50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

作家に生まれるのか、作家になるのか。

2008-01-15 06:12:05 | 映画・演劇・文学
長い歴史を誇る文化大国のフランス、画家や彫刻家、作家、詩人、音楽家、映画監督・・・文化人の多さは枚挙に暇がないほどですね。ですから、毎年、誰かの生誕100周年だとか、200周年、あるいは没後何十年とかといった、アニヴァーサリー(周年)になっています。今年のトップバッターは・・・


このホテルからお分かりでしょうか。それに、もうひとつのヒントは、今日のタイトルにも隠されています(隠れているというより、明白ですね)。ホテル・ボーヴォワール・・・そうです、『第二の性』などでお馴染みのシモーヌ・ド・ボーヴォワールの生誕100周年です。「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」という一文は、あまりに有名ですね。

シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie Bertrand de Beauvoir)という長い本名を持つボーヴォワールが生まれたのは、1908年1月9日。もう生誕100年なんですね。昔、昭和は遠くなりにけり、と言われましたが、もうすぐ「20世紀は遠くなりにけり」になりそうですね。生まれたのは、パリ左岸のラスパーユ大通り。


10日のフィガロ紙なのですが、ボーヴォワールが「左岸」生まれだから、「サガン」と比較しつつ紹介している! なんていうのは日本語だからいえる駄洒落でして、実際は、この20世紀を代表するような女性作家二人に関する評伝がときを同じくして出版されると言うフランス出版界の事情と、サルトルとの関係から実存主義でどこか繋がっている、それでいて、イメージは全く好対照・・・ということで、この二大作家を対比しつつ紹介しているようです。生誕100年のボーヴォワールについてのご紹介となると、私のような専門外の人間にはあまりにも荷が重いので、このフィガロ紙のサガンとの比較の記事で、ボーヴォワール生誕100周年のご紹介にしようと思います。

<生誕と名前>
ボーヴォワールは上の通りですが、サガンは1935年6月21日生まれ。本名はフランソワーズ・コワレ(Francoise Quoirez)。フランス南西部アヴェロン県カジャール(Cajarc)で誕生していますが、この地方の名産は、ブルーチーズのロックフォール。
また、ボーヴォワールには有名な“Castor”というニックネームがあります。ビーバーですね。1929年に高等師範学校時代の友人、Rene Maheuが名付けたそうで、それ以降、ボーヴォワールといえばカストールになってしまいました。
サガンのことは、作家のモーリヤックが“charmant petit monstre”(可愛い怪物ちゃん)と呼んだそうですが、カストールほどには一般的にならなかったようですね。

<テリトリー>
ボーヴォワールほどパリと切っても切れない作家はいないだろうと言われるほどです。哲学教授としてマルセイユやルーアンに住んだ時期やアメリカ、ソ連、中国などへ旅をした以外は、常にパリ、それも左岸のサン・ジェルマン・デ・プレに住み続けました。特に、カフェ・ド・フロール(le Café de Flore)にはその足跡をくっきりと残していますね。そして、1986年4月14日に亡くなり、永遠の眠りについているのも、モンパルナス墓地。事実婚の夫、サルトルの隣です。
一方のサガンは、サンはサンでも、サン・ジェルマンではなく、サン・トロペ。南仏の太陽がサンサンと輝く保養地。そこで繰り広げられる上流階級のちょっとアンニュイで甘美、それでいて悔恨や慙愧の念が微かに入り混じった悲しみ・・・大学はパリへ。ソルボンヌの文学部に入学するも落第、そこで書いた小説が『悲しみよこんにちは』。フランスの大学で落第を経験した方も、これで安心! できるわけないですね。失礼。その後、ドーヴィルのカジノのルーレットで「8」に賭けたところ800万フランの大当たり。そこで、すぐ近く、ノルマンディ地方・オンフルール(Honfleur)郊外に家を買い、そこで暮らすことが多くなったそうです。2004年9月24日に亡くなったのもオンフルールの病院。今は、生まれ故郷・カジャール近くの墓地に眠っています。

<おしゃれとイメージ>
上の写真が端的に二人のイメージを明示していますね。ボーヴォワールと言えば、厳格な哲学教授にして、実存主義、フェミニズム、共産主義といったイデオロギーの権化といったイメージ。「私は幸福にないたい。だから幸福になるのだ」という言葉が言い表しているように、強固な意志の人。頑迷固陋な既存の価値観と戦い続けた人生。それでいて、おしゃれは、気を使わないせいか、そのスタイルは古いまま。ヘアスタイルも、編んで束ねたシニョンにせいぜいスカーフをターバンのように巻くだけ。ファッションも研究に没頭する哲学教授そのものといった風情。
片やサガンは、オープンカーでショートヘアを風になびかせ、軽やかに、屈託なく人生を楽しんでいる、といったイメージ。ファッションもジーンズやチノパンにマリン・セーターや男物のシャツ。古臭いおしゃれのコードを平然と覆してしまった!

