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正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

メインページは検索で「正定寺」
(HP作成は正定寺閑栖:小原壽山)
ブログはFacebookにリンクしています。

本堂は夏バージョンに・・・

2013年06月17日 | 日記
毎年、6月の献茶会から本堂が夏バージョンに
模様替えされます。

この夏バージョンは秋のお彼岸に行われる
「施餓鬼会」が終わると冬バージョンになります。

それぞれの儀式にはまた違った荘厳(飾り付け)に
なります。

冬バージョン(9月下旬~6月初旬)





夏バージョン(献茶会から山門施餓鬼会まで)



どうぞ皆さんお参りください。


花園会災害見舞金をありがとうございました。罹災地に届けます。

2013年06月17日 | 日記
たくさんの方々から東日本大震災花園会員見舞金が
寄せられました。

一年前の平成24年6月20日の報告では、被災された7340戸の
花園会員さまに見舞金が届き、全体目標額の56%が全国の
花園会員から義援されたと聞きました。

義援金の期日は今年度中で、寄せられ義援金は
「臨済宗妙心寺派東日本大震災特別災害対策本部」を通じて
被災地に届けられます。

「妙心寺からの義援袋」




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義援金を納めるときに被災現場や被災者の顔が思い浮かんだのでしょうか、
義援封筒の中に「お願い致します」とか「頑張ってください」などの
一筆書きの手紙が入っているものもありました。

多くの檀家さんは、会社・行政・個人ですでに震災直後から
たくさんの義援金を喜捨していると思います。

中には「お寺の都合なのがいやだ」とか
「和尚が使うお金だろう」・「被災者に届くのか」などの
意見が3人ほどからあったと聞きます。

※上記の意見は、いずれも私ども僧侶による
平素の行いによる不徳と考えています。

有り難い事に、その不徳を足して頂き、
全員の義援を賜ることができました。

世話人さんが檀徒さんに頭を下げて、丁寧な説明をして
互助の気持ちを伝えていたことを
地域の檀家さんや花園会役員さんから聞かされました。

地区世話人さまには
本当にご足労をおかけ致しました。

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正定寺の檀家さんで5月12日に15歳になった女の子がいます。
その子が幼稚園の頃おばあちゃんと一緒にお参りした
妙心寺を描いた絵が下の写真です。



屋根に龍がいて中には和尚さんが絡子を掛けて数珠を持った様子が描かれています。
法堂の天井にある龍と説明する和尚さんが印象的だったのでしょう。

この妙心寺を本山とする花園会員の互助として、
いち早く復興支援や被災見舞いに全国の花園会員が名乗りを上げました。

被災した妙心寺派の子供たちの中には、上の絵のように妙心寺の思いでを
持っている子もあるのではないでしょうか。

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全国の花園会員の皆さまより、2年遅れですけどたくさんの方が
義援金を喜捨してくれました。

