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A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

Day102

2006年05月04日 15時05分22秒 | 航海日誌
第102日目(8月30日)・・・・最終日

船旅の最後にあたりママの詠んだ短歌
「最上階デッキに海も夕焼けも
      独り占めして百二日船旅」


観音崎を早朝5時半通過。
猿島、八景島、東京湾アクアライン、五井のコンビナートなど
馴染みの景色が遠望される。
デッキでは携帯が通じるようになったらしく
留守宅に連絡を取っているらしい会話が聞こえて来る。
無事の帰国の喜びを伝えながら、、帰宅したら「冷やっこ」「お刺身」を
食べたいと注文を出している。「豚カツ?それはいらない」等とも言っている。      
 朝5時の家族への電話のこの対比が面白い。

東京湾は船のラッシュだ。
マラッカ、スエズ、ジブラルタル色々な混雑を
見てきたが東京湾の混雑はレベルが違う。
大変危険を感じる。

102日後 漸く横浜大桟橋に帰ってきた。ホットした感じだ。
留守宅の状態は如何かなあとフト思った。
通関も済みホットシテ日本の土地を踏むと突然のフラッシュ。
義弟のTN君の予期せぬお出迎えにママは大喜び。

(完)










Day 101

2006年05月03日 18時22分12秒 | 航海日誌
第101日目(8月29日)

朝 UM3段に船上最後の碁を打ってもらう。
碁が終ってから暫しお別れの雑談。
UM3段の長女のTM子三(41歳)が、このクルーズの出発を見送った際のことを
「父の船出」と言う題で毎日新聞に投稿した記事を見せてもらう。
父子家庭に育った彼女が50年間働き続けた父の立場を理解し、
感謝し、父が自分への御褒美の世界一周を喜んで送り出し、
帰国したら親孝行したいと,面と向っては言えない事を文章で伝えている。
心温まる一文でした。
ママも読ませていただき感動。

夕方7時 サンセット。
雲が茜色、航海最後を飾る素晴らしい光景。


ディナーはMK御夫妻と4人で水入らずの「最後の晩餐」。
夜はヘミングウエーバーで最後の「ドリンク」。
途中よりNG夫人、MM子さん、AKちゃん、SMさん、YMさんまで加わり大賑わい。
ピアノバーでロバート・テーラー・ビビアンリー演ずる映画「哀愁」のテーマソング
「レッツ ミー コール ユー スイートハート」をリクエスト。
途中から皆で歌いだし宴は最高潮。
時間と共に三々五々人が減ってゆき最後はママと2人。
世界一周旅行最後の夜の良い締めくくりであった


Day 100

2006年05月02日 13時33分03秒 | 航海日誌
第100日目(8月28日)

今日は横浜を出航してから丁度100日目。
あと2日でこの世界一周クルーズも終る。
振り返って見るとアット言う間の100日間だった気がする。

誰が言ったか 「歳をとると一日は長く、一年は短い」。
全くその通うりだ。

台風を避け船は小笠原群島の沖を航行中。
しかし台風の影響で海上は一面 白波が立っている。
ピッチング・ローリング激しくインド洋以来の荒天。

1時からハーモニカグループの「遊び人ハーモニー」の納会。
一人一人が思い思いの曲を独奏、その後 茶話会。全員で「里の秋」を合唱 散会となる。
「里の秋」は娘が田舎の囲炉裏端で戦争に行っている父親を思って歌う歌だそうだ。
このグループの世話役をMKさんと一緒に大過なくこなしたと思う。

夜は船長御招待のファイナルドリンク フォーマルディナーと続く。
そしてダンスだ。
皆正装して楽しむ。
宴の最後は圧巻、感激ものだった。
船長以下幹部船員とサービス部門の人達による
「ウイ アー ザ ワールド」の大コーラスとキャンドルサービス。
毎夜仕事終了後練習を重ねたらしい。
エンターテイメントの極み、素晴らしい演出効果、
感動、感動、感動。
この人達との102日のお付き合いも終わりに近づいてきた。

その後 船旅の間 お世話になった人達と夜遅くまでヘミングウエーで過ごす。
NG夫人は有名呉服店の奥様だっただけに御着物の着こなしに隙が無い。



Day 099

2006年05月01日 20時29分28秒 | 航海日誌
第99日目(8月27日)

航海もあと残りわずか、なるべく海を見るようにしている。
風強く海面は一面 白波が立つ。

風速は10メーター以上あるだろう。
ローリング、ピッチング激しく船内エレベーターも止まっている。
台風を避けてアリューシャンから南下していると聞いているが
台風を避けきれないのかも知れない。

