Lab通信

「勝手にドッグラン」のブログです。

余波

2018年09月06日 08時41分45秒 | いろいろ
台風21号は関西に記録的な大きな被害をのこして去った

タンカーが流されて橋に激突したり、屋根や建物が飛び、そして木や車まで倒れるという映像が夕べから報道されていた
関西空港では滑走路が高潮で水浸しになり、たくさんの人が空港のロビーなどで一夜を明かしたという

わが関東地方は幸いにも大きな被害は出ていないようだが・・・
そんな4日の夕方、散歩がてらに稲毛海岸に行ってみた

満潮ではなかったが強風にあおられ高い波が押しよせていた


2~3日前までは海水浴客でにぎわっていたのがウソのよう


芝生広場も人がげはない


ウォルト、広場一人占め


荒れる海をながめていたら、こんなことを思い出した・・・

二十歳ぐらいのときだったか、職場の仲間4~5人で海水浴に行った。
房総の勝山だったとおもうが、ちょうど台風が接近していて海は荒れていた。

せっかく来たのに泳がないのはもったいない・・・と、一人で海に出た。
砂浜から沖に出て、でも・・・ちょっと怖いので2~300mぐらいで引き返すことにした。

気分よく泳いでいた・・・ところが、泳いでも泳いでも陸が近づいて来ない!!!

「なんでだ!!!」

そうか?「潮が沖に引いているのだ!」。そう気付いたら・・・
「身の毛がよだつ」ってこのことか?今まで経験したことがない恐怖で震えが止まらなくなった。

力の限り泳いだようにおもう・・・
どのぐらい泳いだだろうか?「もう体力の限界だ!」。突然、後方から来た波に巻き込まれた。
海中でグルグル回りながら、「もうダメだ!これは死ぬな???」ってホントにおもった・・・

と、その瞬間、伸ばした足先に砂が触れたのだ・・・「助かった!!!」

必死に陸まで上がった。疲労で立っているどころか、座っていることもできない。
マラソンランナーがゴールして倒れこむように・・・

その後、一時間ぐらいは苦しくて動くことができなかった・・・

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6 コメント

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そんなことが! (憩いの森)
2018-09-06 13:34:21
あったのですか! 

若気の至りというものでしょうが、助かって良かった! でないと親友Lab通信さんと出会うこともなかったわけですから♪

そういう自分も実は東京オリンピックが開催された19歳の頃にあわや死亡という目にあいました。

洞爺湖から札幌へ向かう山道の国道230号線で僕が運転を替わり当時は砂利道だった中山峠にさしかかるところでタイヤが滑り崖から転げ落ちました。

車は自動車週工場を営む友人の親父さんの車で初代日産ブルーバード1,000CCでした。

ところが、運が良いというか、1回転した後、車輪の1つが雑木林にひっかかり、枝の上で止まったのです。

数十メートル先は岩の崖になっていて数十メートル下の河原に落ちていたら今皆さんとお会いすることもなかったでしょう。

その後、通りかかった観光バスに載せてもらい、札幌市内のレッカー業者を探してまた事故った峠に戻り、札幌市内に戻って修理したとんでもない経験をしました。

この事件については両親には知らせないまま両親は亡くなりました。それでよかったのか・・・

事故った夜は親切にもレッカー車の業者が見かねて自宅に2人を一晩泊めてくれました。現在では考えられないほど、

当時はわたしも友人も免許取りたての身分でしたから、愚かで怖いもの知らずだったのです。

今までの人生の中で幸いというべきか、九死に一生を得たのはそれだけです。

今後は残り少ない人生を大事に生きてゆこうと思います。

勝手に長文のカミングアウトコメントを披露してしまいすみません。(^^;
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憩いの森さんへ (Lab通信)
2018-09-06 15:12:30
長文のコメント、ありがとうございます

そうでしたか?車は危ないですね?免許取り立てはとくに危険・・・
そう、怖さを知らないからでしょうね?
九死に一生・・・てやつですか?引っかかった雑木林に感謝ですね?

