正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

メインページは検索で「正定寺」
(HP作成は正定寺閑栖:小原壽山)
ブログはFacebookにリンクしています。

皿の中なる水こぼさねば、いつも此身は豆蔵じや

2013年03月31日 | 日記
2万石の城下には過ぎたる禅寺と
言われる名刹養賢寺は慶長10年(1605)の創建です。

藩主の菩提寺として多くの名僧を
排出しています。

養賢寺は昭和2年(1927)8月18日に本堂を焼失して
同5年3月22日に再建されました。

このときの老師が小宮洪巌(こみやこうがん)
室号を點蘂軒(てんずいけん)といいました。

老師が養賢寺に入ったのが本堂焼失の半年前です。

老師は佐賀県唐津市の出身で久留米梅林僧堂に掛搭して
東海瞎禅(香夢室)に参禅のち嗣法しました。

洪巌老師は昭和32年に養賢寺を出られて
別府で昭和50年94歳で遷化しました。

写真では大柄でかっぷくの良い老師です。

老師は書画共に卓越していて、
多くの墨跡作品が養賢寺の檀家のあちこちにあります。

ただ、専門道場の師家として妻帯が取りざたされ、
一部の雲水が暴動して、檀家が排斥騒動を起こす事態となり、
やむなく老師が下山した経緯があります。

一連の騒動は寺院による扇動だと
いう噂もあると聞きましたが遠い昔の話しです。

そんな訳でなかなか部内の寺院には、
洪巌老師の墨跡が無いのが現状です。

(鐵心肝:正定寺)



白隠禅師の墨跡画を真似た洪巌老師の書画。
(皿の内なる水こぼさねば、いつも此身は豆蔵じや:個人)



白隠禅師がこちらです。



洪巌老師の後に立花光宗老師が養賢寺に入りました。


最初で最後の「津送香語」  (しんそうこうご)

2013年03月30日 | 日記
平成20年の春、養賢寺住職であった安藤秀峰老師(黄龍窟)が
忽然として遷化(亡くなる)致しました。

前年に本山妙心寺で開堂を終えた
ばかりで、師匠である片岡省念老師(龍潜洞)
のお力の落としようは、端から見ていても
痛々しくお声の掛けようもありませんでした。

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安藤秀峰老師が亡くなる2年前に正定寺の
先々住職(私の父)が遷化しています。

先々住職は自分の葬儀の導師を
養賢寺現住職の黄龍窟に
お願いする旨を家族に伝えていました。

片岡省念老師を秉炬導師に奠湯・奠茶導師を
新命老師(秀峰老師)にお願いしてはと考えていたのですが
病床で先々住職は次のように言いました。

先々住職「導師を閑栖老師にお願いするべきでは無い。
法務など煩(わずら)わしい事をお願いするのは避けるべきである」

閑栖たる閑栖和尚の持論でした。

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安藤秀峰老師は、パソコンをしていたので
先々住職の希望を事前にメールで伝えていました。

それから数ヶ月後の平成18年6月1日に私の師匠である
先々住職は遷化致しました。

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遺言通り、津送導師を安藤秀峰老師にお願い致しました。

津送は6月7日に行われました。

秀峰老師にとって最初で最後の秉炬導師となりました。

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新忌斎(四十九日)が過ぎて、秉炬香語を頂きました。

平成19年に頂相ができあがり、讃も秀峰老師に
お願いしていました。

平成20年正月の年賀で、讃が出来上がっている事を、
秀峰老師から聞いていました。

※讃(亡くなった方の人となりを漢詩で表したもの)
※頂相(亡くなった和尚さんの遺影の軸)

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大祥忌(3回忌)を平成20年11月に行うべく、
秀峰老師と日程の調整をしていましたが、
老師からの返信メールは届かず、
3月7日の未明に安藤秀峰老師は59歳で
遷化致しました。

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亡くなった後、養賢寺法類の天徳寺さんから大老師の
許しを頂き、秀峰老師のパソコンのデーターを
調べてもらいました。

