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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

タヌキのポン!

2018-01-13 08:29:58 | 講演

2018年1月13日に多摩動物公園で「タヌキのポン!」と題して講演をしました。200人もの方が来られ、広い会場でしたが、ほぼ満席でした、


会場のようす

以下はそのときの記録です。

 はじめに、動物園にいるさまざまな動物のイラストをホワイトボードにはりつけて、タヌキがどういう動物の仲間なのかを知ってもらうことにしました。多摩動物公園のおもな動物のイラストを用意していたのですが「どういう動物を見ましたか?」と聞いたら、ユキヒョウとかシフゾウとか、用意していないものが飛び出したので、その場で描いたのですが、うまく描けませんでした。でも会場の空気はやわらぎました。それで、タヌキがクマ、ライオン、オオカミなどの仲間だということを確認しました。


動物のイラストをはってグループ分けをする。写真提供 多摩動物公園


 さて、タヌキと聞いて「それは何のことだ?」という人はいません。知っているのです。でも、タヌキがどういう動物で、どういう暮らしをしているかということを知っているかというと、実はほとんどの人はよくは知らないはずです。その意味ではパンダも同じです。みんなが知っているのに、あれが野生動物だということを正しく認識している人はほとんどいません。
 それでもパンダは貴重な動物であり、研究者は機会があるなら調べてみたいと思いますが、タヌキは珍しくもないし、とくに不思議な性質を持っているわけでもないので、誰も注目しませんでした。私はそれに挑戦してみたいと思いました。

 タヌキは「お人よしな動物」というイメージがあります。キツネと比べると胴体が太く、足が短く、目の周り、肩などに黒い模様があります。


キツネとタヌキの体型


 このように、見かけはイメージに影響しますが、私たちはこの模様に強い印象を受けるようです。タヌキとキツネとアライグマの顔を、毛を短くして、模様なしで見ると似たりよったりですが、模様をつけるとタヌキとアライグマが愛嬌のある顔に見えます。私はタヌキとキツネの顔の輪郭に、キツネとタヌキの模様を描いてみました。するとどう見ても輪郭はタヌキでも、模様がキツネのものはキツネにしか見えません。それだけ、模様が強い印象を与えるということです。


左は上がタヌキ、下がキツネの輪郭で、中央は正しいもの、右側は模様を逆にしたもの


 ある人がパンダの目の周りの模様を画像処理をして、白くしましたが、そのパンダは全然かわいくありません。私たちはパンダのあの目の周りの模様にだまされといるといえるかもしれません。これを紹介したら、会場から歓声が上がりました。
 今日の話の中で、「ポン!」と手を打ったように納得できたら「タヌキのぽん!」ということにします。
人が模様に影響を受けやすいというのは「タヌキのポン!」です。

 さて、私は小平に住んでいますが、玉川上水があります。ここにはタヌキがすんでいますが、これをセンサーカメラで撮影したら確かに撮影されました。ところが周辺の「孤立緑地」(連続しない公園などの緑地)では撮影頻度が低く、連続した緑地である玉川上水のほうがタヌキにくらしやすいようだということがわかりました。これも「タヌキのポン!」です。


玉川上水と孤立緑地でのタヌキの撮影率


 この地方は江戸時代に検地がおこなわれ、雑木林と畑地がほぼ半々だったことがわかっています。それが、開発される中で緑が減っていきました。まだ小さな緑地は点々とありますが、タヌキがすむにはある程度の広さが必要ですから、緑地はあってもタヌキがいないというケースがよくあります。しかも玉川上水を横切る道路ができ、今後も予定されています。そうなると今の玉川上水でもタヌキのすめない場所が増えると危惧されます。


細い緑である玉川上水のまわりにはたくさんの緑があり、タヌキもたくさんいたはずですが、緑地が孤立するとタヌキはすめなっくなりました(X印)。しかも道路が玉川上水を分断すると玉川上水さえタヌキがすめなくなるかもしれません。

 さて、私は玉川上水に接した緑の豊かな津田塾大学に着目しました(こちらもどうぞ)。調べてみたら、確かにタヌキがいました。そして、タメフン場をみつけて、マーカーによって調べたら、その動きがわかってきました。

