正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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連休のお墓参り

2013年05月06日 | すばらしき檀信徒
先月の終わりからゴールデンウイークに入り
行楽地では大変な賑わいだと聞きました。

この休暇を利用して直川に里帰りする方も
見受けられます。

里帰りでご先祖さまのお墓参りをする方も多く、
境内の墓地には終日ひっきりなしに車が
出入りしています。

墓地を眺めるとアチコチで線香の煙が見えます。

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ブログに登場する青壮年部顧問のご先祖さまのお墓も
境内墓地にあります。

彼は数日ブログが更新されないと「ネタ切れ?」と言います。
最近、悔しさも手伝って意地で毎日更新を続けている次第です。

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写真は「大絡子」というお袈裟(五条袈裟)です。
首に掛けて前掛けのように胸に垂らします。



普段はこの五条袈裟より小さい
「小絡子」と言うのを和尚さんは掛けています。

「大絡子」は同じ禅宗でも本山(派)で前に掛けたり
肩に掛けてたりします。

法事や葬儀で着衣している袈裟は
七条袈裟と言うものです。

簡単に言うと、お袈裟は常にお釈迦さまのお志を
忘れずに精進する誓いを示したものです。

仏法の象徴で僧侶が身につけますが、
身につけるだけではありません。

僧侶としての誇りと修行が未だできていない
自分に心から深く恥じる気持ちを持たせるための
アイテムです。

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写真の「大絡子」は、緞子のようで
金糸地に家紋が織り込まれています。



この家紋は寄付者の家紋です。

この大絡子は「柳井宇吉さん」という
方が寄進したもので柳井家の家紋が織り込まれています。

宇八さんは直川赤木の出身で直川仁田原の柳井家に
養子に来ました。

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この「大絡子」は新命和尚から数えて
4代前の和尚(千巌和尚)に寄進されたものです。

この家は代々三宝に帰依して、その時代々々に
篤志としてお寺の宝物や什物になるものを寄進されて
います。

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正定寺本堂の大きなケヤキの前机は、
宇八さんの孫が寄進したものです。

現在の柳井家当主も新命和尚晋山式に、
過分な寄付をしてくれました。

お陰で立派な袈裟を作る事ができました。

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柳井家のお墓は正定寺境内の墓地にあります。
宇八さんの孫の命日が5月17日なので、子孫は
お墓参りにきっと来ます。

その時「ブログのネタは・・・」と
言うかも知れません。

現在の当主が青壮年部顧問です。


うちの初代花園会女性部長さん

2013年02月19日 | すばらしき檀信徒
正定寺の花園会女性部は、
平成4年11月7日に33名の
檀徒婦人が集まって結成されました。

20年になります。

初代の女性部部長は吉内喜代さんで
実家は大分市の万寿寺の檀家でした。

女学校時代には、万寿寺で坐禅や
提唱も経験したと話していました。

女子師範卒業後に教員として
赴任。吉内家に嫁ぎ現在91才で
お元気にしています。

檀家の多くは、仏教教義の「先祖供養」を
行う事で檀徒という認識を持っています。

勿論、「先祖供養」は、私たち仏教徒には
大切な事柄です。

しかし、坐禅や提唱などの経験も
本来の禅宗檀徒にもっとも大切な
ものなのですが、中々触れる機会がありません。

以前、吉内さんが体をこわして入院していた時に、
患者さんの中に、宗教勧誘をしていた女性がいたそうです。

女性が吉内さんに
「あなたの病気はこの宗教を信じて拝めば治ります。」
と入信を進められたそうです。

吉内さんは
万寿寺の住職であった、足利紫山老師から聞かされた、
 「衆生本来仏なりの言葉で私の全ては足ります」と
勧誘の女性に答えたとおしゃっていました。


初代部長さんのように、「立派な人」が
世の中にはたくさんいます。

正定寺花園女性部規則には

「本会は妙心寺派花園会の趣旨に基づき、開山無相大師の御遺徳を
通して花園会員としての自覚と研修を深める事を目的とする。」

と記されています。

今でも女性部の想いは変わらず現在に至っています。

因みに、吉内喜代さんは「女性部名誉顧問」になっています。
現在の部長さんは5代目の部長さんです。

感謝するばかりです。








お寺の会計さん

2013年02月13日 | すばらしき檀信徒
お釈迦さまのお子さんの(実子)、
「羅○羅尊者(らごらそんじゃ・ラーフラ)」の名にあやかって
お寺で産まれた子供を「ラコ」といいます。

修行中に高齢の和尚さんから「あなたはラコですか、在家ですか」と
聞かれた覚えがあります。

明治以前の禅宗は、妻帯が許されていなかったので
「ラコですか」と言う表現はなかったのでしょうが
今では良く聞く言葉です。

明治以降はお寺にも、奥さんが来て、
「ラコ」が増えました。

想像ですが、寺院住職の7割ぐらいは「ラコ」では
ないかと思います。

後の方々は一般家庭(在家)から出家した僧侶では
ないかと思われます。

正定寺では先先代の豊嶽義弘和尚が最初の
「ラコ」です。

お寺で産まれても後を継がなければ「ラコ」
とは言いません。

住職に就任するのに「ラコから」と「在家から」の和尚さんの違いは、
ありません。(資格は当然必要です)

