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"狂乱の貴公子" リック・フレアー 2

2015年10月23日 | プロレス

前回に引き続き、フレアーです。

当時、世界と名の付くベルトはNWAとAWAの2本のみ。
(もう1本のWWFは世界が付いたり、なくなったり)

AWAのベルトは長らくバーン・ガニアと
ニック・ボックウィンクルが保持していたのを
昭和59年2月23日に日本のジャンボ鶴田が奪取しました。

フレアー以上に「ダーティー・チャンプ」の呼び声の高い
ニック・ボックウィンクル。


このときもどうせ優勢に進めてても最後は逃げられるやろうと
思ってみていたのが、
バックドロップホールドでまさかのカウント3!


ジャンボ鶴田が第30代のAWA世界ヘビー級のチャンピンとなりました。


どうせ3日天下に終わるんやろうと思ってましたが、
ニックとのリベンジマッチも乗り越えアメリカをサーキット、
3ヶ月に渡り16度の防衛に成功しました。

その鶴田を破ったのがAWAの若手の有望株リック・マーテルでした。


そして翌昭和60年10月21日蔵前国技館において
史上初のNWAとAWAの2本の世界タイトルを賭けた世紀の一戦 
リック・フレアーvs.リック・マーテル戦が実現しました。


もちろん、誰も王座統一など期待していません。
この二人の世界王者が同じマットで合まみえるコト自体が
あり得ない出来事であり、
本拠地であるアメリカから遠く離れた日本、
それもジャイアント馬場の手腕なくしては
実現しなかったであろう、まさに奇跡の一戦でした。


世紀の一戦も若いマーテルの良さを引き出した
いつものフレアーのスタイル。


この試合の翌日、
鶴田、天龍vs.フレアー、マーテルの世界王者タッグの試合を生観戦しました。



試合前にフレアー、マーテルがそれぞれの世界タイトルのベルトを
誇らしげに掲げた瞬間の場内のボルテージと言ったら、
そりゃもう凄かったです。

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