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正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

メインページは検索で「正定寺」
(HP作成は正定寺閑栖:小原壽山)
ブログはFacebookにリンクしています。

雨乞い

2013年04月24日 | 日記
昨日から雨が降っています。
竹林の筍がこの雨で又出てくるのでしょうか?

境内の竹林にはあちこち筍が伸びていて
親のカタキのように見つけては掘っています。

家内だけでは追いつかないので、
知り合いに電話をして「筍はいりませんか?」と
声を掛けます。

筍は一雨で急成長します。

これから農繁期を迎える方々に
とっては雨は大切な天の恵みです。

昔は干ばつが続くと「雨乞い」をしていました。

直川仁田原の雨乞いは「於利宇・於流(オリヲ)」と言う
山のてっぺんに安置されている石像の「龍神さま」に
大勢でお参りして正定寺から和尚さんが龍の掛け軸を
持って雨乞い法要をしたそうです。

その時の龍の掛け軸がこれです。

字は「龍」の一文字です。
書いた方は、明治4年に初代妙心寺派管長と
なられた鰲巓道契和尚です。



「於利宇(オリヲ)」と言う山は、頂上が平らな原っぱに
なっていて、50才以上の川原木小学校・直川小学校の卒業生は
遠足で登った事があると思います。

今では、竜神をお祀りしている場所は、
藪の中になってしまっています。

この「於利宇(オリヲ)」の峠は、
今から200年前に百姓5000人が
集結して佐伯藩最大の一揆が
起こった場所でもあります。






月に一度の熊本通い

2013年04月22日 | 日記
月に一度の診察で熊本に出かけました。
平成23年からお世話になっている
「熊本放射線外科病院」です。



ノバリスTXという九州に一台しかない
優れものの放射線治療の機械があります。
脳への治療は保険適用です。

私は昨年の秋から放射線治療を
行っていません。
今回は脳のMRI検査だけの熊本通いでした。

帰りには阿蘇駅に隣接する道の駅で
蕎麦を買って帰りました。

阿蘇駅



阿蘇道の駅



目に青葉とグチ

2013年04月15日 | 日記
境内の草木に花や新芽が目立つように
なりました。

風情のある風景ですが、
和尚さんや寺庭さんにとっては
「草むしり」シーズンの到来です。

参拝者は、
「お寺はいつ来ても綺麗ですね」と
お寺の境内があたかも自動的に掃き清められて
草一本・塵一つ無いようになっていると
思っている方・・・・

たばこのポイ捨てをしても、自動的に吸い殻が
無くなると思っている方・・・

そんな事、あるはずがない!

近所の世話役さんやおばさんたちが
手伝ってくれるので、なんとか参拝者の皆さんに
「綺麗ですね」といっていただく程度には
境内も維持できていまが、寺族は大変なんですよ!

コンクリートの町で育った女房は、
30年経って上品なお嬢さまから小麦色の「草取りのプロ」になって
しまいました。

お陰で手足には立派な筋肉が付いて・・・・

まあ、その話は次回にして


その女房と境内を歩きながら
上品に今から咲く花を愛でました。









※寺族が境内を掃き清めるのは当たり前の事ですが、
ここしばらくは、一年で一番外掃除に時間が費やされます。




甘茶はいかがですか!

2013年04月08日 | 日記
4月8日はお釈迦さまのお誕生日です。
灌仏会(かんぶつえ)とも言います。

他にも降誕会(ごうたんえ)・仏生会(ぶっしょうえ)・浴仏会(よくぶつえ)
花祭(はなまつり)などの名称で行事が行われています。



皆さんは「甘茶(あまちゃ)でおなじみだと思います。

お釈迦さまの誕生に合わせて、龍が天から飛来して、
香湯(ソーマ、アムリタ)を そそいだという言い伝えで
昔から甘茶を誕生佛にそそぎます。

甘茶はお釈迦さまの産湯です。
この甘茶を無病息災のために飲んだり、
硯の水に使うと「習字が上達する」とか
家の周りに撒くと「まむし除け」になると言われたりします。

