正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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(HP作成は正定寺閑栖:小原壽山)
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さかえ重に四十九日餅

2010年11月28日 | 日記
人が亡くなり四十九日経つと「忌明け法要」が営まれます。
四十九日には白木の位牌から本位牌と言われる
「漆塗りの位牌」に戒名が彫られて法要を迎えます。

その、四十九日には「四十九日餅」と云う餅が
お寺や自宅の霊前に供えられます。

お寺へ四十九日餅を持参するときにお餅を入れる
箱が「さかえ重」という木箱です。

今日はその四十九日に父親を亡くした息子さん二人が
「さかえ重」にお餅を入れて持参しました。
※「誕生餅」や「お米」・「赤飯」なども入れます。
冠婚葬祭全てに用います。



徐々に伝統や習慣が消えていく中でこのように
昔の風習を大切にしているお家を見ると「ほっと」します。

お寺参りをした息子さんのお話では
母親が蔵から「さかえ重」を出して来て
丁寧に拭き上げていたそうです。

お餅はさすがに村の加工場に頼んで
「49個の小餅と3個の中餅」を昔通りに
作ってもらったそうです。

加工場に「さかえ重」を持って行くと加工場の若い女性が
『そんな箱に入れてお寺に持って行かなくても段ボールで大丈夫ですよ』と
云ったらしく・・・「やれやれ」と思ってしまいました。

「姑から嫁に先祖から子孫に」伝えるべき機会が少なく
なっているのかも知れません。


さかえ重という入れ物

2010年11月26日 | 日記
「さかえ重」という木の箱があります。

「三つ重ね」か「五つ重ね」で寸法も
決まっている入れ子形式の木箱です。



「誕生餅」や「お赤飯」などを近所にお裾分けするときに
入れる「お重」のことです。

お餅を入れるので檀家さんは「四十九日餅」のお供えも
この「さかえ重」に入れてお寺に持ってきます。

最近はこの「さかえ重」が無くなって紙箱やプラスチックの
「もろぶた」を持参する檀家さんが多くなってきました。

たまに「さかえ重」にお餅を入れてお参りする方に
お会いすると「旧家の伝統」を感じます。

四十九日餅をいれて持参した「さかえ重」



昔は、どの家でもあった「さかえ重」ですが
普段使わなくなったので処分されたようです。

古い習慣は大切にしたいものですね。

※この地方では「さかえ重(栄え重)」と言いますが
本当は「堺重(さかい重)」と言い堺特産の春慶塗の重箱で
調理場で切った野菜や盛りつける前の料理などを入れておく
切り溜め【きりだめ】とも言うらしい。

久しぶりに水泳サイトの閲覧

2010年11月25日 | 日記
大分国体開催までしばらくの間「大分県水泳連盟」の
HP作成をしていた。

このブログもその時の産物です。

久しぶりに水泳サイトを見てみると
「あ!そうだったのか!」と思った。

新命のランキングが無いと
思っていたら・・・あった。

2006年度
こちらは知っていました

2007年度
こちらを見つけた。

修行に行く前にもっと「褒めておけば良かった」と
思った。

まさか、1位になっていたとは・・・。

今後は己事究明専一に・・。




  

なれない事はしんどい

2010年11月23日 | 晋山式
午前9:00から午後4:00近くまで
山に登り立木の調査を手伝った。

普段、まったく運動をしない私が山に出かけて
輪尺で測った木の直径を記録する係です。





立木調査の中では楽な係ですが、でも疲れました。

疲れたせいか、6:00からのお逮夜法要で
法要後に立ちくらみして倒れてしまいました。

そもそも、血液検査で「立ちくらみ傾向」の
診断をいただいていたので、
倒れた私は驚かなかったのですが、お逮夜の
お家の方をびっくりさせてしまいました。

まだまだ、体力は戻っていません。

それに比べて、正定寺の総代・役員は頑張ってくれて
います。晋山式を無事に迎える為にそれぞれが
頼もしく信頼できる方々で私も安心しています。

お昼ご飯もとてもおいしく頂きました。









沖縄疎開学童を訪ねて

2010年11月21日 | 日記
昭和19年9月8日沖縄県具志頭村具志頭国民学校の学童が
沖縄戦渦より本土疎開のため那覇港を出発、
二週間の船中を経て旧川原木村仁田原に到着しました。
 