資質の違いは生まれた場所ではなく、
個人の品格で決まります。

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檀家さんの中には、
お寺で産まれ育った和尚さんを見ていると、
菩提寺の建物・物品全てが和尚さん個人の
モノのように思われている方もあるようです。

又、宗教法人などの運営を知識として知っている
檀家さんにとっては「寺の全ては法人で檀家のもの」と
思っている方もあるようです。

前者も後者も違っています。

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正定寺には、法人会計の他に
二人の会計さんがいます。

40代前半と50代前半の男性です。

二人とも関係書類の不備や予算以外の出費には
とても厳しく、総代会も安心して会計を任せています。

会計の選出は檀信徒の中から、
総代会(5名)で決定します。

役員の相互選出ではありません。
(※監査委員は役員相互信任)

彼ら二人を推薦して会計をお願いした理由が
あります。

たった一つの理由です。

二人とも両親の命日と戒名をそらんじて
すらすらと書きます。

それが選考事項であり決定理由です。

当たり前の事ですが、突然質問してさらっと
両親の戒名や命日を言える方は少ないです。


「寺院とは、かくあるべきだ」とか
「僧侶とは、かくのごときものだ」とか偉そうに
能書きを言う檀家さん方も他のお寺にはずいぶんいると聞きますが、
正定寺の会計さんは違います。

