正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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(HP作成は正定寺閑栖:小原壽山)
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梅に桜と春はそこ

2013年02月28日 | 日記
境内の霊苑墓地に植わってる
河津桜(カワズザクラ)が咲いています。
春のお彼岸前に咲く桜です。



梅は散りかかっています。





豊後梅は、もうすぐ咲きます。



同じ境内で咲く花と散る花があるのがとても
不思議です。

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明日の3月1日は「部内グラウンドゴルフ大会」が
佐伯市本匠で行われます。

元々この大会は、故安藤秀峰老師(黄龍窟)が養賢寺住職に
なられたお祝いに企画された大会です。

残念ながら、第2回大会を開催した後遷化なされて
その後は「偲ぶ大会」として今回が5回目となります。

第2回で挨拶する黄龍窟老大師




部内20ケ寺から各2チームが出場します。

昨年は雨のため延期。延期した大会が雨で中止と
なりました。

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本匠因尾の瑞祥寺の和尚さんが場所や器具の手配を
してくれました。

本人は否認するのですが過去の行事・大会を鑑みると
瑞祥寺の和尚さんは「雨男」です。

さて、明日の午後はどうでしょうか?
晴天を祈るばかりです。

瑞祥寺の山号が「慈雲山」いかにも
雨が降りそうな雰囲気です。




借金の返済

2013年02月27日 | 日記
お寺の本堂改築や建設に、
予算のめどが立たず金融機関から
建築費用を借り入れする寺院は沢山あります。

新しく本堂が建っても返済はしばらく続きます。

正定寺でも40年前の位牌堂移転建築に
金融機関から借り入れました。
別棟隠寮も国金から借り入れて、
返済後にお寺に寄与して現在に至っています。

お金は借りるより、返すのが大変です。

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新命も娘も奨学金を借りていました。
今はコツコツ返済しています。

嫁いだ娘は6年間分の奨学金返済と
子育て、それに事業運営金の返済で
とても大変そうです。

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当たり前ですが、
お寺は寺族個人より仏さまを優先します。

ドラマや映画では見ますが、
生活が困窮したからといって、
お寺の宝物を売り飛ばして、個人の生活に
使うことは現実にはありません。

和尚さんの中には、「二足の草鞋」とでも
言うのでしょうか、住職の他に職業を持って
大切なお寺を護っている方も大勢います。

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最近は、不景気・仕事がない・体をこわした
など様々な理由で行政の援助を受ける方々が
多くなったと聞きます。

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平成21年6月に74才の檀家さんが亡くなりました。

亡くなった男性は幼いときに父を亡くし、母と妹の
3人で暮らしていました。

生活が苦しくて「扶助料」を頂きながらの生活だったと
親族の弔辞がありました。

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当時の男性家族の様子が新聞に取り上げられました。



次が元文です。

《扶助料返してがん張る》・・昭和32年9月18日(大分合同新聞)
 
吉田ヤスさん(46)一家は番匠川工事事務所の日稼ぎ人夫に働いている

長男孝次君(22)と長女好乃さん(20)と三人家族である。

ヤスさんが直川村(当時直見村)から佐伯市池船で洋服仕立業を営んでいた
主人進さんのもとに嫁いでまもなく、進さんは当時5才の孝次君と3才になる好乃さんの
二児を残して昭和14年病死した。

幼児二人を残されて主人に先立たれたヤスさんの悲しみは想像以上のものがあった。
遺児二人を育てあげるにはどんな苦労も耐えしのんで生き抜かなくてはならないと決心して、
未亡人ヤスさんの生活苦闘がこの日から始まった。

それから十余年間ある時は鳶業の日稼人夫に雇われ、暇をみては実姉キヌさんのミシンの手伝いから
雨ガサ行商などしながら二児の養育費を稼ぎ出していたが女手のムリな疲れがたたったためかついに
病気になってしまった。

しかし、二児の学費はどうしてもいる。母一人でしかも病気とあってはどうにも動きがとれないので
毎月二千円の生活扶助料をもらってささやかながら学費や暮らしの費用にあてていた。
こうして長男孝次君が鶴岡中学校を卒業して店員に勤めるようになった。
病気の母を抱えて店員勤めでは家の暮らしは成りたたないが「このうえお世話をかけては相すまぬ、
より貧しい家を助けてあげてください」と二ケ年間もらっていた生活扶助料を昭和25年3月、
いさぎよく返上した。