事故後の処理は落ち着いて判断なさったようです・・・

こうして大けがや時には命を亡くす若者がいるのです。
不幸中の幸いでした。
でも、このような経験が血肉となって現在があるのでは?そう思います・・・

ブルバード1000ccがなつかしい・・・それまでダットサンしかなかった。
この時代あたりから車社会になっていったのでしょうか?
すみません、余計なことでした

私も事故はたくさんやりました。いちばん大きな事故は?21歳のときでした。
土浦市の国道で夜中に自転車のオジサンを跳ねたのです。
このときばかりは、「オレの人生は終わった?」
とおもいました。

救急車で運ばれたとき意識はなく、頭や顔は血だらけでした。

駆けつけた警察官同士が「死亡事故がなかったのに、こりゃヤバイな?・・・」。って???
どうも交通安全週間中だったらしいのです・・・「ふざけるな!」って思いました。

警察官より「親を呼ぶように・・・」と言われましたが、
「20歳を過ぎている大人なのだから、親を呼ぶ必要はありません」
「自分一人で責任をとります・・・」と言いました。
当然、親には生涯内緒にしていました。

幸いにも、一か月の入院ですみました。
でも、自賠責しか入っていなかったので、保険の手続きがたいへんでした。
任意保険であれば保険屋さんがしてくれますが、自分ですべてやらなければなりませんでした。

すみません、こちらの話題が長くなりました。

運転には気を付けましょう・・・



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なんとなんと❗ (憩いの森)
2018-09-07 13:28:41
またまた、すごいカミングアウトコメントをありがとうございました。

人身事故は幸いわたしの約55年ドライバー歴で1度もなく、今後の運転も気を付けてゆくつもりです。

それはともかく親に頼らず若かったのに人身事故対応を一人でやったのはすごい!20歳そこそこの歳では普通はパニクってすぐ親にすがるのが多いのでは?

Lab通信さんは若いときから独立心が出来ていた証拠ですね。でも被害者の怪我が重体でなかったのは幸いでした。

もう遠い昔の重大事事件も今だから話せると言えます。

残りの人生もお互いに事故に巻き込まれないことを祈りましょう。
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憩いの森さんへ (Lab通信)
2018-09-07 18:02:16
何度もコメントありがとうございます・・・

そう、遠い昔のはなしです。
兄が高校の受験に失敗したとき、はじめて母親の涙を見ました。
ショックでした。自分の親は泣かないものだとおもっていたし、強い人だと思っていたからです。

その後もなんどか涙を見せました。兄の入院や手術がつづいたのです。
とろがです、兄が無事退院してからは今度は親子喧嘩です・・・

ちょうど、私が中学二年のころで反抗期だったんでしょうね
はじめに私が祖母に叱られたとします。そうすると兄が私の味方をし祖母に歯向かいます。
こんどは母が祖母の味方をして全面戦争となります。
妹はただ泣くばかり・・・

毎日のような親子喧嘩に母は「なんでいつもこうなっちゃっうの???」と、嘆いてよく泣きました・・・

下って私が二十歳のころ、母は勤めていた会社を辞めました。
理由は聞きませんでしたが、つらかったのでしょう?

そんな弱くなった母親に助けを求めることなんて考えもしません。
どんなにつらくても母親にすがることなどできませんでした・・・
弱い人間に助けてもらおうとは思わないでしょう?

だから、特別に頑張ったわけでもなく、当たり前のことをしただけと思っていました。

それに当時は、相手側との交渉や保険の手続きなど、たいしたことありませんでしたよ・・・


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人生いろいろ (憩いの森)
2018-09-09 12:52:14
島倉千代子の唄のようにまさに「人生いろいろ」ですね❗

今思えばわが親族家族も泣き笑い人生いろいろでした。今後もまだいろいろは続きそうです。

自分の人生もできれば笑いの人生で完結させたいものです。
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何度もありがとうございます (Lab通信)
2018-09-10 11:07:33
人生いろいろですが・・・

私の場合は大きな事故やトラブルのない人生だったな?と思います。

陣痛が始まったときにマージャンでいなかったし
また、田舎の親父が亡くなったときもマージャンだったりして
いまだに文句を言われたりしますが・・・

大きな怪我や病気もなく、なんとか仕事もこの歳になるまで続けられました。

ふり返れば、いろいろあったけど比較的平穏無事な人生でした・・・

まだ終わったわけではないですが・・・



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