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宗教を知る(モーセの契約)13

2016年10月02日 | 宗教
ユダヤ人の民族意識を強めた宗教戒律

モーセに率いられたイスラエルの民
シナイ契約によってユダヤ教の教義が確立
613に及ぶユダヤ教の戒律、ユダヤ人の日常生活の行動規範
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆出典、『宗教史(成美堂出版)』詳細本で確認ください










宗教(宗教史、ネットより画像引用)

モーセに率いられたイスラエルの民
ユダヤ教が確立したのは、『ヘブライ語聖書』の「出エジプト記」の出来事が起きた前13世紀である
アブラハムの契約によってカナン(現パレスチナ)の地で暮らしていたユダヤ人
飢饉などに見舞われたためエジプトに移住し、やがて奴隷として暮らすようになった
エジプト王女の養子として育てられたモーセは、神の啓示を受ける
モーセは、エジプト王の圧制に苦しむ「イスラエルの民」(ユダヤ人)を率いてエジプトを脱出する
カナンをめざしたモーセ一行は、海が割れて道が現れる「紅海の奇跡」で追撃するエジプト軍から逃れる

シナイ契約によってユダヤ教の教義が確立
カナンに向かう途中、モーセはシナイ山で神から十戒を授けられる
これらの教えを守り続けることで救済されるという、神と民の間び「シナイ契約」が交われた
モーセ一行は、カナンの東端にあるイェリコにたどり着いた
モーセの後継者となったヨシュアは、先住民たちとの戦いに勝利して、カナン地に入った

『ヘブライ語聖書』の最初の5つは「モーセ五書」です
「モーセ五書」は、ユダヤ教の戒律(トーラー)となった
「あなたは私のほかに、何者をも神としてはならない」「像をつくって拝んではいけない」等の十戒は、ユダヤ教の教義となる
「紅海の奇跡」に代表される逸話は、ユダヤ教、キリスト教における信仰の根幹「神による救済」につながっていった

613に及ぶユダヤ教の戒律
ユダヤ人とはユダヤ教を信じる人のことである
ローマ軍によってエルサレム神殿が破壊されて以後、ユダヤ人は2千年近くヨーロッパや中東などに分散して暮らしてきた
彼らはユダヤ人としてのアイデンティティを失わなかった
その背景には、ユダヤ教の厳しい戒律があったためといわれている

ユダヤ人の日常生活の行動規範
『律法(トーラー)』と『タルムード』という2つの聖典です
基本的な戒律は「出エジプト記」などの十戒だです
このほかにも、たとえば「創世記」等合計613の戒律が示されている
ユダヤ教の戒律の厳しさが表れている例としては、食事に関する戒律(コーシェル)が挙げられる
 ☆「うろこ・ひれをもつ魚でなければ食べられない」「肉と乳製品を同じ食卓に並べてはいけない」等
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徳川秀忠の内政

2016年10月02日 | 歴史上の人物
2代将軍徳川秀忠の内政の充実

江戸幕府スタート時、幕府の領地(天領)は全国の4分の1を超えました
武家諸法度制定(大名を取り締まる)
禁中並公家諸法度制定(天皇や公家の行動を統制する)
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
 ☆番組の画面引用しています
NHKBS番組『英雄の選択』、WIKIPEDIA参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)


徳川秀忠(ネットより画像引用)

徳川秀忠


徳川秀忠(徳川幕府2代将軍)
徳川家康の三男として誕生する
長兄・信康は秀忠は切腹、次兄・秀康は豊臣秀吉に養子、のちに結城氏を継いだ
母親が名家出身である徳川秀忠が世子として処遇されることになった

徳川秀忠関ヶ原の戦いへ遅れる
東海道を進む家康本隊に対して、秀忠は中山道を進む別働隊を率いる役割を与えられた
秀忠、進軍途中信濃国上田城攻めで、関ヶ原本戦に間に合わなかった
秀忠は、戦勝祝いと合戦遅参の弁明をすべく家康に面会を求めたが家康は面会しなかった
最終的に、榊原康政ら家臣の仲介で面会できた

大名の種類制定
親藩(徳川家の一族で、重要な場所に置かれました)
譜代大名(三河(愛知)以来の家臣で、重要地に置かれました)
外様大名(関ヶ原の戦いの後家臣になったので、九州や東北に置きました)

武家諸法度制定
大名を取り締まるために諸法度を出しました
大名行列をして1年ごとに江戸に住む参勤交代の制度が定められた

禁中並公家諸法度制定
天皇や公家の行動を統制するものです

士農工商の身分制度
武士が支配するために、身分制度が定められました
農民の統制には、共同で責任を負わせる五人組が作られました

江戸幕府の外交
徳川家康時代
 ☆リーフデ号の漂着(乗組員には三浦按針らがいました)
徳川秀忠時代
 ☆平戸商館の完成(イギリス商館が開設されました)
 ☆己酉条約を締結(幕府は朝鮮と己酉条約を締結しました)
徳川家光時代
 ☆江戸幕府の幕藩体制を整えた
 ☆ポルトガル籍の船の来航を禁止したことで鎖国が完成します

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トルコの「米欧離れ」?

2016年10月02日 | 国際情勢
トルコ、オバマの中東消極路線に失望

軍の一部が企てたクーデターは失敗に終わった
外交政策や関係各国との関係に、クーデター未遂が及ぼす影響
軍事クーデター後、西側と外交面で新しい難問に直面している
ロシアとの和解を模索するエルドアンが、プーチン大統領に接近している
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「FACTA」9月号記事(毎月15日発売)詳細確認ください








エルドアン(ネットより画像引用)

トルコ、オバマの中東消極路線に失望
クーデターが未遂に終わったのは、軍全体の確固たる支持がなく民が市街地に繰り出したからです
イラクやシリアの混乱に、トルコも呑み込まれるという懸念されている
トルコは、中東イスラムとの関係の改善、ロシアとの和解を模索している
国内世論は、西側との同盟は信頼に足るのかと根深い懐疑心を抱いている
クーデターの陰謀に米国が加担していたのではないかとの暗黙の非難と表裏をなしている

中東の民主化運動「アラブの春」
トルコと米国の中東政策は一致しており、米国はトルコを中東の「モデル」として称賛していた
オバマ政権に交代して、中東政策が消極路線に変わり、トルコは次第に失望感を強める
米国は、クーデターで誕生したエジプトのシシ軍事政権を受け入れた
シリアでも、アサド政権への退陣要求を引っ込め、焦点をIS掃討へと移した
米国は、クルド人民防衛隊との協力体制を強化し、トルコが手を焼くテロ組織に繋がる

EUとの難民協定
シリアから逃れてきた200万人以上の難民がトルコの肩に重くのしかかる
今後も、数十万人が欧州をめざして国境を越えようとしている
EUは、トルコとの難民協定のおかげで、難民は止まったが、トルコの粛清で難民協定の存続が危ぶまれている
シリアの戦闘に参加しようと海外のテロリストが逆方向にトルコ国境を越えようとしている

冷え込んでいた対口関係は一転急接近
エルドアンはサンクトペテルブルクを訪問
エルドアンは、ロシア機撃墜を謝罪する手紙をプーチンに送り、ロシアとの和解に道を開いた
エルドアンが西側にいかに失望しているか、警告を送ったことも意味する

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