いましばらくもらってはとすすめられたがききいれない。
この美わしい心意気はたちまち付近の評判となった。

これを知った本匠村の某氏は一面識もない他人のヤスさん一家の心掛けに感激して信用貸しで住宅を
買いなさいと十二万円を投げ出すというような美談も生まれた。

病弱のヤスさんは気分のよい時は農家の日雇い労務や賃縫いなどにも手を出しており
孝次君も日給わずか四百二十円だがムダづかいせずに毎月二千円を借金返済の天引貯金にしているという
模範青年である。

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この文章をHP
載せた数日後、娘さんからメールを頂きました。

メールには、ホームページに掲載したことへのお礼と

「私たち三人娘にとって祖母・父は誇りです。」と

書かれていました。






掛け軸の表装

2013年02月25日 | 日記
佐伯市には数件の「表具店」があります。

お寺さんや書家さんはひいきのお店で
表装します。

私は掛け軸の修繕や揮毫していただいた
書は佐伯市の「龍豊堂(佐伯市船頭町14-23)」という
お店にお願い致します。

この「龍豊堂」を紹介してくれたのは、
日展書家の「森神紫陽」先生でした。

先生は直川赤木神内の出身で正定寺の檀家でした。

本人もお弟子さんもこの「龍豊堂」に
作品表装の依頼をしていたようです。

この表具屋さんは、
いかにも「儲かっていない」という店構えです。

表具師の店主はたしか二代目か三代目だったように記憶しています。

東京理科大出身の少し変わり者な風体でそれがとても良い雰囲気。

決してお客さんに無駄な出費をさせません。
「これで充分だと思います」と店主は返答します。

冬でも靴下を履かずサンダルです。
「いかにも」という感じです。

作品の作者に話しが及ぶとしばらくは、
歴史背景や人物像を拝聴することになります。

偽物表装や冷やかしで来店する客には
「ハイハイ」と言いながら適当な応対をします。

お茶は店主の気分で出たり出なかったりします。

ただ、出されたお茶は結構美味しいのです。
不思議です。

相国寺管長の故梶谷宗忍老師の師匠寺であった
海崎戸穴の願成寺先代和尚さんも、
先代の龍豊堂店主と親交があったようで
(止止庵)宗忍老師の話しも良く出ます。


掛け軸表装をすることがあれば、是非一度
お店をのぞいて見てください。

「いかにも」という職人が出てきます。



写真のショーウインドー?の右端に縦字で
書かれた「龍豊堂」の字は、宮崎佐土原の大光寺(西の古月)の
先住職が書いたそうです。

※物見遊山や冷やかしはだめですよ。
 写真は佐伯市を紹介しているこちらのサイト
 から拝借しました。
 

寺報の役割

2013年02月25日 | 日記
正定寺の寺報はリコーのワープロを使って
昭和61年にはじめて作成しました。

それから今日まで何とか続いています。

昭和63年から印刷は業者にお願いして
檀家さんからの投稿や行事を主に掲載
しています。

昨年末に発行した第58号は初めてのカラー印刷
でした。

印刷屋さんが晋山式記念のお祝いとして白黒印刷の
値段で作ってくれました。

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今日、兵庫県豊岡市の「松禅寺」の寺報が
届きました。

毎号楽しみにしています。

松禅寺の住職は大学・専門道場と一緒で
学生の頃はアパートも一緒でした。

高校・大学と新聞配達をしながら
学校に通っていました。
「学生の見本」のような人です。

彼は、修行を終えると
お寺の住職と社会福祉の
お仕事を掛け持ちで頑張っていました。

その頃から、「新しモノ好き」な性格も手伝って
パソコン・インターネットなど
当時、世間ではあまりなじみがないハイテク機械を
扱う和尚さんになっていきました。

今では、「本山妙心寺のホームページ」の作成にも
若い方々に混じって楽しんでいます。

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私も彼の影響でホームページを作るように
なりました。

そんな彼が作る寺報「松禅寺報」は、
完全手作りのフルカラー印刷です。

見やすくて檀家の皆さんも、
楽しみにしながら「隅から隅まで読むだろうな」と思いました。

正定寺の寺報「寳林精舎」はどれだけの愛読者が
入るのだろうか

ふと・・考えてしまいました。




3月の行事予定

2013年02月24日 | 日記
3月の行事をお知らせ致します。
(決まっている行事)

