木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

金原明善~少年の眼差し

2012年10月21日 | 人物伝
司馬遼太郎の作品を読んでいていつも思うことがある。
司馬作品に出てくる主人公は大概が生まれつきのように自分に自信があって、迷わず自分の道を突き進むような人間が多い。
迷いも葛藤もなく、自分の道を邁進するような人間だ。
すかっとするものの、私が自信なき人間であるせいか、何か違和感を感じてしまう。

金原明善(1832年・天保三年~1932年・大正12年)、浜松安間生まれ。
金原の一生は司馬遼太郎の主人公のように、何の迷いもぶれもない。

本物ほどシンプルになっていくものであるが、人間も一言で言い表せる者ほど本物だ。
金原は、その一言で言い表せる数少ない人間である。
一生を賭けて何を行ったかというと「天竜川の治水」に他ならない。
「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川の治水の必要性を痛切に感じた金原は、天竜川の治水事業に取り組む。
更に「水害は山から来る」との考えから天竜川の上流に植林し、金原林を造った。
天竜川を治めるためであったら個人の財産も道楽も要らなかった。
明治10年には、天竜川の治水のために全財産63,517円を政府に寄付している(加藤鎮毅氏の計算では現在の1億7410万円)。

この金原明善とはどのような人間なのであろう。
あまりにも私心がなさ過ぎて、胡散臭い。
いくら難事業のためとはいえ、ポンと全財産を寄付してしまう人間がいるのだろうか。
そんな疑問をもとに、いろいろ当たって行くと、松本清張の「対談 昭和史発掘」(文春新書)という本に辿り着いた。
この本では、「政治の妖雲・隠田の行者」の項で日本のラスプーチンと呼ばれた飯野吉三郎を取り上げている。
飯野はかなり怪しい人物である。その中で金原の名前が出てくる。
読んでみると「飯野は儲けた金を金原と組んで満州に投資してさらに大儲けした」と書いてあり、金原に関しては「政商」と記している。
私には特に「政商」という文字が引っかかった。
金原は財産を全額寄付した後もたびたび多額の寄付をしている。
一文無しになったはずの金原がなぜ多額の寄付ができたのだろう。
この疑問に答えてくれるのが「政商」の二文字である。
財産全額寄付は当時内務卿の地位にあった大久保利通を通じて行われている。
地方の有力資産家が中央への確固たるポストを得るために「財産全額寄付」という一か八かの派手なパフォーマンスを行ったのではないか。
実際、寄付の後、金原の名は中央界に知れ渡った。
この試みは成功し、金原は政府とのパイプの下、後日、金原銀行を経営するなど安定した地位を築くことができた。

ここまでの推論は先の「対談 昭和発掘史」と「金原明善伝」「あばれ天竜を恵みの流れに」の三書を読んだ時点でのものである。
その推論が根底から覆されたのは、浜松の明善記念館に行ってからである。
金原の肖像は描かれたものしか見ていなかったのであるが、頑固そうな唇に、意思は強いが意地悪そうな目付きのものであった。
しかし、その肖像の元である写真を見て、びっくりした。
金原の目は少年のように純粋にきらきら光っていたからである。
私はここまで雄弁に人格を語りかけてくる写真を見た覚えがない。
この目の持ち主なら無私の人であってもおかしくない。
私の考えは180度変わった。

「金原明善の一生」(三戸岡道夫著)を読むとかなり明善の考えが分かってきた。
三戸岡氏は色々な金原の言葉を紹介している。

また明善は「慢損謙得」という訓えを説いている。その意味は、
(傲慢であれば、必ず何かで損をし、謙遜であれば、いつか利益を受ける)
という、実践道徳を説いたものである。

家訓の柱は、次の六カ条であった。
一.君国を重んずること
二.財産を重んずること
三.衣食住に制限を設くること
四.人はみな、その力に食むべきこと
五.家計は一定の年額を設くべきこと
六.家伝二宝のこと

第六条の「家伝二宝のこと」とは、金原家に永遠に伝えるべき『二つの宝』を規定したものである。二つの宝とは、
一は、よく忍ぶこと
二は、嗜むことなし
という二つの教訓である。