正定寺豊嶽和尚という名前のフォルダーに、
津送香語や小祥忌(1回忌)の香語、それに頂相の讃も
保存されていました。


最初で最後の秉炬香語(直筆)



頂相の讃は、片岡省念老師から
揮毫して頂きました。



新忌斎の導師



在りし日の安藤秀峰老師




書が修復されて戻って来ました。

2013年03月29日 | 日記
1ヶ月程前に表具屋さんに出していた
書が修復されて戻って来ました。

秋月橘門(あきづき-きつもん)と言う方の
書です。

秋月橘門 文化6年(1809)生~明治13年(1880)4月26日72歳死去。

姓は劉・水筑(みずき)とも。
名は龍・字は伯起。
通称は小相(こすけ)。詩集に「橘門韻語」など。

江戸後期-明治時代の儒者。
広瀬淡窓・亀井昭陽にまなび、
のち医学もおさめた。

日向高鍋藩主秋月氏の支族の後裔。
佐伯藩主・毛利高蓁が彼を招いて
藩学校四教堂(しこうどう)教授となった。
明治2年初代下総(しもうさ)葛飾県知事。
詩文や書を善くし、和歌にも長じている。

Before




After



掛け軸にすると2幅(4枚)作らなければならないので
4枚を合わせて屏風にしました。

字はこんな感じですかね。


善不可以偽來・惡不可以辭去。近市無賈・在田無野。善不逆旅・非仁義剛武無以定天下



鏡以精明・美惡自服。衡平無私・輕重自得。蓬生麻中・不扶自直。白砂入泥・與之皆黒。





村じゅうと檀家じゅうと

2013年03月28日 | 日記
舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)は、
お嫁さんにとっていささか、
苦手な人物というのが定番です。

田舎に嫁ぐと、嫁ぎ先の姑以上に
近所近辺に住んでいるおばさん達が
何かと、うるさくつきまといます。

他人のお嫁さんを「ああでもない・こうでもない」と
姑さん以上にうるさくしつけます。

こんな近所のおばさん達の事を「村じゅうと」と
いいます。
※「村の舅」や「村の姑」を称して「村じゅうと」と呼びます。
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この「村じゅうと」の方々も40年程前は
若いかわいいお嫁さん達でした。

「世の中は娘が嫁と花咲いて、嬶(かか)と萎(しぼん)で婆々と散り行く」

などと言いますが、まるで女性は七変化ですね。

※セクハラのつもりではありません。

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お寺の場合は、この「村じゅうと」さんだけではなく
「檀家じゅうと」さんもいらっしゃいます。

※昔から里を離れない小姑さんになぞらえて、
 檀家の数だけ「小姑がいる」と言うらしいのです。

「檀家じゅうと」の言葉は、随分昔に「赤木地区のご婦人」から
教えてもらいました。

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このご婦人が嫁いですぐの女房にこんな事を言ってくれました。

ご婦人「みどりちゃん(女房の名)。「檀家じゅうと」はうるさいけれども、
一端お嫁さんの味方に付けば、鬼に金棒だからね」と・・・。

女房は確かに「鬼に金棒」を得てお陰で30年になりました。
関西から嫁いですっかり大分弁の関西なまりに
なってしまいました。

まだ先の話ですが、次の寺庭(寺の奥さんの名称)も女房と
同じように皆さんから助けてもらえれば良いなと思っています。

その時、女房は姑デビューします。

回向袋 (えこうぶくろ) と欲袋 (よくぶくろ)

2013年03月27日 | 日記
檀家さんは春のお彼岸には「回向袋」をお供えします。

回向袋は封筒になっていてお米を入れて
ご本尊さまやご先祖さまにお供え致します。



回向袋には檀家さんの施主名を書き込みます。

回向とは「回し向ける」と言う事です。
これは布施心の善行がいずれ自分や他の者への
功徳となることを意味します。

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正定寺では、地区の世話人さんが取り集めて
お彼岸中に位牌堂にお供えして下さいます。