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3月1日(金)
午後1:00開会式

九州東教区第二部主催
第5回黄龍窟杯グラウンドゴルフ大会

佐伯市本匠因尾
本匠西スポーツ公園
各寺院から2チームまで
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3月23日(土)
午後1:30法要
春彼岸法要と本山定期巡教

本山巡教師
宮城県大和町 禅興寺住職
梅澤徹玄 師

午前10:00から
第10回正定寺杯グラウンドゴルフ大会
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3月24日(日)
午後1:00
臨時世話人総会
(晋山式収支報告)
会議対象者
総代・花園会役員(花園会・青壮年部・女性部)
地区花園会世話人(総勢37名)
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我が村

2013年02月22日 | 日記
お寺が在る旧直川村の人口は
平成22年度の調べでは2479人だそうです。
世帯数は842世帯です。

この村には老人介護施設がいくつかあるので
単純に1世帯の家族数は割り出せないのですが、
平均二人前後なのかも知れません。

ご先祖を護って行く継承者が、
村外に転出している檀家さんも
年々増えて来ました。

現在の檀家数の割合が地元に60%
村外に40%となりつつあります。

年間10人前後の赤ちゃんがこの村で
産まれます。

過疎の高齢化と少子化の村と
いえます。

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今日、「納骨堂を作りませんか」と
都会の佛具屋さんが見えました。

転勤や転居を繰り返す職業の方々にとっては、
遠い田舎のお墓の管理は大変で、
先祖の遺骨を抱いて納骨堂を完備している
寺院を探すそうです。

お墓を建てるとなると、墓地や墓石の費用
何よりお墓掃除などの管理が大変で
寺院が全てを管理する納骨堂が人気と言っていました。

生前の両親は介護施設に、亡くなった後は納骨堂にと
人任せのようにも思えますが必要にかられた
現実の精一杯の愛情なのかも知れません。

数年前に11軒の集落で3名のお年寄りが亡くなりました。
その3名がいずれも自宅介護で最期を迎えました。

一度も人任せにせずに家族が当たり前のようにお世話を
していました。

往診に来ていたお医者さんが私に
「立派な家族に恵まれて幸せだったでしょうね」と
亡くなった方を偲んでいました。

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高齢者だけではありません。

家族と一緒に暮らせない子供達が増えています。
大分県の児童養護施設は満杯と言うことです。

10年ほど前から「里親制度」の推進で大分県も
里親を募集して研修を行い沢山の里親さんが
子供を救うために立ち上がりました。

この直川村にも里親登録している方々がいます。

数名の里子が直川村の里親さんの元で
幸せに暮らしています。

世帯数842世帯に対して里子を引き受けて
社会に貢献している方は、
大分県の市町村人口割合では、
一番だと思っています。

それだけ直川村の方々が高齢者に限らず
児童養護にも積極的にかかわっていると
言うことになります。

同じ村人として誇らしく思います。

「我が村」も捨てたもんじゃないですね。


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「子犬の里親探しています」などと書かれた
ポスターや新聞広告を見かけますが、
「里親」とは人の子供を預かり育てる方の呼び名です。

決して「犬・猫」の飼い主ではありません。


家族同然の大切なペットを預けるのですから、
優しいイメージで「里親」と
呼んでしまうのかも知れませんが、

事情があって親と一緒に住めない里子は
「子犬の里親探しています」のポスターを見て
どのように感じているのでしょうか?


「子犬の飼い主探しています」が正しい
ポスターだと思います。


人が亡くなった後の葬送は
「宗教活動」とされますが

でも、
ペットが亡くなった後の葬送は「営利収益事業」と
されています。

「ペットの葬儀屋さん」で
お坊さんの格好してお経を唱えていても、
そのお経には、消費税が掛かる営利目的の収益事業だと
聞いた事があります。

最高裁判例だそうです。

確認はしていませんが・・・。

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古い和綴で「諸回向清規」と言う書物の中に
「畜生掩土荼毘回向」の下りがあります。
ここで供養法要されているのは、
人が生活を営む上で、やむを得ず殺生された家畜です。