又、個別の領収や預かり証がないので、ご芳名をもって会計受け取り
の証とさせて頂きます。

尚、芳名削除希望の方はご連絡を下さい。
同様に7月下旬発行の寺報でも掲載されます。

正定寺檀徒中

甲斐辰己 ・ 小野美智治 ・ 久保田嘉博 ・ 柳井百人 ・ 宮下 與
甲斐龍太 ・ 石川栄子 ・ 久保田英治 ・ 安藤智公 ・ 矢野照雄
山本源義 ・ 曽根田千鳥 ・ 久保田美津江 ・ 柳井清浩 ・ 山内一平
木下保治郎 ・ 小野潔 ・ 久保田 忍 ・ 柳井 淳 ・ 山内正明
戸高浅生 ・ 小野道夫 ・ 久保田綾子 ・ 安藤金喜 ・ 安藤秀明
戸高直人 ・ 植田純市 ・ 下川雅秀 ・ 野村浩史 ・ 安藤廣美
小野邦彦 ・ 小野泰雄 ・ 戸高小恵子 ・ 伊東好文 ・ 安藤道紀
小野恒存 ・ 志賀 満 ・ 三浦一人 ・ 岩崎政徳 ・ 安藤哲也
小野秀喜 ・ 野々下博 ・ 三浦日出男 ・ 宇戸ミヤ子 ・ 簀戸功吉
戸高勝馬 ・ 林 亀 ・ 三浦幸一 ・ 川野久美子 ・ 安藤義博
戸高 忠 ・ 古矢長生 ・ 平井健吾 ・ 川野登志郎 ・ 小野広太
山元 都 ・ 近藤正視 ・ 小野 寛 ・ 広瀬豊喜 ・ 小野哲生
戸高由美子 ・ 小野浩伸 ・ 小野 力 ・ 広瀬正也 ・ 柴田 弘
御手洗 堅 ・ 御手洗晴視 ・ 川股憲明 ・ 御手洗欣也 ・ 大司八郎
小野幾夫 ・ 小田木聖孝 ・ 大竹正男 ・ 川野貴重 ・ 飛田幸平
小野征夫 ・ 井崎敏行 ・ 大竹良一 ・ 岩佐昭一 ・ 飛田茂子
佐脇廣栄 ・ 小野二三雄 ・ 安藤康正 ・ 後藤保代 ・ 星野喜三男
戸高恒喜 ・ 長田小太郎 ・ 足立米壽 ・ 染矢信子 ・ 柳井みはる
飛田 郁 ・ 御手洗麗子 ・ 尾形利勝 ・ 高橋忠男 ・ 矢野 薫
飛田和政 ・ 柳井順一郎 ・ 尾形一彦 ・ 安藤美喜 ・ 渡辺昭子
飛田幸幾 ・ 柳井孝義 ・ 甲斐朝美 ・ 後藤武士 ・ 竹下 裕
御手洗 哲 ・ 小野勇一 ・ 甲斐マツ代 ・ 後藤時子 ・ 大畑利春
飛田清馬 ・ 染矢豊喜 ・ 甲斐律男 ・ 染矢朝子 ・ 竹中裕子
御手洗正人 ・ 岡田喜敏 ・ 鴨尾利夫 ・ 立箱和人 ・ 竹元タマエ
飛田芳海 ・ 小野哲夫 ・ 武田敏秋 ・ 広瀬謙治 ・ 吉田禮子
柳井正道 ・ 小野富生 ・ 村西栄二 ・ 広瀬広美 ・ 御手洗基茂
加藤隆美 ・ 志賀健一郎 ・ 小野和行 ・ 柳井昌之 ・ 甲斐照光
桜井洋紀 ・ 染矢フサエ ・ 甲斐興宣 ・ 廣瀬芳見 ・ 小野永生
桜井有一 ・ 染矢春江 ・ 甲斐一男 ・ 広瀬茂弘 ・ 小野一人
櫻井米士 ・ 鉄山宗始 ・ 染矢邦正 ・ 安藤アヤ子 ・ 甲斐典昭
簀戸 健 ・ 橋迫寿生 ・ 染矢節子 ・ 安藤健辞 ・ 河野 林
簀戸寅夫 ・ 林 裕人 ・ 森下 修 ・ 安藤哲也 ・ 吉内良金
簀戸サヨ子 ・ 林 美春 ・ 武田 博 ・ 安藤鉄也 ・ 吉内耕二
簀戸茂一 ・ 山口直哉 ・ 武田雄二 ・ 安藤久男 ・ 吉内達也
戸高壽生 ・ 山下冨美江 ・ 立箱貞夫 ・ 後藤富士夫 ・ 吉田 勇
羽明忠夫 ・ 久保田和博 ・ 平井カズエ ・ 広瀬精治 ・ 甲斐久仁子
松井文生 ・ 三浦伸一 ・ 松田昭治 ・ 安藤慶喜 ・ 木下善吉
御手洗貞子 ・ 大久保保美 ・ 平井均和 ・ 井道則 ・ 冨高和夫
山畑 実 ・ 大竹琴美 ・ 森下モキ ・ 山内文男 ・ 鳴海 勇
桜井孝平 ・ 川野恵美 ・ 柳井律子 ・ 高橋慶太 ・ 鳴海勝也
鳴海健二 ・ 鳴海達男 ・ 鳴海雄二郎 ・ 山本伊勢治 ・ 鳴海 龍
鳴海信吾 ・ 鳴海トキ子 ・ 山本春男 ・ 鳴海由久 ・ 小野二三子
鳴海隆子 ・ 鳴海三好 ・ 山田桂子 ・ 吉田源蔵 ・ 安藤愛子
後藤政子 ・ 広瀬伊久生 ・ 安藤征一 ・ 柴田スミ子 ・ 小原勿子
(敬称略)