今年から甘茶作りの担当が新住職になりました。
大鍋に甘茶・甘草を入れて作ります。
薄からず又濃いからずの甘茶は少々年季がいる仕事です。

朝からペットボトルや一升ビンを抱いて
檀家さんが貰いに来ています。

檀家さんは、誕生仏に甘茶をそそいで
手を合わせていました。




病院通い

2013年04月06日 | 日記
臨済宗の始祖(創始者)である「臨済禅師(中国の和尚さん)」の
卓越された語録(言葉を集めた書物)の臨済録に
「病在不自信処(病ハ不自信の処に在り)」とあります。

今日は外科・内科と二つの病院を掛け持ちしました。

外科は別府市にあります。
立て替え工事の最中です。
大方は工事が終了しているようです。

現在通っている病院



昨年までは大分市の病院だったのですが、
主治医の移動で別府まで付いて来ました。
大分市の病院も私が治療に通う間に新築に
なりました。

内科は佐伯市で代々続く医院で
ご先祖さまは藩医だったようです。
この医院のご先祖さまのご兄弟が
正定寺の第9世住職になっています。
元文4年(1739)に晋山していますから
300年程前の祖師になります。

内科の医院



外科で抗がん剤を3時間かけて投与して
内科では血圧をはじめ諸々の点検を
していただきます。

内科の先生から「和尚さん。痩せませんか」とお会いする度に
促されますが、体重計に上がると今回も2KGほど
成長していました。
「病ハ不自信の処に在り」の言葉を見透かされているようで、
何とも返答に困りました。

いつかお目にかかりたい

2013年04月04日 | 日記
お名前の読みが同姓同名のお二人が
出会いました。

珍しいお名前の二人は数年前から会うことを
お互い楽しみにしていました。

一人は正定寺花園会女性部部長さんの
「矢野侃可さん」

一人は県水連のシンクロナイズスイミング
監督の「矢野直香先生」

二人とも産まれた時から
「ヤノ ナオカ」さんです。

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矢野直香先生のお名前は、
息子が水泳大会に参加していたので
知っていました。

二人のお名前が同じであることを
8年前のブログに書いたのが
きっかけで、今日のご対面になりました。

そのきっかけのブログがこちら

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矢野直香さんを見て、矢野侃可さんの第一声が「私の孫娘にとてもよく似てる」
でした。

それを聞いた女房も「ほんとですね」と
驚いていました。

お互いの身の上話に花を咲かせる中で、
時代は違いますが二人とも「なおか」と言う字の
名付け親が神官さんであったり、
「侃可の侃も、すなお」・「直香の直も、すなお」と
読む事など不思議なえにしを感じました。

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新命も加わって、時の経つのを忘れるほど
楽しい時間を過ごさせていただきました。

いつかお目にかかりたいと願った二人の記念ショット











皿の中なる水こぼさねば、いつも此身は豆蔵じや

2013年03月31日 | 日記
2万石の城下には過ぎたる禅寺と
言われる名刹養賢寺は慶長10年(1605)の創建です。

藩主の菩提寺として多くの名僧を
排出しています。

養賢寺は昭和2年(1927)8月18日に本堂を焼失して
同5年3月22日に再建されました。

このときの老師が小宮洪巌(こみやこうがん)
室号を點蘂軒(てんずいけん)といいました。

老師が養賢寺に入ったのが本堂焼失の半年前です。

老師は佐賀県唐津市の出身で久留米梅林僧堂に掛搭して
東海瞎禅(香夢室)に参禅のち嗣法しました。

洪巌老師は昭和32年に養賢寺を出られて
別府で昭和50年94歳で遷化しました。

写真では大柄でかっぷくの良い老師です。

老師は書画共に卓越していて、
多くの墨跡作品が養賢寺の檀家のあちこちにあります。

ただ、専門道場の師家として妻帯が取りざたされ、
一部の雲水が暴動して、檀家が排斥騒動を起こす事態となり、
やむなく老師が下山した経緯があります。

一連の騒動は寺院による扇動だと
いう噂もあると聞きましたが遠い昔の話しです。

そんな訳でなかなか部内の寺院には、
洪巌老師の墨跡が無いのが現状です。

(鐵心肝:正定寺)



白隠禅師の墨跡画を真似た洪巌老師の書画。
(皿の内なる水こぼさねば、いつも此身は豆蔵じや:個人)



白隠禅師がこちらです。



洪巌老師の後に立花光宗老師が養賢寺に入りました。


最初で最後の「津送香語」  (しんそうこうご)