<恋愛>
ボーヴォワールといえば、サルトル。戦後の神話となったカップルですね。事実婚でありながらお互いを束縛しないという取り決めだったようで、偶然の愛もあるにはあったようです・・・
サガンは、これは、お忙しい! 結婚は2度。しかし、恋愛は星の数ほど。まるで、お祭り。真剣なといった表現は似合わないようです。

<左翼>
ボーヴォワールの政治的・思想的立場は、急進左派。実存主義、共産主義、反植民地主義、反帝国主義、フェミニズムが一点に集まったところにボーヴォワールがいると言われているそうです。
一方のサガンは、左は左でも、左党、お酒飲みです。キャビアをつまみにシャンパンで乾杯。政治的には、社会党のミッテラン大統領とお友達だったようですが、政治信条がどうとかではなく、その肩書きが魅力だったのではとも言われているようです。

<映像化>
サガンの小説は、『悲しみよこんにちは』や『ブラームスはお好き』をはじめ、いくつもの作品が映画化されています。サガン自身がメガフォンを取ったことすらあるほど。サルトルとの交友があり実存主義的影響があるとはいえ、その作品は映像化しやすいのかもしれないですね。
一方、ボーヴォワールの作品では、『他人の血』が唯一映画化されているだけです。イデオロギーを中心に据えているだけに、映画化はしにくいのかもしれないですね。その分、テレビ番組ではよく題材として取り上げられているようです。

・・・いかがですか、20世紀を代表する作家の二人とはいえ、全く対照的ですね。でも、その二人がともにフランスでは受け入れられている。堅物と敬遠されることも、軽佻浮薄と無視されることもなく、21世紀に入った今でも、評論やテレビ番組などで取り上げられ、その作品は読まれ続けています。フランスでは、その大地同様、文学の地平も広いようです。

ところで、硬く厳しいイメージのボーヴォワール女史ですが、彼女のヌード写真があったのをご存知ですか。


13-14日付のル・モンド紙ですが、「裸のボーヴォワールを見た男」という見出しです。彼女の真実を見極めた人かと思ったのですが、文字どおり彼女のヌードを写真に収めたカメラマンの紹介です。

アメリカ人のArt Shay。記事の写真は、1962年、若かりし日のカメラマンと奥さんだそうです。彼がボーヴォワールのヌード写真を撮ることになったのは・・・

彼の友達の一人に、Nelson Algrenという男性がいた。この男性は、ボーヴォワールのアメリカの恋人! サルトルとは事実婚ですが、お互いの恋愛は自由だったとはいえ、それにしても堂々とシカゴにある恋人のアパートに滞在していたボーヴォワール・・・ちょっとイメージが違ってきますね。そのアパートにはシャワーがなかった。そこで、Algrenから頼まれたカメラマンが女友達のアパートを紹介し、連れて行った。風呂上りに髪をとかすボーヴォワール。その背中は無防備にもはだけたまま。そこにカメラマンの本能がうずいて、シャッターを切った。裸の背中が見える写真。でも、ボーヴォワールは特に怒ったりしなかったそうです。

カメラマンはその写真のことは忘れたことはなかったそうですが、ネガを紛失してしまった。それをついに発見したので、2000年に出した自分の写真集で発表したそうです。その写真が“Nouvel Observateur”(ネーヴェル・オプセルバトゥール誌)の1月3日号に出ていたそうで、さらにこの4月にはパリの画廊(la galerie Albert Loeb)でもいくつかの写真とともに公開されるそうです。美しいが、魅力的かどうかは・・・という写真だそうですが、関心のある方は、どうぞ。

というわけで、生誕100年のボーヴォワールと、そして何かと対照的なサガン。こうして紹介されていますから、これも何かの縁(突然、日本的です)。久しぶりに読み返してみてはいかがでしょう。あるいは億劫にしていたドアを思い切って叩いてみてはいかがですか。でも、日本では絶版になってしまっているのかどうか・・・それが問題だ!(幕)

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい! (神戸のオバハン)
2008-01-15 10:32:41
二人の全盛期 こちらも最も多感な時期 本も映画も堪能しました。新年から古き良き時代を懐かしんでおります。Simone de Beauvoir nue? どんなでしょうか? ホンの少しだけミーハー。
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背中 (take)
2008-01-15 17:47:48
神戸のオバハンさん