家畜によって「掩土(土葬)」・「荼毘(火葬)」を分けて
飼い主が供養します。

家族同様の存在である盲導犬や介護犬は、
どうなのでしょうか。

宗教活動なのか収益事業なのか難しいですね。

ただ、ペットの初七日や四十九日の法要を
宗教儀式として行うのはいかがなもんでしょうか。








秋月橘門(あきづき-きつもん)の書

2013年02月21日 | 日記
ボロボロになったものや虫食い・シミなど
床の間に掛けられない軸物がお寺にあります。

修理をするにも費用がかかります。

正定寺はお陰で檀家さんの文化財産への
理解があり、花園会で予算を組んで
年に2本程度を目標に表装の修復を行っています。



お寺によっては「法人所有」・「個人所有」などと
わざわざ分けて管理している寺もあると聞きます。
分ける理由として


むかし、
「金目のものは売って檀家の寄付負担を減らして」と
檀家さんから言われたお寺があったそうです。

和尚さんがお寺の財産を流出させないために
「個人所有」にして宝物を護った

と言う話しを聞いた事があります。

又、
和尚さんが亡くなり、後任の住職を迎えるのに
前住職の寺族が居住する場所を失うために
寺族の生活を支える財産として「個人所有」と
したとも聞いた事があります。

いずれも、近隣の寺院では
そんな事実は知りません。

正定寺では、歴代の住職がお寺の什物として
管理できるように法人の所有にしています。

だからといって「私たちのもの」などと
主張する檀家さんはいません。

正定寺の全ては数百年におよぶご先祖さまの
遺産です。

言い換えれば「仏さまのもの」と言うことに
なります。

その、仏さまの掛け軸の中で、今年度に修復する
軸物を選定していました。

字が読めない軸物・誰のか判別出来ない軸物など
も沢山ありますが、
出来るだけ落款や号を調べて、判別出来るものだけを
表具屋さんに持って行きます。

漢詩の最後にある署名



同じ署名の漢詩が四枚の和紙に書かれています。



誰か判らなかったのですが、落款から佐伯市に
縁がある「秋月橘門」の作品と判りました。

「橘門」と刻した落款



「伯起氏」と刻した落款



「劉龍之印」と刻した落款




書は虫食いにあっていますが、修復をすることに
しました。



秋月橘門(あきづき-きつもん)

文化6年(1809)生~明治13年(1880)4月26日72歳死去。

姓は劉・水筑(みずき)とも。
名は龍・字は伯起。
通称は小相(こすけ)。詩集に「橘門韻語」など。

江戸後期-明治時代の儒者。
広瀬淡窓・亀井昭陽にまなび、
のち医学もおさめた。

日向高鍋藩主秋月氏の支族の後裔。
佐伯藩主・毛利高蓁が彼を招いて
藩学校四教堂(しこうどう)教授となった。
明治2年初代下総(しもうさ)葛飾県知事。
詩文や書を善くし、和歌にも長じている。