2013年03月30日 | 日記
平成20年の春、養賢寺住職であった安藤秀峰老師(黄龍窟)が
忽然として遷化(亡くなる)致しました。

前年に本山妙心寺で開堂を終えた
ばかりで、師匠である片岡省念老師(龍潜洞)
のお力の落としようは、端から見ていても
痛々しくお声の掛けようもありませんでした。

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安藤秀峰老師が亡くなる2年前に正定寺の
先々住職(私の父)が遷化しています。

先々住職は自分の葬儀の導師を
養賢寺現住職の黄龍窟に
お願いする旨を家族に伝えていました。

片岡省念老師を秉炬導師に奠湯・奠茶導師を
新命老師(秀峰老師)にお願いしてはと考えていたのですが
病床で先々住職は次のように言いました。

先々住職「導師を閑栖老師にお願いするべきでは無い。
法務など煩(わずら)わしい事をお願いするのは避けるべきである」

閑栖たる閑栖和尚の持論でした。

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安藤秀峰老師は、パソコンをしていたので
先々住職の希望を事前にメールで伝えていました。

それから数ヶ月後の平成18年6月1日に私の師匠である
先々住職は遷化致しました。

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遺言通り、津送導師を安藤秀峰老師にお願い致しました。

津送は6月7日に行われました。

秀峰老師にとって最初で最後の秉炬導師となりました。

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新忌斎(四十九日)が過ぎて、秉炬香語を頂きました。

平成19年に頂相ができあがり、讃も秀峰老師に
お願いしていました。

平成20年正月の年賀で、讃が出来上がっている事を、
秀峰老師から聞いていました。

※讃(亡くなった方の人となりを漢詩で表したもの)
※頂相(亡くなった和尚さんの遺影の軸)

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大祥忌(3回忌)を平成20年11月に行うべく、
秀峰老師と日程の調整をしていましたが、
老師からの返信メールは届かず、
3月7日の未明に安藤秀峰老師は59歳で
遷化致しました。

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亡くなった後、養賢寺法類の天徳寺さんから大老師の
許しを頂き、秀峰老師のパソコンのデーターを
調べてもらいました。

正定寺豊嶽和尚という名前のフォルダーに、
津送香語や小祥忌(1回忌)の香語、それに頂相の讃も
保存されていました。


最初で最後の秉炬香語(直筆)



頂相の讃は、片岡省念老師から
揮毫して頂きました。



新忌斎の導師



在りし日の安藤秀峰老師




書が修復されて戻って来ました。

2013年03月29日 | 日記
1ヶ月程前に表具屋さんに出していた
書が修復されて戻って来ました。

秋月橘門(あきづき-きつもん)と言う方の
書です。

秋月橘門 文化6年(1809)生~明治13年(1880)4月26日72歳死去。

姓は劉・水筑(みずき)とも。
名は龍・字は伯起。
通称は小相(こすけ)。詩集に「橘門韻語」など。

江戸後期-明治時代の儒者。
広瀬淡窓・亀井昭陽にまなび、
のち医学もおさめた。

日向高鍋藩主秋月氏の支族の後裔。
佐伯藩主・毛利高蓁が彼を招いて
藩学校四教堂(しこうどう)教授となった。
明治2年初代下総(しもうさ)葛飾県知事。
詩文や書を善くし、和歌にも長じている。

Before




After



掛け軸にすると2幅(4枚)作らなければならないので
4枚を合わせて屏風にしました。

字はこんな感じですかね。


善不可以偽來・惡不可以辭去。近市無賈・在田無野。善不逆旅・非仁義剛武無以定天下



鏡以精明・美惡自服。衡平無私・輕重自得。蓬生麻中・不扶自直。白砂入泥・與之皆黒。





村じゅうと檀家じゅうと

2013年03月28日 | 日記
舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)は、
お嫁さんにとっていささか、
苦手な人物というのが定番です。

田舎に嫁ぐと、嫁ぎ先の姑以上に
近所近辺に住んでいるおばさん達が
何かと、うるさくつきまといます。

他人のお嫁さんを「ああでもない・こうでもない」と
姑さん以上にうるさくしつけます。

こんな近所のおばさん達の事を「村じゅうと」と
いいます。
※「村の舅」や「村の姑」を称して「村じゅうと」と呼びます。
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この「村じゅうと」の方々も40年程前は
若いかわいいお嫁さん達でした。