春のお彼岸と初午(お稲荷さん)の合祀法要日には、
檀信徒のご先祖さまに参拝者と共に焼香読経して
回向を致します。



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今朝、ご婦人がお参りになってこんな事を
話していました。

ご婦人「回向袋には亡くなった母やご先祖さまの顔を思い浮かべ
お米を詰めました。」

檀信徒の皆さんがご先祖を思い浮かべながら
お供えしているのだと思うと、とてもうれしく感じました。

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ここでブログが終わるとタイトルの「欲袋」の
意味が判らないですよね。


正定寺の回向袋は一般的な平封筒ですが、
以前は「マチ付き封筒」でした。
底が広くて膨らませると厚みができる封筒です。

見た目よりマチ付きの封筒はたくさんの
お米が入ります。

思ったよりお米を詰めなければならないので
檀家さんの中には「お寺の回向袋」と言わずに
「お寺の欲袋」という方が現れました。

こんな言い方をするお茶目な檀家さんは、
お米を回向袋に詰める時には、
ご先祖さまの姿を思い浮かべるのではなくて、
私の顔を想像しながら詰めるのでしょうね。

私の顔を思い浮かべながらでは、余りにも切なく
功徳はなさそうですね。
良く「莫妄想」と言います。

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回向袋を欲袋と呼ぶのは、正定寺に限らず
全国的なものらしいです。

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季節の「タラの芽と蕗のとう」を和尚さんにと
持って来てくれたご婦人と「回向袋と欲袋」の
話しで大笑いしながら一時を過ごしました。

早速、天ぷらにして初物を頂きました。
タラの芽を食べて「長生きして下さい」と
言ってご婦人は帰りました。

雨の中を山に採りに行って下さったご主人は
私の顔を浮かべながら丁寧に摘んで下さったと
思うと、もったいなくていつも以上に
感謝しながら頂きました。




最近はあべこべ

2013年03月26日 | 日記
24日の臨時世話人総会で晋山式の収支報告が
終わり、会計資料がお寺に渡されました。

収入一つを見ても振込用紙や世話人さんから手渡された
封筒に至まで細かく整理されていました。

会計報告でも晋山式の負担金の納金状態は
100%と言うことで、当初の法要・付帯工事も
支障なく終える事ができたと報告にありました。

特別寄付は21,696,030円にのぼり
行事への参拝者や規模も当初より多く
なりましたが充分な対応ができました。

お祝儀も8,935,080円と当初の法要予算に
手を付けることなく、宴席慰労や参拝者の記念品など
お祝儀でまかなうことができたようです。

多くの檀家さんは、新命和尚さんのために
貴重な浄財を喜捨したのだから、
自分達が飲んだり、食べたりした分は自分たちで」と
当日は、過分のお祝儀や寄進を賜りました。

そのお陰で余剰金は、付帯工事に回すことが
できて、当初の設計や見積もりよりも立派な
材料や安全性の高いものを使用することができました。

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役員会の雑談でこんな話しが出たりします。

○○地区の××さん
「ワシ達の寄付金で役員は、飲んだり食ったりしよるんじゃねえな」

役員さんの○○さん
「今時、人の金で飲んだり食ったりする奴はおらんでぇ」

また別の

檀家さんの△△さん
「会計さん(予算)があるけん、祝儀を包つまんでんいいんじゃ。飲み食いも会計でまかのうからいいんじゃ」

役員さんの◎◎さん
「老人クラブでん、弁当は会費からじゃのうて、毎回、手出しで食うんが当たり前じゃにぃ。
記念品はお祝いじゃからありがとうもろうーとくが、飲み食いは別じゃ。」

役員会が終わった後の雑談では、「まさか・あり得ない」ような
話しで盛り上がります。

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上記の【○○地区の××さんの意見や檀家さんの△△さん】の考えは
「接待する側」の考えのようですね。

