慶喜

心意気
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「ウラルの彼方」「神功皇后 三韓征伐」

2023年08月17日 | 政治
🌸三韓征伐を再現せよ(神裔たちの日清・日露戦争)

旧制高校の勇猛な『寮歌』
 ☆第一高等学校で、勇ましい歌声が響き渡った
 *遼東半島を取り返し、ロシア艦隊を葬り、シベリア深くに攻め込む
 *砲火に焼かんウラジオや シベリア深く攻う入らん
 *日露戦争の宣戦布告一日後のことである
 ☆旧制高校、全寮制でも管理主義的なものではなく
 *寄宿舎の運営はもっばら寮生の自治に任された
 *旧制高校には、自分たちだけに許された自治寮生活を謳歌しょうと
 *進んで寮歌をつくり、うたう伝統があった
 ☆「ウラルの彼方」も寮生により作詞された
 *ウラルの彼方風荒れて 東に翔ける鷲一羽
 *遠きシベリアも はや時の間に飛び過ぎて
          (中略)
 *これ時宗の生まれし地 これ秀吉の生まれし地
 *一千の児が父祖の国 光栄しるき日本国
 *荒鷲今や南下しつ 八道の山後に見て
 *大和島根を衝かんとす 金色の民鉾執れや
 
 *ロシア(鷲)がシベリアを越えて、朝鮮(八道)を踏み渡り
 *いま日本列島(大和島根)を襲おうとしている
 *モンゴル襲来(元寇)を打ち払った北条時宗
 *朝鮮出兵を行った豊臣秀吉の子孫である日本人
 *いまこそ武器をとれ
 *「一千の児」とは、 一高の生徒数
 ☆戦前の軍歌、愛国歌、唱歌、校歌、寮歌、社歌など
 *基本的に七五調で書かれているので
 *だれでもパズル感覚で歌詞をつくりやすく
 *既存のメロディーにも当てはめやすかった

軍歌にたびたび登場する神功皇后
 ☆「ウラシルの彼方」のつづきには
 *北条時宗と豊臣秀吉以外、神功皇后が登場している
 ☆日清戦争のときは神功皇后の登場顕著だった
 *「神功皇后 三韓征服の歌」「神功皇后三韓征伐の歌」等
 ☆ラジオもテレビもインターネットもない当時
 *軍歌は新聞以上に効率よく戦況を伝える、格好のメディァだった
 *連戦連勝に興奮した日本人は、歌詞が書かれた本を争って買い求めた
 ☆軍歌は広く国民に届き、感情を揺さぶらなければならない
 *当時のひとびとは神功皇后を知っていた
 *神功皇后もまた神武天皇と同じく、神話上の人物のひとり

対外戦略の指導者としての神功皇后
 ☆神功皇后は、第14代仲哀天皇の皇后であった
 ☆神託を伝える巫女的な役割も果たしていた
 *仲哀天皇の死後、息子の第15代応神天皇が即位するまで政務を担った
 ☆神功皇后が注目されるのは、妊娠中の身ながら
 *みずから軍隊を率いて朝鮮半島に攻め込んだからだ
 *皇后は、神託を受けて新羅への出兵を決意した
 *その出陣のシーンはなかなか勇ましい
 *「帰国後に生まれたまえ」と祈念し新羅の国に到達した
 ☆新羅の王、突然あらわれた軍勢に恐れおののき降参し服属を約束した
 *この新羅王の発言が「神国」ということばの初出だ
 ☆神功皇后の活躍は、すべてを事実として受け取ることはできないが
 *伝承上とはいえ、外国に攻め込んだ皇后は、神功皇后しかいない
 *天皇にいたっては、ひとりとして例がない
 ☆神功皇后は、たぐいまれなる対外戦争の指導者として
 *北条時宗、豊臣秀吉と並び称されたのである
                   (敬称略)
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⛳出典、『「戦前」の正体』





「ウラルの彼方」「神功皇后 三韓征伐」
(ネットより画像引用)

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