「世の中は娘が嫁と花咲いて、嬶(かか)と萎(しぼん)で婆々と散り行く」

などと言いますが、まるで女性は七変化ですね。

※セクハラのつもりではありません。

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お寺の場合は、この「村じゅうと」さんだけではなく
「檀家じゅうと」さんもいらっしゃいます。

※昔から里を離れない小姑さんになぞらえて、
 檀家の数だけ「小姑がいる」と言うらしいのです。

「檀家じゅうと」の言葉は、随分昔に「赤木地区のご婦人」から
教えてもらいました。

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このご婦人が嫁いですぐの女房にこんな事を言ってくれました。

ご婦人「みどりちゃん(女房の名)。「檀家じゅうと」はうるさいけれども、
一端お嫁さんの味方に付けば、鬼に金棒だからね」と・・・。

女房は確かに「鬼に金棒」を得てお陰で30年になりました。
関西から嫁いですっかり大分弁の関西なまりに
なってしまいました。

まだ先の話ですが、次の寺庭(寺の奥さんの名称)も女房と
同じように皆さんから助けてもらえれば良いなと思っています。

その時、女房は姑デビューします。

回向袋 (えこうぶくろ) と欲袋 (よくぶくろ)

2013年03月27日 | 日記
檀家さんは春のお彼岸には「回向袋」をお供えします。

回向袋は封筒になっていてお米を入れて
ご本尊さまやご先祖さまにお供え致します。



回向袋には檀家さんの施主名を書き込みます。

回向とは「回し向ける」と言う事です。
これは布施心の善行がいずれ自分や他の者への
功徳となることを意味します。

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正定寺では、地区の世話人さんが取り集めて
お彼岸中に位牌堂にお供えして下さいます。

春のお彼岸と初午(お稲荷さん)の合祀法要日には、
檀信徒のご先祖さまに参拝者と共に焼香読経して
回向を致します。



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今朝、ご婦人がお参りになってこんな事を
話していました。

ご婦人「回向袋には亡くなった母やご先祖さまの顔を思い浮かべ
お米を詰めました。」

檀信徒の皆さんがご先祖を思い浮かべながら
お供えしているのだと思うと、とてもうれしく感じました。

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ここでブログが終わるとタイトルの「欲袋」の
意味が判らないですよね。


正定寺の回向袋は一般的な平封筒ですが、
以前は「マチ付き封筒」でした。
底が広くて膨らませると厚みができる封筒です。

見た目よりマチ付きの封筒はたくさんの
お米が入ります。

思ったよりお米を詰めなければならないので
檀家さんの中には「お寺の回向袋」と言わずに
「お寺の欲袋」という方が現れました。

こんな言い方をするお茶目な檀家さんは、
お米を回向袋に詰める時には、
ご先祖さまの姿を思い浮かべるのではなくて、
私の顔を想像しながら詰めるのでしょうね。

私の顔を思い浮かべながらでは、余りにも切なく
功徳はなさそうですね。
良く「莫妄想」と言います。

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回向袋を欲袋と呼ぶのは、正定寺に限らず
全国的なものらしいです。

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季節の「タラの芽と蕗のとう」を和尚さんにと
持って来てくれたご婦人と「回向袋と欲袋」の
話しで大笑いしながら一時を過ごしました。

早速、天ぷらにして初物を頂きました。
タラの芽を食べて「長生きして下さい」と
言ってご婦人は帰りました。

雨の中を山に採りに行って下さったご主人は
私の顔を浮かべながら丁寧に摘んで下さったと
思うと、もったいなくていつも以上に
感謝しながら頂きました。




最近はあべこべ

2013年03月26日 | 日記
24日の臨時世話人総会で晋山式の収支報告が
終わり、会計資料がお寺に渡されました。

収入一つを見ても振込用紙や世話人さんから手渡された
封筒に至まで細かく整理されていました。

会計報告でも晋山式の負担金の納金状態は
100%と言うことで、当初の法要・付帯工事も
支障なく終える事ができたと報告にありました。

特別寄付は21,696,030円にのぼり
行事への参拝者や規模も当初より多く
なりましたが充分な対応ができました。

お祝儀も8,935,080円と当初の法要予算に
手を付けることなく、宴席慰労や参拝者の記念品など
お祝儀でまかなうことができたようです。

多くの檀家さんは、新命和尚さんのために
貴重な浄財を喜捨したのだから、
自分達が飲んだり、食べたりした分は自分たちで」と
当日は、過分のお祝儀や寄進を賜りました。