 また、糞を分析をして、タヌキの食物の季節変化が明らかにしました。タヌキは果実を軸とし、果実がなくなる冬や春に哺乳類や鳥類を、春と夏には昆虫を食べていました。


津田塾大のタヌキの糞組成の季節変化


 ただし、津田塾大のタヌキがよく食べる果実はギンナン、イチョウ、ムクノキなど高木種に限定的で、郊外のタヌキがよく食べるキイチゴ類、クワなど明るいところに生える低木類の種子は糞から出てきませんでした。それはなぜか?
 ここで重要なのは、糞から出てきた小さな種子の名前がわかること、それだけでなく、その種子を含む果実、その果実をつける植物がどこに生え、どういう育ち方をするかという知識が役に立つということです。私は日々、果実や小動物の標本を作っていますから、種子の多くは名前がわかり、その植物の生育状態がわかります。だから、糞を分析すると、そこからさまざまなストーリーが読み取れるのです。

 津田塾大学のタヌキの糞からは、カキノキ、イチョウ、ムクノキ、エノキがよく出てきました。これらは栽培植物を含めて高い木です。なぜ明るい場所に生える低木の種子が出てこないのでしょう。調べてみたらその理由がわかりました。津田塾大学の林はシラカシを主体として常緑広葉樹で話の下は暗くて、キイチゴなどは生えていないのです。その理由もわかりました。今から90年前に津田塾大学の前身がここに移ってきたとき、砂嵐がひどいので、シラカシなどを植林したという記録がありました。そのために林は暗く、下生えが乏しいために、タヌキは高木の果実が落ちてきたものを食べるしかないということなのです。このストーリーが読み取れましたので、「タヌキのポン!」です。


津田塾大のタヌキの糞からよく出てきた種子


その果実


 関連して、別の分析例を紹介しましょう。仙台の海岸にはタヌキがすんでいましたが、2011年の東日本大震災のときに9mもの津波が襲いました。タヌキは全滅したはずです。ところが1年半後に戻ってきたことが確認され、私の知人が2年後にタメフンを見つけて送ってくれました。それを分析したときも、植物について「読み取り」ができました。多かったのはドクウツギ、テリハノイバラ、ノブドウなどでした。ドクウツギとテリハノイバラは海岸に生える低木で、津波のときに破壊的なダメージを受けたはずですが、根は残り、2年後には花を咲かせ、実をつけて、タヌキが暮らせる環境が蘇ったのです。これは私にとって感動的なことでした。これも「タヌキのポン!」です。



仙台海岸の津波後に復帰したタヌキの糞からよく検出された種子

上の種子をつける果実


 さらに仙台海岸のタヌキは人工物も食べていました。


仙台海岸のタヌキの糞から検出された人工物。上左:ゴム手袋、上右:輪ゴム、下左:発泡スチロール、下右:ポリ袋


 つまり、環境の変化に応じて食べ物を変え、たくましく生きる、これがタヌキの真骨頂。だからこそ、都会でも生き延びているのだと思います。これも「タヌキのポン!」です。

 そこで、津田塾大学のタヌキの食性を論文に書きました(仙台海岸は未完)。



 タヌキの食性の論文といえば、2016年に天皇陛下が皇居のタヌキで、同じ糞分析をして論文を書いておられます。



 思えば、世界広しといえど、タヌキの糞をひろって分析する人などそうはいません。それを天皇陛下がしておられることを知り、私は「同志」のような共感を覚えたのでした。そこで私は次のような短歌を作りました。




 これを紹介したら、会場から拍手が沸きました。

 さて、タヌキは果実を食べて栄養を得ているので、食べることを通して得をしていると思いがちですが、植物からすれば、ただ果実をプレゼントしているわけではありません。植物側からみれば、果実を提供して、タヌキを利用して種子を散布させているわけです。




 実際、タヌキのタメフン場にはムクノキなどの芽生えがたくさんあります。これにより「タヌキが森林で種子散布という役割を果たしている」ということがわかりました。「タヌキのポン!」です。