そしてこの六カ条全体を通して、
(行いを先にして、言を後にすべし)
と強調したのである。すなわち、議論ばかりしていても駄目だ、行動を先にしろということである。

わしは国家宗だから、一向に国家につくすことを考えている

私心一絶万成功
私心がなければ万功は成るが、これに反して少しでも私心があると万功は望むべきもない


不足をがまんして、他人が困っているのを救うのが真の慈善である。美しい着物を着て、うまい物を食い、美しい家に住み、そして余った金を世に施すのは、真の慈善ではない。それは単なる名分にすぎない。

わたしの社会事業は一種の道楽といってもいいでしょう。その道楽が人のためになり、しかもわたしの名前が残る、こんな結構なことはないではありませんか。span>


それまで、天竜川の治水に一生を懸けようとした金原の動機が不明だった。
ひどいものになると、「青年期に不治の病に罹ったが、天竜川の水を飲んだら完治した。その恩義に対するため」などという的外な説明があったりする。
金原明善というキーワードをひも解いていくと、金原にとって天竜川とは自らを表現するキャンパスに過ぎなかったと分かる。
天竜川の近くに住んでいなかったなら、金原は何か別の難事業を見つけ、そのために一生涯を懸けたであろう。

当初に飯野との関連を述べ、トンチンカンな考えを披歴してしまった私であるが、100%間違っているのではない。
二宮尊徳は「経済なき道徳は寝言である」との考えを示したが、金原の考えも同様である。
金原には金儲けに対して天性の才能があった。
「町で儲けた金を田舎で使う」とも言っていたが、この考えを具体的に示している本がある。
「幸せの風を求めて」(西まさる著)だ。
知多に榊原弱者救済所を作った榊原亀三郎を描いたノンフィクションである。
間接的にではあるが、榊原に弱者救済所の設立を示唆したのが金原である。
次の一語が金原の考えを端的に示している。

汚い金でも善いことに使われれば、それは善い金だ。どんなにきれいな金でも悪いことに使われれば、それは悪い金だ

目的と手段が明確に分かれているのであるが、不正をしてまで金を稼いだ訳ではない。
ただ、金原は清濁あわせ持つ器量であったのだろう。

金原は「こいつだったら出来る」と思った相手には放任主義を取る。
弱者救済所が開設後、危機的な状況に陥っても、金原はたいした援助もしない、激励に訪問にも行かない。
それでいながら、目の端ではしっかりと動きを捉えて、影では支援している。

西氏が紹介するエピソードは人間臭い、いかにも金原らしいものである。
弱者救済所一〇周年となったある日、榊原は金原の訪問を受ける。榊原はいいところを見せようとして、ことさら倹約を強調してみせたり、節制の度合いを自慢する。
布団も二人で一枚だと告げ、板の間に金原を寝せる。深夜になって榊原は、金原に呼ばれ、話をしてやるから布団に入れと告げられる。布団に入った榊原はいきなり金玉を鷲掴みにされた。驚く榊原に「人間、急所を掴まれると他愛ないものだ」と笑った金原は続けて、

「亀三郎、きょうのお前を見ていると、わしに勝とう勝とうとしているのが見える。わしに勝つのが目的か、それとも救済事業の成就が目的か。わしに勝つのが目的ならすぐに負けてやるぞ。そうじゃないだろう。慈善事業にたずさわる者は、そんな勝気じゃよろしくない。人の本質が見えなくなる」

と説教したそうである。
なんとも人間臭い金原の人間操縦術である。

金原は勲章を与えると言われた時も強硬に固辞した。金原の前には金も名誉も必要なかった。
偉人には間違いないが、規格外の偉人である。
その生き方を見ると、誰もが人より優れている、人には負けていない、ということばかりに汲々となっている我々に清々しい風を感じさせてくれる。

最後にまた引用。

「お前さんは強がって見栄をはって生きている。強がって肩をはるから疲れるだろう。でも、その割に満足は少ないはずだ。そんなに虚勢を張らねば生きていけないとは、まことに気の毒なことだ」(幸せの風を感じて)





(参考資料)
対談 昭和発掘史(文春新書)松本清張
あばら天竜を恵みの流れに(PHP)赤座憲久
金原明善伝(タンハマ編集部)御手洗清著・加藤鎮毅監修
金原明善の一生(栄光出版社)三戸岡道夫
幸せの風を求めて(新葉館出版)西まさる
明善記念館パンフレット

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