通常、接待する側はお世話になった方々に
「どうぞお気遣いなさらずに、粗末なものですがお上がり下さい」と言います。

接待を受ける側が
「みんなから集めたお金があるから手ぶらで良いですよ」とは言いませんよね。

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最近は接待する側とされる側の立場が判らなくなっているようで
なんだか滑稽な場面に遭遇することもあります。

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葬儀の後には、喪家や親族などで寺参り(礼参)と言うのがあります。
今はお茶にお菓子ですが、昔は一寸したお膳を出していました。

礼参は喪家や親族が席に着くと和尚さんが遺族を前にして、

和尚:「○○さんの葬儀も無事に終えられてご苦労様でした。なにもありませんが」と膳を進めます。



ある日、その挨拶を突然喪主が言い出しました。

喪主:「親戚のみなさま、葬儀にはお世話になりました。
粗末なものですがどうぞごゆるりとお召し上がり下さい」と

待ってよ!

そのお膳はお寺が出したものですよ。
女房が喪家のみなさまの為に作ったものですよ。
ましてや「粗末なものですが・・」とは・・・女房は凹みます

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葬儀のお布施をお寺に差し上げるので、
お寺で出される食事やお茶・菓子はサービスの一つだと思ったのかも知れません。

このような出来事は、一度しか見たことがありませんが
若い喪主は、臨席した親族のあちこちから叱られていました。
喪主も気まずそうにしていました。

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最近、このような「あべこべ」を見かけませんか?

「人への感謝」がなくなった時に「あべこべ」になるのかな?













桜が満開

2013年03月25日 | 日記
桜が満開です。
山も里も桜です。





咲くとわずかの見頃で散っていきます。

散ると言うと、今回の治療に使っている
「ドセタキセル」という薬は脱毛の副作用があります。

すでに初回の投薬から1ヶ月を過ぎています。

頭やひげは伸びるのが遅くなり、さわると
柔らかくなっています。

職業欄に僧侶と書くので「脱毛」はさほど
気になりません。

主治医も医療説明で「脱毛」の事を言いましたが
女性や若者へ告げるよりは気をつかわなくて
すんだようです。

ただ、眉毛やマツゲまで抜けてしまうらしく
人前に出るのが少しおっくうになっています。
声も出ないので、新命和尚の手伝いもできない
ありさまです。

髪は「抜ける」で「散る」とは言いませんが
又時期が来るときっと咲くので、脱毛もわずかの
間のガマンと行きましょう。






臨時世話人総会の開催

2013年03月24日 | 行事
昨年の晋山式にともなう「晋山式特別会計」の
収支決算報告や監査報告を主とした
「臨時世話人総会」が午後1:00から
行われました。

対象のご案内者は
「花園会地区世話人・花園会役員・総代・女性部」など
37名にご案内申し上げました。

病気や仕事の都合で欠席の方もありましたが
日曜日の午後の貴重な時間を割いていただき、
31名の方から出席をいただきました。

総代さんの挨拶・和尚さんの挨拶があり
臨時世話人総会が始まりました。


戸高直人特別会計さんによる収支報告




久保田成太(陸峰)さんの監査報告



1時間足らずで臨時世話人総会を終えました。



個人情報が掲載された資料はプリントアウト
できないために、適切な情報やいかなる質疑にも
詳細資料の開示ができるようにプロジェクターを
用意してデーター化された資料の公開を試みました。
(祝儀や寄付金の個人情報も開示できるように準備していました。)

今回の臨時世話人総会では、収支報告に対しての質疑は
ありませんでした。

出席者は用意された資料や関係種類の多さで「適正処理」されていることを
感じ、会計さんの自信あふれる答弁にただただ感心していました。
正座がガマンできるぐらいの時間で会議は終わりました。