春はすぐそこに

2013年02月21日 | 日記
「紅梅」が裏庭にあります。
陰地なので他の梅よりは開花が遅れましたが
数日前より花が咲き始めました。

紅梅



大分には「豊後梅」という種類の
梅があります。
他の品種よりも果実が大きいのが
特徴です。

境内の豊後梅はまだつぼみです。

どの梅よりも最後に開花するのが
豊後梅のようですね。

豊後梅


うちの初代花園会女性部長さん

2013年02月19日 | すばらしき檀信徒
正定寺の花園会女性部は、
平成4年11月7日に33名の
檀徒婦人が集まって結成されました。

20年になります。

初代の女性部部長は吉内喜代さんで
実家は大分市の万寿寺の檀家でした。

女学校時代には、万寿寺で坐禅や
提唱も経験したと話していました。

女子師範卒業後に教員として
赴任。吉内家に嫁ぎ現在91才で
お元気にしています。

檀家の多くは、仏教教義の「先祖供養」を
行う事で檀徒という認識を持っています。

勿論、「先祖供養」は、私たち仏教徒には
大切な事柄です。

しかし、坐禅や提唱などの経験も
本来の禅宗檀徒にもっとも大切な
ものなのですが、中々触れる機会がありません。

以前、吉内さんが体をこわして入院していた時に、
患者さんの中に、宗教勧誘をしていた女性がいたそうです。

女性が吉内さんに
「あなたの病気はこの宗教を信じて拝めば治ります。」
と入信を進められたそうです。

吉内さんは
万寿寺の住職であった、足利紫山老師から聞かされた、
 「衆生本来仏なりの言葉で私の全ては足ります」と
勧誘の女性に答えたとおしゃっていました。


初代部長さんのように、「立派な人」が
世の中にはたくさんいます。

正定寺花園女性部規則には

「本会は妙心寺派花園会の趣旨に基づき、開山無相大師の御遺徳を
通して花園会員としての自覚と研修を深める事を目的とする。」

と記されています。

今でも女性部の想いは変わらず現在に至っています。

因みに、吉内喜代さんは「女性部名誉顧問」になっています。
現在の部長さんは5代目の部長さんです。

感謝するばかりです。








現実にあるんですね

2013年02月17日 | 日記
檀家さんのご主人が相談にこられました。

このご主人は、養子さんでお里は、
同じ妙心寺派で隣町のお寺さんの檀家さんです。

相談内容は、先日お里のおいごさんが佐伯市から
1時間30分ほどの大分市で亡くなったそうです。

喪主は、おいごさんの奥さんが行ったそうです。

葬儀に参列した相談者は、少し違和感が在ったそうでが
喪主が行う葬儀なので他の親族と同じように、
ただ手を合わせていたと言います。

でも、
葬儀を行う和尚さんが昔から見慣れた
菩提寺の和尚さんではなく、
見かけない和尚さんだったので、

葬儀のあと、喪主に聞くと

「ちゃんと我が家の宗旨を知っていたので、
 禅宗のお寺さんを葬儀社さんから手配していただきました。」

と言ったそうです。


位牌や戒名もあって、立派な葬儀が行われたと、
遺族も親族も思っていたそうです。

ここからがトラブルの相談になります。

3月に四十九日の法要を大分市の和尚さんに
行ってもらい、
次の日に隣町にあるお里のお墓に納骨する
予定だそうです。

納骨を行うのに、
お里の菩提寺へ納骨のお経をお願いしたら
断られたと言うのです。

私に
「和尚さんどうしたら良いでしょうか?」

との相談でした。

隣町の菩提寺の和尚さんの平素の
布教活動が出来ていないから
檀家さんが他のお寺さんに弔いの依頼をするのだ。

と言えば和尚さんの反論はありません。
確かにそうなのですから。

喪主のお嫁さんは、

「ご先祖さんと同じ宗旨で葬儀をしたので、
ご先祖さまに背いた法要はしていない。」と
考えているようです。

確かに・・。


遺族や相談者は、
納骨を断る菩提寺の和尚さんに少しご立腹のようでした。

仏さまのお心で人に接して、家族を失い悲しみの
中で納骨する遺族を救うお心がない。

と言われていました。

葬儀を行った大分市の和尚さんの配慮が足りなかったのか。

いつ頃からこんな話しを良く聞くようになったのでしょうか?




平素の布教がやっぱり大切ですね。

最近、本当に良く聞く現実のお話です。

でも、どこか間違っている気がします。

梅百花に魁け

2013年02月17日 | 日記
2月に入り梅の花が咲き出しました。
どの花よりも魁(さきが)けて、
境内に花を添えます。

境内の梅



梅の開花は、海辺と山手では
ずいぶん違います。

昨日、
はじめて大分(蒲江浦)と宮崎(北浦)間が
高速道路でつながりました。

その蒲江浦では、お正月の床飾りに
庭先の開花した梅を飾ります。

山手の直川と海手の蒲江は、
同じ佐伯市なのですが
梅の開花に1ヶ月以上の違いが
在ります。

南禅寺僧堂 古清軒老師


昨日は涅槃会と総代懇親会

2013年02月16日 | 日記
2月15日はお釈迦さまが亡くなられた命日。
涅槃につかれたのでその日を「涅槃会(ねはんえ)」と
言います。

涅槃図がある寺院は、本堂や書院に涅槃図を
かかげて法要を営みます。

正定寺には、元禄元年(1688)に作られた
描表具の涅槃図があります。
詳細はこちら



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この2月15日に誕生日を迎える高校時代の
友人がいます。
彼はクリスチャンです。
御両親も戦前からの敬虔な信者です。