学童49名
高等科2年8名・高等科1年4名・小6年8名
小5年13名・小4年9名・小3年7名
と引率教師2名・寮母及び世話人5名が昭和21年11月に沖縄に戻るまでの
2年数ヶ月を旧川原木村の正定寺で過ごす事になりました。

その引率教師だった森田吉雄先生のご子息ご夫婦と
お孫さんが訪ねてまいりました。

ご子息の森田徹さんは正定寺へ来るのは初めてで
ご夫婦ともに当時の学童が寝泊まりしていた部屋や
境内・石段など感慨深く見て回っていました。



沖縄には「正定寺会」という当時の疎開学童が作った
会があります。
当時の学童と60数年経った今でも交流があるのは
当時、引率教師だった森田吉雄先生の教育と人柄に
よるものだと思っています。




宇目を散策して「美味しい噂のパン 杜のT Shop」を頂く

2010年11月19日 | 日記
宇目町の歯医者さんへ治療に行ったついでに
宇目町を散策しました。

もみじがあちこちで見ごろを迎えています。

初めて「トトロ」に行きました。
正定寺から30分ほどにある場所で「トトロ」は
地名です。

           新聞やテレビで度々取り上げられた「トトロ」


そのトトロから「宇目の大橋」に行く途中に窯焼きのパン屋さん」があります。

                 宇目の大橋


              本格的なパン焼きの窯

               店構え(パンだけでなく特産品もあります)


           パンはすでに残り少なくなっていました。


寺にもどり、「カレーパン」から「リンゴジャムパン」
「栗パン」などなど美味しく頂きました。


           噂のパン屋さんはこの看板のところです。

平成22年度秋季特別布教

2010年11月16日 | 日記
午前10:00より本匠因尾の瑞祥寺で「平成22年度秋季特別布教」が行われました。


講師に愛媛県の光教寺住職:小田実全和尚さまを迎え、
九州東教区第2部(佐伯市内21ヶ寺)の檀信徒約80名が参加しました。
 
正定寺からは花園会女性部の3名と寺庭が参加しました。
詳しくは正定寺ホームページの新着からご覧ください。

                 (瑞祥寺のご本尊さまの前で)




        (宗務支所長:長昌寺和尚さま導師で諷経する)





        (佐伯市の各寺院の役員や檀信徒)



紅葉だより

2010年11月14日 | 日記
本堂の前は既に紅葉してそろそろ
散り始めています。

もみじが散り始めた正定寺の車道


今からが見頃の裏山のもみじ


中津の自性寺さんから「ギンナン」が届きました。
その箱の中に相国寺僧堂でのスナップ写真が同封され
12月の餅つきの写真がありました。

厳しい僧堂での生活の中で「ほっと」息抜きする
時間があります。

この正月用の「餅つき」も安息の一日です。
写真機などないので本山の関係者が
撮したものだと思います。
写真が珍しいので一斉にレンズを向いています。


初物をいただく

2010年11月13日 | 日記
この村に「クルス(久留須)」という場所が
あります。
キリストと関係があるような名前です。

この久留須には駅がありこの村の中心街で
一時は商店が建ち並ぶにぎやかな場所でした。

昭和30年頃診療所が閉鎖され、勤務医として
お出でになっていた「麻生先生」がこの久留須
の中心に在った洋裁学校の跡地に「麻生医院」を
開業しました。

その「麻生医院」で私は小さいとき暫く育てて
いただきました。

麻生医院の裏庭(先生が鳩を飼っていました)


麻生のおばちゃん(英子さん)の妹さん(とし子さん)に抱かれた私


そんな訳でこの「久留須」町内の方々は私を呼ぶときには
「和尚」ではなく名を呼びます。

「しろう」と云う名を呼ぶ人は正定寺がある「上の地」と
麻生医院があった「久留須」の方や特に小さいときから
知っている親しい方だけが呼ぶ名前です。

先代から親しくさせていただいている
久留須のOHさんが「しろうちゃん」と
云いながら勝手口から入って来ました。

私の身体を気遣って初物の「デコポン」
届けてくれました。
早速お供えした後にいただきました。

とてもとてもおいしく、感謝しながら
いただきました。




いよいよ紅葉の季節

2010年11月12日 | 日記
山門あたりの「もみじ」が色づき
いよいよ紅葉の季節が来ました。

2年後の11月18日が晋山式予定なので
その時の風景を描きながら写真を撮りました。

ホームページのライブカメラからも色づく景色を
見ることができます。

本堂から山門を撮影


百段からの景色