活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

雄弁なモアイ■KAGAYA監督トークショーinわかやま館(その24)

2012-07-09 22:17:05 | 宇宙の海
日時:平成23年8月20日(土) 午後2時~
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
写真画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)
CG画像提供:KAGAYA氏(※ 掲載は、氏の許可を得て行なっています)



<Atention>
 このレポートは、KAGAYA氏のトークショー、ならびにその前後に
 氏に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
 内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
 全てブログ主に帰します。

<Atention2>
 文中の呼称については、敬称略で統一とします。
 

■雄弁なモアイ

イースター島での皆既日食については、これ以上KAGAYAの口から
語られることはなかった。

前回に、地球照の写真についてのエピソードを紹介したが、実は
それ以外にもKAGAYAによって撮影され、かつ公開されていないで
あろう画像が存在すると、僕は思っている。

それは、モアイと日食を同時にファインダーに入れた画像である。

このレポのイースター島編の冒頭でも紹介したが、元々KAGAYAは
モアイと日食とを同時に撮りたかったと、今回のトークショーでも
語っていた。

その画像が公開されていないのであれば、これは地球照と同じく
KAGAYAによって大切に温められているが故ではないか、と思って
いるのである。

   
 ※ と、わかったようなことを書いているが。

  このレポは、聞き書きしたメモと、自分の記憶のみを頼りに
  書き起こしているため、もしトークショーでそうした画像が
  公開されていたとすれば、赤面の至りである。

  その場合には、ご寛恕の程をお願いする次第である。


いずれ、その映像もイメージの素材となって、KAGAYAの新作の中に
創り込まれる日も来るのであろうが、それまで待てない!という
方のために、ナショナル・ジオグラフィックのHPに掲載されていた
日食とモアイを同時に写し込まれた画像
を紹介しておこう。

著作権の関係から、リンク先の紹介のみとなるが、しばしこちらで
イメージを膨らませておいていただければと思う。



後は、トークショーの中では、イースター島の星空が人口光が殆ど
ない環境故に、とても美しいものであることが紹介された。

これは、イースター島の人口密度からも納得のいく話である。

イースター島の人口は、3,791人。
その面積は、163.6K平米。

ここから計算すれば、人口密度は23.17人/K平米となる。

これを、2011年の世界人口密度ランキングに当てはめると、
181国中141位のペルーと142位のチリのちょうど中間となる。


なんともよく出来た話であるが、イースター島が属するチリ本土の
人口密度とイースター島とのそれは、ほぼ同じな訳である。

イースター島の方が僅かに多いのは、観光名所として人が多少なり
とも集積している証左であろうか。


いずれにせよ。
この順位からも、イースター島がどれほど過疎地かの一端を窺い知る
ことが出来る。


ちなみに世界一位はシンガポールで、7,545.06人/K平米。
1K平米に75百人以上の人が住んでいるのである。
どれほど集積率が高いか、よく分かる。

日本は338.29人/K平米のため、なんと日本の20倍以上の高い人口密度!
となるのだが、もっとも、この評価は受け止め方が存外難しい。

都市国家であるシンガポールは、いわゆる田舎にあたる街がないため、
日本全体と比較するよりは、東京23区と比較する方が妥当性があると
いう話もある
ためである。


シンガポールの話はともかく、イースター島の人口密度が他の地域
(国家)と比較してもかなり低いことからも、星の光を遮る人工光が
殆どないように感じることは、むべなるかなといったところであろう。

ちなみに、人口約4千のイースター島において、モアイ像は何体くらい
あるかといえば、なんと建造中に放棄されたものも含めれば、約千体もの
モアイ像があるということである。
モアイの復元にクレーンを提供した、タダノのHPより)


イースター島の人口が、過去からどのように遷移してきたのか。
そこに、どのような歴史があり、また悲劇があったのかについては、
東北大学大学院農学研究科の木谷忍准教授が書かれた資料に概要が述
されている。

この資料の中で図示された「イースター島の人口変動と天然資源の衰退
過程」を見れば、イースター島を襲った悲劇が何に起因しているのか、
その直裁的な要因がよく分かる。

更には。
間接的に、どのような社会的な事象が起こり、どのようにして人々は
モアイを作るようになり、そしてやがて全てのモアイが倒されるに
至ったのかについては、木村肇氏が起こされているHP「いいかげんな旅
情報のページ
」中の「イースター島の歴史」に、島の来歴に関する伝説が
書き起こされている。

この双方のページを読めば、当時イースター島で何が起こったのか。
どうしてモアイはあんなにも多く建造され、そして捨て去られていった
のかを知ることが出来る。


ただ。
それらは、あくまで知識としての情報である。

確かに。
木村氏のHPに書かれたイースター島の伝説を読み、それを木谷氏のHPで
データで追認すると、そこで起こった悲劇をエモーショナルとロジカルの
両面から追体験することは出来る。

それでも。
現地に、実際に足を運び、これらの情報や掲載された写真を撮影して
きた木谷氏や木村氏が体感してきたものとは、ましては激動の時代を
この島で生き、そして死んでいった人たちの思いの深さと比較すれば、
どうしても表層的なものとならざるをえない。

そして、それはKAGAYAに対しても同様である。

オーストラリアからの旅を終えた後、間髪をいれずに遙か太平洋の孤島
にまで足を運び、皆既日食を観てきたKAGAYAがそこで得た感動や、感じた
思いを、トークショーで話を聞き、ブログにUPされた写真を観るだけで
どこまで理解できるというのか。


いったいどれほどの人が、どれほどの時間と情念をあの像につぎ込んで
きたのか。
その真実を、その場に立つこともない余人が知ることは、決して適わない
のではないか。

そう、思えて仕方がない。


そして、その歴史の証人であるモアイ像は、何も語ることはない。
ひっそりと、星降る島であるイースター島の丘に、今日も立ち続ける。

その頭上に、無数の星々の冠を頂いて。

(出典:デイリーKAGAYA通信より)


ただ。
僕たちは、モアイ像からイースター島の歴史やそこに秘められた人々の
情念を聞くことは出来ないけれど。
そのモアイを、そして日食を見たKAGAYAが生み出す映像は、いつの日か
観ることが出来るだろう。

そして、そこに篭められたKAGAYAのメッセージを、受け止めることが
出来るだろう。

それは、まるで物言わぬモアイの代弁者のように、KAGAYAが感じ取った
モアイの情念を雄弁に物語るものとなるのかもしれない。

その昔。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を、毎夜枕元で読み聞かせられた幼い頃の
KAGAYAが、あの名作「銀河鉄道の夜 The Celestial Railroad 原作 
宮沢賢治」を創りあげ、僕達に魅せてくれたように。

そしてまた、いつか。
今回のトークショーのように、その際の思い出話を語ってくれる日も、
きっと来るだろう。


その日を、心待ちにすることとしよう。


(この稿、続く)


(付記)
KAGAYAがモアイの代弁者…という形で書き上げた今回のレポを、
自分で再読して、思わずこの写真を思い出してしまいました。


モアイ一直線。
見事に、符牒しました(笑)





人類大移動 アフリカからイースター島へ (朝日選書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版

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