この友人の結婚式が京都の教会で行われたのですが
すでに剃髪して僧侶になっていた私は「法衣」で出席致しました。

牧師さんは法衣姿の私を見て、とても喜んで
教会のあちこちを案内してくれました。

同級生に昨年孫が産まれました。
孫の名が「禅 (ぜん)]というそうです。

禅寺の坊主としてはうれしい名前でした。

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涅槃会をすませて、夜は総代さんと懇親会をしました。
以前は総代忘年会を毎年暮れに行っていたのですが
私が病気になり、一杯好きだった最高齢の総代さんも
呑めなくなり中断していました。

昨夜、それが復活しました。
以前と違うのが総代さんだけではなく、
そのご婦人も同席する「総代家懇親会」になったことです。
87才と84才の総代夫婦を含めた面々は
3時間楽しい時間を過ごしました。

ただ、総代長さんが心臓の緊急手術で欠席になり
懇親で一杯ができなくて残念でした。

でも、快気祝いでもう一度「呑める」と
他の総代さんが盛り上がり、
次回は年度を終えた4月~6月の時期に
第2回目を行う予定となりました。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
このように、新年会・忘年会・懇親会と集まって
飲食すると必ず、
「わしらの護持金や寄付金・お布施で呑んだり食ったりしよるんじゃ。
役員は結構なもんじゃ」という噂話を流す方が出てきます。

そんな噂話が、次から次へと伝わって

「総代がわしらの金で飲み食いしちょる」どげー思う? (どう思う?)
と断定したニュースを「世直し感覚」で流す方が出てきます。

それを
真面目な檀家さんが聞くと

「そげんこたー! あっちあられんこっちゃ! (そんな事は考えられない)」と
善悪の構造が世間に確立してしまいます。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

こんな「都市伝説」の噂話を流す方を

大分県の方言で

「けつまらん人間  (話しにならない人)」とか

「すもつくれん奴 (くだらない人)」と言います。

こんな噂話を言ったりする方は、
よっぽどこれまで、
人のお金でしか「飲み食い」した事がない方か、

或いは
自分の事ばかりで、人さまのお世話をしたことがない方なのかも知れません。

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と言うことで、「総代家親睦会」が終わった今日、

「あたまん中が、ひんまがちょる人 (曲がった性格の人)!

あるいは

「えがんじょる人 (ねじれた性格の人)」

の暴言・蛮声で

過去に「はがいい (くやしい)」思いをした

世話役さん達の為に、あえてブログに書くことにしました。

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お寺の法要・役員会・懇親会など全ての飲食に参加する方で
過去に「お包み(布施・祝儀・会費)」などを持参してなくて
お接待を受けた方はありません。

もしいたとしたら、それは「すもつくれん」噂話を流すあなたです。

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年中行事や晋山式などの臨時行事の参拝者で弁当や会食のご接待を
受けた方で「手ぶら」でお出でになった方はいません。

檀家さんの護持金や寄付金で、お接待を
することはありません。

「えがんじょった頭をなおしましょう」

今回の「総代家懇親会」は、一律一人5.000円の会費制です。

※呑まない運転手の奥さんには、
食事はとても美味しかったけど!ちょっと高かった!のかなと
少し慚愧しています。

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せらう世間にかたる君

2013年02月14日 | 日記
『せらう』とは方言で、
「妬(ねた)み・羨(うらや)む」という意味です。

『かたる』も方言で「仲間に加わる・参加する」と
言う意味です。

「せらう世間にかたる君」とは、
「煩悩うずまく世界に住んでいるあなた」と言う
方言を使ったお説教のようですね。

私たちは「妬(ねた)み、嫉(そね)み、恨(うら)み、」を
心の中に、ついつい抱いてしまいます。


「うちの嫁は、仕事もロクにでけんのに、里ん自慢ばかりしちょるし、
 息子も嫁ん言うことばかり聞いて、馬鹿んなちょる。あんたんとこはどげえな」

と問われると、
1、「同じように嫁の悪口を言い合う」
2,「ニコニコしてうなずき、一緒にお茶を呑む」

あなたなら、どちらに「かたる」のでしょう?

