日時:平成23年8月20日(土) 午後2時~
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
写真画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)
CG画像提供:KAGAYA氏(※ 掲載は、氏の許可を得て行なっています)
<Atention>
このレポートは、KAGAYA氏のトークショー、ならびにその前後に
氏に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
全てブログ主に帰します。
<Atention2>
文中の呼称については、敬称略で統一とします。
■マチュピチュまでの遙かな旅路
大きく三部構成となっていた、ここわかやま館でのKAGAYA
トークショーも、いよいよ大詰めである。
ちなみに、今回のトークショーの構成をここで振り返ると。
第一部は、KAGAYAの、銀河鉄道と星々への思い。
第二部は、スターリーテイルズ公開にちなんだ四方山話。
そして、第三部はここ最近の旅行記。
という流れである。
その旅行記も、オーストラリアでのはやぶさ帰還の撮影紀行を
経て、これからは同年(2010年)7月からKAGAYAが訪れた南米は
イースター島での皆既日食観望記で、いよいよ大団円となる。
それにしても。
6月17日に、オーストラリアから帰ってきて、落ち着く間も
なく7月6日には南米に向けて出立である。
準備だけでも相当な手間も必要だろうし、何より長時間移動等に
よる体の疲労もある中での行程は、さぞ大変だったと思うが、
さきほどのオーストラリア旅行記と同様、こちらもそうした苦労
話は一切無く、KAGAYAが撮った美しい情景と、それにまつわる
思い出話を、時折クスリとする笑いを入れ込みながらお話しして
いただけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/c5/4805d60efad7cdd0cb68b729ee24bf73_s.jpg)
(渡航準備の機材整備に余念のないKAGAYA:
画像はKAGAYAスタジオ内のデイリーKAGAYA通信より)
※ 以降の画像の出典は、すべて同上です)
まずは、マチュピチュである。
こちらは、現在日本からイースター島への直行便がない故に、南米
本土でトランジットする必要もあるがゆえに、どうせ行くのならと
マチュピチュまで足を伸ばしたと思われる。
思われる…と書いたのは、トークショーではそこまで踏み込んだ
話には言及されなかったためである。
ではなぜ見知ったかといえば、答えは簡単。
KAGAYAのブログである「デイリーKAGAYA通信」に、一日に数回
にも渡って、克明に旅の記録がアップされていたためである。
このブログによれば、成田から一度アメリカのL.Aを経由して
ペルーに飛ぶ手はずだったのが、L.Aで飛行機に乗り遅れて
しまい、一日待機を余儀なくされたとのことである。
すごろくで言えば、スタート直後にいきなり1回休みを引き
当てたようなものである。
それでも、なんとか翌日のチケットは確保。
無事、ペルーの首都リマへと到着したKAGAYA一行を待ち受けて
いたものは、またしてもアクシデント!
今度はペルー国内乗り継ぎで、クスコへのエアを確保していた
のだが、こちらも理由が不明ながら搭乗までしたにも関わらず
フライトが中止し、全員飛行機から降ろされてしまうという
アクシデントが。
この時のKAGAYAの言葉が振るっている。
以下、ブログ(デイリーKAGAYA通信)から引用しよう。
「なんと遠いマチュピチュ。ほんとうに行けるのか?! 」
まさに、魂の叫びであっただろう。
KAGAYAは、先の南極日食ツアーに際しても、天候不順の影響を
受け、エアの予定が立たずにヤキモキさせられた経験を旅行記に
綴っていたが、自分がエアに乗る度にこうしたアクシデントが
起きることについて、どう考えているのか一度伺ってみたい
ものである(笑
なんとか2時間遅れのエアに乗れ、クスコに辿り着いたものの、
ここからは陸路。
バスと鉄道を乗り継がなければマチュピチュへは着けない。
にも関わらず、今度は空港から鉄道ターミナルのポロイ駅へと
向かうバスが事故渋滞に巻き込まれ、列車の発車時刻を10分
オーバーしながらようやく到着。
無情にも、鉄道はKAGAYA一行を残したままマチュピチュへの
最寄り駅であるオリャンタイタンボ駅へ出発してしまって…
はいなかった。
バスの遅延情報を受けて、鉄道が出立を待ち合わせてくれて
いたそうで、ようやくこれで一行は一息つけたこととなった
ものの、もうこれは母をたずねて三千里なみの七難八苦である。
飛行機を降りてからは、撮影機材も入った大きな荷物を所持
しての移動であったろうから、その苦労も尚更いや増すという
ものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/16/9f/ccfbb37c152e8aca6b50e145cf1ecb83_s.jpg)
(待っていてくれた高原鉄道とKAGAYA)
そうした紆余曲折を経て、ようやく辿り着いたそこは、
遥かな空中都市。マチュピチュである。
”マチュピチュ”とは、古代インカ帝国の公用語であり、今でも
南米の一部では使われているケチュア語で”老いた峰”を意味
する言葉であり、対をなすように近傍では”ワイナピチュ
(若い峰)”という山が聳(そび)えている。
時に15世紀。
その急峻な山中に、インカ帝国は都市の建設を開始した。
まだスペインによる征服の予兆すらない、インカ帝国の黄金期
のことである。
その後、16世紀のインカ帝国の滅亡を受けて、マチュピチュは
静かに歴史の中に埋没していく。
その眠りはしかし、20世紀に入り、アメリカの探検家ハイラム・
ビンガムにより発見されることで破られることとなる。
勿論それは、人類の歴史資産の維持保存という観点からも、
ペルーの重要な外資獲得のための観光資源としても、好ましい
ことではあろう。
ただ、インカ帝国の悲劇を思う時。
マチュピチュには、インカ帝国の喪に服しながら、静かに朽ちる
ままに永遠の眠りにつかせておいてあげたかった気もしている。
その一方で、その発見が無ければこうしてKAGAYAからマチュピチュ
訪問記を聞くことも無かった訳であり、更に自分でもいつかは
あの地に立ってみたい。
そう思えばやはり、見つかってくれてありがとうとも思えてしまう。
次回は、そのマチュピチュでKAGAYAが感じ、トークショーで語って
いただけたことを中心にご紹介しよう。
(この稿、続く)
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
写真画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)
CG画像提供:KAGAYA氏(※ 掲載は、氏の許可を得て行なっています)
<Atention>
このレポートは、KAGAYA氏のトークショー、ならびにその前後に
氏に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
全てブログ主に帰します。
<Atention2>
文中の呼称については、敬称略で統一とします。
■マチュピチュまでの遙かな旅路
大きく三部構成となっていた、ここわかやま館でのKAGAYA
トークショーも、いよいよ大詰めである。
ちなみに、今回のトークショーの構成をここで振り返ると。
第一部は、KAGAYAの、銀河鉄道と星々への思い。
第二部は、スターリーテイルズ公開にちなんだ四方山話。
そして、第三部はここ最近の旅行記。
という流れである。
その旅行記も、オーストラリアでのはやぶさ帰還の撮影紀行を
経て、これからは同年(2010年)7月からKAGAYAが訪れた南米は
イースター島での皆既日食観望記で、いよいよ大団円となる。
それにしても。
6月17日に、オーストラリアから帰ってきて、落ち着く間も
なく7月6日には南米に向けて出立である。
準備だけでも相当な手間も必要だろうし、何より長時間移動等に
よる体の疲労もある中での行程は、さぞ大変だったと思うが、
さきほどのオーストラリア旅行記と同様、こちらもそうした苦労
話は一切無く、KAGAYAが撮った美しい情景と、それにまつわる
思い出話を、時折クスリとする笑いを入れ込みながらお話しして
いただけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/c5/4805d60efad7cdd0cb68b729ee24bf73_s.jpg)
(渡航準備の機材整備に余念のないKAGAYA:
画像はKAGAYAスタジオ内のデイリーKAGAYA通信より)
※ 以降の画像の出典は、すべて同上です)
まずは、マチュピチュである。
こちらは、現在日本からイースター島への直行便がない故に、南米
本土でトランジットする必要もあるがゆえに、どうせ行くのならと
マチュピチュまで足を伸ばしたと思われる。
思われる…と書いたのは、トークショーではそこまで踏み込んだ
話には言及されなかったためである。
ではなぜ見知ったかといえば、答えは簡単。
KAGAYAのブログである「デイリーKAGAYA通信」に、一日に数回
にも渡って、克明に旅の記録がアップされていたためである。
このブログによれば、成田から一度アメリカのL.Aを経由して
ペルーに飛ぶ手はずだったのが、L.Aで飛行機に乗り遅れて
しまい、一日待機を余儀なくされたとのことである。
すごろくで言えば、スタート直後にいきなり1回休みを引き
当てたようなものである。
それでも、なんとか翌日のチケットは確保。
無事、ペルーの首都リマへと到着したKAGAYA一行を待ち受けて
いたものは、またしてもアクシデント!