私も少しだけ・・・です。何軒かのキオスクで聞いたら、1月3日号はさすがにもう売り切れ。あとはどこか図書館で見れるだろうと思っています。
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二人の女性 (Bon)
2008-01-15 17:56:45
ボーボワールとサガン本当に対照的な二人ですね。
とても興味深く読ませていただきました。
サガンは何十年も前になりますが、青春真っ盛りの頃ロマンティックな題名に惹かれて何冊か読みました。
彼女のファッションも好きでした。
『悲しみよこんにちは』はテレビでですが映画も見ました。
ノンポリの私はボーボワールは手が出ませんでした。
ボーボワールのヌードは見たくないような、見たいような・・・・。
サガンが懐かしくなり、ネットで探してみましたら、晩年は随分すさんだ生活をしていたらしいですね。
彼女を偲んで、もう一度読んでみようと思います。

前のブログで恐縮ですが、足の裏のツボの板、我が家にもあります(笑)もちろん日本語バージョン。
一度乗ったら痛くてしまいっぱなしです。
フランス語バージョンもあるのですね!

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お見せしますです (Bruxelles)
2008-01-15 20:04:46
偶然昨日みつけました。
そして今日自分のBlogに書いたところです。
http://blog.goo.ne.jp/correspondances/e/4cb9bfd7e488765582e5388f76aa69c0
これがCorrespondancesの今日の記事へのリンクです。
文中にリンクを張っていますが、以下がその背面ヌードです。
http://www.rue89.com/2008/01/07/le-nu-de-beauvoir-excite-la-blogosphere?page=0#commentaires
自分のもうひとつのBlogにはObsの画像をずばり入れました。
http://goodlucktimes2.blog80.fc2.com/blog-entry-24.html
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悲しい・・・サガン (YOKOAIKO)
2008-01-15 22:49:58
前回のテーマではありませんが、サガンはとうり縋り
の浮浪者に持っていたお財布をカラにするような
ことが一度や二度ではなかった聞きました。
お金があれば、シャンパン・カジノ・・・仏人には
珍しく?「お金は天下の回り物」的感覚の彼女は
一銭もなくなって、相手にしてくれる人ががいなくても、本当にナィーブなお嬢様なのか、彼女の超越した
大きさなのか、人を恨んだりしなかったサガン・・・
こんなイメージが、個人的にはあります。お葬式は
ごく少数の友人・知人に送られたというのが
悲しいです。でも彼女はそんなことどうでもいいん
でしょうね。
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ツボ押し (take)
2008-01-16 02:20:22
Bonさん

そうですか、同じツボ押し板が日本にも。でも、本当に痛いですよね。心臓に悪いような痛さですものね。この板、世界的になっているのかもしれないですね。オリジナルはどこでしょう、やはり中国なのでしょうか・・・
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お宝映像 (take)
2008-01-16 02:25:17
Bruxellesさん

ありがとうございます。拝見しました!!! 

これが、ボーヴォワールですか・・・想像していたのよりは、ずっときれいですね。顔が写っていないせいといったら叱られそうですが。それに、ビキニの跡も。確かに、貴重な写真ですね。

本当に、ありがとうございました。
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超越 (take)
2008-01-16 02:30:38
YOKOAIKOさん

なるほど、世間の評判だとかなんだとか、そんなことはどうでもいいのでしょうね。常識を突き抜けた大きさがあったんでしょうね。

いい話をありがとうございました。一冊くらい、原書で読んでみようかという気になりました。
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タイミングずれましたが.. (Bruxelles)
2008-01-18 19:01:37
今日最新2月号の「文学界」で村上香住子さんの「フランソワーズ・サガンとの出会いと別れ」という文章に出会いました。何度か接触を持った日本の方で、結構サガンの生活ぶりが良くわかりました。
タケさんのParisでは日本の本は手に入りにくいかもしれませんがサガンに興味のある日本の方は、図書館ででもご覧下さい。・・・
Barbaraとサガンは、少女時代(Barbara一家がゲシュタボから隠れているころ)に出会っていて、その後も交際があったようです。サガンの別荘で出来上がった曲も確か1曲あったと記憶しています。by PLANETE BARBARA
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情報 (take)
2008-01-19 01:28:57
Bruxellesさん

いつも貴重な情報をありがとうございます。『文学界』・・・これも懐かしい名前です。高校、大学の頃読んでいました。そうですか、その最新号にサガンに関する文章。忘れずに、日本に戻った際に読んでみますね。きっと、図書館にバックナンバーで残っているでしょうから。
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