活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

マチュピチュまでの遙かな旅路 ■KAGAYA監督トークショーinわかやま館(その19)

2012-06-11 21:00:09 | 宇宙の海
日時:平成23年8月20日(土) 午後2時~
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
写真画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)
CG画像提供:KAGAYA氏(※ 掲載は、氏の許可を得て行なっています)



<Atention>
 このレポートは、KAGAYA氏のトークショー、ならびにその前後に
 氏に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
 内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
 全てブログ主に帰します。

<Atention2>
 文中の呼称については、敬称略で統一とします。
 

■マチュピチュまでの遙かな旅路

大きく三部構成となっていた、ここわかやま館でのKAGAYA
トークショーも、いよいよ大詰めである。

ちなみに、今回のトークショーの構成をここで振り返ると。

第一部は、KAGAYAの、銀河鉄道と星々への思い。
第二部は、スターリーテイルズ公開にちなんだ四方山話。
そして、第三部はここ最近の旅行記。

という流れである。


その旅行記も、オーストラリアでのはやぶさ帰還の撮影紀行を
経て、これからは同年(2010年)7月からKAGAYAが訪れた南米は
イースター島での皆既日食観望記で、いよいよ大団円となる。


それにしても。
6月17日に、オーストラリアから帰ってきて、落ち着く間も
なく7月6日には南米に向けて出立である。

準備だけでも相当な手間も必要だろうし、何より長時間移動等に
よる体の疲労もある中での行程は、さぞ大変だったと思うが、
さきほどのオーストラリア旅行記と同様、こちらもそうした苦労
話は一切無く、KAGAYAが撮った美しい情景と、それにまつわる
思い出話を、時折クスリとする笑いを入れ込みながらお話しして
いただけた。


(渡航準備の機材整備に余念のないKAGAYA:
   画像はKAGAYAスタジオ内のデイリーKAGAYA通信より)

 ※ 以降の画像の出典は、すべて同上です)

まずは、マチュピチュである。

こちらは、現在日本からイースター島への直行便がない故に、南米
本土でトランジットする必要もあるがゆえに、どうせ行くのならと
マチュピチュまで足を伸ばしたと思われる。

思われる…と書いたのは、トークショーではそこまで踏み込んだ
話には言及されなかったためである。

ではなぜ見知ったかといえば、答えは簡単。
KAGAYAのブログである「デイリーKAGAYA通信」に、一日に数回
にも渡って、克明に旅の記録がアップされていたためである。

このブログによれば、成田から一度アメリカのL.Aを経由して
ペルーに飛ぶ手はずだったのが、L.Aで飛行機に乗り遅れて
しまい、一日待機を余儀なくされた
とのことである。

すごろくで言えば、スタート直後にいきなり1回休みを引き
当てたようなものである。

それでも、なんとか翌日のチケットは確保。
無事、ペルーの首都リマへと到着したKAGAYA一行を待ち受けて
いたものは、またしてもアクシデント!

今度はペルー国内乗り継ぎで、クスコへのエアを確保していた
のだが、こちらも理由が不明ながら搭乗までしたにも関わらず
フライトが中止し、全員飛行機から降ろされてしまうという
アクシデントが。

この時のKAGAYAの言葉が振るっている。

以下、ブログ(デイリーKAGAYA通信)から引用しよう。

 「なんと遠いマチュピチュ。ほんとうに行けるのか?!

まさに、魂の叫びであっただろう。

KAGAYAは、先の南極日食ツアーに際しても、天候不順の影響を
受け、エアの予定が立たずにヤキモキさせられた経験を旅行記に
綴っていたが、自分がエアに乗る度にこうしたアクシデントが
起きることについて、どう考えているのか一度伺ってみたい
ものである(笑

なんとか2時間遅れのエアに乗れ、クスコに辿り着いたものの、
ここからは陸路。
バスと鉄道を乗り継がなければマチュピチュへは着けない。

にも関わらず、今度は空港から鉄道ターミナルのポロイ駅へと
向かうバスが事故渋滞に巻き込まれ、列車の発車時刻を10分
オーバーしながらようやく到着。

無情にも、鉄道はKAGAYA一行を残したままマチュピチュへの
最寄り駅であるオリャンタイタンボ駅へ出発してしまって…
はいなかった。

バスの遅延情報を受けて、鉄道が出立を待ち合わせてくれて
いたそうで、ようやくこれで一行は一息つけたこととなった
ものの、もうこれは母をたずねて三千里なみの七難八苦である。

飛行機を降りてからは、撮影機材も入った大きな荷物を所持
しての移動であったろうから、その苦労も尚更いや増すという
ものである。


(待っていてくれた高原鉄道とKAGAYA)


そうした紆余曲折を経て、ようやく辿り着いたそこは、
遥かな空中都市。マチュピチュである。

”マチュピチュ”とは、古代インカ帝国の公用語であり、今でも
南米の一部では使われているケチュア語で”老いた峰”を意味
する言葉であり、対をなすように近傍では”ワイナピチュ
(若い峰)”という山が聳(そび)えている。


時に15世紀。
その急峻な山中に、インカ帝国は都市の建設を開始した。
まだスペインによる征服の予兆すらない、インカ帝国の黄金期
のことである。

その後、16世紀のインカ帝国の滅亡を受けて、マチュピチュは
静かに歴史の中に埋没していく。

その眠りはしかし、20世紀に入り、アメリカの探検家ハイラム・
ビンガムにより発見されることで破られることとなる。

勿論それは、人類の歴史資産の維持保存という観点からも、
ペルーの重要な外資獲得のための観光資源としても、好ましい
ことではあろう。

ただ、インカ帝国の悲劇を思う時。
マチュピチュには、インカ帝国の喪に服しながら、静かに朽ちる
ままに永遠の眠りにつかせておいてあげたかった気もしている。


その一方で、その発見が無ければこうしてKAGAYAからマチュピチュ
訪問記を聞くことも無かった訳であり、更に自分でもいつかは
あの地に立ってみたい。

そう思えばやはり、見つかってくれてありがとうとも思えてしまう。


次回は、そのマチュピチュでKAGAYAが感じ、トークショーで語って
いただけたことを中心にご紹介しよう。


(この稿、続く)





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