活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

天空の王都に、在りし日を偲ぶ■KAGAYA監督トークショーinわかやま館(その20)

2012-06-22 23:02:39 | 宇宙の海
日時:平成23年8月20日(土) 午後2時~
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
写真画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)
CG画像提供:KAGAYA氏(※ 掲載は、氏の許可を得て行なっています)



<Atention>
 このレポートは、KAGAYA氏のトークショー、ならびにその前後に
 氏に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
 内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
 全てブログ主に帰します。

<Atention2>
 文中の呼称については、敬称略で統一とします。
 

■天空の王都に、在りし日を偲ぶ

天蓋に、無数に煌く星々達が。
漆黒の稜線を、くっきりと浮き上がらせている。


(画像は、KAGAYAスタジオ内のデイリーKAGAYA通信より)


ここは、マチュピチュ村。

そう。
日本から丸二日の旅程と、ミルフィーユ状に積み重なった
数々のトラブルを乗り越えて。
とうとう、KAGAYAは世界遺産マチュピチュの麓にまで
辿り着いたのである。


マチュピチュに到着するまでのバタバタとした旅路で
生じた疲労を癒すように。

KAGAYA一行は、マチュピチュ村のホテルにて一泊。
旅の疲れを癒しながら、翌日のマチュピチュ遺跡訪問に
備えることとなった。

なにせ、丸二日をかけた地球の裏側への移動である。
しかも、その間にアクシデントはこれでもかと滞積している。
これで疲れない方が、おかしいだろう。

…と思いきや。

着いた日に、いきなりKAGAYAはマチュピチュに登って
しまったらしい。

その際の、この満面の笑みが、この刹那のKAGAYAの気持ちを
どんな文章よりも物語っている。


写真を見る限りは、人影があまり見当たらないので、
これはもう夕方なのだろう。


マチュピチュは、約5K㎡の広さを持つ空中都市である。
そこに、様々な遺跡が重層的に積み重なって構築されている。

見所とされる「太陽の神殿」や「太陽の門」を始めとする
遺跡群以外にも、一つひとつの建物が古代の息吹を伝える
魅力を内含している。

その石壁に額を押し当てて瞑目すれば、今から600年以上
も昔に、古代インカ人達がどのような思いでこれほど峻厳な
山肌に、数多の石を隙間なく積み上げていったのか。

その残留情念を、物言わぬ石のほの暖かい体温を通じて
感じることさえできそうな気さえする…。

そんなことを夢想しながら遺跡を回っていれば、半日などと
いう旅程で足りようはずもない。


そんな思いがKAGAYAを突き動かして、一気にマチュピチュ
まで登らせたのだろうと思う。

そして。
その日の夜は、冒頭で述べたようにKAGAYAはマチュピチュ村
にて一泊。
翌日のマチュピチュ再訪に備えて、その夜は披露しきった
体をベッドに沈め…はしなかったようである。

KAGAYA通信によれば、夜は夜で曇り空の中、時折覗く晴れ間
から見える星達が気になって、一晩中夜空を眺めていた
との
ことである。


その証のように。
冒頭に挙げた、KAGAYAが撮影したマチュピチュ村の星空の
写真がブログにUPされている次第である。

恐るべきは、その無尽蔵とも言える体力である。
いや、欠乏した体力を補って余りあるマチュピチュ、そして
天空への想いの強さというべきか…。


トークショーでは、そのあたりは実にさらりと触れられて
いた。

そこで語っていただいた内容は、

 「マチュピチュでは、一晩泊まってゆっくりと星を
  見ました」

というものである。

ちなみに、この話を聞いた当初、僕はマチュピチュには宿泊
施設があるのか?と思いビックリしたのであるが、その後に
色々と調べていくうちに、冒頭に書いたとおり、マチュピチュ
観光に向けては遺跡の山並みの麓(といっても、標高は
2000mもある!)にあるマチュピチュ村で一泊したもの
らしいことが分かってきた。

いや、モヘンジョ・ダロでもポンペイでも。もちろんのこと
マチュピチュでも。
その遺跡の中で一泊することができれば、それはそれで
とてつもなく濃密な時間を過ごすことが出来るとは思うのだ
けれど。

