尽縁起を成り立たしめるものは、実践的体験として「海印三昧」(後述)という禅定経験・意識があるのです。華厳思想の究極を知らんと欲すれば、深い禅定の体験に触れなければならないのです。
 ここでの、実践的な要求を満たす思想として、世親の『十地経論』をもとに、地論宗南道派の浄影寺慧遠→第二祖智儼→法蔵と体系化したものに「六相円融」があります。
 六相とは、総・別、同・異、成・壊(じょう・え)の三対(六相)の概念で、これがたがいに円融無礙の関係にあって、一相に他の六相が含まれ、しかも六相のおのおのの分を守ることで法界縁起が成り立つという思想です。
(『華厳五教章』における六相の「屋舎」「人体」の引用例、下表27参照)
 
 以上、「総相・同相・成相」と「別相・異相・壊相」はそれぞれ、同じ視点からとらえたものであるわけです。

4.2.3.中国華厳の実践法-海印三昧
①海印三昧とは
 十玄縁起の無尽円融の思想や性起の考え方をささえるための宗教的実践方法のことをさします。
 法身毘盧舎那仏が海印三昧に入定(にゅうじょう)して、そこから説法したのが『華厳経』であるといわれています。
ここに現れた海印三昧とは、ほとけがあらゆるものに示現するはたらきとして現れる勢力を意味し、この海印三昧の大海のなかに、無量の一切衆生の色像が現ずることをいう。それは一切を包摂し、一切をそこに顕現せしめる、鏡のごとき絶対的境地を意味します。
 そこでは心も自然物も、美も悪も、ありのまま映現する。そのような絶対現実の心を海印三昧と名づけたのです。
 澄観は海印三昧を定義して「無心頓現」といっているが、禅的に理解するなら「無心」の境地といえます。

②華厳の観法
 「海印三昧」を前述では実践法と説明しましたが、実践の結果の境地というのが正しいようです。
 華厳の観法(宗教的実践)を説いた書物には『五教止観』『遊心法界記』『妄尽還源観(もうじんげんげんかん)』などがあげられます。ここでは、教相(教義を理論的に研究すること)と観法とが別なものではなく、教相即観法であり、古来「文義一致」といわれ、教相がすなわち同時に観法となるとしています。
 『妄尽還源観』で説く観法の方法で、その根本をなすものを「摂境帰心真実観(しょうきょうきしんしんじつかん)」と呼びます。これは、観法を三界唯心の立場からとらえているもので以下のように説いています。
「唯識の「境無識有」(境=客観、識=主観)の立場をとりながら、識もまた空なるを主張し、境が唯心であること。→ここでの唯心とは、境と識とが対立的存在としながらも、しかも融会(ゆうえ)していること。つまり、華厳の円融無礙の世界が開けてくること。
→このような事々無礙法界を出現させるには、頓悟(禅宗でいう「見性」という禅経験)が必要となる。」と。

 ということで、ここでも、具体的な実践法は説かれていなく、それは禅宗にゆだねることになります。


 以上、「中国華厳思想概要」完


 ということで、5か月ほどかかってしまいましたが、「仏教の思想」の第6巻をもととした「中国華厳思想の概要」、本日でやっと終えることができました。概要ですから、もっとスッキリと整理しないいけないのですが、難解な内容で、本文の抜粋転記に終始し、なかなか省略できない部分が多く、結果やたら長くなってしまいました。
 
 整理した本人がわけのわからない内容に長らくお付き合いただいた方、本当にありがとうございました。次は、本日の説明の最後の一行に、「ここでも、具体的な実践法は説かれていなく、それは禅宗にゆだねることになります。」とあるように、中国華厳の実践法でもあった「中国禅」について取り上げます。よろしければ、またお付き合いください。しばらく、お待ちください。