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世話人さまがいない地域では、お盆・秋彼岸の行事に合わせてご依頼の
通知をさせて頂きます。

又、今回の募金中に旅行やお仕事で世話人さまへ義援金を渡すことが
出来なかった檀家さんは、ご都合の良いときにでも正定寺へ直接か、
村西会計さん・総代さんにご持参ください。

本当にありがとうございました。


平成25年度正定寺花園会役員総会

2013年06月15日 | 日記
午後7:00から各地区世話人さまや花園会役員さまが年1度の
総会に集まってくださいました。

農繁期の忙しい中、時間を割いていただきました。

位牌堂で献茶会と「東日本大震災花園会員見舞金」の
義援金が檀信徒のご理解で集まりました。

義援金をお供えして、先の大災害で亡くなった
方々への供養もかねて献茶法要を行いました。



法要に参拝された皆さまは焼香をして
義援金が花園会員相互の絆となって、お役に立てればと
願っていました。



総会では監査報告やご意見など賜り9:30に閉会しました。



大鶴地区より義援金の件について・上の地地区から晋山式DVDの件・久留須地区から寺院の寺班について
江河内地区より義援金の収支について・・又、4年間会計監査をしていただいた上の地地区世話人さまの
挨拶などがありました。



収支決算などは7月下旬の寺報に掲載されます。又、義援金を賜った方々には個々の領収が
ありませんので寺報紙面にご芳名を掲載して義援金の預かりとさせていただきます。





尚、花園会見舞金の義援金収支は来年の平成26年度世話人総会でご報告申し上げます。


献茶会と花園会女性部総会

2013年06月14日 | 日記
午後2:00から位牌堂で献茶会がありました。

正定寺の献茶会は100年ほど前から行われている法要で、
「新茶(煎り茶)」をご先祖さまに奉納する法要です。

このお茶の製造をこの地域に伝えたのが正定寺第20世の鐵山和尚です。
お年寄りの中にはお茶の作り方を「お寺の茶」と言う方もいます。



写真は明治28年、京都で開かれた第4回内国勧業博覧会に出品した煎茶が
その栄を受けた褒状です。



この村で採れた茶葉で作られた煎茶が全国で認められた証です。

その奉納されたお茶を女性部の皆さんと一緒に
仏さまへ差し上げる事がで出来ました。

最近は、自家製のお茶は減って、供養料が多くなっていますが、
香りのたかい新茶が位牌堂にお供えされました。

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今日の参拝者です。



法要の後、プチ説教。



その後は、女性部総会です。
平成24年度行事報告と収支決算や
平成25年度の行事予定や予算などを話し合いました。






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献茶奉納も世話人さまにお願いして無事に終えましたが、
同時に妙心寺派「東日本大震災花園会員見舞金」も
檀家の皆さまにお願いしています。

この見舞金の趣意書は平成23年7月1日に全国花園会員に向けて
配布されご協力をお願いしたものです。

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正定寺ではその時期が、晋山式勧募と重なっていたので、
檀家さんの負担軽減を考えて、震災から2年経った今になりました。


「こんな時期に突然寄附?」や「他ですでに寄附をしています」などで
充分な義援が出来ないのではないかと按じていました。



世話人さんのお話では檀家さんにお願いに行くと
「ご苦労様です。義援金をお願いします」といやな顔一つせずに
封筒に包んで差し出していただいたと聞きました。


本当に有り難い話しです。


すでに200世帯を超える方々から義援を頂きました。

花園会会計がとりまとめて、本山へ送金したいと
思っています。

ご協力ありがとうございました。

昨日の庵主さんとは・・?