そのお陰で余剰金は、付帯工事に回すことが
できて、当初の設計や見積もりよりも立派な
材料や安全性の高いものを使用することができました。

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役員会の雑談でこんな話しが出たりします。

○○地区の××さん
「ワシ達の寄付金で役員は、飲んだり食ったりしよるんじゃねえな」

役員さんの○○さん
「今時、人の金で飲んだり食ったりする奴はおらんでぇ」

また別の

檀家さんの△△さん
「会計さん(予算)があるけん、祝儀を包つまんでんいいんじゃ。飲み食いも会計でまかのうからいいんじゃ」

役員さんの◎◎さん
「老人クラブでん、弁当は会費からじゃのうて、毎回、手出しで食うんが当たり前じゃにぃ。
記念品はお祝いじゃからありがとうもろうーとくが、飲み食いは別じゃ。」

役員会が終わった後の雑談では、「まさか・あり得ない」ような
話しで盛り上がります。

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上記の【○○地区の××さんの意見や檀家さんの△△さん】の考えは
「接待する側」の考えのようですね。

通常、接待する側はお世話になった方々に
「どうぞお気遣いなさらずに、粗末なものですがお上がり下さい」と言います。

接待を受ける側が
「みんなから集めたお金があるから手ぶらで良いですよ」とは言いませんよね。

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最近は接待する側とされる側の立場が判らなくなっているようで
なんだか滑稽な場面に遭遇することもあります。

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葬儀の後には、喪家や親族などで寺参り(礼参)と言うのがあります。
今はお茶にお菓子ですが、昔は一寸したお膳を出していました。

礼参は喪家や親族が席に着くと和尚さんが遺族を前にして、

和尚:「○○さんの葬儀も無事に終えられてご苦労様でした。なにもありませんが」と膳を進めます。



ある日、その挨拶を突然喪主が言い出しました。

喪主:「親戚のみなさま、葬儀にはお世話になりました。
粗末なものですがどうぞごゆるりとお召し上がり下さい」と

待ってよ!

そのお膳はお寺が出したものですよ。
女房が喪家のみなさまの為に作ったものですよ。
ましてや「粗末なものですが・・」とは・・・女房は凹みます

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葬儀のお布施をお寺に差し上げるので、
お寺で出される食事やお茶・菓子はサービスの一つだと思ったのかも知れません。

このような出来事は、一度しか見たことがありませんが
若い喪主は、臨席した親族のあちこちから叱られていました。
喪主も気まずそうにしていました。

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最近、このような「あべこべ」を見かけませんか?

「人への感謝」がなくなった時に「あべこべ」になるのかな?













桜が満開

2013年03月25日 | 日記
桜が満開です。
山も里も桜です。





咲くとわずかの見頃で散っていきます。

散ると言うと、今回の治療に使っている
「ドセタキセル」という薬は脱毛の副作用があります。

すでに初回の投薬から1ヶ月を過ぎています。

頭やひげは伸びるのが遅くなり、さわると
柔らかくなっています。

職業欄に僧侶と書くので「脱毛」はさほど
気になりません。

主治医も医療説明で「脱毛」の事を言いましたが
女性や若者へ告げるよりは気をつかわなくて
すんだようです。

ただ、眉毛やマツゲまで抜けてしまうらしく
人前に出るのが少しおっくうになっています。
声も出ないので、新命和尚の手伝いもできない
ありさまです。

髪は「抜ける」で「散る」とは言いませんが
又時期が来るときっと咲くので、脱毛もわずかの
間のガマンと行きましょう。






手土産の種類

2013年03月23日 | 日記
A)久しくお目にかかっていない寺院に
お伺いする場合は、お土産(菓儀)を持参します。

B)一般家庭の里帰りや友人宅にお邪魔する
場合は、お酒や手土産を持参します。

C)親族やお世話になった方へ中元や歳暮など
年中の行事として届けたり持参したりします。

D)檀家さんがお寺にお参りする場合は、お供えや
お布施をお供えします。

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お世話になった方に気持ちばかりの品を
差し上げるのは日本の風習ですが、
問題になるのが「賄賂」と「お礼」の区別です。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

