アヴィニョン中央駅から北へ急行で15分のところにオランジュ(Orange)の街があります。今回行くまでは、名前も聞いたことがないほどでしたが、そこには古代ローマの大きな遺跡がありました。
古代劇場です。大きいですが、このオランジュの古代劇場を有名にしているのはその大きさよりも背後の壁。建設当時の壁が現存する古代劇場は、わずかに3ヶ所。トルコとシリア、そしてここオランジュにしかないそうです。イタリアにすら残っていない壁のある古代劇場・・・西暦1世紀、アウグストゥスの治世下に建設され、役者が、踊り手が、音楽家が1万人の観衆を魅了したステージ。
当時は悲劇が上演されることが多かったそうで、間に即興の愉快なパフォーマンスが演じられていたとか。
高さ36m、長さ103mという壁の中央・上部にはアウグストゥスでしょうか、ローマの偉人の像が立ち、途中で折れてしまったとはいえ、柱も元の場所に戻されています。こうした折れた柱が物語るように、この大きな壁を残す古代劇場も平穏無事に今日に至ったのではなく、時代の荒波にもまれてきたそうです。壁から家屋が立ち並んだり、土の部分が畑に変えられたり、街を攻め落とそうとする敵の攻撃が加えられたり・・・さまざまな試練を乗り越えて、古代ローマの威容を今日に示すオランジュの古代劇場。そこには古代ローマ人たちの土木技術の素晴らしさが遺憾なく発揮されています。水道橋と同じように、その水準の高さにただただ感じ入るばかりです。
また、当時から客席に身分による差があったそうで、ステージの近くには貴族などの上流階級が席を占め、上の方、つまり天井桟敷には庶民が陣取り、盛んに野次を飛ばしていたそうです。こうした伝統、古代ローマ時代からあったのですね。
ローマ人たちの声が聞こえてきそうな、観客席下の通路。当時からあったというビールを片手に、芝居の話をしながら、昔のローマ人もこうした通路を歩いていたのかもしれません。
外から見た劇場の壁。あまりに大きく、フレーズからはみ出してしまいます。
古代劇場を後に、街の北の端へ向かうと、そこにはシーザーの残した遺跡が立っています。
シーザーのプロヴァンスでの勝利を記念して作られたものだそうで、シーザーの功績を讃える場面が彫られているそうです。黒ずんでしまっていたり傷んでいるところもありますが、何しろ2000年前の石に直接触れることのできる遺跡。改めて古代ローマの技術力の高さに感心させられてしまいます。
この門の下の道は当時、アルルとリヨンを結ぶ幹線道路だったとか。多くの古代ローマ人たちが行き交ったのでしょうね。何を話し、何を考えながら歩を進めたのでしょうか・・・
プロヴァンス地方の北の玄関口であるオランジュ。人口はわずかに3万人ほどですが、古代ローマからの遺跡が残り、この人類の遺産は1981年にユネスコの世界遺産に登録されています。観光地というには整備がまだ不十分な街並みですが、却ってそれが古からの遺跡と不思議とマッチしています。
・・・プロヴァンスの旅。パリからTGVで3時間弱ですが、白く乾燥した土地にはオリーブが茂り、家々の屋根にはオレンジ色がかった西洋瓦が並び、壁も黄色や薄いピンクで、そこに取り付けられた雨戸も水色だったり、草色だったり・・・
(古代劇場の客席から見たオランジュの街並み)
パリとはまったく違った街並みが続いています。そして、異邦人と見るや歩いてくるのを待ってまで場所を教えてくれる親切な地元の人たち。パリはパリ、パリ以外が本当のフランスだ・・・こう地方の人たちが言うのはその通りなのかもしれません。南仏の光と人情。乾いた空気の中で、心は逆に癒されていくようです。
古代劇場です。大きいですが、このオランジュの古代劇場を有名にしているのはその大きさよりも背後の壁。建設当時の壁が現存する古代劇場は、わずかに3ヶ所。トルコとシリア、そしてここオランジュにしかないそうです。イタリアにすら残っていない壁のある古代劇場・・・西暦1世紀、アウグストゥスの治世下に建設され、役者が、踊り手が、音楽家が1万人の観衆を魅了したステージ。
当時は悲劇が上演されることが多かったそうで、間に即興の愉快なパフォーマンスが演じられていたとか。