全檀信徒への収支決算の報告は、寺報でお知らせ致します。





春のお彼岸法要とグラウンドゴルフ大会

2013年03月24日 | 行事
昨日の雨が上がり、お陰で今日は天候に恵まれ
「第9回正定寺杯グラウンドゴルフ大会」が
直川苑運動場で行われました。



昨年は雨のため中止になったのですが、
今年は丁度、桜も満開で絶好の大会日になりました。

今年の優勝者「戸高茂子さん」



午後からは彼岸法要と初午法要が観音堂で行われ
引き続き本堂で、本山定期巡教で宮城県禅興寺の
梅澤徹玄和尚さんのお話を賜りました。



震災復興の現状や当時の様子など60名ほどの
聴衆は真剣に聞き入っていました。



布教師さんは在家(寺院以外)の出身で、魚屋さんの息子さん
だったらしく、お店は家族にお願いして
求道のため出家し宮城の禅興寺へ
入られたとのことでした。

生まれが魚屋さん・・・それじゃ世界一?の
「佐伯の寿司」はいかがですかと言うことで、
ホテル近くの錦寿司へ相伴に参りました。

※本当は魚屋さんのご子息だからお寿司へと
言うわけでもなく、せっかくの佐伯滞在なので
是非と進めて私もご馳走になりました。

檀家さんは、お寺でお接待です。





それにしても、春のお彼岸のお説教には
なかなか「青壮年部」の方々にお目にかかれないですね。

「お説教」の響きが何となく若者向きではないのかも
知れません。

でも正定寺の青壮年部は50才を過ぎた方々で組織され
(本人の承諾を得てはいませんが)
ほとんどの方は「若者」の時期を過ぎている気が
しないでもありません。

是非、来年はお参り下さい。
お彼岸法要やグラウンドゴルフのホームページ
ご覧下さい。



手土産の種類

2013年03月23日 | 日記
A)久しくお目にかかっていない寺院に
お伺いする場合は、お土産(菓儀)を持参します。

B)一般家庭の里帰りや友人宅にお邪魔する
場合は、お酒や手土産を持参します。

C)親族やお世話になった方へ中元や歳暮など
年中の行事として届けたり持参したりします。

D)檀家さんがお寺にお参りする場合は、お供えや
お布施をお供えします。

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お世話になった方に気持ちばかりの品を
差し上げるのは日本の風習ですが、
問題になるのが「賄賂」と「お礼」の区別です。

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A)の場合は人に直接渡すことはありません。
必ず赤盆にのせて床の間におもむいて、三拝(五体投地)します。

「仏祖にあらずんば拝をせず」などと老僧達が言うように
掛け軸は仏画か祖師が揮毫した禅語がほとんどです。
禅寺の床の間に祖師が書いた「達磨さん」が多いのは、
そんな理由からです。

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C)の場合も人に直接渡すことはありません。
中元も歳暮も仏壇にお供えします。
お盆参りに檀家さんのお家へ行くと、
仏壇の側には他家から届いた「中元」が置かれて
います。

仏さまにお供えするのですから「精進」の
品物です。それで「そうめん」などの乾物が多いのです。

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D)の場合も人に直接渡すことはありません。
本堂の仏さまの前や賽銭箱などに供えます。
必ず手を合わせる動作があります。

お布施の包み紙は、丁寧に紐で結ばれ容易に
開けられないようにしています。(水引)
「私の気持ちばかりの布施なので、この場で
確かめないで下さい」という布施本来の意味が
この「水引封筒」にあります。
結婚式のお祝い封筒も同じです。

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さて、問題はB)の
「一般家庭にお邪魔する場合の手土産は誰に渡すのか」と
言うことなのですが、以前は相手の家にお邪魔すると
まず、仏間に出向きそこのご先祖にお参りして、仏壇に
手土産を供えていました。

仏間に出向かなくても、相手方のご家族(子供から大人まで)が
「お土産を頂いたからまず仏さまへ」と仏壇にお供えしていました。

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最近はどうなのでしょうか?
お土産を頂くと「ワー!ありがとう!」と
言いながらその場で包み紙をほどいています。

挨拶よりはお土産の感想の方が優先のようです。

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A)からD)のいずれも「手を合わす(合掌)」行為がともなっています。
そして、その手を合わせ拝む対象が
「仏祖にあらずんば拝をせず」の仏祖の方々です。