2013年06月13日 | 日記
佐伯地域では寺院が管轄していた「末庵」というものが
あります。

大小の末庵は、仏を祀るお堂と少しの畑と小さな山が
あり、寝泊まり食事は出来るような庵(いおり)です。

宗旨や宗派が違う寺院の総末庵数は、佐伯藩内で200ぐらい
あるのかも知れません。

その「末庵」にすんでいる主を「庵主(あんじゅ)」と云いました。

庵主の中には、出生や家族事情で素性を隠しながら、
行脚して地域のお堂に住んだ僧もいました。

全国的には尼僧を指す呼び名ですが
佐伯地方では比丘(男僧)をさします。

僧堂生活の経験や住持になる資質を備え得ずに、
昔は宗旨も混在していました。

生活のために祈祷やお経を唱え布施を頂いていました。

腰をひいて頭を下げて布施を乞う姿が
「腰が引けて」無気力に見えるところから、

「ふがいない様子」を「庵主腰(あんじゅごし)」と云うように
なりました。

嫁いで来た新米のお嫁さんの畑仕事に姑が
「そんな庵主腰では耕せん」などと使っていたそうです。

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現在は佐伯地域では庵主さんはいなくなりました。

弟子を叱咤するときに
「庵主にでもなれ」とか「おまえは庵主と同じだ」と
いう言葉を昔の和尚(師匠)達はよく使っていました。

おしなべて庵主という言葉は「半人前の僧侶」と云う意味に
扱っていました。

古参の和尚さんが儀式の指導する時に、
「雲水(修行僧)じゃ無いんだからしっかり三拝をしなさい」と
新参の和尚に云うように「庵主」も修行中の「雲水」と同じ
感覚だったのかも知れません。

但し、全てとは限りません。
世をしのぶ高僧が庵主となった例もあります。

又、本寺の住職を受業師として弟子となり、
他寺院に拝請(招かねる)されるまで「庵主」として
精進する僧侶もいました。

正定寺でも江戸期の記録として庵主の名が残されています。

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江戸時代に行われた寺請制度で「庵主」は登場します。

当時の佐伯藩は、山間から海辺に広がる地域に民衆は散在していました。

そのために、菩提寺から不便な地域の檀信徒を把握することが
困難になり、「庵主」と云ういわば私渡僧が誕生しました。

宗教統制の一環として設けた「寺請制度」は、民衆がキリシタンでは
ないことを寺院に証明させる制度でした。

小単位でお堂を建て、檀徒の法事は全て庵主が行いました。
そして、異教徒の有無を菩提に報告させていました。

この「庵主」という言葉は、養賢寺で写本された
「東照神君垂範十五ヶ條」・「御条目宗門檀那請合之掟」などに
登場します。(手書きの写しです)

全国で流通した「御条目宗門檀那請合之掟」の冒頭に
記されている。

書物の冒頭には、佐伯地方のオリジナルなのかも知れませんが、
「年忌仏事は庵主に相頼み候」とあります。



養賢寺の写本を写したようです。

  


これらの書物は、当時の寺院制度を確立するために偽作された
書物ですが、歴史背景を知る上では面白い資料です。

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昨日のブログに書いた「鞋資」と同じく、
「形は沙門だけれども心に慚愧が無い」
そんな半端な僧侶にならないように
しっかり自分を見据える事が大事であると感じます。