高さ36m、長さ103mという壁の中央・上部にはアウグストゥスでしょうか、ローマの偉人の像が立ち、途中で折れてしまったとはいえ、柱も元の場所に戻されています。こうした折れた柱が物語るように、この大きな壁を残す古代劇場も平穏無事に今日に至ったのではなく、時代の荒波にもまれてきたそうです。壁から家屋が立ち並んだり、土の部分が畑に変えられたり、街を攻め落とそうとする敵の攻撃が加えられたり・・・さまざまな試練を乗り越えて、古代ローマの威容を今日に示すオランジュの古代劇場。そこには古代ローマ人たちの土木技術の素晴らしさが遺憾なく発揮されています。水道橋と同じように、その水準の高さにただただ感じ入るばかりです。
また、当時から客席に身分による差があったそうで、ステージの近くには貴族などの上流階級が席を占め、上の方、つまり天井桟敷には庶民が陣取り、盛んに野次を飛ばしていたそうです。こうした伝統、古代ローマ時代からあったのですね。
ローマ人たちの声が聞こえてきそうな、観客席下の通路。当時からあったというビールを片手に、芝居の話をしながら、昔のローマ人もこうした通路を歩いていたのかもしれません。
外から見た劇場の壁。あまりに大きく、フレーズからはみ出してしまいます。
古代劇場を後に、街の北の端へ向かうと、そこにはシーザーの残した遺跡が立っています。
シーザーのプロヴァンスでの勝利を記念して作られたものだそうで、シーザーの功績を讃える場面が彫られているそうです。黒ずんでしまっていたり傷んでいるところもありますが、何しろ2000年前の石に直接触れることのできる遺跡。改めて古代ローマの技術力の高さに感心させられてしまいます。
この門の下の道は当時、アルルとリヨンを結ぶ幹線道路だったとか。多くの古代ローマ人たちが行き交ったのでしょうね。何を話し、何を考えながら歩を進めたのでしょうか・・・
プロヴァンス地方の北の玄関口であるオランジュ。人口はわずかに3万人ほどですが、古代ローマからの遺跡が残り、この人類の遺産は1981年にユネスコの世界遺産に登録されています。観光地というには整備がまだ不十分な街並みですが、却ってそれが古からの遺跡と不思議とマッチしています。
・・・プロヴァンスの旅。パリからTGVで3時間弱ですが、白く乾燥した土地にはオリーブが茂り、家々の屋根にはオレンジ色がかった西洋瓦が並び、壁も黄色や薄いピンクで、そこに取り付けられた雨戸も水色だったり、草色だったり・・・
(古代劇場の客席から見たオランジュの街並み)
パリとはまったく違った街並みが続いています。そして、異邦人と見るや歩いてくるのを待ってまで場所を教えてくれる親切な地元の人たち。パリはパリ、パリ以外が本当のフランスだ・・・こう地方の人たちが言うのはその通りなのかもしれません。南仏の光と人情。乾いた空気の中で、心は逆に癒されていくようです。
夜のカフェの町並み、一度訪れてみたいと思っていました。
新緑も芽吹き初めでいい感じの写真ですね。
『パリ以外が本当のフランスだ』名言ですね!
南フランスにこんな立派なローマの遺跡が残っていたんですねえ。
ますます、南フランスへの憧れが強くなりました。
オランジェ・・・って とっても素敵な名前の街があったのですね
初めて知りました・・
とっても 歴史のある街だということと同時に
takeさんの説明してくださる 街の風景 色合いが
頭の中にパァ~っと広がって なんて素敵なんだろう・・・と
たまたま今 『アッチュム!フランスのかわいい古書を探しに』という本を読んでいるのですが
その写真で載っている古書の挿絵の色合いと おそらく似た感じではないかな・・・・?と 楽しく嬉しくなりました
フランスの生活は快適でしょうか?羨ましいです。
私は10年ぐらい前に旅行で1週間パリへ行ったぐらいです。
最近またフランス熱が上がりまして(笑)。
どうしても行きたい場所があります。こちらのブログにも載ってましたが
ホロコースト祈念館です。日本ではまだ発売になっていないようですが
「エレーヌ・ベールの日記」を書いた女性をご存知ですか?
60年以上前に強制収容所にて亡くなったユダヤ人女性です。以前地元の新聞にこの本のことが書いてあり
その表紙の彼女はとても美しくて穏やかな表情をしていた女性でした。
日本でも今年中に発売になってくれればいいのですが。
初めてで長々と書いてすみません。
また楽しいフランスでの生活を語ってくださいね。