慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

宗教を知る(『クルアーン』が成立)

2016年10月30日 | 宗教
神の言葉を記した啓典『クルアーン』が成立

ムハンマドに下された神の啓示が散逸しないよう、後継者により編纂された
神を一人称とした啓典『クルアーン』の内容
正統カリフ時代に成立した書物としての『クルアーン』
中世イスラーム世界が、科学の先進地域となり化学や代数学、医学、天文学などが高度に発達した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆出典、『宗教史(成美堂出版)』WIKIPEDIA他引用&参照












『クルアーン』(ネット、宗教史(成美堂出版)より画像引用)

神を一人称とした啓典『クルアーン』の内容
『クルアーン(コーラン)』はイスラーム教の根本教義を示す最高位の啓典として読み継がれてきた
内容は、預言者ムハンマドが22年間に授かった神(アンフー)の啓示です
教義に関することや、日常生活でのふるまい方などにも言及している
『クルアーン』に記された文章は、神が一人称で、ムハンマドが二人称や三人称で記されている
『クルアーン』は神の言葉とされているため、一語たりとも改変することは許されない
翻訳も認められておらず、翻訳されたものは『クルアーン』ではなく、注釈本の一種とみなされる
『クルアーン』とは「読誦されるべきもの」という意味であり、声に出して読むものとされている
読み方も自由ではなく、節のつけ方や息継ぎをする箇所もくわしく定められている
イスラーム教徒は幼いころからくり返し『クルアーン』を暗誦し、正しい暗誦法を学ぶ

正統カリフ時代に成立した『クルアーン』
『クルアーン』が成立したのは、7世紀中ごろです
ムハンマドの生前は、神の啓示は「ハ―フィズ」という暗記者によって伝承されていた
ムハンマドの死後に起こった争いにより、多くの「ハ―フィズ」が戦死した
啓示の伝承が途絶えることを防ぐ必要が生じ、初代カリフのアブーバクルのころ編纂作業が進められた
3代カリフ・ウスマーンのころに、公式の『クルアーン』を編纂する第2回結集が行われた

イスラム教徒と科学
『クルアーン』では、自然科学の研究は、万物を創造した神の本質を知るものとして奨励された
キリスト教世界が、多神教に基づいていることを理由に古代ギリシア・ロ―マの諸学問を排斥した
アラビア人を中心としたイスラーム世界はこれを柔軟に受け入れた
中世、イスラーム世界が、科学の先進地域となり化学や代数学、医学、天文学などが高度に発達した
現在でも「アルコール」や「代数(アルゼブラ)」の語源は、アラビア語です


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広告代理店、電通・博報堂

2016年10月30日 | 知識取得
電通・博報堂の「新型メディア支配」

1つ1つが、大した額が動いていない政府広報の公共広告だが!
業界の覇者、電通にとっては”メディア支配”のための重要なフアクターです
公共広告は、広告代理店にとつて比較的簡単で、収益率が高い仕事として位置づけられている
公共広告は、電通と博報堂に集中し「政府の代理人」としてメディアに対する発言権が強大化している?
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「ZAITEN」11月号記事詳細確認ください










公共広告(ネットより画像引用)

公共広告の代理店メリット
メッセージが単純で、文字だけの場合もあり、制作が簡単な場合が多い
一度受注すれば、「随意契約」で、その後も継続して受注できる可能性が高い
政策が変わらない限り、金額も前年と変わらないので、売上金額が予想しやすい
新聞や雑誌への掲載料も、過度な値引きを要求されないから、利益率も確保できる
政府広報は、労少なくして、高収益率の”美味しい仕事”?

公共広告の場合
全国で63紙もの地方新聞に、ローカルTV・ラジオ局に広告を一斉に掲出することがある
国の広報なので、全ての新聞に「公平に」掲載することを優先する
地方紙やローカル局にとり、なくてはならないものになっている

日本新聞協会の要望書
新聞関連予算を削減しないよう、政府に意見書を提出した
政府権力の監視役である新聞が、政府に「広告(予算)をください」と尻尾を振る?
協会も、政府に足下を見られるという意識も希薄になっている?

電通・博報堂2社で「公共広告」の采配を独占
新聞・雑誌掲載料の15~20%、テレビ、ラジオCM放映料の20~25%が広告代理店の利益
TVCMの高利益率は、インターネット隆盛の時代、広告代理店の主要な収入源となっている

公共広告の差配
電通と博報堂の二大広告代理店が実施
全国のローカル局でTV・ラジオCMの放映開始日や時間を揃える能力があるのは2社しかない、
政府要人が、出席するような会議の開催は地元にノウハウがないから、電通や博報堂が受注することになる
政府の広報予算は、16年度は83億円(国内47億、国際36億)まで膨張した
内閣府を含む全省庁の広報予算は、400億円近いという調査結果もある
発注は、電通と博報堂に集中し、「政府の代理人」としてメディアに対する発言権が強大化している



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川中島の戦いを、秀吉は「はかのいかぬ戦をしたものよ」と

2016年10月30日 | 歴史上の人物
越後の竜(上杉謙信)、甲斐の虎(武田信玄)なぜ12年も戦い続けたのか?

戦国最強と呼ばれる両雄が、雌雄を決すべく激突したのが川中島
「義」を重んじる謙信と、領土拡大を図る信玄
他にも、激突した理由は、信州・善光寺の移転?
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
 ☆番組の画面引用
出典、BS・TBS『高島礼子・日本の古都』、WIKIPEDIA参考&引用


















川中島の戦い(BS・TBS『高島礼子・日本の古都』テレビ画面引用)

川中島の戦い
甲斐国武田信玄と越後国上杉謙信との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦い
最大の激戦となった第四次の戦いが、千曲川と犀川が合流する川中島を中心に行われた
その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる
川中島の戦いの主な戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ

川中島戦い後の武田家
武田・上杉間の抗争は、第四次合戦を契機に収束し、以後両者は直接衝突を避けている
今川義元が尾張の織田信長に討たれ、今川氏は今川氏真へ当主交代する
武田と今川の関係は悪化し、武田氏は駿河今川領国への侵攻を開始する
駿河領域への攻撃により、武田は、織田・徳川連合軍と長篠の戦う
その戦いで、武田勝頼は、上杉謙信に救援を要請
最終的に武田は、織田・徳川連合軍により滅亡させられる

川中島戦い後の上杉家
上杉景勝は、勝頼の異母妹菊姫と婚を通じて和睦し、甲越同盟が成立する
上杉方では、柴田勝家らからなる織田軍の攻勢を防備する
武田氏滅亡後の川中島を含む信濃領国は、織田家臣によって支配される
本能寺の変において信長が横死すると、武田遺領は空白地域となった

その後の川中島
上杉、徳川、北条三者に争奪戦
武田遺領は徳川氏により確保された
豊臣秀吉によって上杉家は会津米沢へ移封された
川中島の地域は徳川の勢力下となった
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