揺れには大分慣れて来ているので船酔いは無い。
キャビンに持ち込んだシーバスリーガルを飲み干す。



Day 098

2006年05月01日 18時09分11秒 | 航海日誌
第98日目(8月26日)

日付け変更線を通過し8月25日を飛ばし8月26日となる。
25日誕生日の人は歳を取らなくて済むのか。

午前中はUM3段と対局、接戦負け。
天気が回復して来たのでデッキで日光浴。
午後からトパーズ・フェスティバルのハーモニカ合奏に出演、大好評?を博す
夜はフェスティバル第2部、MK御夫妻主演の朗読劇「ごん狐」を鑑賞。
舞台写真を沢山撮影した。



Day 096

2006年05月01日 18時04分41秒 | 航海日誌
第96日目(8月24日)

海豚の大群を見る。

今日の碁 UM3段に勝てず。
又もや2連敗。

コスモス読了。
宇宙の歴史200億年、地球の歴史48億年に思いを馳せる。

夜はMK御夫妻の朗読劇を鑑賞。1時間の時差あり。
今夜日付け変更線を通過。
8月25日は無く明日は一日飛んで8月26日となる。
ヘミングウエーバーでママと夜長を楽しむ


Day 094

2006年04月29日 17時52分37秒 | 航海日誌
第94日目(8月22日)

読みかけの本を読み始める。
「熱い河」 (パナマ運河建設に携わった唯一の日本人青山士あきらの伝記)
カールセーガンのコスモスはもう少しだ。

碁は植村3段に7目勝ち、勿論9目の置き碁である。

旅の終わりが近がづきつつある。
船内のアクティビティーも仕上げの段階だ。
今日は有料英会話レッスンとスペイン語レッスンの卒業式と言うか
スピーチ・コンテストが行われている。
昼の部:4時間、夜の部:4時間、55名の受講生のスピーチに続き、
英語講師、スペイン語講師の日本語でのスピーチもあり、船内は大騒ぎである。
優勝者は涙ぐみながらお礼の挨拶をしていた。

演奏会も近がづいて来たのでハーモニカの練習にも熱が入ってくる。
今日も日没が綺麗だ。

夕食はエスニックが続いたので居酒屋”波平”でお刺身などで夕食。
NGさんもご一緒に楽しい時間を持てた。
時差1時間発生。



Day 092

2006年04月28日 21時35分38秒 | 航海日誌
第92日目(8月20日)

昨夜 今回の旅行のハイライト アラスカ氷河の見物の後
アラスカ・スワード港を出航、船はアラスカ半島に沿って南東に下がっている。

午前中の荒天も治まり午後は穏やかな海。
夕日が綺麗だ。
碁を2局、あまり力が入らない。

このところ夜になると「オーロラ探検隊」と言うボランティアが
デッキでオーロラを見張っている。
オーロラが観測されると夜中でも艦内放送で知らせる事になっているが
今だ放送は無い。

船内のブロードウエイ・ショウ・ルームでは、スタッフの日本人女性と
ボランティアとして様々な乗客へのサーヴィスをしている
イギリス生まれの詩人との結婚披露宴が行われた。
乗客全員が心から祝う。
彼らには忘れられないウエデイング・パーティとなったであろう。

時差1時間発生。





Day 091(その4)

2006年04月02日 18時40分31秒 | 航海日誌
スワード港への帰路
船は様々な小島の間を縫って行く。
小島には断崖絶壁とか洞穴があり、それが海鳥達の外敵が攻めて来ない
安全な「寝ぐら」になっている。



スワード港は大型豪華客船も入港するが
それ以外に観光船の基地、漁船もいるし沿岸警備艇もいる。
また外国の港には何処に行っても大型ヨットが繋がれているのが羨ましい。

満ち足りた気持ちで観光船を下船。
街のほうを見ると綺麗な虹が架かっている。(写真失敗)
港町の例に漏れず暖かいクラムチャウダーが売られている。
ペッパーと砕いたクラッカーをかけフーフー頂く。

午後8時 横浜に向け10日間の航海となる出航式。
19ヶ国、21の港を訪ねたこの旅での最後の出航である。
シャンパンと紙テープで大騒ぎ。
音楽は「蛍の光」と「トゥルーホライゾン」。
最果ての寂しい港に似合わぬ賑やかさだ。
偶然だろうが「ラッコ」が出航を見送ってくれた。

