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徳川秀忠の内政

2016年10月02日 | 歴史上の人物
2代将軍徳川秀忠の内政の充実

江戸幕府スタート時、幕府の領地(天領)は全国の4分の1を超えました
武家諸法度制定(大名を取り締まる)
禁中並公家諸法度制定(天皇や公家の行動を統制する)
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
 ☆番組の画面引用しています
NHKBS番組『英雄の選択』、WIKIPEDIA参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)


徳川秀忠(ネットより画像引用)

徳川秀忠


徳川秀忠(徳川幕府2代将軍)
徳川家康の三男として誕生する
長兄・信康は秀忠は切腹、次兄・秀康は豊臣秀吉に養子、のちに結城氏を継いだ
母親が名家出身である徳川秀忠が世子として処遇されることになった

徳川秀忠関ヶ原の戦いへ遅れる
東海道を進む家康本隊に対して、秀忠は中山道を進む別働隊を率いる役割を与えられた
秀忠、進軍途中信濃国上田城攻めで、関ヶ原本戦に間に合わなかった
秀忠は、戦勝祝いと合戦遅参の弁明をすべく家康に面会を求めたが家康は面会しなかった
最終的に、榊原康政ら家臣の仲介で面会できた

大名の種類制定
親藩(徳川家の一族で、重要な場所に置かれました)
譜代大名(三河(愛知)以来の家臣で、重要地に置かれました)
外様大名(関ヶ原の戦いの後家臣になったので、九州や東北に置きました)

武家諸法度制定
大名を取り締まるために諸法度を出しました
大名行列をして1年ごとに江戸に住む参勤交代の制度が定められた

禁中並公家諸法度制定
天皇や公家の行動を統制するものです

士農工商の身分制度
武士が支配するために、身分制度が定められました
農民の統制には、共同で責任を負わせる五人組が作られました

江戸幕府の外交
徳川家康時代
 ☆リーフデ号の漂着(乗組員には三浦按針らがいました)
徳川秀忠時代
 ☆平戸商館の完成(イギリス商館が開設されました)
 ☆己酉条約を締結(幕府は朝鮮と己酉条約を締結しました)
徳川家光時代
 ☆江戸幕府の幕藩体制を整えた
 ☆ポルトガル籍の船の来航を禁止したことで鎖国が完成します


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