慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

教科書で余教えないヤルタ協定

2016年10月12日 | 国際情勢
ヤルタ協定(ヤルタ会談によって成立した協定)

アメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳が合意した大戦後の国際体制構想
国際連合の設立(安全保障理事会で大国の拒否権を認めること)
ドイツの戦後処理問題(米・英・ソ・仏の4ヶ国で分割管理ドイツ4カ国分割占領)
東欧諸国問題(ポーランドの臨時政府を決め、自由選挙を行うこと)
ソ連の対日参戦問題(ソ連はドイツの降伏後3ヶ月以内に対日参戦する)
 ☆条件は南樺太及び千島列島のソ連帰属(北方領土問題)
 ☆旅順租借権のソ連による回復、南満州および東支鉄道経営へのソ連の参加権
米ソ2大国による世界支配という大戦後の「ヤルタ体制」が形成された
出典、世界の窓引用&参照








ヤルタ協定(ネットより画像引用)

第二次世界大戦の末期のヤルタ会談
イタリアはすでに降伏し、ドイツの降伏と想定された
連合国の戦後処理構想に関する首脳会談である
参加者は、イギリス首相(チャーチル)アメリカ大統領(ローズベルト)ソ連首相(スターリン)
出典、WIKIPEDIA、世界の窓引用&参照

三国による戦後処理の協議内容
第二次世界大戦後の世界政治のあり方会議で決めた
国際連合の設置と、米ソ二大陣営の対立という戦後体制を作り上げた
米ソを軸とした東西冷戦構造は、マルタ会談まで継続する(冷戦構造、ヤルタ→マルタ迄)

ヤルタ体制
ヤルタ会談での米英ソ三国首脳の合意のヤルタ協定で第二次世界大戦後の国際体制が構築された
国際連合の枠の中での、アメリカ合衆国とソ連という二大国の力の均衡を前提とした国際秩序が生まれた
第二次世界大戦後の「冷戦」時代の国際秩序を、ヤルタ体制という
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戦後の日本を主導したリベラルヘの報復

2016年10月12日 | 国際情勢
戦後の日本を主導したリベラル

現政権は、レベラルへの報復に集結する?
首相の意中の後継者は、戦後日本を主導した宏池会や経世会の人ではない?
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「FACTA」9月号記事(毎月15日発売)詳細確認ください








リベラルヘの報復(ネットより画像引用)

日本の政治は、経世会と宏池会が政界を仕切る
「親米親中・経済優先」の政治を進めた
日本の政治は、経世会が宏池会と相談してすべてを決めてきた
裏で気脈を通じる社会党、その枠組みを支えた財務省と外務省
財務省も国会対策を重視するあまり、社会党より下に清和会を置いた
政権中枢ばかりを追いかけるNHKや朝日新聞
NHKや朝日新間に漏れ、清和会は報道で初めて知った

「1軍」より「2軍(清和会)」の世の中に
清和会が、自民党を牛耳るようになるのは小泉政権が誕生した後です
清和会から見たら、自民党は皆「リベラル」「左翼」でした
リベラルが大手を振ってきた「戦後レジーム」の打破こそ、清和会のDNAです
現政権下の政界、官界、財界、メディア界、「一軍」が退き、「二軍」が前面に出る

戦後「反権力“リベラ”」がモテた時代
エリート臭を漂わせ、リベラルを語る政治家
日本で陽の当たる場所を占めてきた「エスタブリッシユメント(既得権層)」の擁護

現在時代
日本のエスタブリッシユメントを擁護する必要はない
現政権は、既得権層を打破する試みは評価できる
現政権、橋下徹氏の人気が根強いのもそれが要因です
安倍自民党は昔の自民党と異なる
問題は、それに代わる国家像、社会像がぼんやりしていることだ
エスタブリツシユメントは、口を閉ざし、身を潜め、災禍を避けるのに徹するだろう

稲田氏履歴(弁護士)
現首相に請われ、郵政選挙の「刺客」で福井から出馬し政界へ
「清和会」に所属し、現政権で規制改革担当相や政調会長に抜擢され頭角を現した
憲法9条改正論、東京裁判への反発、靖国参拝、核保有論、防衛相就任後は封印しているが?
海外メディアから「極右」と認定されているのは過去の言動

消費増税の先送りでの財務省OBの反省
財務省は、経世会や宏池会とは濃密で、清和会とは希薄だった
現在、財務省に代わり、官邸を動かしているのは、経済産業省と警察庁です
メディアも様変わりし、NHKも会長交代後、政権寄りの報道が強まる
朝日新聞は、慰安婦問題で攻め込まれて政権追及の精彩を欠く


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明智光秀「謀反の大義」

2016年10月12日 | 歴史
なぜ光秀は謀反を起こしたのか

「三日天下」と揶揄され出世欲に駆られた敗者として描かれることも多い明智光秀
光秀は、政治手腕に優れ、誰よりも軍略に長けた出世頭、領民からの信頼も厚かった
様々な功績を見つめ直し、真の姿を再考します!
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
 ☆番組の画面引用
出典、番組、BS11『せいこうの歴史再考』、ビジネスジャーナル(文=武田鏡村)














明智光秀(『せいこうの歴史再考』番組画面他ネットより引用)

明智 光秀(武将、大名)
織田信長に見出されて重臣になるが、本能寺の変を起こして信長を自害させた
中国大返しで戻った羽柴秀吉に、山崎の戦いで敗れた
落ちていく途中、落ち武者狩りで殺害されたとも、自害したともされている
子供として、細川忠興室・珠(洗礼名:ガラシャ)、嫡男・光慶、津田信澄室がいる
領地では、善政を行ったとされ、忌日に祭事を伝える光秀公正辰祭もある

「信長を天下人にしては危険だ」が、光秀の謀反の結論でないか?
信長の無神論による寺院の破壊を認めることが、光秀には理解できなかった
信長は、キリスト教の宣教師を保護して、日本の伝統的な信仰を破壊しようとしている
信長は「日本の国王」が「天皇」であると言い切る
天皇の神性にかかわるような信長の言動に、光秀心中穏やかではなかった
信長は、神として日本を平定し、唐土への侵攻まで考えている
信長を殺さなければ、日本の伝統的な秩序は収拾がつかなくなる」と考えるに至ったのでは

光秀の謀反(遺恨・怨念説)
丹波八上城事件(信長の約束の反故に怒った秀治の家臣は、人質となっていた光秀の母を殺害する)
斎藤利三事件(信長の命令に光秀が命令に従わなかったため、信長は怒りのあまり光秀を手討ちにしようとした)
恵林寺焼亡事件(恵林寺を焼き払えと信長が命じた、光秀は暴挙をいさめ信長の逆鱗に触れた)
長宗我部の攻略事件(信長は、長宗我部氏を敵視し、光秀の立場がなくなった)
徳川家康饗応事件(光秀は接待する饗応役を務めたが、用意した魚が腐っていたため、腹を立てた信長に饗応役を解任される)

光秀の謀反(恐怖説)
佐久間父子追放(石山本願寺の攻略で功績がないとして、重臣の佐久間信盛・信栄父子が追放された)
領地替え(中国攻めに際して、近江と丹波が取り上げられ、出雲と因幡を切り崩し次第、与えると言われた)

光秀の謀反(「狂気の信長を天下人にしては危険だ」)
信長は「中国・四国・九州を平定したら、大艦隊を編成して唐土を征服する」と豪語していた
光秀としては、出雲・因幡を制圧しても、まだ九州があり、さらに唐土への出兵もある
切り崩し次第また同じような配置転換を繰り返さなければならないだろう





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