50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

プロヴァンスへ① 法王庁と、あの橋~アヴィニョン

2008-04-22 00:10:00 | フランス
プロヴァンスでの拠点にしたのは、アヴィニョンの街。パリからTGVで2時間40分ほど。この街からはアルル、エクス・アン・プロヴァンス、オランジュなどの街へ鉄道網が放射線状のように延びていて、乗り換えなしで行くことができます。

そして、アヴィニョン(Avignon)といえば、14世紀の法王庁の跡と、♪橋の上で輪になって踊ろよ・・・で有名なサン・ベネゼ橋。


ローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋(le Pont Saint-Bénézet)が完成したのは12世紀。当時は当然、対岸まで続く全長900メートルの橋でした。ローヌ川最下流の橋ということで、アヴィニョンを交通上、商業上いっそう重要な街にしたそうです。

しかし、ローヌ川の度重なる洪水で、対岸側から崩れ、今では4本の橋げたと聖ベネゼを祀るサン・ニコラ礼拝堂(Chapelle Saint-Nicolas)を残すだけになっています。


サン・ニコラ礼拝堂の壁面ですが、数多くの落書きが。お陰で鉄柵ができてしまっています。文化遺産の重要さに思い至らない人は、世界中どこにもいるようですね。一度傷つけられてしまったものは、元には戻らない。残念なことです。


橋見学の入り口であるシャトレ(Châtelet)には、有名な歌を紹介するスペースもあり、ミレイユ・マチューなどの歌声でこの曲を聴くことができます。
♪Sur le pont d’Avignon, on y danse, on y danse
Sur le pont d’Avignon, on y danse tout en rond♪
(アヴィニョンの橋の上で、踊ろよ、踊ろよ、
 アヴィニョンの橋の上で、みんなで輪になって踊ろ)
橋の上で、輪になって踊っていた家族もいて、ほほえましい光景でした。

このサン・ベネゼ橋のすぐ脇にあるのが法王庁宮殿。

フランス人であった法王クレメンス5世が法王庁をアヴィニョンに移したのは1309年。十字軍の失敗などから教皇権が衰退し、時のフランス王フィリップ4世のチカラに屈するカタチでの移転だったそうで、古代のバビロン捕囚に因んで「教皇のバビロン捕囚」とも言われているのはご存知の通り。1377年まで7人の法王が即位したようですが、その後法王がローマに戻っても、フランスの後押しを受けた別の人物が法王としてアヴィニョンで即位し、ローマの法王とアヴィニョンの法王がともにその正統性を主張し、教会大分裂といわれる事態になってしまったとか。さらに失墜した法王や教会の権威を前に教会改革の動きが出始め、やがては、近代の宗教改革にまで繋がるのだそうです。

という歴史を持つアヴィニョンの法王庁宮殿。見上げる巨大な壁の高さは50m、厚さは何と4m。

フランス革命時に多くの像が破壊されたり、持ち去られてしまったりしたそうで、今日では当時の華やかさはほとんど見る影もないのですが、それでも、さまざまな資料や現存する品々などにより、当時へ思いを馳せることもできるような展示になっています。また、金色に輝く聖母像と磔刑に処されたイエスの像が遠くからも見えるよう、宮殿の上とすぐ前に飾られています。

わずか68年といえども法王庁があり、またローヌ川の水運などを利用して商業の中心地としても栄えたアヴィニョン。

文化や芸術の香り高い伝統も併せ持つからでしょうか、今でも、街並みは落ち着いた美しい佇まいで、多くの観光客を惹きつけています。

そして、その中心地である歴史地区は1995年にユネスコの世界遺産に登録されています。


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