今度はペルー国内乗り継ぎで、クスコへのエアを確保していた
のだが、こちらも理由が不明ながら搭乗までしたにも関わらず
フライトが中止し、全員飛行機から降ろされてしまうという
アクシデントが。
この時のKAGAYAの言葉が振るっている。
以下、ブログ(デイリーKAGAYA通信)から引用しよう。
「なんと遠いマチュピチュ。ほんとうに行けるのか?! 」
まさに、魂の叫びであっただろう。
KAGAYAは、先の南極日食ツアーに際しても、天候不順の影響を
受け、エアの予定が立たずにヤキモキさせられた経験を旅行記に
綴っていたが、自分がエアに乗る度にこうしたアクシデントが
起きることについて、どう考えているのか一度伺ってみたい
ものである(笑
なんとか2時間遅れのエアに乗れ、クスコに辿り着いたものの、
ここからは陸路。
バスと鉄道を乗り継がなければマチュピチュへは着けない。
にも関わらず、今度は空港から鉄道ターミナルのポロイ駅へと
向かうバスが事故渋滞に巻き込まれ、列車の発車時刻を10分
オーバーしながらようやく到着。
無情にも、鉄道はKAGAYA一行を残したままマチュピチュへの
最寄り駅であるオリャンタイタンボ駅へ出発してしまって…
はいなかった。
バスの遅延情報を受けて、鉄道が出立を待ち合わせてくれて
いたそうで、ようやくこれで一行は一息つけたこととなった
ものの、もうこれは母をたずねて三千里なみの七難八苦である。
飛行機を降りてからは、撮影機材も入った大きな荷物を所持
しての移動であったろうから、その苦労も尚更いや増すという
ものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/16/9f/ccfbb37c152e8aca6b50e145cf1ecb83_s.jpg)
(待っていてくれた高原鉄道とKAGAYA)
そうした紆余曲折を経て、ようやく辿り着いたそこは、
遥かな空中都市。マチュピチュである。
”マチュピチュ”とは、古代インカ帝国の公用語であり、今でも
南米の一部では使われているケチュア語で”老いた峰”を意味
する言葉であり、対をなすように近傍では”ワイナピチュ
(若い峰)”という山が聳(そび)えている。
時に15世紀。
その急峻な山中に、インカ帝国は都市の建設を開始した。
まだスペインによる征服の予兆すらない、インカ帝国の黄金期
のことである。
その後、16世紀のインカ帝国の滅亡を受けて、マチュピチュは
静かに歴史の中に埋没していく。
その眠りはしかし、20世紀に入り、アメリカの探検家ハイラム・
ビンガムにより発見されることで破られることとなる。
勿論それは、人類の歴史資産の維持保存という観点からも、
ペルーの重要な外資獲得のための観光資源としても、好ましい
ことではあろう。
ただ、インカ帝国の悲劇を思う時。
マチュピチュには、インカ帝国の喪に服しながら、静かに朽ちる
ままに永遠の眠りにつかせておいてあげたかった気もしている。
その一方で、その発見が無ければこうしてKAGAYAからマチュピチュ
訪問記を聞くことも無かった訳であり、更に自分でもいつかは
あの地に立ってみたい。
そう思えばやはり、見つかってくれてありがとうとも思えてしまう。
次回は、そのマチュピチュでKAGAYAが感じ、トークショーで語って
いただけたことを中心にご紹介しよう。
(この稿、続く)
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