 タヌキが糞をすると種子が運ばれますが、それと同時にその糞を利用する糞虫がいる可能性があります。そこでトラップを作って玉川上水に糞虫がいるかどうかを調べたら、コブマルエンマコガネがよくいることが確認されました。コブマルエンマコガネを飼育したら、ピンポン球ほどの馬糞を1日でこなごなにばらすことがわかりました。


ピンポン球くらいの馬糞をおいた容器に5匹のコブマルエンマコガネを入れたときの分解過程


 その動画を紹介したら、会場から歓声があがりました。

 それから2つの子供観察会のようすを紹介しました。ひとつはタヌキの糞分析、もうひとつは糞虫の観察です。
 糞分析のときは、子供にタヌキの話をして、笹薮をかき分けながら進んでタメフン場に行きました。







 そしてセンサーカメラの結果をみたり、糞を水洗いして中身を拡大鏡でみてもらうなどしました。

 また頭骨の観察もさせたので、子供はしたことのない体験に大喜びしていました。最後に「タヌフン・ミニ博士認定証」と手作りの紙粘土のタヌキをプレゼントしました。これは私にとって初めての、とてもよい体験になりました。



 夏には糞虫観察をしました。




 前日にトラップをしかけたところ、9個のトラップ全部に8匹くらいのコブマルエンマコガネが入っていて、子供たちはとてもよろこびました。


トラップにはいっていたエンマコガネ


 それを武蔵野美大にもっていって、顕微鏡でみてスケッチを描いてもらいました。



 子供にしか描けない、のびのびとした個性的な作品でした。



 この観察会では発泡スチロールでタヌキの模型を作って消化のようすを説明し、また紙粘土で糞虫の拡大模型を作りました。




紙粘土で作ったコブマルエンマコガネの模型


 最後に糞虫と犬の糞をお土産にわたしました。


糞を渡されて鼻をつまむ男の子


 あとですてきな手紙が届きました。



 子供達は糞虫について大人のような偏見を持っていませんでした。それで、私は考えました。私たちはきれい、きたない、かわいい、気味がわるいなど、見かけで、あるいは見もしないで偏見を持ちがちだということです。しかし糞虫の例で見たように、正しく平明な目でながめれば、きたないどころか偉大な役割を果たしていることがわかります。つまり、偏見は知らないところから生まれるということで、逆にいえば、相手を知ることは自分が陥りがちな偏見から解放できるということだと思います。

 ここで少し違う話題に移ります。よくタヌキやキツネは化かすといいます。その化け方もタヌキはちょっと失敗したりすることになっています。私なりにそのわけを考えてみました。
 野生動物は人や敵に追われたとき、逃げながら藪に入ったりするときにチラと後ろを振り返ります。できるだけ追ってから逃れるためです。人間だと、たとえば万引きをする人は辺りをチラチラとうかがったりします。信念を持った、たとえばマララさんのような人は、権力が「悪いこと」とすることでも堂々と挑戦しますが、野生動物でそんなことをしたら殺されていまいます。だからタヌキに限らず、サルでも同じ行動をします。しかしタヌキやキツネは人里に住んでいました。江戸にはタヌキもキツネもいたことがわかっています。当時の江戸は夕方になれば暗くなり、家の先には暗い空き地があり、そこにはいろいろな動物や化け物がいると信じられていました。そういうところで、タヌキが人に追われてクルリと振り向いてチラリと睨んだら、人は「あやしい」と思ったはずです。あやしい奴だから何か人に悪さをするだろう。ああいうやつはきっと化かすにちがいないとなったのかもしれません。これはちょっと自信がないので「タヌキのポン!」と言うのは控えましょう。

