黄葉はげし乏しき銭を費ひをり (石田波郷)
紅葉 (秋の季語:植物)
紅葉(もみじ・こうよう) 黄葉(もみじ) もみぢ
濃紅葉(こもみじ) もみいづる もみづる
照葉(てりは) 照紅葉(てりもみじ)
● 季語の意味・季語の解説
晩秋、野山を彩る紅葉(もみじ)は、雪月花、時鳥(ほととぎす)とともに五箇の景物と称され、和歌、文芸、芸術の中で重んじられてきた。
紅葉は日本人の愛でる自然美の代表的なものである。
障子しめて四方の紅葉を感じをり (星野立子)
楓(かえで)など赤くなるものは“紅葉”、銀杏(いちょう)など黄色くなるものは“黄葉”と書き、ともに「もみじ」と読む。
日照時間の長い夏、樹木の葉は光合成を行うためのクロロフィル(葉緑素)をたっぷり持っており、緑色に見える。
しかし、秋も深まり日が短くなると、葉は光合成をやめるため、クロロフィルは分解されていく。
すると、もともと葉の中にあった、カロテノイドと呼ばれる色素が目立ち始め、葉は黄色く色づく。
これが「黄葉」である。
黄葉はげし乏しき銭を費ひをり (石田波郷)
黄葉描く子に象を描く子が並び (稲畑汀子)
また、樹木の中には、自らが葉に蓄えた糖分を光と反応させて、アントシアニンと呼ばれる赤い色素を生み出すものも存在する。
こうして作り出されるのが「紅葉」である。
紅葉焚くことも心に本を読む (山口青邨)
紅葉すと靴濡らすまで湖に寄る (山口誓子)
特に深く色づいたものは、濃紅葉(こもみじ)と表現することもある。
濃紅葉に涙せきくる如何にせん (高浜虚子)
アントシアニンは、有毒な活性酸素を発生させる青い光をよく吸い取り、樹木を守ると考えられている。
秋の葉が赤く見えるのは、アントシアニンが青系統の光を吸い取って、赤系統の光を外に反射させるからである。
「もみいづる」「もみづる」といった動詞は、このように木々の葉が赤や黄に染まっていく様子を表現する言葉である。
そして、赤や黄に染まった葉は、明るく輝いて見えるため、これを照葉(てりは)、照紅葉(てりもみじ)と言う。
ところで、紅葉と言う季語は、夕紅葉、谿紅葉(たにもみじ)、紅葉川、紅葉山、紅葉寺、紅葉宿などのように、他の語とよく結びついて俳句に用いられる。
上手な結びつきを思いつくと、心に残る佳句が生まれやすい。
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (三橋鷹女)
紅葉寺重文百雪隠を遺す (安住敦)
月までの提灯借るや紅葉宿 (高野素十)
また、実際に色づく木々の名を冠して、桜紅葉、柿紅葉、漆紅葉(うるしもみじ)、柞紅葉(ははそもみじ)、櫨紅葉(はぜもみじ)、檀紅葉(まゆみもみじ)、葡萄紅葉、銀杏紅葉などと表現することも多い。
柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ (水原秋櫻子)
単に「紅葉」とした場合は、「楓(かえで)」を指す。
「花」と言えば「桜」を指すのと同じである。
● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方
何といっても、紅葉はその色で人の心を惹きつけます。
絵画を描くようなつもりで、鮮やかな赤や、赤・黄・緑の彩りを俳句に表現してみましょう。
もみぢ葉のおもてや谷の数千丈 (岡田千川)
山口もべにをさしたる紅葉かな (杉木望一)
たに水の藍染かへて紅葉かな (中川乙由)
手浸せり紅葉散り敷く冷泉に (凡茶)
また、紅葉の美しさは、人の心にしみてきて、胸のあたりを少し痛くします。
つまり、紅葉は愛し(かなし)という感情を見る者に抱かせます。
次の蕪村の二句からは、「愛し」がよく伝わってきます。
ふた葉三葉ちりて日くるる紅葉かな (与謝蕪村)
山暮れて紅葉の朱を奪ひけり (与謝蕪村)
朱=あけ。赤色のこと。
そして紅葉の美しさは、常に寂しさを帯びています。
それは、紅葉がまもなく散って落葉となり、やがては朽ちていく定めを負っているからにほかなりません。
寂しさを感じる紅葉の俳句を三つ紹介します。
私は、一句目の蓼太の句が大好きです。
掃く音も聞えてさびし夕紅葉 (大島蓼太)
山彦の我れを呼ぶなり夕紅葉 (臼田亜浪)
濃紅葉やいつもひとりで笛吹く子 (凡茶)
濃紅葉=こもみじ。赤が濃くなった紅葉。
参照 http://haiku-kigo.com/article/169207091.html