言い換えれば、お土産やお世話になった方への
お礼は人間に直接渡すことはないのかも知れません。

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生身の人に手を合わせて拝みながら贈るお礼は
「賄賂」に近いものなのかも知れませんね。

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と言うわけで

今日は春のお彼岸グラウンドゴルフ大会です。
天候が気になっていましたが、晴れました。

ボチボチ参加選手が集合しています。



















床の間の掛け軸

2013年03月22日 | 日記
檀家さんのお参りに行くと
仏間に並んで床の間があります。

おおかたの床の間には「天照大神」の
掛け軸が掛かっています。

仏壇は「仏さま」・床の間は「神さま」と
使い分けています。
日本の風土をよく現しています。

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最近では、中国土産の掛け軸を良く
見かけるようになりました。

代々伝わっている古い掛け軸を
高価なものと思い込んでいる檀家さんもあります。

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掛け軸販売業者から「厄除け」・「金持ちになる」
などと言われ高額な掛け軸を購入している方もいます。
これらは、霊感商法や詐欺まがいの業者から騙されたのでは
ないかと心配します。

高齢者だけの家庭は特に心配です。

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昔は年忌法要の時に「十三仏」を床の間に
掛けているのをよく見かけました。
最近は見かけなくなりました。

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久留須(クルス)と言う、いかにも隠れキリシタンに縁が
ありそうな地区に簀戸(すど)と言う苗字のお家があります。

代々信仰も厚く熱心な檀家さんです。
仏壇の小さな観音さまは古い仏像のようです。

簀戸家は必ず一間の床の間に
文殊・普賢菩薩の古い大きな掛け軸を掛けて
年忌法要をします。

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客間・玄関口などその時期に合わせた「言葉や風景」の
軸物が用意されています。

これは、98才で亡くなった先々代婦人から行われて
いる趣向です。

私がお盆参りに伺うと必ず先代婦人を伴って
仏間でお茶を私に勧め「和尚さま、この軸は・・」と
当時すでに90才を過ぎていた先々代婦人の少々長い
解説が始まります。

簀戸家のお婆さんは草書や漢詩などの読み書きも
できた方でした。
たしか、奈良女子高等師範の出身だったと記憶しています。

嫁の悪口を言う姑ばあさんは良く見かけますが
品格があり、読み書きができるお婆さんは見かけなく
なりました。

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呉々も掛け軸購入は慎重に、家の袋戸棚にしまい込んだ
古い掛け軸は、たまに出して風に当て、作者や意味を
調べるのも良いかもしれませんね。



季節で故人を思い出す

2013年03月19日 | 日記
季節の食べ物や季節の花を見つけては
故人を思い出すことがあります。

玄関前の「ボケの花」が咲きました。

亡くなった先々住職が好きだった花です。
この花が咲くと「私と一緒でボケの花」などと
ダジャレを言っていたのを思い出します。

玄関前のボケ(木瓜)