40代の会計さんは、両親の他に自分のご先祖さん
全ての戒名を憶えているので、年忌法要をお寺に
尋ねる事はありません。

50代の会計さんは、独身ですが(お嫁さん募集中)
毎朝「般若心経」を両親にお唱えして出勤します。

彼ら二人が両親の命日と戒名をそらんじている
と言うことは、
常に両親が彼らの心に在ると言うことになります。

両親が心にあると言うことは、
「彼ら本人の言動」の中に
「亡くなった両親をハズカシめる事をしてはいけない」と
自覚している事につながります。

亡くなった両親を意識しながら生活することは
家族や周りの方々への配慮も充分にできると言うことに
なります。

お寺にとっては、ベストの会計さんです。








AKさん

2010年10月08日 | すばらしき檀信徒
AKさんご夫婦は共に90才を過ぎています。

AKさんは80才代にワープロ教室に入学して
最高齢でワープロを使いこなしていました。
何度か私もワープロで書いた手紙を頂きました。

物静かな奥さまと二人暮らしで、
男のお子さんが居ないので、娘さんご夫婦が
お世話をしています。

以前、妙心寺650年遠諱記念で写経奉納があり、
正定寺では各家2巻を目標に般若心経の写経を
お願い致しました。

AKさんご夫婦が高齢でもあったので、
私が気をきかして、写経用紙を娘さん
に送り、写経の依頼をお願いしました。

数日たって、地区の世話人さんから
『AKさんが写経用紙が届いていない』と云っている
と連絡がありました。

どうも、「高齢だから写経は無理」と
気を回した私へ少々おかんむりの様子です。

すぐさま、写経用紙を1枚AKさんに届けましたが
『和尚さん!2枚ではないのですか?』と云われて
しまいました。

結局、AKさんが2巻・奥さんが1巻それに娘さんが
1巻と4巻の奉納をしていただきました。

年寄りだからと云って心が衰えた訳ではありません。

墨をすって筆を取り、写経をするのは年齢に関係ないことを
当時、93才のAKさんに教わりました。

このような方々のお陰で檀信徒409名から608巻が本山妙心寺へ
奉納されました。



ATさん

2010年10月07日 | すばらしき檀信徒
ATさんはホンダの車を扱う自動車工場を
営んでいました。

先住職が昭和40年頃、自動車免許を
取って「ヒルマンミンクス」と云う
いすゞの6人乗り中古乗用車を買いました。

その後に買ったのが「ホンダ360」の中古車でした。
そのころからATさんと先住職はとくに懇意になりました。

私が中学生になり自転車通学をするように
なった時の丸石自転車もATさんがお世話してくれました。

新車購入は私が高校生の頃だったように思います。
「新車ホンダライフ」はもちろんATさんからでした。

A家は戦後この村に住居を構えました。

昭和58年にお父さんが亡くなって
正式に正定寺の檀家となりました。

その後、ATさんは事情があり
この村を出て親族を頼り関東へ行きました。

関東では随分苦労したと思います。

関東では新興宗教に何度も勧誘されたそうです。
入信した方が仕事の都合もよく生活するにも
楽だったのかも知れません。

でも、ATさんは
「お世話になった和尚さんがいるので宗旨は禅宗です。」と
はっきり断っていました。
今でも檀家として墓地は正定寺にあります。

平成18年に先住職が亡くなり弔問に神奈川からわざわざ
戻って焼香していただきました。

先住職の遷化を悼み、何度も何度も涙を拭きながら
遺影の前でうつむいているATさんを見ていると
生前の二人の親交がとても深かった事がうかがえました。

AEさん

2010年10月05日 | すばらしき檀信徒
AEさんはASさんの本家にあたります。

お盆には「スイカ・なすび・キュウリ」など
沢山の野菜を頂きます。
この村も昔はあちこちでスイカを作っていましたが
最近は見なくなりました。

AEさんは母親と二人暮らしです。

数年前、お母さんがうっかりやけどをして
しまいました。

随分ひどいやけどだったのですが、
救急車を呼ばずに息子のAEさんに電話して、
AEさんが会社から自宅に戻るまで痛さに
我慢しながら待っていたそうです。

AEさんはすぐに病院へ運びましたが
長期の入院をすることになったそうです。

AEさんは母親に「なぜすぐに救急車を呼ばなかったのか」と
叱ったそうですが、
母親は「救急車を呼ぶのが恥ずかしかった」と答えたそうです。

素朴な村では「人の世話になる」ことを
「申し訳ない」と思ったり、
救急車を呼ぶことで近所に「何事かあった」事を知られて
しまう恥ずかしさが有ったのかも知れません。

会社帰りに、冬の寒い中を自転車で
お寺に護持金を持っていく母親の姿を見かけた
AEさんが、「母親に申し訳ないので護持金は
口座引き落としにできないのでしょうか」と
云ってきたことがありました。

早速、役員で検討しましたが、諸事情で
「口座引き落とし」にはならなかったのですが
AEさんの母親への尊い気持ちが伝わった出来事でした。

ASさん

2010年10月04日 | すばらしき檀信徒
ASさんは「分家」のお家です。
事情があって母親のお世話をしていました。

ASさんは父親を幼いとき亡くしています。

年長の兄や姉それに母親から実父の事は聞いていましたが、
父親の顔も姿も写真でしか見たことがありません。
動く姿は記憶にないのです。

本家のお墓が老朽したので
移転する事になりました。
私も立ち会って旧墓地より土葬・火葬を
含めた遺骨を掘りあげる事になりました。

ご先祖の遺骨と共に父親の骨壺も
土の中から出てきました。

ASさんは父親の骨壺が表れると最初に骨壺を抱きかかえ、
いきなり大きな声で泣き出しました。

それまで想像でしかなかった父親が
骨壺を抱えた瞬間に「いた」と感じたのだと
思いました。

父親とは早くに別れましたが、
母親は昨年103才の長寿でお亡くなりに
なりました。

ASさんにとって母親の長寿は
嬉しかったに違い在りません。

今は、60年ぶりに両親揃って
本家のお墓に眠っています。

ATさん

2010年10月04日 | すばらしき檀信徒
ATさんは大分県日出町の出身です。

ご主人の転勤で佐伯にお出でになった
時からの「信徒」になります。

ご一家は信心深く、もともと曹洞宗の旧家で
日出町の菩提寺から遠いと云うことで
当山に「月参り」を依頼されたのが出会いでした。

既に21年になります。

今は、定年して大分市に住んでいます。

私が病気になるまで毎月の「月命日」には
お参りして親しくお話をしていました。

私だけでなく先住和尚も又新命和尚も
同様にお世話になっています。

仏間の掛け軸は、季節により掛け替えられて
現代的な家屋なのですが旧家の名残を感じさせます。

お盆も昔ながらの「水向け」が飾り付けられています。

A家のお参りでいつも感じる事があります。
それは「誇り」です。

脈々と続くご先祖への誇りをゆったりとした
ご主人の所作と微笑む奥様から感じ取れます。

ご先祖への「誇り」は「愛情の歴史」のように
思えます。

AYさん

2010年10月03日 | すばらしき檀信徒
檀信徒の中でベスト3に入る
「きぜわしい(せっかち)」な檀信徒のAYさん。

ご法事でお経が終わり仏前から振り返ると
もうそこにはお盆に入った「お布施」が私の目の高さに
差し出されています。

袈裟を脱いだり座り直す間もありません。

本人はそんな風ですが、奥さんは綺麗な上に上品で
実にゆったりしています。

言い換えれば、笑顔で無口の奥さんが
ご主人やお姑さんを立てているから、
たっている(成り立っている)家だと言えます。

こんな事を親しげに書けるのもAYさんの
妹さんが私と同級生だったからかも知れません。

このご夫婦は「里親」を7年前からなさっていて、今も
続けています。

「里親」を行う方々の経歴や生活から
見える人物像は仏教で云う
※「貧者の一灯」のように
無心の愛情を子供へそそぎ、
里子を真心で受け止める大人に
見えます。

正定寺檀信徒の中には「すばらしき人たち」が
大勢います。
このAさん一家も「すばらしき人たち」です。