A)の場合は人に直接渡すことはありません。
必ず赤盆にのせて床の間におもむいて、三拝(五体投地)します。

「仏祖にあらずんば拝をせず」などと老僧達が言うように
掛け軸は仏画か祖師が揮毫した禅語がほとんどです。
禅寺の床の間に祖師が書いた「達磨さん」が多いのは、
そんな理由からです。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

C)の場合も人に直接渡すことはありません。
中元も歳暮も仏壇にお供えします。
お盆参りに檀家さんのお家へ行くと、
仏壇の側には他家から届いた「中元」が置かれて
います。

仏さまにお供えするのですから「精進」の
品物です。それで「そうめん」などの乾物が多いのです。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

D)の場合も人に直接渡すことはありません。
本堂の仏さまの前や賽銭箱などに供えます。
必ず手を合わせる動作があります。

お布施の包み紙は、丁寧に紐で結ばれ容易に
開けられないようにしています。(水引)
「私の気持ちばかりの布施なので、この場で
確かめないで下さい」という布施本来の意味が
この「水引封筒」にあります。
結婚式のお祝い封筒も同じです。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

さて、問題はB)の
「一般家庭にお邪魔する場合の手土産は誰に渡すのか」と
言うことなのですが、以前は相手の家にお邪魔すると
まず、仏間に出向きそこのご先祖にお参りして、仏壇に
手土産を供えていました。

仏間に出向かなくても、相手方のご家族(子供から大人まで)が
「お土産を頂いたからまず仏さまへ」と仏壇にお供えしていました。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

最近はどうなのでしょうか?
お土産を頂くと「ワー!ありがとう!」と
言いながらその場で包み紙をほどいています。

挨拶よりはお土産の感想の方が優先のようです。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

A)からD)のいずれも「手を合わす(合掌)」行為がともなっています。
そして、その手を合わせ拝む対象が
「仏祖にあらずんば拝をせず」の仏祖の方々です。

言い換えれば、お土産やお世話になった方への
お礼は人間に直接渡すことはないのかも知れません。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

生身の人に手を合わせて拝みながら贈るお礼は
「賄賂」に近いものなのかも知れませんね。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

と言うわけで

今日は春のお彼岸グラウンドゴルフ大会です。
天候が気になっていましたが、晴れました。

ボチボチ参加選手が集合しています。



















床の間の掛け軸

2013年03月22日 | 日記
檀家さんのお参りに行くと
仏間に並んで床の間があります。

おおかたの床の間には「天照大神」の
掛け軸が掛かっています。

仏壇は「仏さま」・床の間は「神さま」と
使い分けています。
日本の風土をよく現しています。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
最近では、中国土産の掛け軸を良く
見かけるようになりました。

代々伝わっている古い掛け軸を
高価なものと思い込んでいる檀家さんもあります。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

掛け軸販売業者から「厄除け」・「金持ちになる」
などと言われ高額な掛け軸を購入している方もいます。
これらは、霊感商法や詐欺まがいの業者から騙されたのでは
ないかと心配します。

高齢者だけの家庭は特に心配です。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

昔は年忌法要の時に「十三仏」を床の間に
掛けているのをよく見かけました。
最近は見かけなくなりました。

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久留須(クルス)と言う、いかにも隠れキリシタンに縁が
ありそうな地区に簀戸(すど)と言う苗字のお家があります。

代々信仰も厚く熱心な檀家さんです。
仏壇の小さな観音さまは古い仏像のようです。

簀戸家は必ず一間の床の間に
文殊・普賢菩薩の古い大きな掛け軸を掛けて
年忌法要をします。

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客間・玄関口などその時期に合わせた「言葉や風景」の
軸物が用意されています。

これは、98才で亡くなった先々代婦人から行われて
いる趣向です。

私がお盆参りに伺うと必ず先代婦人を伴って
仏間でお茶を私に勧め「和尚さま、この軸は・・」と
当時すでに90才を過ぎていた先々代婦人の少々長い
解説が始まります。

簀戸家のお婆さんは草書や漢詩などの読み書きも
できた方でした。
たしか、奈良女子高等師範の出身だったと記憶しています。

嫁の悪口を言う姑ばあさんは良く見かけますが
品格があり、読み書きができるお婆さんは見かけなく
なりました。

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呉々も掛け軸購入は慎重に、家の袋戸棚にしまい込んだ
古い掛け軸は、たまに出して風に当て、作者や意味を
調べるのも良いかもしれませんね。