会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

高村光太郎8  素空

2012-02-28 23:17:16 | Weblog
 先の戦争、それは本質的には市場を求めて膨張する資本主義国家間の争いだったと言えるが、当事者の多くの日本人にはそんなことは分からなかった。皇国史観とナショナリズムで固めた教育を背景にした国家体制は、アジアに対する侵略戦争に反対するなどと言うことは許さなかった。戦争に反対するものは投獄(死につながった)され、事実を冷静に見抜いていた識者は沈黙するか消極的な協力をするしかなかった。

 会津八一もこんな歌を詠んでいるが、歌集では削除している。

  苛烈なる戰況をききて 1944・7・16 毎日新聞 (全歌集拾遺より)
   いちおくのひとこぞりたていにしえゆいまだきかざるくにのあゆみに

  學徒をいましむ     1945・1・01 読書新聞 (全歌集拾遺より)
   いきのをにふるへわかびとわれさへやかぶとかかぶりたたんとす

 高村光太郎の戦争翼賛の詩も戦後、抹殺に近い扱いになった。
 八一は古代へ憧憬、天皇崇拝の念は強かったが、熱狂的に戦争を支持したわけではなく、むしろ学徒として出陣する教え子に「生きて帰れ、そして学問の道に戻れ」を説いている。戦後は淡々として国家の復興を新しい文化の中で図れと故郷新潟で語っている。
 しかし、戦争に積極的に協力した芸術家や文学者の多くは十分な反省抜きに「戦後民主主義」の下で「平和」や「民主主義」の旗振りをするという醜悪な行動に出るのである。
 そんな中で「みんなが戦争中の発言を変えて堕落していく中で、高村さんだけが人間らしく生きるとは何かを教えてくれた」と学者・北川太一が書いている。高村光太郎はどう変わったのであろう。

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