明日は春彼岸のお中日です。
昔から「お彼岸になくなると丸仏」と言います。

お彼岸の入りから明けまでに亡くなると
閻魔さんの前を素通りしてあっという間に
お浄土にいけると言うことのようです。

息を引き取った時には、すでに仏さまに
なっている訳です。

以前このブログで紹介した「正定寺花園会初代部長」さんが
昨日91才で亡くなりました。

春夏秋冬のいずれにしても好時節なのですが、
お彼岸の由来を鑑みて桜咲くこの時節に彼岸へ至る
故人を思うと感慨深いものがあります。







会計監査の準備

2013年03月14日 | 日記
先ほど晋山式特別会計さんが3年に及ぶ
収支の関係書類を持って来ました。

3月16日に会計監査があるので、資料を
事前に運び込みました。

見積書・納品書・領収書と総代捺印の支払書が
全ての支出に整理され収入は現金・振込などなど
これも数百に及ぶ関係書類が揃っています。

大変な作業と几帳面な書類作成の結果が
写真です。



30年前の私の晋山式も段ボール1箱分の会計書類が
ありますが、現在はパソコンの普及で
以前ほどかさばることはなくなりました。

この資料を監査員2名が監査します。
総代会(住職・総代)も全てに目を通します。

いつもは、特別会計を経験すると、次に一般花園会計を
担当するのですが、今回の会計さんは暫くお寺の役目は、
ゆっくりさせて下さい。との事でした。

何でも一般花園会計をする前に、
本山妙心寺に参拝したいと言っています。

これだけの資料を見ると「本当にご苦労さまでした」
ですね。

うがった(勘ぐった)方にとっては、
会計さんの苦労や努力も「怨言」の
種にすると隣町の和尚さんが言っていました。

「マルサの女2」のような神社仏閣は、
大分県では聞いた事がありません。
佐伯市のお寺の檀家さん心配しなくて大丈夫ですよ。

あなたの菩提寺(既存の法人寺院)も収支はしっかりして
いると思います。

春のお彼岸にグラウンドゴルフはいかがですか

2013年03月12日 | 行事
戦前から春のお彼岸は本山からお出でになる
「布教師さん」の巡教法話が各寺で行われています。

私が子供の頃は、父が「講座台」を本堂に準備をして
丁重に迎えていました。

隠寮には宿泊するための準備やお風呂の準備など
子供の私も手伝わされていました。

陰では布教師さんを「本山の隠密」と噂している
いう都市伝説もありました。

本山から特命で各末寺の状況を探る本山の隠密
まるで「幕府お庭番」のような噂話しがつぶやかれて
いました。
(ウソの噂です)

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布教師さんは用意された講座台に上がり参拝者に
講話をしていました。

今は、講座テーブルに椅子とホワイトボードです。

昨年の様子



昔はたくさんの参拝者でしたが、
50年ほど前から参拝者も少なくなり一時は
10名ほどしかお参りしなくなりました。

近隣のお寺も同様で30名集まれば「大盛況」と
いうようになっていました。

今から15年ほど前に、何とか参拝者を増やしたい
と考えて思いついたのが「正定寺ゲートボール大会」の
開催でした。

大会のあとのお接待は正定寺で行い、
ゲートボールの表彰は、本山布教師さんの
お説教を拝聴した後に行うと言うものでした。

参加者はこの村のゲートボール会員が対象で
檀家・他檀家関係なしに募集していました。

見事に参拝者は増えて80名の聴衆が布教師さんの
お話に聞き入りました。

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でも、そのうちに
「表彰は早くして欲しい」とか
「家が真宗なので聞いても分からない」などの
ゲートボール会員がいて、表彰(5位まで)に入らなかった
方はお接待の食事が終わると「さっさ」と帰ってしまう始末です。


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ゲートボール人気も衰え、代わって「グラウンドゴルフ」人口
が増えたので今では「正定寺檀家のグラウンドゴルフ大会」を
開催するようになりました。

前回大会の様子

今年で9年目の「正定寺杯GG大会」となります。

参加者は檀家さん限定なので、以前より
少ないですが、一般の参拝者と合わせると
50~60名の聴衆になります。

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3月23日(土)にグラウンドゴルフは午前10:00から
春のお説教は午後1:30から行われます。

グラウンドゴルフの遊具は花園会女性部が用意しています。

ブログ愛好者の檀家さんで「一度行ってみるか」と
思い切って、お参りしてはいかがでしょうか。

きっと、良い一日になると思います。



東日本大震災 弔鐘 

2013年03月11日 | 行事
3月11日
午後2時46分に東日本大震災の追悼弔鐘を
撞きました。

昨年も同様に弔鐘を鳴らしました。

今年は亡くなられた方々の3回忌にあたります。

妙心寺が全国の寺院に「東日本大震災の追悼弔鐘」
を呼びかけていましたので、同じように鐘の音を
聞かれた方があったと思います。

昨年は、多くの檀家さんが同時刻に
手を合わせてお祈りを致しました。

今年も村の防災無線からサイレンがなり、
大勢の方が黙祷をしていました。