最初の鞋資(あいし)草鞋銭の包み

2013年06月12日 | 日記
京都御所の北に位置する
臨済宗相国寺派本山の相国寺は
京都市内の中央にあります。

山外塔頭に鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)
があります。

この相国寺の第6代管長さんが
梶谷宗忍老師と云うお方で
佐伯市蒲江西野浦の出身でした。

佐伯市海崎戸穴の願成寺住職であった
龍淵芳洲和尚のもとで得度出家して
住み込みの小僧生活をおくりました。

昭和10年に京都建仁寺専門道場に掛錫して、
竹田頴川老師・その後は梅谷香州老師
相国寺の大津櫪堂老師の法嗣となります。

梶谷宗忍老師(1914~1995)室号を止々庵(ししあん)



私は学校を卒業すると同級生と話し合って、
この相国寺専門道場に掛搭(入門)しました。

この専門道場の師家(修行僧を指導する高僧)が
同郷佐伯市出身の老師とは知らずに掛搭しました。

なんともいい加減な話しです。

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道場に入ってしばらくして、副司寮(修行年数が多い先輩の僧)が、
「これを頂いたのでお礼の手紙を書いて送りなさい」と手渡されたのが
下の写真の「鞋資(あいし)」です。



表には「艸鞋(ワラジ) 堅道和南」と書いています。

この堅道和尚が龍淵芳洲和尚の実子で、
当時の願成寺住職でした。

梶谷宗忍老師とは兄弟弟子になります。

堅道和尚は、僧堂の梶谷宗忍老師に会いに
来たついでに、正定寺の弟子にと老師に鞋資を
預けたそうです。

宗忍老師は5年以上の雲水しか覚えていません。

新頭(新入生)の私の顔などなおさらです。

それで老師は堅道和尚から預かった鞋資を三応寮へ
そこから副司寮にと考えられない人の手を介して
私のもとへ届きました。

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鞋資は修行僧が行脚するための草鞋銭の事です。

この鞋資には「しっかり修行しなさい」という
意味も込められています。

私は34年前にいただいた最初の鞋資包みを
大切に持っています。

(中身の金銭は使いました)

京都から戻って、願成寺の堅道和尚に挨拶に行くと
「相国寺に行ってくれて、ありがとう」と云われました。

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梶谷宗忍管長さんが願成寺小僧時代には

「太鼓をたたかせば馬が踊って出てくるような太鼓をたたき、
お経を唱えれば何を言ってるのか、かいもく分からない」

「おまえみたいな出来そこないの小僧は庵主でもなれ」と
云っていたら管長さんになったと笑いながら堅道和尚が話していました。

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その堅道和尚もすでに亡くなっています。

「しっかり修行しなさい」という気持ちと共に最初に
頂いた鞋資は今でも私の宝物になっています。

今一度、鞋資をいただいた最初の心に
立ち戻る時が来たと感じています。 


百年まえのようす

2013年06月11日 | 日記
下の写真は大正5年(1916:97年前)の第20世鐵山和尚の
葬儀(津送)のようすです。

正面には祭壇が設けられて、境内にはゴザが引き詰められて
います。

鐵山和尚が突然に亡くなったので、お弟子さんや檀家さんで跡目を
めぐって争いになりました。

後に第21世になった千巌和尚(祖父)を推挙する檀家さんと
他のお弟子さんを推挙する檀家さんで二分されて、
その争いは5年に及びました。

そして、この写真の葬儀で千巌和尚が主喪(葬儀委員長)を務めることにより
内外に正定寺第21世となったことを周知させる事となりました。
そして次の年に正式に晋山しています。

