活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

天竺熱風録(上編)

2008-07-21 11:30:55 | 活字の海(読了編)
著者:田中芳樹 祥伝社ノン・ノベル 平成19年2月初版 838円(税別)

さて、田中芳樹である。
彼は、前回に読んだ「薬師寺涼子の怪奇事件簿8 水妖日にご用心」の余りの
トホホさ(そう思った訳に興味がある方は、書評をご参照下さい)に、
暫く手を出す積りは無かったのだが、行きつけの古本屋でふと手に取った
この本の帯の煽り文句

 「遥か異境で、大軍勢を撃破! その知略にインドが震え懼れた
  知られざる唐の英雄・王玄策! 
  世界史に燦然とかがやく偉業
  驚異的史実にもとづく超娯楽エンターテインメント」

に惹かれて、つい買ってしまった。
(ちなみに、購入価格は450円)

後は、藤田和日郎の表紙絵であったことも、藤田ファンの身としては外せない
ポイントであった。

で、その結果はどうだったのか…。


語り口の妙、多様な表現等、作者の持ち味は流石である。
何より、王玄策という、あまり日本的には知名度の低い素材を見つけ出し、
少ない史料からここまで話を膨らませる手腕も、手馴れたものである。

何より、主人公の王玄策という男。
凄い男なのである。

かの高名な玄奘三蔵(蛇足だが、この場合、玄奘が固有名詞。三蔵は経・律・論の
三つの道を究めたもの、という意味の普通名詞である(以上、薬師寺のHPより))が、
足掛け17年掛かって往復した唐~天竺の旅(もっとも、そのうち12年は
天竺での経典収集等の時間であったが)を、生涯の間に3回も行い、成功させた
という人物なのである。

時に、西暦でいえば7世紀。

当時の事情を斟酌すると、長安を抜け、大唐帝国の支配権を脱して遥か天竺まで、
徒歩中心の旅程をこなすということは、数年にわたり道中の食料や安全の確保を
し続けるということである。

公的な使いでなく、僅かな供とともに不法出国(玄奘が出国した当時は唐は
鎖国政策を取っていたため、出国は認められなかった)した玄奘の場合は、
更に過酷だったであろうことは、想像に難くない。

十分な路銀も持てず、道中の国情も不明なものが多いという中で、
国禁を犯してまで旅立った玄奘の心情は、求法の念に満ち満ちていた
ことであろう。

(以下は、玄奘三蔵の通ったルート図。
 NAMCO TRAVELのHPの大慈恩寺より)



まあこう書くと、唐の正式な国使として天竺を訪問した王玄策の場合は、
きちんとした旅団を組んで(何せ国使なのである。大唐帝国の面子もあり、
天竺の戒日王はもとより、道中の諸国に対しても、相当な礼物を持参する
必要があったため、相当な体制の使節団が編成された、という)旅に臨めた分、
楽だったのかというと、それはそれで大変であったと思われる。

参考までに、本書で取り上げられた王玄策の2回目の天竺行(このとき、
初めて王玄策は正使となる)の場合は、総勢36名のメンバーによる
使節団であったらしい。

 ※ 長安出立当時は44名。途中、病気その他で8名が離脱した。

以下に、本書よりその編成内容を参考までに紹介する。

 正使   王玄策
 副使   蒋師仁、王玄郭(王玄策の従兄弟)
 学僧   智岸、彼岸
 医師   1名
 通訳   1名
 料理人  2名
 兵士  27名(護衛の他、馬や驢馬の世話、幕舎の設営その他の雑役に従事)

   ~ 本書 P36「第2回 彼岸師 拉薩にて公主に謁し、
                智岸師 辛苦して雪山を越ゆ」より


これだけの人員を率いて、数年がかりで旅をするということは、相当な
統率力や決断力、人望が無ければ出来ないということは、自明である。

しかも、現代の旅行とは全く異なる、命の安全も十全ではない旅行なので
ある。
指揮者は使命感に満ちているかもしれないが、従卒としての兵士一人ひとり
が同じテンションを共有出来ていたかどうかまでは分からない。

きちんとした公募制と、適切な審査により選ばれたメンバーであれば、
いやそれであっても、数年に渡る旅においては、何度も挫折感や前途に
対する不安感等で、使節団の空気が不穏なものになったことであろう。

これは、シャクルトンの南極行にも十分比肩する偉業である。

※ シャクルトンについては、またいつか稿を改めて書き起したい。


それだけの随行メンバーである。
食料にしても、出立から遠からず、現地調達となったことであろう。
その場合、水は、食料はいつ、どこで入手できるのか。
そのあたりの相場はいくらぐらいか。
路銀の残額と照らし合わせて、どの時点でどこまで使ってもよいのか。
幕舎の設営に際しても、どこが安全か。
危険をもたらすものは、様々である。
自然、野生動物、そして野盗その他の人的被害…。

常にこれらに配慮を怠らず、使節団を統括していくことは、並大抵の
人材で出来ることではない。

王玄策の悩みは、更に続く。
その使節団の腹に抱えた、諸国の王への礼物についてである。


恐らくは目録等が用意されていることだろうから、馬一頭、驢馬一頭が
失われたとしても、それは礼を欠くこととなってしまう。

目録にも無いものを、唐の皇帝は送りつけたと称するのかという疑念。
あるいは、目の前の国使が中抜きしたのではという疑念。
様々な問題が生じるが故、これらの扱いには、細心の注意が払われた
ことであろう。
#面会寸前に、目録をリライトするような融通が利いていればよいのだが、
 そこまでの詳細な様子は、少なくとも本書からは不明である。

更に、はしっこい部下が、こんな旅はやってられないと、馬ごと使節団から
逃亡するようなことも、考えられなくは無い。
#かなり高価な礼物であることは、間違いないだろうから、手っ取り早く
 金を手にすることは出来ただろう。
 (換金に行って、あっさり荷物も命も奪われるという懼れも当然有るが)

#ちなみに、どのようなものが礼物として供せられたかといえば、
 「茶と絹、錦、医書や暦、それに最上質の陶器など」といったものらしい。

   ~ 本書 P38「第2回 彼岸師 拉薩にて公主に謁し、
                智岸師 辛苦して雪山を越ゆ」より


考えれば考えるほど、艱難辛苦の種は尽きない、そうした大変な天竺行を、
一度ならず、三度も達成した男なのである。
魅力的でない訳はないではないか…。


しかしながら…
何かが、物足りない。
読後感に、消化不良感が付きまとって、離れない。

次稿にて、その思いの源泉を探ってみることとしたい。

(次稿へ続く)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 四国徳島 牟岐の海(その1) | トップ | ISASメールマガジン   第1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

活字の海(読了編)」カテゴリの最新記事