 いずれにしてもタヌキはいつでも日本人のそばにいました。室町時代にできたとされる「かちかち山」のタヌキは畑の作物を荒らす害獣として描かれ、おじいさんにつかまって縛られて、おばあさんに「こいつを狸汁にしろ」と言われます。タヌキはおばあさんをだましておばあさんを汁にしていまいます。それを怒ったおじいさんがウサギに頼んでカタキをとってもらうのですが、そのやり方はとても残酷なものです。背負った薪(まき)に火をつけて火傷させ、お見舞いにいって薬といって唐辛子をすりこみ、最後は船に乗って漁に行き、自分は木の舟に乗り、タヌキは泥の舟に乗せて、沈めてしまいます。
 時代が下って「分福茶釜」ができますが、こちらは貧しくやさしい古物商の若者がタヌキを助けたら、お礼にといって茶釜になってお茶好きの和尚さんに買ってもらって恩返しするのですが、お茶を沸かすことになると、熱くてがまんできなくなり、タヌキに戻ろうとするのですが、胴体の茶釜はそのままのおかしな姿になる。それを活かして綱渡りの見世物をして人気を博し、お金を得て、若者に恩返しをするという話で、ここでは害獣の姿はなく、マヌケでお人よしの動物として描かれています。
 そして現代では無邪気な少年のようなイメージで、人を化かすでも、まして農業被害を出す迷惑な動物でもないイメージに変わっています。
 もちろんタヌキそのものが変わったのではなく、タヌキをみる日本人の目が変わったということです。平和な時代が続けば動物にもおだやかな視線が注げるようになるということだと思います。

 タヌキと日本人との関係を考えると、タヌキは柔軟な生活ができ、環境が変わったら変わったで、食べ物でも生活パターンでもシフトすることができるというのが特徴です。驚くべきことに東京の都心でも生き延びています。最近、友人からもらった立川駅の線路の脇を悠然と歩くタヌキの動画を紹介したら、「へえー」という声が上がりました。
 しかし、このたくましいタヌキも、配慮なく生息地を奪えば行き場を失っていなくなってしまう危険性は大いにあります。人が自分たちの利便性だけを追求することを続ければタヌキは生きていくことができなくなってしまいます。

 このことから、小さな鳥であるミソサザイのアイヌ民話を紹介しました。
 美しい森にクマが現れての乱行をしました。




それをみたミソサザイが人の姿をしたサマイクルの神にクマをこらしめてくれといいました。ツルやフクロウの神は「お前みたいな小さなものに何ができるか」とバカにしましたが、サマイクルの神は「ミソサザイさん、がんばってくれ」といったので、ミソサザイは感激しました。




鳥たちが6日間、戦うあいだサマイクルの神は片方の足を準備しただけでした。それからまた6日かってもう片方の準備をしました。最後に穴に入ったクマにやを放ってとうとう退治しました。



森に平和がもどってきたとき、サマイクルの神が「ミソサザイさん、私の手にとまりなさい」といってその勇気を讃え、小さいからといってバカにしたり、偏見をもつことはよくないと言いました。




サマイクルの神は続けました。「実はもうひとりほんとうの勇者がいたのです。それはホタルです。ホタルがクマの目のまわりで光ってくれたので、弓を射るときの目印にできたのです。神が創るものに無駄なものはないのです」と言いました。





 そのことからレイチェル・カーソンの「地球は人間だけのためにあるのではありません」という言葉を紹介しました。そう考えると、ここまで残され、タヌキがくらせる玉川上水をこれ以上破壊してはならないし、そのための努力をしなければならないという思いを強くします。そのことは日本中のタヌキについていえることだし、タヌキの未来は、私たちがこの国をどういう国にしようとしているかにかかっていると思います。

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 このあと動物園のタヌキ担当の中島亜美さんのお話と、質問の紹介がありました。最後に「ビリーブ」という歌を歌いました。歌うときに、モンゴルやスリランカで写した写真を紹介しました。

 玉川上水のタヌキがすめなくなるかもしれないという話のあとだったので、「世界中の希望をのせて、この地球はまわってる」
「世界中のやさしさでこの地球を つつみたい」
「いま素直な 気持ちになれるなら 憧れや 愛しさが大空に はじけて耀るだろう」
といった歌詞が心に共鳴しました。



 会場からアルトのパートを歌う人のとてもよい声が聞こえました。きれいにハモっていました。

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