この葬儀で簀戸長太郎さんと言う方が、弔辞を読んでいます。

長きに渡り紛糾して決まらなかった住職は、檀信徒の総意により
千巌和尚に決定した事を弔辞の中で明確にさせています。

この弔辞は現在も保管されています。

昔の寺院は次の住職を決めるために、檀家の騒動が頻繁に有ったと聞きます。
今でも聞くことが有ります。


写真は正定寺の本堂正面からカメラを向けて写しています。



正面の祭壇に向かって右側の椅子に座っている和尚さんが第21世千巌和尚です。
一つ手前が宇目千束の崇圓寺和尚さん。
その手前が四国愛媛の東禅寺和尚さんです。

いずれも鐵山和尚のお弟子さんです。

左右でお参りしている方々は、近隣(仁田原)の檀家さんです。

祭壇に向かって左に立っている方が、林宇三郎さんで当時の県会議員です。

鐘楼兼山門も現在のものとは少し違います。(下の写真が現在)



左に高くのびている木が「もみの木」ですが、
現在の大きさと比べてやっぱり細いですね。

平成20年当時の写真



山門の左の建物は「鎮守堂」です。
私が小学校の時は在りました。

この鎮守堂には「弁財天と稲荷明神」が合祀されていました。

今では「弁財天」は観音堂(位牌堂)に安置されています。

お稲荷さん」は元々お堂が建っていた「堂屋敷」に安置されています。

大正5年当時を知る方は、現在いません。

写真の人物の中にあなたのご先祖さまがいるかも知れませんね。






お一人さま1パック98円のタマゴに嫁と姑

2013年06月09日 | 日記
過疎の村は、夫婦2世代の同居をあまり見ません。

お寺の周辺に18軒の家がありますが、
その中で「嫁と姑」が一家にいるのは2軒しかありません。

その内の一軒がお寺です。

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年忌で檀家さんにお参りしても、
「嫁と姑」はいるのですが、長男夫婦は都会に住んで
平素は同居していない家庭がほとんどです。

又、世間では「嫁と姑」は「仲が悪い」と云うのが
定説なのでしょうか。

仲の良い「嫁と姑」を見かける
「よそおっているだけだ」と世間は仲良を
あえて認めてくれません。

うたがい深い面々が多く、噂話もすぐに広がります。

お嫁さんにとって亭主の仕事で
姑と別居出来るのを好都合と思っている
人もいるのかも知れません。・・・

でもこんな方ばかりではないと思うのですが。

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この村の「スーパー」に女房と母が買い物に行きました。

「スーパー」と云っても従業員は3・4名で、レジのパートさんは
ほとんどこの村出身の方です。

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この日はタマゴが1パック98円の激安だったらしく、
それを目当てにスーパーに行きました。

でも、一人1パックしか買えません。

いつもだったら2個を買い物カゴに入れて
「あそこに母がいます」と、
女房はレジの方に伝えて二人分のタマゴを買います。

この日は、お客さんも多くて、買い物客に檀家さんも多かったので
いつもの「あそこに母がいます」では、あまりにもお寺の奥さんが
横着に見えるので、母と女房はきちんと二人でレジに並ぶことにしました。

当然、支払いも別々で「一人1パック」を模範通りに
買いました。

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4・5日して檀家さんの間で
「お寺の若奥さんは、大奥さんの98円のタマゴまでも別に買わせていた」とか
「98円のタマゴぐらい買ってあげれば良いのに」とか
「やっぱり仲が悪いのだわ」とか

果てには「レジで大奥さんが寂しそうだった」などのウワサが広まりました。

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98円で寂しそうにするような母ではありません。

「一人1パック98円」を買うときは注意をしてください。

いつも通り、
「あっちに亭主と子供がいます」といってレジで
3パック買うのが無難のようですね。

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几帳面に98円のタマゴを買った嫁と姑は、
「仲が悪い親子になった」と仲良く隠居屋で笑っていました。






お参り出来たらお参りしますね!

