前回に引き続き、フレアーです。
当時、世界と名の付くベルトはNWAとAWAの2本のみ。
(もう1本のWWFは世界が付いたり、なくなったり)
AWAのベルトは長らくバーン・ガニアと
ニック・ボックウィンクルが保持していたのを
昭和59年2月23日に日本のジャンボ鶴田が奪取しました。
フレアー以上に「ダーティー・チャンプ」の呼び声の高い
ニック・ボックウィンクル。
このときもどうせ優勢に進めてても最後は逃げられるやろうと
思ってみていたのが、
バックドロップホールドでまさかのカウント3!
ジャンボ鶴田が第30代のAWA世界ヘビー級のチャンピンとなりました。
どうせ3日天下に終わるんやろうと思ってましたが、
ニックとのリベンジマッチも乗り越えアメリカをサーキット、
3ヶ月に渡り16度の防衛に成功しました。
その鶴田を破ったのがAWAの若手の有望株リック・マーテルでした。
そして翌昭和60年10月21日蔵前国技館において
史上初のNWAとAWAの2本の世界タイトルを賭けた世紀の一戦
リック・フレアーvs.リック・マーテル戦が実現しました。
もちろん、誰も王座統一など期待していません。
この二人の世界王者が同じマットで合まみえるコト自体が
あり得ない出来事であり、
本拠地であるアメリカから遠く離れた日本、
それもジャイアント馬場の手腕なくしては
実現しなかったであろう、まさに奇跡の一戦でした。
世紀の一戦も若いマーテルの良さを引き出した
いつものフレアーのスタイル。
この試合の翌日、
鶴田、天龍vs.フレアー、マーテルの世界王者タッグの試合を生観戦しました。
試合前にフレアー、マーテルがそれぞれの世界タイトルのベルトを
誇らしげに掲げた瞬間の場内のボルテージと言ったら、
そりゃもう凄かったです。