ヘミングウエー・バーでママと一緒にNG夫人の
今までの人生の歩みを拝聴する。
外は真っ暗、船の舳先が作る白波がキラキラ光っている。
静かに夜が更けて行く。


Day 091(その3)

2006年03月31日 17時50分12秒 | 航海日誌
氷河と別れアラスカの山々が段々遠のいて行く。
帰路、鯨、アシカ、トドなど船長さんは出没する所を知っているらしく
手際よく案内してくれる。(写真失敗)
 
海面には無数の鳥が群がっている。
水面下には鯨とか大きな魚に追われた小魚の群れがいる。
壮大な自然の営みである。     

アシカやトドの家族が岩場で日向ぼっこしている。
アシカとトドは素人目には、区別がし難いが、簡単な見分け方を。
アシカは水に浸かるとその肌が黒光りする銀色に
トドは赤や茶色にみえるとの事だ。





Day091(その2)

2006年03月25日 15時52分23秒 | 航海日誌
アラスカ氷河観光船に乗る事2時間半
遂に本日のハイライト「アリアリック・グレーシャー」に到達。我々は我々の船は氷河まで100メーター位まで近づくことが出来た。
氷河の先端が4メーター/日の速さで海に流れ込んでいる。
従って氷河の氷塊の崩落も壮観である。
ホワイトサンダーと共に氷塊と雪が海に落ちる。
TVのコマーシャルの映像で見たことがあるが
実際に目の当たりにすると物凄い。
アラスカに来た甲斐があったと言うものだ。
氷河の先端部分は厚さと言うか高さというか90メートルと説明を受けたが
近づくと聳え立っており、もっともっと高そうに見えた。

氷河の前の入り江で船を停める,
晴天にも恵まれ良い写真がいっぱい撮れたと思う。
氷河・流氷の上を通り抜けて来る風の心地よい冷たさ
何か夢中で過ごした2時間であった。

乗客全員大満足で帰路につく。
この辺りの海面はサンクチャリーとなっており
生物の保護地区の様なものになっているらしい。
観光船の船長さんが帰り道
色々な生物を見せて呉れるそうだ。



Day 091(その1)

2006年03月24日 16時57分06秒 | 航海日誌
第91日目(8月19日)
クルーズ最後の寄港地アラスカのスワードに早朝入港。

このアラスカは19世紀、720万ドルでロシアからアメリカに売り渡され
「ラスト・フロンティア」がニックネームの州。
我々が入港したスワードはこの売買交渉に挑んだ当時の国務長官に因んで名付けられた町だ。

州の面積の3分の1が国立公園や国立保護区に指定されているとあって、
最大の魅力はその豊かな自然だ。

われわれの願いが通じたのか快晴、日本晴れと言うか完璧のアメリカ晴れである。
既に埠頭の隣にはハバード氷河の前ですれ違った大型豪華客船
セレブリティー社のサミット号(9万トン)が先着着岸していた。
米国旗、アラスカ州旗を掲げ朝日にその威容を誇っている。
上部客室はベランダ付きでその上の階は見晴らしの良いレストラン群が見られる。
我々の船は日本人社会を其のまま船に持ち込んだ様なもので外国旅行のような気がしない。
何時の日か外国船で外人に囲まれ非日常を楽しみたいものだとフト思った。

早速150人乗りぐらいの小型遊覧船に乗り込みキーナイ・フィヨルド遊覧クルーズだ。
出発後すぐ「ラッコ」親子の歓迎を受ける。
途中「シャチ」も見た「ねずみ海豚」も見えた。

数々の氷河、フィヨルドを見物しながら我々の船はアラスカ観光のハイライト
「アリアリック・グレーシャ(とても恐ろしい所)」へ向かう。






Day 090

2006年03月22日 16時45分07秒 | 航海日誌
第90日目(9月18日)
船は午前中カレッジ・フィヨルドに進入。
ワシントン、ブリンコート、エール、スミスなど米国名門カレッジの名が付いた氷河を
見物しながら一番奥のハーバード氷河に接近。
昨日のハバード氷河はスケールで今日のカレッジ・フィヨルドは氷河の数で
見る者を圧倒する。
大自然の驚異と何万年にもわたる氷河形成の過程に想いを馳せ感動した。





明日の早朝には今回の世界一周クルーズ最後の寄港地
アラスカ・スワードに入港します。
小型ボートに乗り換えキーナイ・フィヨルド観光クルーズの予定。
氷河にも間近かまで接近して見学出来るらしいので大いに楽しみだ。
波静かな晴天を期待している。