2013年06月08日 | 日記
関西から嫁いで来た女房は、
言葉のやりとりで随分苦労しました。

時には「勘違いしたり」
時には「勘違いされたり」の毎日でした。

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女房が「来週のお彼岸法要にはお参り出来ますか?」と
檀家さんに尋ねています。

檀家さんは「お参り出来たらお参りしますね」と
答えています。

直川では、こんな返答が返ってくると、

「たいした用事がなければお彼岸にお参りしてくれるのだな。」と
思います。
そして、お接待の準備をします。

「お参り出来たらお参りしますね!」は
「ほぼ60%はお参りするかもしれない」という表現です。

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でも
女房は違います。

この檀家さんの「お参り出来たらお参りしますね!」の
返答は「100%絶対お参りしません」と云う事と
思っています。

小さいときから・・。

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だから、「今日は時間が出来たのでお参りに来ました」とニコニコと
お参りする檀家さんを見ると

女房は「何故?」となります。

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当然、お接待のお膳も足らなくなります。


女房の困った顔が檀家さんから見ると不機嫌に思えたりします。

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大阪では「行けたら行くわ」は「行かない」と云うことです。


大分での言葉の違いに気づくのに女房は30年かかりました。
今は意思表示をくみ取れるようになりました。

いまだに関西弁が消えない女房ですが、
里帰りするとお姉さんから「ごっつ大分弁になったやん」と
云われています。

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よそ行き?

