活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

燃えながら砕け散り、消えてゆく流れ星■KAGAYA監督トークショーinわかやま館(その18)

2012-06-07 23:15:46 | 宇宙の海
日時:平成23年8月20日(土) 午後2時~
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
写真画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)
CG画像提供:KAGAYA氏(※ 掲載は、氏の許可を得て行なっています)



<Atention>
 このレポートは、KAGAYA氏のトークショー、ならびにその前後に
 氏に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
 内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
 全てブログ主に帰します。

<Atention2>
 文中の呼称については、敬称略で統一とします。
 

■燃えながら砕け散り、消えてゆく流れ星

日中。
遮る雲もない中で、ギラつく太陽光の反射を受けて壁面にきらめく
オパールが、クーバー・ペディにとって昼の輝きであるならば。


夜を輝かせるものは、文字通り天空にミルクを流したように広がる
天の川であろう。

オパール掘削のボタ山を除けば、視界を遮るようなものが殆どない
クーバー・ペディでは、夜空に手を伸ばせば北十字から南十字までが
一望の元に見ることができるという。

この地では、まさに銀河鉄道の世界をその腕に抱くことが出来るのだ。


(引用元 : KAGAYAスタジオ HP内「銀河鉄道沿線図」より)

KAGAYAがトークショーで語っていただいたところによれば。
その天の川の放つ光芒によって、地面に影が映る程であったそう
である。


その情景を、例えて言うならば。
星が、宇宙(そら)から滴り落ちる地、とでも呼ぼうか。

その美しい光景が、「月間星ナビ」2010年5月号でも
特集
されている。

月刊 星ナビ 2010年 05月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
角川グループパブリッシング




その特集ページのイメージを紹介しよう。


もっとUPでよく見たい方は、こちらからどうぞ。

更によく見たい方は、上の雑誌表紙写真をクリックして、
AMAZONから購入することも出来る。


しかし、この豊穣な情景はどうだ。
まるで、銀河が光の噴水のようではないか。

この壮大な景色を、KAGAYAはどのような思いで眺めていた
のだろうか?

元より、イースター島からマチュピチュ、果ては南極まで
様々な地に足を踏み入れているKAGAYAである。

オーストラリアも今回が初めてではないかもしれないし、
これよりももっと美しい空を眺めたこともあったかも
しれない。

マチュピチュ等は、高地で空気が薄い分だけより美しい
星空が広がるような気もする。

#もっとも、大気中の水分濃度も濃そうなので、映像の
 揺らぎや雲も発生しそうではあるが。


それでも。
ここクーバー・ペディの星空は、2つの意味で特別な
思いで見上げたと思われる。


一つは、冒頭でも述べたように、銀河鉄道の全路線を
一望できるこの眺めへの感慨。

KAGAYAが、幼い頃に母から枕元で読み聞かせられたことが
きっかけで、「銀河鉄道の夜」の世界に触れ、そこから
思い入れを深めていったことは、このトークショーの
冒頭でも語られたことである。

生身の自分が乗ることは能わざるとも、せめて空想の
中でもと乗車していた銀河鉄道。

長じては、CGという表現上の武器を手に入れたことにより、
KAGAYAの銀河鉄道は脳内から投影される映像へと進化を
遂げ、ついにはプラネタリウム映画として上映され、
3万人以上の人がそのイメージを共有できるようにも
なった。

その銀河鉄道の全路線が。
実体として、眼前に広がっているのである。

おそらくは、KAGAYAの中ではサソリの火、三角標、
プリシオン海岸…その他、あらゆる情景がイメージと
渾然となって再現され、時を忘れて至福の境地へと
入り込んでいたのではないかと思われる。


もう一つは、はやぶさの帰還への思いである。

遙か未踏の小惑星イトカワに赴き、そして今宵地球へと
還ってくるはやぶさ。

その帰還は、まるで「銀河鉄道の夜」とそのままに重なり
あって見えるではないか。


はやぶさを、石炭袋に消えたカムパネルラと見るか。
あるいは気がつけば夜露に濡れながら眠り込んでいた
ジョバンニと見るかは、人の数だけ解釈もあろう。

KAGAYAにしても、そうした見方をしたというお話は、
トークショーで語られた訳ではない。

それでも。
KAGAYAが、はやぶさの軌道を銀河鉄道の軌条とダブらせて
みたとしても不思議ではなく、むしろ自然なのではないか。

KAGAYAの、クーバー・ペディの星空への思い入れの
言葉を聞きながら、僕はそういったことを考えていた。



そして、いよいよ。
はやぶさが、戻ってくたその時。

このブログでは、これまで”その時”については、

 ・大阪市立科学館の飯山青海氏
 ・国立和歌山大学の尾久土教授
 ・国立和歌山大学の吉住特任助教
 ・HBTTEの上坂浩光監督

といった方々の体験談をルポしてきた。

それぞれに、それぞれの苦労や喜びがそこにはある。


そしてそれは、KAGAYAが参加した撮影に際しても、当然
あった筈である。

機材がきちんと作動してくれるだろうか?といった心配。
万一にも天候が崩れないか?という悩み。

そして。
ファインダーに果たしてはやぶさを捉えきれるのか?
といった憂慮。


まして、今回はプライベートな撮影旅行ではなく、
国立天文台の一員としての参加なのである。


撮影に際しての、そのプレッシャーは。
一体、いかばかりなものであったろうか。



だが。
トークショーでは、そうした労苦は一切語られなかった。

ただ、KAGAYAはこう語っていた。

「はやぶさは、何千もの光点となり、散って行きました。
 そのひとつひとつが、オレンジやグリーンの輝きを
 放っていました。

 その輝きの照り返しを受けて、皆の影が大きく弧を
 描きました。

 
 そして…。
 ちょうど、南十字星の真下で、はやぶさは消えて
 いったのです。」

(画像提供:KAGAYAスタジオ内
         小惑星探査機「はやぶさ」の帰還画像より)
そうして、スクリーンに彼の最後の姿を映してくれた。

それが、こちらの映像である。


はやぶさの帰還 (Hayabusa's Re-entry)



(この稿、続く)




上の動画でピアノを弾かれた清田愛未さん。
彼女がはやぶさの帰還にその思いを寄せて作った歌が
収録されているアルバムがこちらである。

星の歌集
清田愛未
Manamaru Records

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