「ウソ」や「でたらめ」や「自分勝手」な事を方言で
『ほげ』と言います。

強調して『ほげほっぽう』などとも言います。

字は「法外(ほげ)」と書きます。

一般に言う「法外(ほうがい)」のことで
法にはずれていることを指します。

私たちは、いつも仏さまの法の中で
生活したいですね。





お寺の会計さん

2013年02月13日 | すばらしき檀信徒
お釈迦さまのお子さんの(実子)、
「羅○羅尊者(らごらそんじゃ・ラーフラ)」の名にあやかって
お寺で産まれた子供を「ラコ」といいます。

修行中に高齢の和尚さんから「あなたはラコですか、在家ですか」と
聞かれた覚えがあります。

明治以前の禅宗は、妻帯が許されていなかったので
「ラコですか」と言う表現はなかったのでしょうが
今では良く聞く言葉です。

明治以降はお寺にも、奥さんが来て、
「ラコ」が増えました。

想像ですが、寺院住職の7割ぐらいは「ラコ」では
ないかと思います。

後の方々は一般家庭(在家)から出家した僧侶では
ないかと思われます。

正定寺では先先代の豊嶽義弘和尚が最初の
「ラコ」です。

お寺で産まれても後を継がなければ「ラコ」
とは言いません。

住職に就任するのに「ラコから」と「在家から」の和尚さんの違いは、
ありません。(資格は当然必要です)

資質の違いは生まれた場所ではなく、
個人の品格で決まります。

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檀家さんの中には、
お寺で産まれ育った和尚さんを見ていると、
菩提寺の建物・物品全てが和尚さん個人の
モノのように思われている方もあるようです。

又、宗教法人などの運営を知識として知っている
檀家さんにとっては「寺の全ては法人で檀家のもの」と
思っている方もあるようです。

前者も後者も違っています。

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正定寺には、法人会計の他に
二人の会計さんがいます。

40代前半と50代前半の男性です。

二人とも関係書類の不備や予算以外の出費には
とても厳しく、総代会も安心して会計を任せています。

会計の選出は檀信徒の中から、
総代会(5名)で決定します。

役員の相互選出ではありません。
(※監査委員は役員相互信任)

彼ら二人を推薦して会計をお願いした理由が
あります。

たった一つの理由です。

二人とも両親の命日と戒名をそらんじて
すらすらと書きます。

それが選考事項であり決定理由です。

当たり前の事ですが、突然質問してさらっと
両親の戒名や命日を言える方は少ないです。


「寺院とは、かくあるべきだ」とか
「僧侶とは、かくのごときものだ」とか偉そうに
能書きを言う檀家さん方も他のお寺にはずいぶんいると聞きますが、
正定寺の会計さんは違います。

40代の会計さんは、両親の他に自分のご先祖さん
全ての戒名を憶えているので、年忌法要をお寺に
尋ねる事はありません。

50代の会計さんは、独身ですが(お嫁さん募集中)
毎朝「般若心経」を両親にお唱えして出勤します。

彼ら二人が両親の命日と戒名をそらんじている
と言うことは、
常に両親が彼らの心に在ると言うことになります。

両親が心にあると言うことは、
「彼ら本人の言動」の中に
「亡くなった両親をハズカシめる事をしてはいけない」と
自覚している事につながります。

亡くなった両親を意識しながら生活することは
家族や周りの方々への配慮も充分にできると言うことに
なります。

お寺にとっては、ベストの会計さんです。








PET検査に行ってきました。

2013年02月12日 | 日記
12日・13日と九州佐賀県の「南禅寺派佐賀県協議会青年部」主催で
安永祖堂老師を迎えて「臨済録」の講義が行われる事になっています。

以前から研修会の後、老師と学生時代の昔話しでもしようと
計画していましたが、私がPET検査で佐賀まで行けなくなり、断念しました。

そのPET検査を終えて夕方戻ると、
今度は老師からハガキが来ていて
「研修会の後、入院することになり、再会は次回に」
との連絡でした。

お互い58才であちこちが悪くなる年齢なのかも知れません。
老師なので「独り者」の入院だと少し心配です。
何の病気なのかも心配です。

何ともなければ、次回はお互い元気で会いたいものです。



私のPET検査と言うのはブドウ糖がガン組織に群がるのを
撮影して5ミリ単位のガンを発見すると言う先端画像システム
の事らしく、人体に影響のないレベルの放射線被ばくを
伴う撮影らしい。

(だいたいそんな感じの検査)

時間は3時間ほどかかります。

検査結果は15日なのですが、異常がなければ幸いです。