2013年06月07日 | 日記
あまり聞かなくなった言葉で「よそ行き」と
いうのがあります。

「よそ行ききちー、どきいくんか」と使います。

「オシャレしてどこへいくのですか?」と云う
ことです。

「よそ行き」は普段着ではない、新しい着物や洋服の事です。

昔は帯の広さで
「どれくらいのよそ(他所)」にいくのか判断できたと
云います。

帯が広ければ、遠方に出かける。
狭ければ、日帰りと云うことのようです。


旅行に行くときには新品の「履・洋服・下着」など
を着て出かけます。

高齢者の中には「別府温泉」の旅行に出かける時にも
前日にパーマ屋さんに行き、出発当日は朝風呂に入って
迎えのバスに乗り込む方がいます。

無駄で変な行動ですが、身なりを整えることは
出歩く時の礼儀なのかも知れません。

以前、年忌法事のお寺参りにジーパン姿で
お参りした方の話しをしましたが、礼節・品格は
服装を整えるところから始まるのかも知れません。

出かける時だけとは限りません。
写真一枚にでも正装していた時代が
あったのですね。



「よそ行き」の服はしばらくすると普段着(ツネギ)になります。

普段着もしばらくすると仕事着(ノラギ)になります。

「エコ・もったいない・節約」です。

今では「よそ行き」の言葉は、うがった人物が
「結構な具合だね」とうらやむ時に皮肉で使います。

「よそ行ききちー、どきいくんか」とバカにしながら
使うのは本来の使い方を間違っています。


予想外の展開

2013年06月06日 | 日記
女性部の総会が14日に献茶会の法要と
一緒に行われます。

農繁期で欠席する女性部員がお寺に
欠席の旨を伝えにわざわざ来てくれました。

その女性部員さんが健康のため
直川の村民グランドで歩いているとの
事でした。

夜でもグランドは電灯が着いて、
芝生の上を何周か歩くと夜はぐっすり
眠れます。・・と熱く語るので

「それじゃ、私も今夜から」と
夜の8:30に女房と二人で出かけました。

しかし、
グランドは真っ暗で自販機の明かりしかありません。

誰もいない静かなグランドです。

電灯は暫くすると付くのかもしれないと
携帯電話の明かりを灯して二人でグランドを一周しましたが
明かりは付きません。

普段は履かないジョギング用の靴と水分補給の
ペットボトルを片手に準備万端で出かけましたが
予想外の展開で水分補給する間もなく、帰って来ました。






剪定の季節

2013年06月04日 | 日記
年に2回、6月とお盆前に庭師さんが剪定に入ります。

庭師さんの都合もありますが、
サツキの花がしぼんむ頃に、
松や梅の剪定をして、サツキが完全にしぼんだら
サツキやツツジの剪定をしてくれます。

8月のお盆前に2度目の剪定をします。
大きな行事があれば、お盆過ぎに3度目の剪定に
来てくれます。

佐伯市もたくさんの造園業者や庭師さんがいます。
ここ15年くらいは宇目町出身の「小間造園さん」が来てくれています。

小間造園は親方とベテランの2名に、良く働く若者1名の
スタッフでした。

最近は親方とスタッフ1名の二人で剪定や造園をしています。



直川には「緑豊ガーデン」のターちゃんがいます。

以前は、京都で庭師の修行したターちゃんにお願いしていました。

現在の境内に植わっている樹木や石・池・垣根など
全てターちゃんが作ったものです。


直川には憩の森公園に「憩の森昆虫館」という施設や
カブトムシふれあい館」などがあります。

私より4歳年上のターちゃんは、
その観光企画にかかわった直川大好き人間です。
今でも直川の自然をアチコチで大宣伝しています。

会計監査のようす

2013年06月02日 | 日記
今夜は花園会会計の監査が行われました。

雨の具合なのか夕刻になると
肌寒くなりました。


花園会会計とは檀信徒の護持金(年会費)を
運用する会計です。

監査委員は21地区の花園会世話人さんの中で
最年少2名がその任にあたります。



当然ながら、収支決算資料の確認をするために外部関係者に
連絡をとることもあります。

監査を受けている部屋には、会計と監査委員の
3名しかいません。

同時刻に、総代会も別の部屋で行われています。
定数は5名です。

新住職にとっては、2度目になる総代会です。



総代会では予算や特別な行事などについて説明や計画が
話し合われます。

別室の監査が終わると、総代会と監査委員・会計との
会議になり、予算・決算など「世話人総会の議案」
に付いて検討されました。



3時間の会議が終わり、監査委員や総代の提案などを踏まえて
再び会計さん(事務局兼任)が最終資料を作成してくれます。

作成された資料は、メールで正定寺に届き、
6月15日に行われる世話人総会(花園会役員会)に向けて、
世話人さんへ事前配布されます。







野菜不足を補う

2013年05月30日 | 日記
体重が増え続けています。

副作用を軽減させるための胃腸薬や
炎症止めのステロイドなどで食欲は増ばかりです。

女房が「野菜中心の食事に」とサラダや温野菜
を大量に作ってくれます。

それでも野菜不足だといって、
牛乳と「野菜の素」のような粉末を混ぜて
緑色の飲み物を作ります。

コップに一杯なのでしょうが、気候もだんだんと
暑くなり、冷えた1杯が2杯・3杯とお腹の中は野菜で一杯になります。

やっぱり「食べ過ぎです」

「水を飲んでも太る」は嘘ですね。


「仏さまに感謝しながら頂くので、他の人より身につきやすい」を
まさに実感しています。








フェイスブック(Facebook)とリンク

2013年05月29日 | 日記
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私のブログを正定寺HPから見る方が
一番多いのですが、最近はFacebookから
このブログを見る方も多くなりました。

コメントもブログからとFacebookからとがあります。

正定寺HPからブログをご覧の方も是非
Facebook
登録して友人を探してみてください。

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青壮年部顧問さんの同級生もFacebookに登録されていて
日常の楽しげなようすを見ることが出来ます。

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直川苑の向こうに住む顧問の同級生は、
二匹の犬と共に自然の恵みに感動と喜びを見て人生を謳歌しています。

又、間庭近所の同級生は、ムササビと共に大自然を語っています。


それから
今日は顧問の同級生で石材店社長さんがお参りして、
「神社検定」の試験を受けると言っていました。
「寺院検定」もあれば挑戦してみたいとも言っていました。

信仰心が芽生えたのだろうか、それとも別の何かが?

とにかく青壮年部顧問の同級生は凄い。

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いずれにしても、
ブログだけでは、もったいないので
是非リンクされているFacebookもご覧下さい。