なにせ、相手は世界遺産である。
そこは、想像の翼を羽ばたかせるしかないところであろう…。



さて。
そのマチュピチュ観光には、いくつかの代表的なプランが
ある。

もっともハードなものから言えば、クスコからの日帰り
コースであろう。

ただこれは、マチュピチュでの滞在時間が精々2~3時間
となってしまうことや、その間に霧とかが発生して視界が
閉ざされてしまえば、悔やんでも悔やみきれないことと
なってしまう。

とはいえ、費用等の関係から、これが一番メジャーなコース
なのだとか…



今回KAGAYAは、マチュピチュ村で一泊し、その前後二日間で
じっくりとマチュピチュへ登る旅程を組んでいる。

前後の過酷な旅程はともかくとして、このプランが体力的にも、
また遺跡の魅力を十二分に味わうためにも妥当なものと
言えるだろう。


その理由は、大きく2つある。

一つは、体力的なもの。
移動時間の長大さに加えて、マチュピチュの場合には更に、
高度への対応の問題もある。
上述したとおり、マチュピチュ村でさえ、標高が2000m。
マチュピチュの遺跡まで登れば、そこは高度2800mと
なるのである。

これほど高地が続くインカの地を旅するには、高山病との
戦いも十分に考慮に入れなければならない。

距離と高度。
日本からのツアーでは、この2つが前虎後狼となって迫って
くるのである。

高山病の予防としては、ダイアモックスという薬を事前に
投与すること(本薬は、治療薬としても有効である)も
挙げられるが
、副作用もあることから、基本はなるべく
ゆっくりとした行程で高地への移動を行なうということになる。

ただ、徒歩による登山であれば、そうしたコントロールも可能
ではあるが、交通機関による移動ではそうもいかない。

せめてもの救いは、マチュピチュに行き着くまでの中継ポイント
であるクスコの街が、既に標高3400mもあることである。

そこまで移動を通じて、少しでも体が慣れていってくれれば
よいのだが、後は本人の体力と耐性次第であろう…。


そして、もうひとつの理由は、日帰りツアーの場合にはマチュ
ピチュ訪問が、観光ツアーのピークとなる昼間帯とならざるを
えないことである。

マチュピチュの遺跡群を一望できる、向かいのワイナピチュ
(若い峰)は、一日の登山人数が400人と制限されている。

これは、その登山道があまりに峻厳で、大勢の人数が訪れる
にはあまりにも危険なことから取られた措置である。

だが、マチュピチュには今のところ、まだこうした人数の
制限はかけられていない。

勢い、ツアーが集中する昼間の時間帯は、こうした日帰り
コースの団体が大挙して訪れるために、ゆっくりとマチュ
ピチュの遺跡の中に身をおいて、在りし日のインカ帝国の
栄光とその残照を思い浮かべることなどできないような、
ラッシュアワーになってしまうらしい。

とても、

 ”往時のマチュピチュもこのように賑わったのだろうか…”

などという感慨に耽ることは出来そうにもないのである。


ちなみに、ワイナピチュへの登山は、人数制限以外にも
2011年7月15日から、入場料が必要となっている

(KAGAYAの訪問から、一週間後!)

前もって整理券付きの入場券を購入しないと、登ることも
出来ないのである。

マチュピチュは、その以前から入場料が必要。
しかし、遺跡保護の費用を捻出するためや、ペルーの
有益な観光資源であることを考えれば、やむを得ない
とも言える。


その他には、古代インカのトレッキングコースを徒歩で
数日かけて走破し、マチュピチュに至るというコースも
あるにはある。

そうしたツアーも組まれていて、僕の友人も実は参加した
ことがある


体力と時間に余裕さえあれば、これがもっともマチュピチュを、
引いてはインカを堪能できるコースではあろう。



それにしても。
ご自身もブログで述懐されていたが、マチュピチュまで
行っている最中にも、律儀にリアルタイムでブログ(デイリー
KAGAYA通信)を更新
しているKAGAYA。

見上げたブロガー魂ではある。

(この稿、続く)



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